イエスの証と、くノ一凛子の生涯

@maeda40523843

第1話

目次






はじめに






1『凛子』黎明期


出自・強くあれ・青春時代・凛子結婚・神秘体験・星占い






II 『凛子』開眼・福音伝える凛子


封印された聖書の国/日本・聖書の歴史・各宗教に依存する人と宗教


ローマカトリック法皇教とキリストの教えは似て非なるもの


西洋伝来キリスト教の終焉・イスラエル全家と14万4千人


夜明け前のキリスト国・・・大和


スーパー 縄文人と祝福されたエフライム






Ⅲ 『凛子』最後の舞台


くノ一『凛子』がゆく・ジャパンアートを世界へ ・JP大和クラブ


教育・農業・林業・漁業・産業・芸術・医療・日本の役割


最終預言・滅びゆくバビロン・一つとなる神の民(ユダとイスラエル全家)


世界は光へ向かって歩む!人は光の下、神と共に生きる・・・。






終わりに







出自・生い立ち・青春時代・凛子結婚・神秘体験・星占い




第1章 出自・多賀大社・甲賀忍者




あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためである、父のみもとから来る真理の御霊が下るとき、それはわたしについてあかしするであろう。あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのであるから、あかしをするのである。(ヨハネによる福音書1章16/27)




凛子の両親は共に滋賀県彦根市出身。父方(車戸一族)は多賀大社の代々禰宜をしていた。関西方面の人なら多賀大社を誰でも知っている。有名な神社だから。伊勢神宮の親神社と呼ばれ、イザナギ・イザナミが鎮座した由緒ある神社が多賀大社。近隣にお多賀さんとして親しまれている。蒙古襲来で国中恐怖に駆られた時、多賀大社の神官たちは、一心不乱に神様にお祈りした。結果、神風が吹いた!天の神さまは、2度までも台風を上陸させ、日本を護られた。元のフビライの野望は砕け、日本侵略は水際で防げた。もちろん、全国の侍たち、鎌倉の武士たちが、勇敢に戦った上でのことだが・・・。




時の天才、気性の荒い、織田信長は新しもの好き。教えはさておき、カトリックの宣教師たちを歓迎した。本能寺の変のあと、策略家・豊臣秀吉が、天下統一。国を守るため、イエズス会を締め出した。この秀吉、母親の延命祈願で多賀大社にお参りしたことがあり、寄進した太閤橋は今も境内にある。




一方、徳川家康は、じっと、忍耐。天の時が来るのを待つ家康は、時到来と共に鎖国した。イエズス会のアジア植民地政策を知った徳川幕府は、オランダに門戸を開いたが、スペインは締め出した。徳川家康が、どこまで、キリストの教えや聖書を知っていたか、凛子は知る由もないが、ローマカトリックの教義は、聖書の教えと根本が異なる。マルチンルターはそれに気がつき、理解した時、カトリックから離れた。大宗教改革者、マルチンルターの偉業から、聖書がヨーロッパの庶民へと伝わり始めた。それはたった500年前だ。それまでヨーロッパは、暗黒の時代で、聖書は特権階級しか読めなかった。




光と闇は、世の始まりからある・・・。サタンの化身・蛇は狡猾、悪魔は巧妙に人心を操る。世を支配する者とされる者・・・。この世は常に分かれる。夜明け前、時代が大きく変わろうとする今も、光と闇の勢力は、地上で闘っている。それに気がついた凛子は、当然、光の側で悪と戦うつもり。主イエスと聖霊、創造主の神を信じる凛子は、封印された聖書の民を救わねば!と本気で思う。それで、やれ、多賀大社だ、神社だ、忍者だ、明治維新にヤマト魂だ、なんだのかんだのが、始まるのだ。




さて、そこで、大問題の明治維新。明治維新の真実は、教科書には書かれていない。何が背後で起こっていたか、誰が、何を目的で、黄金の国ジパングを狙っていたか、どこの誰が、巧妙に歴史を塗り替え、動かしていたか・・・。明治の若者が直面したものは、目撃したものは、何だったのか・・・。


