年越し
十一時の少し前に栞は赤薔薇寮の前にワンボックスを停めた。結局、行事を欠席する生徒はゼロ。この学園に来てから初めて休みの日に外出するという子もいて、気分はさながらピクニックか遠足かといった様子だった。ゆっくりと車を走らせ始めただけでちょっとした歓声が上がるのにハンドルを握る栞は内心で苦笑した。
「先生、神社って街にあるんですよね?」
「ああ。ここから一時間もかからない」
警備の人たちに少し早い年越しの挨拶をして山道に出る。
「ただ、いわゆる年末年始にごった返すような大きな神社じゃないからね? その辺はあまり期待しないように。とは言ってもそれなりに人は来るようだから、単独行動は禁止。もし万が一はぐれたら神社の鳥居の所へ集合。私か加賀美先生のどちらかが常に待機しておくから」
「せんせ、私たちだってもう小学生じゃないんだから大丈夫だって」
「私の年からしたら小学生も中学生も高校生も大して変わらないわよ。ひな鳥か、ちょっと成長したひな鳥か、それよりまた一回り成長したひな鳥ってくらいのものね」
助手席に座る御門の言葉に生徒が笑う。ちらりとミラーで見やると、董子も小さく笑みを浮かべていた。普段からそういう表情をしていれば仲間受けもよさそうなものを、相変わらず彼女が笑うのは栞の前だけと言って良かった。
車を走らせること四十分。街中のパーキングエリアはほとんどが埋まっていたが、運よく空きを見つけてそこに駐車する。ここからは徒歩で十分ほど。繁華街からは離れた場所にあるが、ちらほらと見受けられる人は同じく初詣をしにきた人なのだろう。中にはきっちりと振り袖を着ている人もいる。神社だから鐘はないのかと思っていたのだが、車から降りるとボーン、ボーンと除夜の鐘の音が聞こえてきた。
皆こういう形での年越しは初めてなのか、その音にいやおうなく気分が盛り上がってしまうようだった。
とは言え、彼女たちは櫻ノ宮の生徒。前に勤めていた中学でも引率をやったことはあるが、櫻ノ宮の生徒は大人しさ――と言うよりも品格だろうか?――が違う。とにかく注意を向けていないとみんな好き放題にあちらこちらに行ってばらばらになってしまうようなことは一切なく、五人は栞と御門の前を楽しそうに、けれどお淑やかな振る舞いで歩いていた。
神社は想像していたものより幾分か立派なものだった。
大きな鳥居があり、続く参道の向こうの本殿は見えない。ちらりと見える社務所では紅白が目に鮮やかな巫女さんたちがあと十分ほどに迫った年明けに追われているようだった。参拝客も、詰め込まれるというほどの人ではないが、それでも結構な数の人がおり、参道途中には屋台もいくらか出ているらしい。遠くから焼き物の良い匂いが漂ってくる。
「加賀美先生、どうする? たぶんもう本殿の所には初詣の人の列が出来てると思うけど」
「急ぐ旅でもないですし、ここで年を越して、それから向かっても良いんじゃないですか?」
「それもそうね」
御門がポケットから煙草を取り出す。
「御門先生、煙草を嗜まれるんですか?」
生徒の一人が珍しそうに言った。
「嗜むってほどじゃないわよ。……っと、ここで吸うとちょっと不味いか。加賀美先生、少しお願いね」
「ええ。今年最後の一本ですね」
「なんかそう言われると縁起悪そうに聞こえない? 人生最後の一本、みたいな」
なんて笑いながら御門先生がその場を離れる。
「加賀美先生は煙草は吸わないんですか?」
栞の手を取って、じゃれるように高等部の生徒が聞いた。
「吸うように見えるか?」
「なんとなく、加賀美先生なら似合うかなぁ、って」
「朝とか、起きぬけに軽く一本、みたいな?」
「そうそう!」
きゃいきゃいと騒ぐ生徒たちに苦笑いを浮かべつつ栞は董子を一瞥した。少し下がるようにして彼女は栞の斜め後ろに立っていた。生徒の輪に入っていないことはないのだが、それでも自己主張らしいものは一切しない。響く鐘の音に耳を傾けているのだろうか?
