ミルクコーヒー

二人は小林をその場に放置すると学校を後にし、表通りのレトロな外観のカフェに足を運んだ。


その店は千佳のお気に入りであり、休日など予定のない日はそこに足しげく通い読書に謹んでいた。


店内にはこじゃれたインテリアがそこかしこに配置されていた。二人は年齢は若いが髪の薄い店員の案内で窓際の席に腰かけると適当な注文をした。


平日であることも起因してか客足は少なかった。


「いい雰囲気の店だな」


常史江がポーカーフェイスでそう呟いた。


「気があうじゃないか」


千佳はそう言って笑みをこぼすと少し遠慮がちに尋ねた。


「で、さっきの件についてだけどさ…」


「ああ、そうだったな。さっき屋上で話したことあっただろう。あの話には続きがあってだな。あの日以来俺はちょっとした才能に目覚めたらしい」


常史江は窓の外の街を行きかう人々をぼんやりと眺めながら語った。




「その能力に気づいたのはあの日から数日後の事さ。俺は学校が終わってまっすぐ家に帰ろうとしたんだ。やる事もないしな。駐輪場について気づいたんだがポケットに入れてあったはずの自転車の鍵がなくなっていたんだよ。俺はまいったな、と思ってポケットの中をもう一度探ってみた。するとさっきは無かったはずの鍵がそこにあったんだ。俺は妙に思ったが、結局その日は普通に下校したよ。だが驚いたことに…」


常史江の話を遮って若い女性の店員が接客スマイルで注文した商品を持ってきた。二人は礼を言ってそれを受け取った。


「そんで何に驚いたのさ」


千佳は好物であるミックスジュースを啜りながら聞いた。


「次の日、学校を訪れると教室の隅に俺の自転車の鍵が落ちていたんだ。どうやら何かのはずみでポケットの外に飛び出たらしい」


千佳は首を傾げた。


「どういうこったい。アンタさっきと言ってる事が矛盾してるじゃないか」


「増えたんだよ」


「はあ?」


千佳は常史江の珍妙な返答に素っ頓狂な声をあげた。周りの客に彼女は好奇の目に晒された。千佳は気恥ずかしくなり、咳払いした。


「増えたってどういう事さ」


「俺が望んだからポケットの中に新しく鍵が現れたんだ。それが俺の能力らしい」


千佳が微妙な顔をしていると常史江は手元のアイスコーヒーを眺めながら言った。


「よく見てろよ」


常史江がコーヒーに手をかざすとみるみる内にコーヒーは白みを帯びていった。


千佳は卦体な光景に目を擦った。


「ミルクコーヒーの出来上がりだよ。これは俺が頭の中でミルクを思い浮かべたからさ。まあ、最初から頼めばよかったんだが」


そういうと常史江はスプーンでそれを入念にかき混ぜ、一口飲んだ。


千佳は店内をぐるぐると見渡した。自分は何かの大がかりなドッキリ番組のターゲットにされているのではないか。だとしたら相当滑稽な映像が撮れているであろう。そう思った。


「なあカメラでも探しているのか?ここに案内したのは君だろ」


「あ、そっか」


常史江にそう指摘され千佳は赤面した。


「これでわかってくれたかな。俺は思い浮かべた物を具現化できるんだ」


「何でも?」


「ああ」


「お金」


「もちろん」


「洋服」


「もちろん」


「爆弾」


「もちろん。まあそんなのはこの場じゃ出せないが」


千佳はまだ腑に落ちなかった。


「そんな、漫画みたいな…」


「だから言ったじゃないか。この世界は現実じゃないと」


千佳はそれはそれは甚く動揺した。たしかに先程からの超現実的な出来事の数々は彼の言葉に説得力を持たせた。自分のこれまでの人生が架空の出来事だったとは思いたくなかった。別にそれほど充実した日々を送ってきた訳ではないが。


もし、自分が漫画やアニメの登場人物だとするならば、今のこの姿も見られているのだろうか。


そう思うと身震いがした。自分は間違いなく存在しているはずだ。そう自分に言い聞かせた。


俯く千佳を見て常史江が呟いた。


「すまないな。やはり君にこんな話はするべきではなかったかもしれない」


常史江のガラス玉を思わせる生気のない目に少しばかりの後悔の念が浮かんだように千佳には見えた。


そんな彼の様子を見ていると何故か千佳は逆に申し訳ない気持ちになった。


「い、いいよ私の方から聞いたんだし気にしなくても。それにアンタの話、完全に信じたワケじゃあないけれど現実だろうがそうじゃあなかろうが、私はここに存在してるんだからねえ」


千佳は自分でも言っている意味がよくわからなかったが、とにかくそう言った。


「そうか、前向きだな、君は。俺はそうは思えない」


前向き。そんな言葉を言われたのは初めての事だった。千佳が自分に抱いているイメージとはかけ離れていたが、悪い気はしなかった。千佳はすぐに機嫌を取り戻した。我ながら単純だな、と思った。


「そういえばさっき、学校であんたにペンを貸したけどさ、アンタの能力を使えば借りなくても済んだんじゃないの?」


「正直に言うと忘れていたんだ。自分にこんな能力があるのを。しばらくの間まったく使っていなかったんでね。いや、正確には忘れたふりをしていた、が正しいかな」


「何故さ?そんな便利なのに」


「そう言うと思ったよ」


常史江はコップの中の氷をスプーンでいじりながら言った。


「確かに、欲しいものがあったとしても一瞬で手に入るというのは一見、魅力的にうつるかもしれないが実際は空しいだけさ。だってそうじゃないか?現実じゃあないのに何が手に入ろうが後に残るのは空虚感だけさ。さっきはしかたなく使う羽目になったが、俺はこんな能力に意味を見出せないよ」


常史江はミルクコーヒーを飲みほすと、こう続けた。


「この世界にもね」


千佳は彼にかける言葉がみつからなかった。


おそらく彼の気持ちは彼にしかわからないのだろう、そう思った。


「あの、なんか勝手な事を言うようだけどさ、その能力、アンタは別にいらないと思ってるかもしれないけど、その力で人の為に何かできるかもしれないよ」


「俺に全身タイツのスーパーヒーローになれと?そんな柄じゃあないよ」


常史江はテーブルに帆杖を突いた。


「そうは言ってないさ。でもアンタは今日、学校でいじめを止めただろう?アンタは自分には感情が無いって言ってたけどさ、私はそうは思わないね。じゃなかったら虐められてる奴を助けようなんて思わないはずだよ。」


「別に…何となくやっただけさ」


常史江はそうはぐらかした。彼の素直じゃない受け答えに千佳は苦笑した。


「とにかく、アンタにその力が宿ったのはなんか意味があるはずさ、多分。アンタならきっとその力を悪用はしないだろうし、使わないなんてもったいないよ」


常史江は遠い目をしながら、窓の外を眺めて言った。


「考えておく」

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