彦根藩の15代目城主、井伊直弼が江戸幕府の大老として徳川末期の幕府政治を舵取りしていた。朝廷から勅許が下りないまま、日米和親条約を結び、安政の大獄を経て、桜田門外の変で倒れた、あの彦根藩主の井伊直弼のお膝元・彦根と多賀大社は距離にして、約20キロ。






頑なに鎖国する江戸幕府に忍び寄る超強豪は、アジア、アフリカ、中東、オーストラリア、地球の4分の1を制した大英帝国。彼らの陰謀があり、日本に対する戦略があった。大英帝国の次なる標的は、黄金の国ジパングへと向けられた。一方でペリー率いる黒船の大艦隊がやってきた。幕府は大動転!とんでもない大騒動だったろう。「元寇」以来のお国の大事件!しかし、前のようには行かない。


絶体絶命!前代未聞の大ピンチ!開国を迫られ、激動の時代を迎える。政権交代を求めて明治維新が起こり、時代が確実に明治へと移行した。そこに、ご先祖さま、車戸宗功翁(多賀大社の大禰宜)が密かに、関わっていたとは、誰も知らない!凛子もここで書くことになるとは予想もしなかった。




明治維新を起こそうとする薩長の若い志士たち。幕府軍から逃げ隠れしながら必死に動いた勤王の志士たち(伊藤博文や桂小五郎なる木戸孝允)を、多賀大社に匿い擁護したのが、凛子のご先祖さまで、大禰宜・車戸宗公翁だ。宗功翁は、倒幕し日本の門戸を開くことに賛成だった。命がけで、彼らを多賀大社に匿った。のちに、初代総理大臣となった伊藤博文から、車戸家は感謝状を頂戴したと聞く。凛子は明治記念館が好きでよく利用するが、明治憲法が草案された建物が伊藤博文に寄贈され、さらにそこから明治記念館へと移築された、と聞く。正にその部屋で、お茶したり、食事したり、人と会うのだが、不思議な何かを感じる。何かが、凛子を突き動かし、真実を言わせる。




さて、今は現代。人類史は進んで闇の勢力が姿を現してきた。迫り来るNWO新世界秩序、グローバリズムは全く聖書的ではない。神の御心から遠く離れた、サタンとそのサタンを信奉するサタンの手下のすることだ。人類史は聖書のいう終末の時代に突入してきた・・・。聖書の最終章に登場するのが、イスラエル民族の回復。最終章にヤマト民族が登場する。和を重んじる縄文から続く聖書的民族の目覚めが、人類を危機から救う!はずだ。で、真剣にこれを執筆している。福音を伝え、なんとかせねば、この日本!大事な母国が、再び、いや、三たびやられる!と、光と闇の闘いに、参加している次第。




そして、いつも、歴史を導いておられる神様!天は高いところで、すべてを掌握され、静かにご覧になっておられる。勇ましい凛子が光と闇の戦いに参加表明したのもご存知だろう・・・。






叔父・北村茂男とオリンパス




凛子の叔父、今は亡き、北村茂男(きたむら・しげお)は、株)オリンパスでは雲の上の人と聞く。


平社員で入社し、輸出部長、営業部長、1973年に社長就任、会長に昇りつめるまで、会社と生涯を共にした男。創業者の持つ一流思考と光学技術への熱い想いは技術開発への原点だった。




これが脈々と受け継がれ、カメラや内視鏡の技術へと発展する。叔父はオリンパスを世界のオリンパスにする!と、オリンパスの医療機器、胃カメラを世界に売り込みに行った。彼は、背が高く温厚、いつもニコニコしていた。最先端の技術が会社を躍進させること、技術開発がどれほど企業にとって、重要か彼は骨身にしみていた。日本にいるときは、新宿の本社にいるより、八王子の工場へ行く方を好んだ。数年前、その八王子の工場を訪ねる機会があった。そこで、工場長の柳沢氏は、私が北村茂男の姪だと知ると、いろいろ話してくれた。彼が、オリンパスに入社したその年に、北村茂男が社長に就任したらしい。入社間もない新入社員が提案する半導体の企画書に、すんなり予算をつけた。それが、すごく嬉しかった!と、柳沢氏は当時を述懐された。私は、さもありなん!と思った。技術開発が企業の生命線を握る!と、よく理解してるのは、叔父だったから・・・。








昨今の日本の大企業は、内部留保を貯め込み、目先の目標と株主への利益を優先し、研究開発に時間とお金と力を注がない、と聞く。ここ20年で、企業は合併、統合、買収を繰り返してきた。今では、中小企業は彼らの傘下にあり、下請けでしかない!寡占化が進み、超巨大化したジャイアント企業が市場を制覇する・・・。これも行き過ぎたグローバル化の招いた代物だ。全く聖書的ではない!!!