御門が戻ってから三分もしない間に年は明けた。輪になって、「明けましておめでとうございます」と頭を下げると、誰からともなく小さな笑い声がもれた。考えてみれば栞たちは随分と不思議な一行だ。全国を探しても、教師と生徒が連れだって年越しの初詣に来ているグループはそうそうないのではないかと思う。
「さて、これからどうしましょうか?」
御門の言葉に栞も考える。
「あまり遅くなってもあれですし、遅くとも四十五分にはここを出ましょう」
「そうね。あと、屋台での買い食いはほどほどに。多少は目を瞑るけれど、貴女たちはどこにいようが櫻ノ宮の生徒なんだから、その自覚を忘れないように」
言うと、生徒から落胆の声が出たが、「それに、こんな時間に好き勝手食べると贅肉がつくわ肌は荒れるわで良いことないわよ?」と言う御門の脅しにすごすごと引き下がる。「素直で実によろしい」と御門が近くの生徒の頭を撫でた。
「ともかく、それじゃあ私がここに残るから、加賀美先生とみんなは――」
「ああ、いえ。ここには私が残ります」
御門の言葉を切って栞が言った。
「私はそうじゃないんですけど、父も母も洗礼を受けたキリスト教徒なんです。そのせいか、どうにも神社やお寺って慣れなくて……」
董子をのぞいた生徒たちが驚いたような声を上げる。
「だからすみません。御門先生、生徒たちの引率、頼めますか?」
「……了解」
御門が小さく息を吐いて言った。元々この企画を立てたのは栞なのに、今更になってこの言葉。ちらりと董子の方を一瞥する。董子は何も応えなかったが、御門には何がどうなっているのかすっかりわかったようだった。
「あの……」
次いで、董子が声を上げた。
「私もここに残ります。人波に酔ってしまったみたいで、少し気分がすぐれなくて……」
「大丈夫か? なんなら、御門先生に付き添ってもらっているか?」
「いえ……そんなひどいものではないので、じっとしていれば大丈夫だと思います」
まるで前々から用意されていた台詞を言うかのように董子の口からはそんな言葉が出てくる。「大丈夫?」「確かに結構な人出ですものね」と心配してくれる同級生や先輩たちに、珍しく愛想笑いをした董子が「水を差すような真似をしてしまってごめんなさい」なんてしおらしく言っている。
「それじゃあ、加賀美先生、悪いけれど燕城寺さんのことよろしく頼むわね」
「はい。何かあったら携帯に連絡しますので」
咄嗟にしてはよく出来た茶番だ、なんて思いながら栞は御門たちと生徒を見送った。年が明けてみんな本殿へと向かい始めたのか、その姿はあっという間に人の波の中で見えなくなった。
「……それで?」
そこになってようやく栞は大きなため息と共に董子を見やった。
「何かあるなら事前に言っておいてくれ。咄嗟に両親を敬虔なクリスチャンにしてしまったから、これからはそういう手前でいかないといけなくなったじゃないか」
「大変説得力のある言葉だったように思います。あれなら、みなさん疑うようなことはしませんでしょう」
そこでようやく董子はそっと掴んでいた栞の服から手を離した。年明けの挨拶をした時から董子がそっと栞の服をつかみ、くいくいと引っ張っては軽く主張していたのである。
「それに、今日はずっとみなさんと一緒におりましたし、二人きりになれる時間がなかったですから」
「まぁ、良い。それで、わざわざこうして二人きりになった理由は?」
「特に何もございません」
きょとんと栞がすると同時に前から董子が身体を寄せた。腕を栞の背中に回して抱きしめる。
「あえて言うなら、二人きりになりたかった。それだけです」
「燕城寺……お前なぁ……」
「だって、先生はみなさんに優しく接してしまうんですもの。私だって焼きもちの一つくらい妬いてしまって当然だと思いませんか?」
「私は教師だろう? 生徒を平等に扱わなくてどうする?」
「それでも、私のことは特別扱いして欲しいのです」
そうすることなど当然出来ないと董子自身わかりつつ、そんな無茶を栞に要求する。栞は呆れるように息を吐いたが……好いた惚れたというのはそういうものかもしれない。理屈や建前ではなく、心がそう求めてしまう。欲してしまう。それは理性でどうのと話がつけられるものじゃない。
「わがままだな、燕城寺は」
「わがまま。子供に許された特権だとは思いませんか、栞先生」
「下の名前で呼ぶな。衆人環視のど真ん中だぞ」
「みなさん、年明けのことで頭が一杯で周囲にまで目がいっていません。もし見られたとしてもちょっとした戯れと思われることでしょう」
「まったく……」
言いながらも栞は応えるように董子の背に腕を回す。寒い時分、くっついた身体の部分が温もりを伝えてきた。
そのまま、そっと栞は顔を董子の耳に近づけた。
「明けましておめでとう。董子」
「っ――!」
そっと愛撫するように囁いた言葉に、董子は思わず栞を抱きしめる力を強くした。
「……先生は、ずるいです」
雪のような頬を朱に染めて、董子はそう呟くのが精いっぱいの様子だった。
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