現代病床雨月物語   

秋山 雪舟

第二十九話  「司馬遼太郎氏が 書かなかったこと(その一)」

 国民的作家であった司馬遼太郎氏は、多くの作品を世に送り出して来ました。それらは司馬史観と呼ばれ一九九三年には文化勲章を受章されました。私も司馬さんの本が好きでした。

 しかし司馬さん本人が書いている様に恋愛小説は苦手で書いていません。私も恋愛小説には関心がないのですが司馬さんが書かなかった他の二つの事が気になっています。

 気になっている二つの事の前に歴史問題を語る時、昨今耳目をひくのが「自虐史観」であり。週刊誌や評論家が言っているのが気になる事があります。辞書で「自虐」とは、自分で自分を責めさいなむこと。また「さいなむ」とは、①しかる。②責める。③苦しめる。とあります。それに対して「反省」とは、①自分の行いをかえりみること。②自分の過去の行為について考察し批判的な評価を加えること。とあります。

 私は、歴史とは勝者が書くものであり、敗者の事象は排除されていると思っています。しかし生き残った人達や書物や言い伝えなどにより敗者の実態や思いが泉が湧き出る様に時間の経過により明らかになる事があります。ですから過去は死んでいなくて現在や未来に甦るのです。人間は全能の「神」でも全能の「悪」でもありません。必ず人間にはわけへだてなく「死」がもれなく与えられるのです。逆に言えば「死」が訪れることが人間である証拠であり「死」が人間の人生を左右する既定の方針であります。歴史上でも現代でも社会に影響を与える人の中には一時的に全能の「神」の様に能力や魅力を持った人が現われますが必ずその人にも「死」が訪れます。

 余談ですが私は、戦国時代の武将で最も「死」を恐れていたのは徳川家康だったと思っています。

 歴史問題について簡単に白黒をつけることはなかなか決められないと思います。ただ方向性だけは解かります。歴史から学び人と人、国と国とが決定的な争い(戦争)を出来るならば未然に防止する事だと思います。その為にも先人の「死」(血)を無駄にしてはならないのです。

 司馬さんが作家になった大きな要因も太平洋戦争(第二次世界大戦)での敗戦であります。なぜ日本はこうなったのか歴史を遡って考えてみようから始まりました。

 歴史問題で重要なのは、事実(ノンフィクション)か架空(フィクション)かであります。そして一番難しいのが事実か虚構がはっきりしないことです。グレーゾーンについてです。この事が一番悩ましくてややこしいのです。本当は時間をかけて検証できればよいのですが時間をかけた検証後でさえ新たな事実が発見される事があります。また今の社会でも良く言われる事ですがどこまでが区別でどこからが差別になるのかの線引きが時代と共に変化するからです。たとえば間違って使用する言葉でも多くの人が使うと間違えではなくなってしまいます。歴史問題も各時代の人々の意識や変化により評価やとらえ方が大きく変わるのです。ここで大切な視点や思考は一人一人が未来をどう描いているのかが問題になります。感情的にならず冷静になり社会の発展や民度の向上の為に何を目指すのかが関係してくるのです。

 話は戻りますが司馬さんが書かなかったことの二つとは、一つ目は「坂の上の雲」以降の歴史であります。日中戦争・太平洋戦争(第二次世界大戦)に至る過程のことであります。

 二つ目は、長年にわたり東大阪市(河内地区)に在住しながら戦国時代の河内・摂津のキリシタンの事をなぜ書かなかったということです。………


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