第1話『おねがい』

 ――あたしの……ニセの恋人になってくれませんか?


 月原は俺にそう言ってきた。

 右手をしっかりと掴まれ、真剣な様子で見つめられたら、さすがにちょっとはドキドキしてしまう。だからかもしれない。


「……俺の聞き間違いであってほしいんだが。確認させてくれ。月原は『ニセの恋人』になってほしいって言ったのか?」

「……合ってるよ。ニセの恋人になってほしいの」


 月原はさっきよりもはっきりとした口調で言う。聞き間違いじゃなかったのか。あと、偽者でも恋人になってほしいと言ったからか、彼女の顔は真っ赤になっている。

 何をお願いされるかと思ったら、まさか……ニセの恋人になってほしいだなんて。思わずため息が出てしまう。


「……断る」

「えええっ! ど、どうして!」


 月原にそんな反応をされてしまったので、再びため息が出てしまう。


「当たり前だろ。好きだと思っていない人の恋人になんてなりたくもない。それに、嘘の関係をつき始めたら、ずっと辛い想いをすることになるだろう。嘘だってバレたとき、下手したら月原が今まで積み上げてきたものを一瞬にして失うことになるかもしれない。そもそも、俺と恋人として付き合っているって言ったら、友達がどんどん離れるかもしれないぞ」


 俺の記憶の限りでは、教室での月原は誰かと楽しく喋っている。俺とは全く違う立場の人間だ。俺と恋人として付き合っていると宣言したら、きっと彼女は色々なものを失うことになるだろう。

 月原は複雑そうな表情をして視線をちらつかせている。


「それは……分かってる。覚悟してる。だけど、神楽君にニセの恋人を演じてもらうのが一番いいんじゃないかと思って」


 月原は元気のない声でそう言うと、俺のことを再びじっと見てくる。

 同じクラスであるというだけで、これまで関わりのなかった俺にニセの恋人になってほしいと伝えたんだ。そこには何か重大な理由があるはず。


「とりあえず、月原が俺にニセの恋人になってほしいと考えた理由を聞かせてくれないか?」

「……うん」


 すると、月原はスカートのポケットから白い封筒を取り出し、俺に渡してくる。

 中身を見てみると、二つ折りにされた白い紙が1枚入っていた。その紙を開いてみると、



『1-4 月原咲夜さんへ


 俺はあなたのことが以前から気になっていました。

 その想いを明日の放課後に、直接伝えさせてくれませんか?

 体育館の裏で待ってます。


 2-7 佐藤達紀』



 内容からしてラブレターか。後輩に対しても敬語で書くのはいいな。最後に自分の名前を書くことも、堂々としていていいイメージがあるが。名前は佐藤達紀さとうたつきって言うのか。全然知らない奴だ。


「これが、月原の悩みの種か」

「……うん。今朝、あたしの下駄箱に入っていて。差出人の佐藤達紀先輩っていう人、サッカー部の2年生なんだ。金髪のイケメンでサッカーも上手だから、女子中心に人気が高くて。友達の間でもかっこいい先輩だって何度も話題になってる」

「へえ、そんな先輩がうちの高校にいるとは」


 このラブレターと今の月原の話を聞くまで、俺は全く存在を知らなかった。


「佐藤先輩から、明日告白したいというラブレターをもらったにもかかわらず、月原は俺にニセの恋人になってほしいと頼んでいる。つまり、月原は佐藤先輩からの告白を断りたいのか」

「うん。元々断るつもりで。同じ中学出身の先輩に佐藤先輩のことを訊いてみたら、凄く女癖が悪い人みたいで。狙った女子にしつこく告白するみたいなの。ただ、中にはお試しで付き合って、体の関係を迫ることもあったみたいで。酷い話だと、一線を越えたけれど、そのときの反応が良くないからってフラれた子もいて。それは1人とか2人じゃないみたい」

「……なるほど。とんでもない奴に目を付けられてしまったってことか」


 それなら、誰かに告白を断ることに協力してもらおうと考えるか。


「よく話す友達は、佐藤先輩をカッコイイって言っているから、断ることに協力してくれるか分からないし、佐藤先輩のことを教えてくれた中学の先輩のことは巻き込みたくないし。それで、普段から『白狼』とか『狼』とか『アドルフ』って恐れられている神楽君に協力してもらえたら、佐藤先輩も諦めてくれるかなと思って。神楽君って背がかなり高いし、白髪だし、目つきも凄く鋭いから黙っていても迫力あるし。声もとても低いから、何か言えばビビらせることができそうだし」

