みずようかん

小方 樫

第1話 ベイブルース神戸

   長い髪の毛両手で掻き揚げ 俯き加減に話す女

   テーブルの上にはAncient Age グラスが冷たく輝く

   前に来たときはスレた女たちで賑い 船の汽笛なんて聞こえやしなかった

   トア・ロードからフラワー・ロードまで ふたり歩きたどり着いたもんさ

   

   思い出だけに生きる男がひとり 暗闇の中で又手探りしてる

   今では涙もすっかり涸れはて 遠く過ぎ行く愛を見つめる


   グラス片手に耳傾ける 今夜もベイ・ブルース神戸


 神戸三宮のフラワー・ロードにKING'S ARMSという名のパブがある。

重い木製のドアを開けると、カランカランとカウベルが鳴り来訪を伝える。入って右手にはL字のカウンター、左手には二三人掛けの円テーブルが3卓、その奥にはカワイの古ぼけたピアノが置いてある。カウンターの右から2番目の席に付くと、髭面のマスターがカウンターの内側から、ご注文は?と声を掛けてきた。空かさず、ジン・ギムレットをオーダーした。昔は、必ず、バーボンのオンザロックだったが、最近ではイギリスのミステリー小説の主人公「名無しの探偵」に敬意を表し、いつも客待ちのパブで飲んでいるこのカクテルにしている。

 

 セブンスターの封を切り、据え置きのマッチで火をつけ店内を見回すとカウンターに初老の男とピアノのそばのテーブルに若い男女が座っていた。テーブルの上にはAncient Age、ボトルキープのタグがネックのところについている。男はサラリーマン風でニットタイを緩め、右手にロックグラスをもったまま、しきりに女にはなしかけている。女は何やら深刻な表情でタバコを燻らして男の話に耳傾けている。


 マスターがギムレットを手元に置きながら、観光ですか?と聞いてきた。否、昔はここに住んでいた、この店にも何度も来たことがあると云ってギムレットに口をつけた。


   壊れたピアノの鍵盤たたき ラブソングを唄う男

   エルトン・ジョンなんてもう古いよって 新しいものばかり取り入れる女

   二人でいると何故か煩わしくて 一人でいると何となく寂しく

   酒を飲みのみつかれて 呼吸することさえ辛く思う


   思い出だけに生きる男が一人 暗闇の中で手探りしてる

   涙は今ではすっかり涸れはて 遠く過ぎ行く愛を見つめる


   グラス片手に耳傾ける 今夜もベイブルース神戸


 テーブルに居た男が立ち上がり、ピアノ弾いていい?とマスターに声を掛けた。

鍵盤が壊れていて音が出ないんだとマスターが言った。それでも男は、ピアノに向かって鍵盤を叩いた。何故か、スローな曲が聞こえた気がした。

 女は立ち上がり店を急ぎ出て行った。カウベルがカランと鳴った。黒いストレートロングの髪、黒いレースのワンピースの後ろ姿が、目に焼きついた。なんだか、懐かしいコロンの香りがした。 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る