春の出会い

 それまで木々で覆われていた道がいきなり開けた。

 都心から車を走らせること数時間。高速を降り、春に芽吹いた新芽が萌える山に入ってから一時間と少しといったところだろうか? 豊かな自然とは不釣り合いに整備された二車線の道路を走る車は他になく、栞は一人雄大な自然に抱かれながら軽快に車を飛ばしていた。その旅も終着点が近いらしい。

 開けた道を少し進むと、中心に守衛室らしい小さな小屋が設置された広い門に着いた。どこかで見たような光景だと思ったが、すぐにこの間なんとなくつけていたテレビでやっていた洋画に出てきた軍事基地の入り口とそっくりなのだと思いいたる。もちろんこんな山奥にそんなものがあるわけもなく、門の横には黒の下地に金の文字で『私立櫻ノ宮女子中等部・高等部』の学校銘板があった。

 門まで車を進め、守衛室から守衛さんらしき人が出てくるのを見てからパワーウィンドウを開く。


「お客さんとは珍しい。どちらさまかな?」

「四月から中等部に赴任することになった加賀美です。今日の昼過ぎに着く予定だと連絡を入れたのですが、聞いていらっしゃいませんか?」

「あぁ、加賀美先生。加賀美栞先生。ちゃんと連絡をもらってますよ」


 はい、と答えつつも自分の顔が愛想笑いの一つも出来ていないことは栞自身が一番よく知っていた。

 元よりやる気に満ちた顔をしているわけでもない。適当にハサミを入れた髪に、ややつり上がり気味だが、あまり強い力は感じさせない目つき。心がそうだからそういう顔つきになったのか、顔に引っ張られて心がそうなってしまっているのかはよくわからないが、栞は今までの人生で『気だるそう』という形容詞で評されることが多かった。


「てっきりもっと年上のご婦人なのだとばかり思ってましたよ。まさかこんな娘さんとは……生徒の親御さんにしては若いし、生徒のお姉さんか誰かかとてっきり」

「若輩者ですが一生懸命やらせていただこうと思っております」

「あーいやいや、そういう意味じゃなくてね」


 七十付近に見える好々爺の守衛さんは柔和な顔で手を左右に振った。


「この学校に赴任してくるくらいだ。優秀な先生さんなんだろう?」

「滅相もありません。大学時代の恩師の紹介でいただいたお話なので、実績を評価されたわけではないかと」


 と言うより、栞にはそんな実績らしい実績はほとんどなかった。大学を卒業してから三年ほどは一応名門と呼ばれる私立中学に勤めていたものの、結局はすぐに辞めることになり、それからは父親の会社を手伝っていた。

 それに、元より栞自身長く教師を勤めるつもりもなかった。父親の会社は零細企業ながらも安定していた経営をしており、ある程度の年齢になったら一人娘である栞が会社を引き継ぐという暗黙の了解が家族の中にはあった。だから、この二年ほどは父親の会社で事務をやったり広報をやったりと、安穏とした生活にあぐらをかいていたのである。そもそも教員免許だって取ろうと本格的に考え始めたのは大学に進学してからだった。


「推薦ということならなおさらだ。半端な人をここには紹介出来ないだろう」

「たまたま空いている人間が私だけだった、ということではありませんか? 聞いた話だと随分と急な話のようでしたし」

「そうらしいねぇ。ベテランの良い先生だったんだけど、国公立の大学にかなり強引に引き抜かれたって話さ。お役所が絡んだことだから私たちの方にまで詳しい話はまわってきてないんだけどね」

「私もそう聞いています。まともに募集をかける時間もなかったから、手当たり次第に話を振った。その結果、どういう訳か私に白羽の矢が立ったということでしょう。まぁ、私は繋ぎくらいの役割しか期待されていないのではないかと思います」

「いやいや、どういう形であったってこの学校に来られるということはそれだけの先生ってことさ」


 それはどうだか、と栞は息を一つ。実際、恩師がどういうつもりでこの話を栞に持ってきたのかもよくわからない。恩師は元々快楽主義者で遊び人のようなところがあるし、綺麗に整えられた櫻ノ宮という名の花壇に私という不純物を入れたらどうなるかを見てみたいと思ってるだけかもしれない、なんてことを栞は考えていた。