そんな中、凛子はこの年、72歳で会社を立ち上げた。非営利団体NPOを10年続けた彼女が、今、利益を目的とした会社を設立し、世界の富裕層に、日本の誇る選りすぐりの芸術作品を売り込みにいく!凛子の会社は近江商人の三方よしから、一段上がって、未来よし!の四方良し!にするつもりだ。


そこから得る利益は、社会へ還元する。聖書の神の喜ばれることをしたい!!!芸術家を支援し、創造論に基づく天孫教育をし、チャリティーを行い、日本が一丸となって、世界へ行くように人と人を繋げたい!凛子の血筋は、経営者だ!父親がそうだった。彼の後姿から、人の歩き方を学び、子育てのコツを知り、人との付き合い方や、いろいろ、いろいろを学んだ。聖書を知る前にまず実父がいた。




祖父・事業家・車戸延吉の多賀大社への一途な想い




車戸家の嫡男、一人子で生まれた祖父の延吉は幼い頃 両親に死なれ、叔父に車戸家を出された。北村家に養子に出された祖父は、車戸の性に拘り、末の息子に車戸を継がせた。彦根に出た彼は、旅館業を営み料亭を経営し、事業家として成功した。祖父を引きつけてやまないのが、出自である多賀大社だった。叔父が多賀大社の神官となった。本来は自分が継ぐべく神官。成功した彼は何を思ったか彦根と多賀大社(20キロ間)に鉄道を敷こうとした。莫大な費用がかかるであろうに何が目的でしたのか・・・。彼は金儲けのためにしたのではない、ことは確かだ。みんなの賛同を得れず、時は早すぎ、大失敗に終わった。そして、彼は、財産、資産 みな失うことに・・・。かくて、裕福な一家は、すべてを手放し、路頭に迷い、凛子の父親、当時、小学生の賢太郎が、辛苦を舐めることになった。祖父の多賀大社への一途な想いが、そうさせたのだろう。多賀大社が強力な磁石で祖父を引きつけたのは、確かだ。


ご先祖さまを惹きつけた多賀大社と、イザナギ・イザナミの神様へ心から敬意を表したい。






学問へ進む・叔父・車戸實と早稲田大学




父の末弟、車戸實は、学者肌で、勉強ばかりしていたそうだ。勉強がよほど好きなのだろう。彼は朝から晩まで机に向かっていたというから驚く。そんなわけで、彼は早稲田大学をトップで卒業した。助手として大学に残るよう誘われ、彼は助手から最短で早稲田の商学部助教授となり、そこから教授になった。のちに名誉教授となり国から褒賞をいただいた。彼は彦根弁を好んで話し、というより、彦根弁しか話さぬ彼は、関西出身にこだわるシャレ者で、かっこいい叔父だった。背広姿は見たことがない。スカーフを首に巻いてるかタートルネックのセーターにブレザー。ちょっと甘えたような声で、兄さん、兄さん、と凛子の父を呼んでいた叔父が、凛子は好きだった。早稲田には今でも車戸会があるらしい。凛子の幅広い人脈の中で、縁のある人は、必ずどこかでつながる。それらを大事にしながら、天から降りてくる遠大な構想を実行に移そう、と思う。情熱もエネルギーも体力も、未だ凛子にはある。予想もしなかった人との出会いが次々とあり、遠大にして、壮大なプロジェクトが、総意を得てこれから、始まろうとしている。とても楽しみだ!神さまのご期待に応えようと、凛子 懸命に出自を執筆中。








