第70話『恋人アフタヌーン』

 咲夜と恋人として付き合うようになってからは、お互いの家に行って夏休みの宿題を片付けたり、気になっていたアニメーション作品があったので映画デートをしたりと彼女との時間を多く過ごすようになった。




 8月10日、土曜日。

 今日も朝からよく晴れているからか蒸し暑いな。梅雨が明けたのは嬉しいけれど、ここまで暑いと早く秋が来てくれと思ってしまう。もちろん、それは気候的な意味で夏休みは長くていいが。


「暑いな……」


 午後3時半。

 俺は少し大きめのバッグを持って、咲夜の家に向かっている。今夜、彼女の家に泊まることになっているからだ。しかも、2人きりで。

 姉の美里さんは大学の茶道サークルの合宿に行っているため不在。

 また、御両親は今日から1泊2日かで夫婦水入らずの温泉旅行に出かけている。咲夜から池津での話を聞いて、自分達も温泉に入りたくなったらしい。

 そういった事情もあってか、今夜は家にいるのは咲夜1人なのだ。それを数日前に咲夜から話されたので、今日、彼女の家に泊まることに決まった。

 咲夜の家で、咲夜と2人きりで一夜を明かすことは初めてなので、色々と準備はしてきた。お互いにとって楽しい時間になるように心がけないと。

 咲夜の家の近くにあるコンビニでマンゴーゼリーを買って、俺は彼女の家に向かった。これまでに勉強したり、遊んだりする目的で何度も来ているけれど、泊まるのは初めてなので緊張するな。

 ――ピンポーン。

 インターホンを鳴らすと、すぐに玄関の扉が空き、中から赤いノースリーブの縦セーター姿の咲夜が現れた。彼女は明るい笑みを浮かべながら俺のことを見てくる。


「いらっしゃい! 颯人君!」

「お邪魔します。今日と明日、お世話になります」

「こちらこそ。今夜はずっとここで過ごすんだし。……おかえり、なんてね」


 えへへっ、と咲夜ははにかむ。今日は2人きりでずっと一緒に過ごすんだから、おかえりという言葉は1つの正解かもしれない。


「ただいま、咲夜」

「……おかえり、颯人君」


 家の中に入り、玄関に荷物を置くと咲夜は俺のことをぎゅっと抱きしめ、その流れでキスをした。俺が泊まりに来たことに興奮しているのか、すぐに舌を絡ませてくる。それと同時に、彼女の体がどんどんと熱くなって、トクントクンと鼓動が伝わってくる。もちろん、俺も同じだった。

 咲夜からゆっくりと唇を離すと、うっとりとした彼女の口に唾液の糸が引いていた。


「家にはあたし達しかいないから、玄関でキスしちゃった。颯人君が泊まりに来てくれたことが嬉しくて」

「そうか。俺も……咲夜と一緒に過ごせるのが嬉しいぞ。咲夜と付き合い始めたし、夏休み中に咲夜と寝泊まりしたいなって思っていたから。2人きりだから凄く嬉しいんだ」


 まあ、海の家でのバイト最終日の朝に、咲夜と2人きりの中で彼女のことを抱きしめて少しだけ眠ったことはあるが。

 咲夜はふふっ、と声に出して笑うと、


「そうなんだ。何だか意外だな。颯人君、そういうことを言うイメージがあんまりなかったから。もちろん、とっても嬉しいよ」

「ははっ、そっか。そうだ、近くのコンビニでマンゴーゼリーを買ったから、さっそく一緒に食べよう」

「そうだね! ありがとう! じゃあ……アイスティーを用意するから、颯人君はあたしの部屋に行ってくつろいでて」

「分かった」


 俺はバッグを持って2階にある咲夜の部屋へと向かう。

 部屋の中はとても涼しくて快適だ。あと、俺が来るまでここにいたからなのか、彼女の甘い匂いがほんのりと感じられて。

 バッグを部屋の隅に置き、マンゴーゼリーをテーブルの上に置いて、俺はベッドの近くにあるクッションに腰を下ろした。


「今夜はここで咲夜と過ごすんだよな」


 きっと、咲夜のベッドで一緒に眠ることになるだろう。海の家ではあまり眠れなかったこともあってか、抱きしめながら眠ることができたけど、今回は眠ることができるのだろうか。そもそも、咲夜が寝かせてくれるだろうか。


