欲望

綿麻きぬ

more and more

「そうそう、そういや君の欲望は本当に君の欲望なのかい?」


 いつも通りの会社の帰り道、僕はこれまたいつも通りに歩いていた。


 そいつはいきなり僕の目の前に現れ、声をかけてきた。そいつはまるで鏡の中の僕だった。でも、僕より何倍も何倍もずる賢そうな顔をし、ニヤリと笑っていた。


「そう、例えば君が欲しがっていたあの高そうな車。あれは本当に君が欲しがっていた物なのか?」


 所謂、高級車と呼ばれるもので人気のある赤色の車だ。なんで赤色か、と聞かれたらカッコいいと思われる色が赤色だからだ。


 そして僕は少し思案して答えた。


「そうさ、高機能で高いから価値があって、皆が欲しがってる。」


 その答えを聞き、そいつの口角は上がった。


「ほら、考えてみろ。皆、欲しがっている。その言葉が示すように君は君の価値観で物事を見ていない」


 その言葉は少しだけトゲのように胸に刺さった。


「他にも君が君の欲望に忠実ではないことを示した例がある。例えば、受験。君は皆がいい大学と言っている所を受けた。これだって君の本当に行きたいと思う大学には行ってないだろ?」


 そんなことを言って、そいつは消えた。


 そいつが消えたら視界は揺らいでいた。遠くから目覚まし時計の音がする。


 そして僕は夢から覚めた。やけに心の奥を突く夢だった。


 それから僕の日常は少しずつ歪み始めた。


 最初はいい方向を向いていた。自分の本当にやりたいことを自問自答して、お金の使い方を見直したりしてた。そして、本当の意味での自分への投資をしていた。


 だが、だんだんそんな自分の価値観で生きていくことが辛くなってきた。そんな馬鹿なって思うかも知れない。でも本当なんだ。


 原因は分かっている。周囲の人は全体の価値観で動いている、でも僕は自分の価値観で動いている。それによってズレが生じ始めた。


 そのズレは徐々に僕を蝕み始めていた。自分は正しいことをやっているはずなのに、なぜ、それは受け入れられないのか?


 この時、自分の意思を強く持っていれば良かった。でも、そこまで僕は強くなかった。


 そして、欲望に忠実になった。自分への投資ではなく、周りからの価値観への投資になっていった。


 そんな事を思い始めたら、もっともっとお金が必要になっていく。それを分かった上で僕はその選択をした。


 そんなある日、いつも通りの会社の帰り道、僕はこれまたいつも通りに歩いていた。


 そしたら、そいつに出会った。


「あなた、more and moreなのですね?」


 それは悪魔の囁きで、僕は頷いた。


 そしたらそいつは僕の中に飛び込んできた。そして、僕は取り込まれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

欲望 綿麻きぬ @wataasa_kinu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