第29話 焼肉
『ロシア国防省によりますと本日、ロシア地上軍と国家親衛軍は旧アメリカ合衆国アラスカ州アンカレッジを開放したと発表し――
流れる国際ニュースに張り付いた、純粋水爆で更地になった『都市』は我々が如何に『平和で恵まれた社会』に生きているかを明快に示している。確かにここは
寧ろ理論上の理想郷がこの世に存在し得ない以上、現実的な理想郷はこの社会であると言う事も出来よう。少なくとも相対的には理想郷だ。
天気予報の端っこに示された『内務省海上保安庁発表:本日の違法入国阻止状況』が、その解釈を更に裏付ける。今日は多い。
「それでは今日はよろしくお願いしますね」
「はい」
初めて会った時と比べたら随分と明るくなった彼女は、今日司法からの要求に答える。
まぁ何の事は無い。ただ事前打ち合わせの通りに検察官からの質問に答えるだけだ。
「折角の外出ですし、帰りに何か食べましょう」
「でもお金が……」
「警護費で落とせますから」
朝食を済ませてテーブル下のコンベア式食洗機に食器を突っ込み、昨日アイロン掛けした常装を礼装仕様に作り変える。中京地方検察庁に赴く為だ。
白帯革に白拳銃入れ、鞄、警棒吊り具に弾のうと、パレードに準じる格好をして、内側に軽量防弾衣を着込む。
滅多に磨かない徴章類をピカールを漬けたブラシで磨いて、白手袋をポケットに突っ込めば終わりだ。
ペッカペカになるまで磨いた革靴を履て、玄関を開けて彼女を外へと招く。
心なしか嬉しそうな『行ってらっしゃいませ』というAIの声を受けつつ、エレベーターホールまでの間を歩く事数十秒。
「警護では私が帯同しますから、何か不都合があれば気軽にお願いします――ああ、携制器は鞄に入れて、受付に預けて、庁内には持ち込まないようにして下さいね」
「久々に外に出ますから、た、楽しみです」
昔の彼女なら言わなかったであろう事を言って、彼女は不器用に笑った。
緊張が底にあるのを感じるが、表面上だけでも平静なら問題は無いだろう。
****
「意外と早く終わりましたね」
昔ながらの役所仕事と言えば待たされるのが様式美となっていたが、今回はそんな事は無かった。
移動、入場、面会、退場までが非常にスムーズに行われ、全てのプロセスが清潔かつセンスが良い、文明的かつ余裕が感じられる空間と人々によって執り行われた。
普段の仕事が汚くて悪趣味な、非文明的かつ余裕が感じられない空間で、暴力のぶつけ合いという非言語的コミュニケーションをしている事を思い返す。
言語的コミュニケーションって本来はこんな風なモノを指すんだなぁというのが率直な感想である。決して携制器で増幅した暴力的な音量の警告文を犯罪者にぶつける事では無いのだ。
ともかく、今日やるべき事は終わった。
後は飯食って帰ってゆっくりするだけだ。
「ああそうだ、ご飯、何が食べたいですか?」
そばを歩く彼女の方に視線を落とす。
「ご飯ですか……うーん……」
こうして悩んでいる彼女を見ると、明さんも年頃の女の子という感じがする。やはり人は環境に適応してその姿を変えるという事がよく分かる。
今の彼女を見て、誰も壮絶な体験を経てきたとは思わないだろう。
「まぁ適当な所入りましょうかね」
車に乗り込み、適当に転がす。
彼女は助手席に座った。本当は後部座席に座って欲しいのだが、防弾車なのでまぁ良いだろう。(我が国の防弾ガラスメーカーの品質保証が優良であるのは経験済みであるし。)
[……中京都民の皆さん、我々はテロの被害から立ち上がり……]
暫く地下に籠もっていた間、本来なら広告を映すハズのホログラムは中京都知事がそれっぽいメッセージをペラペラ喋る為の道具と化し、街のあちこちには固定式の統合監視装置が備え付けられるようになっていた。
一昔前の作品では飛行式のドローンが監視の為に活用されていたが、継続的に監視する為には固定式の方がよっぽど都合が良いのだ。あんなもの常時飛ばしていては、整備費用だって馬鹿にならない。
[不審な行動を見かけたら、110番!]
やめてくれよ。大概隣人トラブルなんだから。
[外国のスパイかも……間違いでも良い、通報を]
やめてくれよ。調査だって楽じゃ無いんだぞ。まぁ公安の仕事だから良いけど。
[ギガバーガーセット2000円]
バーガーか……。
[犯罪を許さない 国家中央警察中央署]
おうそうだな。
[不審者を見かけたら警察まで]
だから酔っぱらいは通報しなくても良いからね。ゲロの掃除するの楽しくないのよ。
[激アツホルモン飲み放題付き]
ああ良さそう……。いや駄目だ運転中だ。
[いわしパフェ]
いわしパフェ!?
[新発売!戦闘作業服!ノンプレ!]