凛子の父親・実業家・賢者・北村賢太郎




親の鉄道事業計画大失敗が原因で息子の北村賢太郎は小学校を出ると、丁稚に出された。彼は月明かりで、何年も勉強し続けたそうだ。模擬試験では全国トップになった。彼は大検を受け、明治大学法学部に入学そして卒業。小卒の父に中間教育はなく大卒となった。皮肉にも辛苦を舐めた父が、一番親孝行だった、と祖母が言う。父は、親戚中の面倒を見た。製薬会社を起業し、財を成した彼は、弟たちの学費を払い、彼らが結婚すると土地を購入してやり、親への仕送りは欠かさなかった。妹たちの面倒もよく見たそうだ。父本人は何も言わないが、周りが言うので、凛子はいかにも彼らしい、と思った。戦前に財産を築いた人が、この製薬事業で倒産する。朝鮮人参を入れた健康ドリンクに朝鮮人参は手に入らず、日本厚生産業は倒産した。朝鮮戦争勃発と厚生省の役人の選挙資金を多額に出したことが原因だった。しかし、彼は誰一人責めることなく、従業員全員の就職先を確保し、自分は裸一貫でやり直しを図った。彼は丁稚奉公から起業家となり、全てに責任取る、気骨ある経営者だった。北村賢太郎の倒産の仕方と潔さに感心した厚生省から、次は出版会社をと頼まれ、厚生省の出版物を出版する株)北村出版を起業した。健康保険、国民年金、厚生年金基金、役所のさまざまな出版物を北村出版は出した。長男のために太陽印刷も設立した。高価で当時は珍しいドイツのハイデルベルグを入れて、陽子、これが、ハイデルベルグだよ!と誇らしげに見せた。凛子はただ、ふうーん。




凛子の父、北村賢太郎は常に接待する側にいた。いつも接待していた。毎晩、かなり飲んで帰宅したから、あゝまた接待ネ、と思っていた。絶えず接待、いつも接待じゃあない。ただ飲んでるだけじゃない。


しかし、彼の接待は至れりつくせり。凜子が米国で世話になったホストファミリーが来日した時だった。父はまず、自宅にお泊り頂き、その後、箱根の高級温泉旅館に連泊させた。そこで、マッサージにお風呂、旅館の離れにある大きなお風呂は彼らが独占。次に京都。置屋さんで、舞妓さん、芸妓さんを呼び、特上の日本を見せた。舞妓さんとじゃんけん遊びは、のちのち語り草に。その合計費用、一体何ぼ?凛子は知る由もない。彼は一切出し惜しみをしない、最高にもてなす人だった。然るに、商談もその調子と想像する。まず、友好的な人間関係を作る。信頼する人間同志の付き合いをする。ビジネスはその後でいかようにもなる!人間性や人物に魅かれる人とは、金銭以上のつながりができる!この豊かな人生を送る鉄則を、凛子は父の背中で自然に学んだ。彼は偉大な男、賢者だった。凛子の感性は彼を「凄い人」と最大に評価した。父親、経営者、人間として、絶対の信頼が置ける人物だった。


彼の一日はいつもゆったり始まった。朝食後、父はじっくりゆっくり新聞に目を通した。咳ばらいを一つすると、11時頃おもむろに出社した。そして、いつも相当飲んで帰宅した。それでも一家の長は家族に常に目を配り 4人の子供達、誰が何をしているか、どんな状態か把握していた。彼の存在感は家族にとって絶対だった。そんな父を誰もが信頼し尊敬し慕っていた。絵描きになるのが夢だった彼は物事をよく観察する。人を見抜く力は鋭く的を外さない。多弁ではないが、彼が話すときは誰もが、熱心に耳を傾けた。静かに穏やかに話す人だった。決して単刀直入にモノを言わず、相手を追い込まず、上手に気づかせるような、伝え方は見事だった。周囲の人間は彼の人間性を最大に評価した。


「霜に打たれた柿の味、辛苦に打たれた人の味」この諺が凛子の父親を端的に顕していた。


「おとうちゃま大好き!」の凜子は、思い出が彼に触れると、いつも、目頭が熱くなるのだった。




今の世の中、辛苦に打たれ、人の味を出している人物に出会わない。大抵が自己中心で身勝手だ。見かけ倒産をして自分の財産を守る経営者も多々いる。自信の無い人間はまず我が身を守ろうとする。