「……そうかい」


 俺のことをそう思っているのに、よくここに来てニセの恋人になってほしいと頼んだな。きっと、相当な覚悟をもったのだろう。

 母親似の白髪と父親似の物凄く鋭い目つき。そのことで、小さい頃から「白狼」だの「狼」だの言われ、周りの人から警戒され、避けられることがとても多い。ちなみに「アドルフ」はドイツ語で狼という意味がある。

 おまけに、小学校の高学年くらいから成長期で身長がかなり伸び、声変わりの影響でとても低い声になってしまった。中学生以降はそれらも避けられる原因になっている。


「でも、それだけじゃないよ。普段は凄く落ち着いているし、試験の成績もクラスで一番だし。そんな神楽君なら、あたしの恋人を上手く演じてくれるって思ったの。だから、頼みに来たんだ」

「買いかぶりすぎだ。理由は分かったが、それでも月原のニセの恋人にはならない。それは俺だけじゃなくて、月原のためでもある」


 俺が改めて月原のお願いを断ると、彼女は一つため息をついて、悲しげな笑みを浮かべる。


「……そっか。ごめんね、ほとんど関わりがないのに、とんでもないお願いをしちゃって。自分のことばかり考えてた。本当にごめんなさい」


 月原の両眼には涙が浮かぶ。その涙は彼女が深く頭を下げたとき、地面にこぼれ落ち、すっと消えていった。


「……顔を上げろ、月原。俺はニセの恋人にはならないと言っただけで、告白を断るのに協力しないとは言ってないぞ」

「えっ……」


 月原は涙の浮かばせたまま眼をまん丸くして、俺のことをじっと見つめてくる。


「明日の告白、俺が月原の側にいる。だから、頑張って佐藤先輩の告白を断るんだ。それで、先輩が何かしようとしてきたら俺が守る。佐藤先輩と恋人として付き合うようなことにはさせないから。先輩が諦めるまで、俺は月原の側にいる。それは約束する」


 佐藤先輩の話を聞いて、月原はきっととても怖い想いをしたはずだ。そんな中で俺に協力してもらおうと考えついた。

 それに、人に避けられる理由になる俺の身体的特徴を、彼女は告白を断るのにいいと思ってくれたんだ。そんな俺が協力することで、さっきのような悲しい表情しないで済むのなら、彼女に協力しようと思う。


「……本当に? いいの?」

「ああ。告白を断ることに協力したことで、佐藤先輩が俺の悪評を振りまいたとしてもかまわない。人から避けられたり、非難されたりすることはもう慣れているから」


 あまりに酷ければ、そのときに対処すればいい話だから。そういったことをするのも慣れている。

 俺の言葉がちゃんと届いたのか、ようやく月原の顔に笑みが戻る。


「……ありがとう、神楽君」

「ああ。ただし、この件が解決したら何かしら報酬をくれ。それが協力する条件だ」


 友人でもない、これまで関わりのなかったクラスメイトだ。何の報酬もなしに協力してもらうのはさすがに虫が良すぎる。


「分かった。じゃあ、解決できたら報酬を出すね。その報酬はあたしが決める? それとも、神楽君が決める?」

「……じゃあ、俺が考えておく」

「分かったよ。でも、その……へ、変な報酬は考えないでよね! できるだけ、神楽君の要求する報酬を出したいとは思っているけれど」

「そこは安心しろ。じゃあ、交渉成立だ」

「うん。何かあったときのためにも、連絡先を交換しようよ」

「ああ」


 俺は月原と連絡先を交換する。自宅と家族と近所の人と親戚以外の人の連絡先が登録されるのは全然ないので、何だか胸にくるものがあるな。

 ほっとしているのか、月原は朗らかな笑みを浮かべている。


「じゃあ、明日はよろしくね」

「ああ」

「また明日ね、神楽君」

「……また明日、月原」


 月原は俺に笑顔を向けながら小さく手を振って、花畑から立ち去っていった。そんな彼女の姿は月下美人の花に負けないくらいに美しく思えた。

 まさか、クラスメイトの月原と話すだけでなく、告白を断ることに協力することになろうとは。明日は彼女のために動くことにするか。

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