すまんなノンプレには憧れたが今俺は警察官だ。
[違法入国者摘発月間 法務省出入国管理庁 37214 ミナツイホウまで!]
ちょっと無理があるだろ。
[焼肉食べ放題]
……もうココで良いか。
「焼肉で良いですか?」
誠に申し訳ないが、パッと見た感じココが一番マシな店だろう。
なんかアレだ。評価を見る限り女子にも人気の店らしいし。多分サクラだろうけど消費者庁が無視してるならまぁ、事実ではあるんだろう。
「えっ、良いんですか!?」
「地下じゃ滅多に食べれませんからね……」
最近プロジェクターが配備されてマシにはなったが、それでもプロジェクターなのだ。
粗挽きハンバーグまでは作れても、中落ちカルビやハラミステーキは作れない。
「お肉嫌いとかでは……」
「無いですね」
久々にこんなにワクワクした彼女を見た。
ああ、愛おしい。
「じゃあ行きましょうか」
ドム。というドアの開閉音に見送られ、我々は七輪前まで臨場した。
****
こんな店があるのを初めて知った。
今まで一生縁が無いと思われた『本物』の肉が、テーブル上に所狭しと並べられている。
「頂きます。やっぱ先ずはタンからですよね~」
彼は慣れているのか、次々とトングで肉を掬い上げてはジュウジュウと焼いていく。
私は先付けのネギ塩キャベツの美味しさに感激していたので、彼が次々と頼んだ肉が全てテーブル上に並べられているという事実を一瞬認識できておらず、気付いたら全てが彼の手によって焼かれていた。
「食べ放題なんで、最初にどれだけ詰め込めるかが勝負なんですよね、脂っこい肉は最初に食べるとまだ美味しい。後半は胃もたれしてますから」
彼は完全に戦闘モードに入っている。
いつも私と部屋に居る時の雰囲気では無く、私を助け出してくれた時のような、真剣な眼差しで肉を見つめている。
「明さん、ちょっとコレ切って頂けますか?」
大きめの肉をハサミで切るという経験をした事が無いので戸惑ったが、そういうものなのだろう。
切った途端に肉汁を垂れ流し、給気口に吸われていく。
「焼肉は初めてですか?」
「えーと……そうですね」
そうなのだ。
これでは私の食に対する価値観が狂う。
「焼肉はエンターテインメントですから、パーッと行きましょうや」
彼の言っている意味がわからない。
そもそも食事にエンターテインメントがあるのかという疑問はそれとして、確かに私は彼と初めて食事を共にした時のような高揚を感じていた。
五感が、本能的な部分が、訴えて来る。
脂の濃い匂いに、タレが混ざった匂い。バチパチという肉が焼ける音、見るからに美味しそうな、黄金色の肉汁を流すカルビ、七輪の熱、そして――
「頂きます」
ああ、旨い。
米と肉と脂とタレとの協力で、私の脳髄はふつと言う音を立てて『食事』の概念を覆した。
「やっぱ焼肉って良いですねぇ」
彼は慣れているのか、こんな贅沢に。
「警大時代を思い出します。毎週末こんなんだった」
毎週……毎週!?
「一緒に色々行きたいですねぇ、ステーキとかお寿司とか……」
その瞬間、私が彼に依存している事リストに『ごちそう』が書き足された。
この人と人生を歩めたなら、私はどれ程の利益を受けられるのか。
それを想像すると、腹から脳髄にかけて何か熱いものが走っていった。
ホルモン、中落ちカルビ、ハラミ、石焼きビビンバ。
ロース、ロースステーキ、鶏モモ、ベイクドポテト。
鶏皮、壺漬けハラミ、スイートコーン、ウインナー。
私の人生では、縁が無かったようなモノを、限界まで食らった。
肉にハリがあったり食べ応えがあったり、美味しい焼き加減がある事を初めて実経験として知った。
「いや、中々美味しかったですね」
帰路、彼はありふれた日常のように語った。
そうか、彼にとってはこの程度の事は日常の中でよく遭遇する程度の幸運なのか。
そこに到達するにはどうすれば良いか、自分が彼に相当するに相応しい人間になるにはどうすれば良いか……等と考え込む。
『ハイ前の黒い車、次の停車帯左に入って下さい』
忘れていた。
私は疫病神だったのだ。
「えっ、白バイ!?」
****
えっ何!?!?!?
礼装で焼肉って服務規程違反じゃ無いよね?
交通法規に引っかかった訳でも無いし、法令上何ら問題は無いはず。
高速で『警察官の品位の維持に関する通達』や『警察官の礼装に関する規定』を 高速で規則を走査したが、その旨を示す規定は無かった……無いよね?
状況を把握出来ていないが、指示通りに車を停めてエンジンを切る。
抵抗の素振りを少しでも見せれば交通部は容赦しない。あっという間にAP弾で│
コンコン。というサイドガラスをノックする音を受けて、サイドガラスを開ける。
さて、何かやらかしただろうか……。
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