しかし、鍛錬され練られた人間は生きる術を知っている。何が一番大切か その優先順位をつける事が出来る。一度の人生を生きる。一回だけ生きる時、大切な人や、大切なモノ、大切なことを、第一に考える。そうすれば、己の欲することは二の次、三の次になるだろう。そして、今できる事をする!最大に生きるとは そんなことだろう・・・と凛子は思える。




彼の魚の裁き方はプロも顔負けだ。休みの日になると、姉達にその手ほどきをして見せ、凛子は何でもこなす父親を感心して見ていた。賢太郎は、料理の味付けから、盛り付けに至るまで、一流だった。見た目も美しく、味付けも良しで、彼の料理は美味しかった!又、京都祇園の置屋では芸子を相手に意味深な色話をしては 彼らをケタケタと嬉しそうに笑わせた。娘に平気でそんな面も見せる親だった。


彼は子供達を絶えず見守り 必要とあれば 教え諭すが、大抵は子供の意志を尊重してくれた。親の意見を押し付けたり、説教を述べる風が無かった。視点が違うのだろう。包容力の大きさが子供を上手に導いた。さいごはおとうちゃまが、なんとかしてくれる!だから安心!凛子は内心そう思っていた。


子供達は総じて自分の父親をオールマイティな人物だ・・・と高く評価したが、そんな彼も、天の父、神様の目からすれば完璧ではなかった。神を信じる否かは別として、彼は母以外に外に女性を作った。そして、その女性を愛した。彼は生涯を通して彼女を愛し抜いたのだ。その愛し方も半端でなかった。




父と母の性格は水と脂のようで、混ざることなく、互いがすこぶる頑固で、共通項は子供以外なかった。それでも、二人は離婚せず、凛子は彼らの五人目の未子として生まれた。凛子が物心つく頃、二人はすでに犬猿の仲だった。甘え上手の幼い凛子は二人とも好きで、彼らの間に立って困惑していた。どうして仲が悪いのか理解できず、小さい頃は悲しかった。父親は凛子の母をなぜか毛嫌いし、まともに話もしなかった。いつも彼女に対して無言か態度は冷たく終始一貫無視していた。必要以外口開かずだった。




母・女性発明家・北村茂子




凛子の母は、社会性のある勝気な女性で、夫を立てず、毅然としていた。彼女は珍しいほど、自立した女だった。彦根の造り酒屋、北村酒造の長女として生まれ、お稽古事ばかりで、雑巾一つ握らず育つ。彼女は身支度にいつも、たっぷり時間をかけ、家事はそっちのけで、出かける人だった。そんな母が、女性発明家となり、自分の発明したおむつカバーで特許を取った。珍しい女性なのか、彼女は経済新聞に産業新聞に写真入りで大きく掲載されたり、いつも忙しく飛び回っていた。家には住み込みのお手伝いさんがいて、彼らが食事を作り家事をしていた。凛子は明るい性格をしていたが、母親が居ない家庭に戻るカギっ子状態。父親がその足りない分をいつも埋めてくれた。愛情たっぷりに接してくれたのだから。やがて、成長する過程で、何故二人が上手くいかないのか、何故夫が妻を嫌悪するのか、理解できるようになった。妻の冷たさ、情のかけ方の下手さ、家事をしない妻 料理が作れない妻 他者に気配りできない妻、どれも父親の欲するものを満たさなかったと思う。一方、母は女性としては珍しく正義感に溢れ、人の悪口など一切言わず、ゴミ問題云々に早くから関心を持ち、率先して追求するなど、自分の関心事に対しては、あくまで行動する女性だった。しかし、母親としては別もんだった。彼女を受け入れられず凛子も拒絶するようになっていた。年老いても彼女のオシャレ好きは変わらず背筋をシャンと伸ばし 姿勢良く人生を気丈に歩く女だった。凛子は茂子を女性として尊敬出来ても母親としては失格だ・・・と批判的に彼女を見た。何より父親の思いを汲み取れず、夫に合わせず 自分本位の生き方をした母を長い間許せなかった。そんな凛子が、「光」体験をした後は、何もかもが変わった。物事や人の本質が見れるようになり、始めて彼女の偉大さに気づくようになった。彼女は母である前に人間として、一人の女として 立派だった。夫をそしり罵る時期もあったが、晩年は、全てを通過したのか、達観した女性の逞しさと静けさがあった。