「お待たせ、颯人君。アイスティーを持ってきたよ」

「お、おう! ありがとう」


 色々なことを想像していたからか、咲夜が来たことにビックリしてしまった。ただ、そんな俺の反応に何か感付いたのか、咲夜はニヤリとした笑みを浮かべる。


「颯人君、あたしがいないからって何か変なことをしてなかった? 例えば、ベッドの匂いを嗅ぐとか」

「そんなことはしてないぞ。ただ、部屋に入った瞬間にふんわりと咲夜の匂いが香ってきていいなとは思ったけど」

「……そう言われるとドキドキしちゃうな。アイスティーどうぞ」

「ありがとう」


 咲夜はテーブルの上にアイスティーを置くと、トレイを勉強机に置いて、俺の左斜め前にあるクッションに座った。俺はそんな彼女の前にマンゴーゼリーとスプーンを置く。


「うわあっ、美味しそう。コンビニで何度か見たことあるけれど、まだ一度も買ったことがなかったんだよね」

「そうなのか。俺も初めてなんだ。どんな感じなのか気になって。美味しかったらスイーツ作りの参考にしようと思って」

「ふふっ、颯人君らしい。さっそく食べてみてもいいかな?」

「どうぞ、召し上がれ」

「うん! いただきます!」

「いただきます」


 俺達はさっそくマンゴーゼリーを一口食べる。うん、マンゴーの甘味がしっかりとしていていいな。後味は意外とさっぱりしている。果肉が入っているからか?


「うん、美味しい!」

「良かった。結構美味しいよな」

「うん! 颯人君、買ってきてくれてありがとね」

「いえいえ」


 喜んでくれて良かったよ。こうして美味しそうに食べている咲夜は本当に可愛らしい。

 俺は咲夜の淹れてくれたアイスティーを一口飲む。


「うん、アイスティー美味しいな」

「良かった。……そうだ。アルバイトの件、ありがとね。紹介してくれて」

「いえいえ。ただ、俺は母さんが教えてくれたことを咲夜に伝えただけだよ」


 海野さんちの海の家でのバイトを通じて、料理やスイーツ作りが好きだと改めて分かった。これからもキッチンでのアルバイトをしたいと思い、両親に相談したのだ。

 すると、母さんがパートをしている喫茶店・いぶにんぐがキッチン、ホール共にバイトを募集していると教えてくれた。海の家のバイト通じて接客が楽しかったという咲夜と一緒に応募することに。

 書類審査と面接の結果、俺はキッチン担当、咲夜はホール担当のスタッフとして採用され、いぶにんぐでバイトをすることになった。


「一緒に採用されて良かったよね! ただ、あたしはホール担当で、颯人君はキッチン担当だけれど」

「そうだな。海の家のときのように、それぞれの仕事を頑張っていこうぜ。もちろん、一緒のシフトのときもあるだろうし」

「そうだね! これからはバイト先でもよろしくね。陽子さんも働いているところだし、あの制服を着ることができると思うと楽しみだな」


 俺も……楽しみだな。キッチンで色々な料理やスイーツを作るのはもちろんのこと、喫茶店の制服を着た咲夜も。

 そういえば、今着ている赤いノースリーブの縦セーターもとても似合っているな。ノースリーブで腋まで見えているし、豊満な胸の存在感もあってか色気のある女性って感じがする。そう思いながらマンゴーゼリーを食べていく。


「どうしたの? あたしのことをじっと見て」

「今日の服もとても似合っているなと思って。可愛いよ」

「ありがとう」


 咲夜はほんのりと頬を紅潮させながら笑みを浮かべ、俺にキスをしてくる。その際に彼女からマンゴーの甘い匂いがした。

 咲夜の方から唇を離すと、彼女は俺のことを見てにっこりと笑う。


「……可愛いって言ってくれたし、もし良ければ写真撮ってもいいよ?」

「是非、撮らせてくれ」

「うんっ」


 俺はスマートフォンで縦セーター姿の咲夜の写真を何枚も撮影した。咲夜は本当にいい笑顔を撮らせてくれる。一番可愛いのは両手でピースサインをしているときかな。

 咲夜も写真を撮りたくなったのか、俺のことをスマホで撮影し、俺と寄り添ってツーショット写真を撮ることも。涼しい部屋にいるからか、彼女の温もりが心地良く思えた。あと、彼女の胸がとても柔らかく感じる。そのことで体が熱くなってかなりドキドキするけれど、咲夜にバレてるだろうな。


