第3話 ノベルスタジオ



 天崎さんと別れた後、俺も『プラトーン』から出て家路についた。


 時刻はいつの間にか夜の九時。辺りはすっかり暗くなっている。

閑散とした住宅街の路地を通り、我が家であるボロアパートへ帰宅。鍵を回し、キイィと音のなる扉を開けて狭い玄関へと上がる。


 しかし……我ながら、さっきはよく声かけたよなぁ。普段の俺なら、見ず知らずの女性が泣いていても、うまく手を差し伸べられないだろう。


 やっぱり、自分も就活で苦労しているからだろうな。スーツ姿で打ちひしがれている人間を、他人のようには思えなかった。といっても、彼女は就活弱者なんかではなく、ものすごい肩書を持っていたワケだが……。


 でも、後悔はしていない。少なくとも迷惑には思われていないはずだから。俺が声をかけたことに、彼女はお礼を言ってくれたし。


 それに……優しい言葉もかけてもらえたし――


「兄や~~~ん! たすけて~~~っ!」


 ――と、俺の思考を切り裂くかのような甲高い声が耳朶を打った。

 俺の帰宅に気づいたのだろう。奥の居間から一人の小柄な女性が飛び出し、俺の懐に飛び込んできた。強烈な頭突きをかます形で。


「ぐはぁ!?」

「また爆死したぁー! このゲームおかしいー! 何でSSRの排出率こんなクソみたいに低いんだよぉ~!」

「ちょっ、待て! マコ! 離れろって!」


 岸辺マコ――今年で高校二年生の、年の離れた実妹だ。彼女は栗色のショートヘアーを俺の頭に押し付けてくる。

 俺はマコの肩を掴んで、無理やり体から引き離した。


「ねぇ兄や~ん、課金させてぇ~! この報われない妹に『林檎カード』という慈悲と救いの手を差し伸べてぇ~!」

「ダメッ! 家にそんな金はありません! 食費だけでも精一杯だ!」

「え~! ケチ~~! 可愛い妹の頼みだろ~? 兄としてそこは一肌脱げよ」

「こっちはとっくに脱ぎまくっとるわ! お前を食わせていくためにな!」


 俺は今、この1LDKのボロアパートで妹と一緒に暮らしている。それはマコが地元ではなく東京の高校に通いだしたからだ。


 俺の両親はマコをとにかく溺愛している。年をとってから授かった可愛い女の子だからだろう。マコの要望はどんなワガママでも基本的には叶えられてきた。マコが東京に進学したいと言い出した時も、マコと離れるのを嫌がりながらも、最後はコイツの願いを通した。


 しかしさすがに、高校生の可愛い娘を一人暮らしなんてさせられない。そのため、すでに都心に出ていた俺がマコと暮らすことになったのだ。

 おかげで食費や生活費がかさみ、バイト暮らしの俺の家計は万年赤字スレスレである。貯金? 何それおいしいの?

 一応親からはマコの生活費分として多少の援助を受けてはいるが、妹って結構金かかるからな……。成長期でよく食うし、女の子だから色々買うものあるらしいし……。

 これ以上娯楽費まで払わされたら、一肌脱ぐどころか全裸になるわ。


「なんだよ~! ちょっとくらいいいじゃんかよ~! いつまでも就職決まらないニート手前のドロップアウト駄目人間のクセに~!」

「おまっ! 事実でもそんなこと言うな! 俺が可哀想だろう!」

「へっ。現実を受け止められないようじゃ、就職なんてできませんぜ?」

「これ以上ないほど受け止めてるから、こうしてヘコんでるんだろうが……」


 マコの言葉に、再び気分が落ち込んできた……。あぁ……。また会社探すとこから始めなきゃ……。


「あ~……。こんなことなら、小説家なんか目指さずに大学とかちゃんと出とくんだったな……」

「え~? 私は兄やんの小説好きだよ? 他の本にはない勢いがあって」

「勢いだけじゃデビューできないからなぁ……」


 ため息交じりに呟きながら、俺はスーツの上着を脱ぐ。すると、ポケットから何かが落下。それは先ほどもらった名刺だった。


「ん? なにこれ兄やん……って、ぬあああああっ!?」

「? どうしたんだよ。変な声出して」


 床に落ちた天崎さんの名刺を見て、マコが大げさな反応を示す。


「ど、どうしたって……それはこっちのセリフだよ! 兄やん、この名刺どうしたの!?」

「いや……。行きつけの店で行き会った人にもらったんだが……」

「行きつけの店って……。会社、この近くだったっけ……?」


 名刺をまじまじと見つめながら、何やらブツブツ呟くマコ。なんだ……? 何か気になることでもあるのか……?

 俺の戸惑いを感じ取ってか、マコが名刺を返しながら言う。


「ほら、これ見て兄やん。この名刺の会社。『ノベルスタジオ』って書いてある!」

「そりゃ、さっき見たから知ってるけど……。なんだ? 有名なトコなのか? ここ」

「有名なんてもんじゃないよ! 今ソシャゲの会社で一番勢いあるとこじゃん!」


 マコがくわっと目を剥いて怒鳴る。


「この会社のソシャゲ、最近すごく流行ってるんだよ!『グラディウス』とか『ディメンション・ウォー』とか『乙女無双』とか、最近CMでもよく見るでしょ? 私が今やってるソシャゲだって、ノベルスタジオの作ったヤツだし!」

「そういえば……ネットの広告でも会社の名前見たことあるかも……」


 我が妹は、生粋のオタクだ。漫画やゲームなどのオタクコンテンツには詳しい。だから会社名を見て、すぐにピンと来たのだろう。

 ちなみにコイツが東京進出を希望したのも、都心の方がオタク文化に触れやすいからだ。


「しかもソレ、社長代理なんて……。かなり偉い人の名刺でしょ? まさか兄やんがノベスタの重役と知り合いになるとは……」


 ゴクリ……とマコが唾をのむ。そして、すがるような目で抱きついてくる。


「ね~、お願~い! この重役の人に頼みこんで、妹にガチャチケプレゼントして~! コネと財力を駆使することでSSRのキャラをフルコンさせて、妹を最強に導いて~!」

「だからいちいちくっつくなって! 仲良くなったわけでもないから!」


 しかし……まさかさっきの女の人がそんな凄い会社の人だったなんて……。失礼ながら、もっと小さな会社の人だと思ってた。

 でも、どうしてそんな人が俺に名刺を渡したんだ……? しかも、『ウチで面接してあげる』なんて優しい言葉をかけながら。


「…………」


 これはひょっとして……ひょっとするのか? 俺にも、チャンスが巡ってきたのか……? そんな淡くも形ある期待が、俺の心に芽生えはじめる。

 そして俺は無意識の内に、右手でスマホを握りしめていた。

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