普通、人は具知をこぼす。不平不満も言う。彼女は、劣悪な環境にあっても嫁も息子も悪く言わず、我関せず淡々と生きた。93歳、年老いて、死に向かう母に凛子は、神様の世界や光の世界を話して聞かせた。気分がいいと、母はそれにうなずき、納得行くワと言いながら、熱心に耳を傾けるのだった。




その昔、凛子は父の死を受け入れられず、打ちひしがれ、死なないで!と泣きじゃくり、親の死を拒絶した。人として、魂も成長したのだろうか、昔の彼女と、その時の凜子は別人だった。男と女がいて永遠、子孫を残し、命のリレーをしながら、彼らの血は受け継がれてゆく。凛子の両親、晩年は幸せな夫婦生活を送れなかった。それでも4人の子から、12人の孫を得た。賢太郎の愛娘、凛子にはすでに7人の孫がいる。彼らにとってはひ孫だ。こうして、ファミリーの血は延々とつながって行く。それが血脈だ。ファミリーの流れを途絶えさせたくない。我が愛する者たちを結束させ、大事にしたい凛子。取りも直さず、それは父がしたことだった。賢者、賢太郎の示した手本。無形の財産を彼は与えた。






父の愛した人・料亭の女将・岡崎さん




父親の愛した女性に話を戻すと、彼女は新橋の料亭の女将だった。さもありなん、こんな女性は料理は上手く聞上手、整理整頓完璧、きめ細やかに気配りもできる。男相手の商売だから、さぞかし、彼女はいろいろな男達を見てきただろう。玄人の女性が、凛子の父親に惚れた。男気のある人物だと心底惚れたのだろう。この女性は、父が最初に起業した製薬会社、日本厚生産業が朝鮮戦争のあおりを受けて倒産した時、彼女は持てる全財産を彼に注いだ。料亭も売った。彼を助けたかったのだろう。




彼女は自分の人生を彼に託したのだ。身ぐるみ剥いで、愛する男に、差し出した。なんと潔く、純粋!すごい女性がいたものだ。この女性が苦境にある彼を支えた。父が全財産を失い、誰もが見捨てる中、彼女は支えた。惚れる男を支えた。凛子も男に惚れたら、同じことをする!!彼女は彼のお金に惚れたわけではない、人物に惚れたのだから!支えられた!どれほど、彼は励まされ、勇気が与えられ、すべてにメゲズに闘えたか!容易に想像つく。その彼女の気持ちに、誠心誠意生涯応え続けた、凛子の父。彼も大した人だった。彼は次なる事業、北村出版を起こし資金をつくり直すと、真っ先に建てたのが、その女性が暮らす住まいだった。彼は彼女の家を先ず建てた、田端に。次に自分の住まいを成城学園に建てた。そして、その後、何十年か経つと、その最愛なる女性を発見手遅れの直腸ガンで亡くした。岡崎さんが、亡くなる直前に、凛子は初めてこの女性の存在を暗黙の内に知らされた。




ある時、フライトから帰ると、(当時凛子はスチュワーデス)父は、「今日は人のお見舞いに行く。一緒においで。」と言った。とても不思議に思った。でも、それが、すごく大事なことだと、直感した。「わかった。行くけど、どこへ行くの?」 「順天堂病院だよ」、そんな会話だった。凛子は父を乗せて愛車を運転し、御茶ノ水の順天堂病院へ行った。途中、二人は近くのレストランに入った。凛子はハンバーグを注文し、父はコンソメスープを持ち帰り用に頼み、キリンビールを黙って飲んでいた。


凛子は、あゝ会わせたい病人さんが重病だな、と察した。何とも重い雰囲気で、父親に話しかけられずにいた。そして着いた。順天堂の特別病棟、6階の特別室、このドアの向こうに、凛子に会わせたい、父親の特別な人が居る、と緊張した。病室に入ると、やせ細った女性が横たわっていた。静かに父が、「これが陽子だよ」と言った。「あゝそう…」その人は微笑んだ。二人は夫婦の会話をしていた。




