第18話『呼出』

 6月26日、水曜日。

 今日も寝不足だ。咲夜に謝罪のメッセージをまた送ったり、電話をかけたりした方がいいか。あと、3年前のことを話そうかどうか。それらのことを考えていたら、ろくに眠ることができなかった。そして、何もできなかった。


「おいおい、今日もかなり機嫌が悪そうだぞ」

「月曜日に女子生徒と喧嘩してたっぽい」

「それで? さっさと仲直りしてくれよ……」


 うるせえな、そういうことを周りで話されると余計に気分が悪くなるんだよ。ただ、それを言ったところで、状況が改善することは期待できないし、むしろ悪化するだけだと思ったので、何も言わずに1人で校舎の中に入り、教室へと向かう。

 今日も前の扉から教室に入ると、そこには咲夜の姿が。


「咲夜、おはよう」


 昨日と同じように挨拶をするけれど、咲夜は不機嫌そうな様子で頬を膨らませ、そっぽを向いてしまう。昨日はまだ「ふん!」ってくれただけ良かった気がする。


「……だっさ」


 田中達がこちらを見ながら嘲笑していたので、俺は睨みを利かせて彼女達のことを見る。すると、すぐに笑うことを止めた。まったく、最低な奴らだ。俺も彼女達と同類かもしれないけれど。

 すると、咲夜は無言で立ち上がり、田中の前まで行くと、

 ――パンッ!

 右手で田中の頬を思いっきり叩いた。


「宏実の方がよっぽどダサいよ」

「……何するの、最低。こっちは言葉だけなのに」

「そうだよ、咲夜! 手を出すなんて卑怯だし最低!」

「最低で結構! ただ、遠くで颯人君のことを笑ってる自分達も最低で卑怯だと自覚した方がいいよ。あ、あと……これは颯人君のためじゃなくて、宏実がくだらないことをやってるから怒っただけなんだからね! 勘違いしないでよ!」


 咲夜はかなり怒った様子で俺にそう言うと、自分の席へと座っていく。あまりにも怒っているからか、田中達は咲夜に何か言うことはなかった。


「……叩くのは良くない。ただ……ありがとう、咲夜」

「ふ、ふん!」


 咲夜はそっぽを向いてしまう。それでもいい。咲夜のおかげで少し気持ちが軽くなったのは変わりないし。

 俺は自分の席に行って、外の景色を眺める。今日は一段と分厚い雲が広がっていて、何だか暗いな。寂しい気分になるので、少しは雲が取れてほしいなと思いながら、深津先生がやってくるまでぼんやりと眺め続けるのであった。




 昼休み。

 今日も紗衣と一緒に食べることを約束しているのか、咲夜はすぐにお弁当のバッグを持って教室から出て行った。

 しょうがない。今日も好きな音楽を聴きながらお昼ご飯を食べよう。そう思って、携帯音楽プレイヤーを手に取って、何の曲を聞こうか選んでいるときだった。


『1年4組の神楽颯人君。至急、生徒会室まで来てください。繰り返します。1年4組の――』


 皇会長の声でそんな呼び出しの放送がかかったのだ。だからか、教室の中がざわつき始め、俺のことを見てくる生徒が多数。廊下から俺のことを覗いてくる生徒もいる。


「何があったんだろう?」

「あの皇会長がアドルフのことを呼び出すなんて! これって相当なことがあったんじゃない?」

「何か学校の処分を言い渡すとか? でも、言い出すのが恐くて生徒会長に頼んだとか? 俺、狼が会長さんと同じ中学出身だって聞いたことあるぜ!」

「一昨日くらいに女子生徒と言い争っていたっていう噂もあるし。そのことで学校から処分が下ったんじゃない? それを言わなきゃいけないなんて。生徒会長って本当に大変な仕事よね……」


 どいつもこいつも好き勝手なことを言いやがって。こんなところにいるよりは、皇会長のいる生徒会室に行った方がまだ落ち着けるかもしれない。

 俺はゆっくりと席を立ち上がって教室を出る。

 皇会長に呼び出されたこともあってか、俺が歩くと自然と生徒が廊下の端に寄ってくれる。ここ最近では最も注目され、怯えられているな。

 俺は階段を降りて、1年4組の教室のある5階から生徒会室のある3階へと辿り着く。

 さっきの放送もあってか、多くの生徒が生徒会室の前に集まっている。ただ、その放送が絶大な信頼を得る皇会長からのものだからか、教職員の姿はなかった。


「アドルフが来たぞ!」

「道を空けろ! そうしないとぶっ飛ばされるかもしれない!」


 男子生徒からのそんな呼びかけもあってか、生徒会室までの道のりを開けてくれる。少なくとも、この状況ではぶっ飛ばすことはしない。生徒達が空けた道を歩いて、俺は生徒会室の扉の前に立ち、ノックをする。