「ところで、先生は山道の方を通ってきたのかな?」

「山道……まぁ、そうですね」

「それだったら随分と時間がかかったろう?」


 守衛さんの話によると、ぐるりともう一つ回るような道があるらしいのだが、そちらを使えば半分の時間もかからずに街へと出ることが出来るらしい。それが、単純な直線距離で判断してしまうからか、何も考えずにカーナビの目的地をセットしてしまうと、うねった山道がルートとして示されてしまうらしい。

 そんな雑談を交わしている間にもう一人、守衛室に残っていた方の守衛がオーケーを出して遮断棒を上げる。内線で確認を取っていたのだろう。話している間、首を伸ばして車のナンバーを確認していたのが栞にも見えていた。

 一見ザルな警備のように見えるけれど、おそらく相応の体制になっているに違いない。少なくともここ在籍している生徒たちはいわゆる一般的な学生とは違うと言って良い。目につくところだけでも結構な数の防犯カメラがある。見えない部分も合わせたらかなりのものだろう。


「入ったところのすぐに駐車場があるけど、あれは来客用のものだから。先生は本校舎の方の職員用駐車場に……っと、先生は確か、寮に入るんだったかな?」

「はい、寮には一足先に今日からお世話になる予定になっています。第二寮の寮監も頼みたいと言われているので」

「なるほど、白薔薇寮の方か」

「白薔薇寮?」


 栞が首を傾げる。


「ああ、愛称みたいなものでね。第一寮が赤薔薇寮、第二寮が白薔薇寮って言われてるんだ。ともかく、それじゃあ車は第二寮の駐車場に。少しわかりにくいから地図を出そうか?」

「いえ、それには及びません。事前にFAXを送っていただきましたので」


 なら良かった、と言った守衛さんに頭を下げて車を門から進める。

 この学校の生徒数は中学高校合わせても普通の学校よりはるかに少ないのに対し、敷地の広さは一般的なものの何倍にもなっている。よく東京ドーム何個分なんて言い方がされるが、基準としてはそれを用いるくらいの広さだ。

 栞はもらっていた地図を横目に確認しながら第二寮を目指す。

 寮や食堂といった生活施設は中等部と高等部の共用であり、それぞれの学校の校舎や体育館、図書館などの学業施設の中心に近いところにあった。『櫻ノ宮』の寮なのだから、いわゆる安アパートのようなものじゃないとは思っていたが、着いてみたら「これはまた……」と言葉を失った。

 大きな洋館、とでも表現すれば良いだろうか?

 少なくともこの風景だけを切り取って見たら日本とは少し離れた印象を受ける。西洋の財を成した貴族が住んでいるのではないかと思うような豪奢な作りで、一介の学生寮だとは――ここが知る人ぞ知る櫻ノ宮であると知らなければまず信じられないだろう。

 亜麻色のレンガ造りの建物はパッと見たところ三階建てだった。屋根は薄浅葱色で、中央とそこから線対称に一対円錐形となって空を指している。建物本体には細かな装飾が施された飾窓が等間隔に並び、見れば屋根にも壮麗な装飾がほどこされている。ところどころはテラスになっているようで、きちりと手入れされているおかげで壁には目立った傷や染みは見られず、良い意味で年を経た重厚な歴史を感じさせた。言われてみれば確かに集合住宅のようになっているのだが、それでもそれは日本の寮と言うよりかは海外の歴史あるパブリック・スクールの施設を思わせる。

 洋館の裏手にあった駐車スペースに車を止め、改めて自分が俗世とは少し違うところに来たのだと実感する。恩師からの頼みであるというのと、ほんの少しの櫻ノ宮への興味から受けたは良いが、少し安請け合いだったかもしれないと今更に少し怖気づくところがあった。

 とは言っても、今更回れ右をして帰るわけにもいかない。

 車を降りて寮の正面口に向かう。洋館特有の大きく張り出した玄関口の両脇には大きく取られた綺麗な花壇があり、真白な薔薇がまるで雪が積もっているかのように鮮やかに咲いていた。なるほど、白薔薇寮という愛称はここから来ているのだろう。

 そして、そんな玄関口には一人の女の子が立っていた。


「加賀美先生でしょうか?」


 鈴の鳴るような声。緩くカーブを描いた色素の薄い茶色の髪に、肌は花壇に咲いている薔薇に負けないくらいに白かった。

 佳人薄命。

 とっさにそんな言葉が思い浮かんだ。


「お迎えにあがりました。中等部二年の燕城寺董子と申します」


 恭しく少女が頭を下げる。僅かに風が吹いて優しく髪をなびかせた。

 それが、加賀美栞の櫻ノ宮での生活の始まりであり、燕城寺董子との出会いでもあった。

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