凛子は胸が詰まった。涙がこぼれてきた。ぽろぽろ泣いていた。こんな女性が父親にいたと初めて知った。嬉しかった。大好きな父を支えた女性がいた。長年、凛子は父親には愛する女性もおらず、




一人だと思い込んでいた。父の願いを永遠に満たすことの無い、無神経で強すぎる母と、寂しい父…それが二人の構図だったから。大好きな父親には、女性が居たんだ。彼女が父を陰で支えていたんだ、と知った時、この方の存在に、心から感謝した。そして、思わず、「ありがとうございます、お会いできて嬉しいです」と言っていた。何とも言えない気持ちで、ぽろぽろ涙は、涙は止まらなかった。


二人は互いを気遣い寄り添う夫婦のようだった。その場に静かに佇んでいた凛子。父親は凛子を信頼して、自分の愛する女性に引き合わせたのだ。姉たちには紹介しなかった。他の誰にも知らせなかった。しかし、彼は凛子なら、すべてを察する、分かると判断したのだろう。その女性が亡くなる前に、


賢太郎の子供を一人でも引き合わせたかった。それが、彼の愛娘、凛子だった…!




特別な人の死・いつか迎える自分の死




父はその女性の死後、自己喪失していた。自分が側についていながら、直腸癌の手当てをせず、本人も周りも痔だと思い込み、手遅れのガンの宣告を受けて、そのまま彼女を失ったのだ。どれほど、無念だったか。自責の念に駆られたか。彼女を亡くすと、彼は人知れず、泣いていた。夜通し泣いた時もあったのだろう。彼の枕がびっしょり濡れていた。それが、たまらなく悲しかった凛子。ある日彼は言った。「お父さんが死ぬ時は ガンで死にたいヨ・・・」と。「縁起でもない、そんなこと言わないで!」と、突っ撥ねる凛子。それは彼女の痛さを共有し、自分も耐えたいと言わんばかりだった。


そうして、彼女の死後10年経ち彼のお迎えが来た。父は1953年4月肝臓癌を宣告され、日を追って激痛に見舞われた。しかし、モルヒネを一切拒否した。痛みに七転八倒するが、それでも敢えて鎮痛剤は使用せず、痛みを受け入れた。その生き方 死に方 考え方は 実に見事だった。しかし、父の死際に、30歳の若い凛子はただ狼狽え、途方に暮れていた。父親に死なないで!とすがっていた。父は何か語ろうとしていたのに、語ろうとする最期の言葉を聴くことも出来ず、自分の行く末だけを案じ、自分のことばかり考えていた。彼の居ない世界を想像することができず、恐ろしかった…!のだ。


父の最期は、1953年12月7日、順天堂病院の特別病棟、6階の特別室、それは 最愛の女性を亡くした 奇しくも同じ病院、同じ病棟の同じ部屋だった。なんという運命のいたずら。因縁だろうか、神の摂理だろうか、この世に偶然は無い 全く無い・・・全てに何かの意志を感じる凛子だった。


二人の魂がいつか神さまの下へ行き、二人が永遠に一緒で、平安であるように、あの光に祈りたい。






CIA と「くノ一」忍者・凛子




先祖の車戸一族は、甲賀出身の甲賀流忍者。不思議な家系の血と神秘的な血脈が凛子に流れている。忍者は古代・聖徳太子の頃からいた。甲賀忍者は遠方の情報集めて神社を通して朝廷にお伝えしていたらしい。車戸家は神官のみならず忍者としても、気持ちの上で朝廷に仕えてきた。日本人なら、国の権威である朝廷、天皇陛下という国体に真心から仕え国を支えるだろう。とりもなおさず、それが日本神話へつながり、私たち日本人が天孫降臨の子孫であることを証明するのだから…! 先祖の血を引く、「くノ一」忍者・凛子は、相当な情報通で多彩な人脈を持つ。凛子が引き寄せるのか,相手が引き寄せられるのか、知らぬが何故か特別な情報や人脈が自然に集まる。親戚には、CIAまで居る。米人の義兄がそうだった。友人のご主人も米人CIAだった。くノ一凛子は、神出鬼没。この現代に生きる凛子、


逃げも隠れもせず、いろいろなところに堂々と出て行くつもりだ!何せ、忍者の家系だから!!!!


蓼科にて、2019年8月18日

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