『はい』

「1年4組の神楽颯人です」

『……待ってたよ』


 ゆっくりと生徒会室の扉が開き、中から皇会長が姿を現す。俺がちゃんとここに来たからか、会長は俺のことを見ると嬉しそうな笑みを浮かべる。


「神楽君、よく来てくれたね。みんな、これから彼と大事な話をしたいから、それを聞こうと聞き耳を立てたりしないでね。それぞれ、楽しい昼休みの時間を過ごしましょう」

『はーい』


 さすがは皇会長。俺とこれから話そうという状況なのに、生徒会室の前にいる生徒を帰らせたぞ。


「これで大丈夫そうだね。さあ、神楽君。中に入って。2人きりで話したいことがあるから」

「……分かりました」


 俺は生徒会室の中に初めて足を踏み入れた。

 生徒会は数人で活動しているから狭い部屋だと思っていたけれど、結構広いんだな。教室ほどではないけれど。

 ただ、教室とは違って、長机や、肘掛けのある椅子、キャスター付きのホワイトボードが置かれている。

 そして、奥には生徒会長が使うと思われるテーブルと豪華な椅子が。そのテーブルには生徒会の仕事で使うと思われるノートパソコンと、お昼の時間だからか弁当包みと水筒が置いてある。


「神楽君、そこの椅子に座ってくれる?」

「はい」


 俺は皇会長に指定された長机の椅子の1つに座る。教室にある椅子よりもふかふかしていて気持ちがいい。肘掛けがあるのは大きいな。これなら生徒会の仕事にも集中できそうだ。

 すると、皇会長は俺の座っているところの近くにある椅子に座り、俺の方に体を向ける。今までは立っている姿を見るのがほとんどだったので、こうして座っている姿は新鮮だ。目の前に座っているからか、優しくて甘い匂いがする。


「ごめんね、せっかくの昼休みに突然呼び出して」

「……そんなに長くならなければいいですよ。それで、俺にどのようなご用で?」


 だいたいの見当はついているけれど。

 皇会長はそれまでの落ち着いた笑みから、寂しげな表情に変わる。


「……神楽君が月曜日の放課後に女子生徒と喧嘩したって話を友達から聞いて。その女子生徒、月原さんじゃないかと思って。月曜の放課後は月原さんと一緒にいたし。それで、実際に2人のことを見てみたら、神楽君は1人だし、月原さんも友達と一緒にいるけれど、月曜日と比べたら笑顔が少なくて。もしかして、私のせいで喧嘩してる?」


 会長の両眼には涙が浮かんでいる。その姿はあのときの咲夜と重なる。だからか、胸がキューッと締め付けられてしまう。

 やっぱり、月曜日の喧嘩のことについて訊きたいから呼び出したんだ。ここまではっきりと問いかけられたら、嘘を付くわけにはいかない。


「会長のせいではありません。ただ、あのときの俺達の様子を見て感付いたのか、会長と別れた後、咲夜は俺に会長と何かあったんじゃないかと訊かれたんです。ただ、3年前のことは、これまで受けたいじめや嫌がらせの中でも特に辛いことでしたから。胸が苦しくなって、咲夜につい『答えたくない!』って強く拒否してしまったんです。そうしたら、距離ができてしまって」

「……そうだったんだ。あのときは……色々とあったもんね。辛い気持ちになって、月原さんに話したくないって言う気持ちも分かるよ」

「ただ、咲夜は初めてできた友達です。それに、咲夜なら……3年前のことを話しても受け止めてくれるんじゃないかと思うようにもなってきて。ただ、その際は会長とのことを話さなければいけません。当時、俺とあったことを咲夜に話しても大丈夫ですか?」


 3年前に受けたいじめのきっかけに、皇会長が深く関わっているから。彼女との関係性を話すのは避けられない。


「……もちろんいいよ。神楽君が月原さんに話しても大丈夫だと思ったとき、私はその判断を信じるよ」

「分かりました」

「……ただ、神楽君にここまで考えてもらえるなんて。友達でも月原さんのことを羨ましく思うよ」


 そう言うと、皇会長は頬をほんのりと赤くして俺のことをじっと見つめてくる。その顔は3年前に彼女と初めて話したときと似ていた。


「そうだ。何かあったときのために、連絡先を交換してもいいかな? もう神楽君も高校生になったし、このくらいの繋がりがあっても大丈夫じゃないかと思うの」

「……いいですよ」


 俺はスマートフォンを取り出して、皇会長と連絡先を交換する。SNSのLIMEというアプリをやっているのか、連絡先を交換するとすぐに会長と友達登録された。


「えへへっ、神楽君と連絡先を交換しちゃった」


 皇会長、とっても嬉しそうだな。そんな会長はとても可愛らしかった。


「じゃあ、俺はそろそろ教室に戻ります」

「うん、今日はありがとう。あと、いつかは謝って月原さんと仲直りするようにしてね」

「……担任や従妹からも同じことを言われました。では、失礼します」


 俺は生徒会室を後にする。

 部屋に入る前に聞き耳を立てないでと皇会長が言ったからか、生徒会室の前には誰もいなかった。なので、特に何か言われることなく教室へと戻るのであった。

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