「うん、いい写真が撮れた。ツーショット写真、颯人君のスマホに送っておくね」

「ああ。ありがとう」

「うん。あと、寄り添ったからかドキドキしちゃった? 颯人君の体、結構熱いし、はっきりと鼓動が伝わってきたから」

「……やっぱり気付いていたんだな。かなりドキドキしてる」

「ふふっ、そうなんだ。あたしも体が熱くて心臓バクバクだよ。マンゴーゼリーやアイスティーを飲んで体を冷やそう! このままじゃ熱中症になっちゃうかもしれないから」

「そうだな」


 熱中症になってしまっては、せっかくの2人きりの時間が台無しになってしまう。

 咲夜の言うようにマンゴーゼリーを食べたり、アイスティーを飲んだりして熱くなった体を冷やしていく。体が熱かったこともあってか、さっきよりも美味しく感じた。


「マンゴーゼリー美味しかった! ごちそうさまでした」

「気に入ってもらえて良かった」

「ありがとね、颯人君。スイーツを買ってもらった上に、今日の夕ご飯を作ってもらえるなんて。本当にありがとうございます。食事の後片付けやお風呂の準備はあたしがちゃんとやりますので」

「うん、よろしくお願いします」


 俺達はお互いに頭を深く下げる。

 咲夜が言ったとおり、今日の夕ご飯は俺が作ることになったのだ。今日のお泊まりが決まったとき、彼女から料理が得意でないことや、俺の作った料理を食べてみたいと言われたから。

 ちなみに、今回作る夕食のメニューはオムライスと野菜スープだ。咲夜には材料を買ってきてもらったり、炊飯器でご飯を炊いてもらったりすることになっている。


「咲夜。俺が前に言った材料を買ったり、ご飯を炊く準備したりしたかな?」

「颯人君が来るまでにちゃんとやりました!」


 そう言って、右手で敬礼するところが可愛らしい。その勇ましい表情からしてちゃんとできたのだろう。


「分かった。ただ、一応、キッチンで確認させてくれるか? 美味しい夕食を作るためにも」

「うん!」


 俺は咲夜と一緒に1階にあるキッチンに向かい、ちゃんと材料が買ってあって、ご飯の準備ができているかどうか確認することに。


「まずはご飯だけど……うん、大丈夫そうだ」

「……良かった」

「冷蔵庫を確認したいんだけど、開けていいか?」

「どうぞどうぞ」


 咲夜に許可をもらったので、冷蔵庫を開けて俺が用意してほしいと頼んだ材料が揃っているかどうか確認する。


「……うん。材料も揃ってる。これで俺の考えている夕食を作ることができる。俺が頼んだことをやってくれてありがとう、咲夜」

「いえいえ。それに、颯人君の作る美味しい夕食を食べたいから。でも、褒めてくれるなら……」


 咲夜はゆっくりと目を瞑り、その場で立ち止まる。俺が頼んだことをちゃんとやったから、ご褒美のキスをしてほしいのか。そんな名目がなくてもいつでもするけれど、ご褒美はほしいよな。


「咲夜、ありがとう」


 俺は咲夜にご褒美のキスをした。軽く唇を重ねるだけだったけれど、咲夜はとても嬉しそうだった。

 何だか、台所で咲夜とキスをすると、彼女と同棲したり、結婚したりしているような感じがしてくるな。


「台所で颯人君とキスをすると、颯人君と同棲したり、け……結婚したりしているような感じがするね」

「ははっ、俺も同じことを考えたよ」

「……微笑みながらそう言うのは反則だよ、もう」


 咲夜は顔を真っ赤にしてニヤニヤしながら俺のことをぎゅっと抱きしめてきた。本当に可愛らしい女の子と付き合うことになったんだなと思いながら、俺はそっと彼女の背中に両腕を回した。



 約束通り、夕ご飯にオムライスとコンソメ仕立ての野菜スープを作った。咲夜はそれをとても美味しそうに食べてくれ、とても嬉しい気持ちになったのであった。

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