第6回

「降りるよ」

 今回のコースはすべてひまわりが考案したもので、私はただくっついてきたのみである。具体的になにをするのかも知らされていない。

 いつの間にか車両いっぱいになっていた乗客が、どっとドアから溢れ出た。ひとつの群れのように統率された動きで階段を下りていく。思わずホームの隅に寄った私に、ひまわりが顔を近づけ、

「ちょっと混んでるけど、はぐれないでね」

「遭難するかも」

「方向音痴なほう?」

「ものすごく」

 手を握られた。息が詰まった。

「脱出するまで」

 人の流れに乗って歩く。駅構内はそこかしこが工事中だった。狭い仮設の通路を延々と進んだ。色とりどりの看板や案内の矢印が頭上にあるが、私にはまったく読み取れない。方向音痴という以前に……頭が働いていない。

 ずいぶんと長い距離を歩いたのだろうが、体感は一瞬だった。手を離し、ふたりで縦に並ぶようにして改札を抜けた。外に出ると、一気に視界が開けた。駅前の広場。その向こうにはビルが連なっている。

「ダンジョンだったでしょ?」

「道、ぜんぜん覚えてないよ。もし置いてかれたら帰れない」

「置いてかないよ。まだ歩くけど――迷子になりそう?」

「迷惑かけないようにする、なるべく」

 なにかの弾みだろう、互いの指先が少しだけ触れた。私は反射的に手を引っ込め、

「ごめん」

 あ、とひまわりは視線を落としてから、ゆっくりと顔をこちらに向け、

「地上は地上でさ、けっこう難易度が高いんだよ。人通りも多いし。だから――まだこうしとく?」

 また手を握られた。返答しようにもまるで言葉が浮かばない。朦朧としながらただ握り返した。並んで歩きはじめると、もう動悸がした。手と足がまともに連動していたかも定かではない。

「どこ行くの」

「私のお気に入りスポット」

「よく来る?」

「わりと。一回は連れて来たかったんだ。楽しんでもらえるかは分からないけど」

「楽しいよ、きっと楽しい。今だってもう楽しい」

 並んで横断歩道を渡る。近くを人がしきりに行き交っているが、みな速足だ。むろん私たちのことなど、誰も気に留めていない。誰にも知られていない。ここでは何者でもない。

 どちらともなく、繋いだ手を前後に振りはじめた。子供がするように大きく。ちらりと横を伺うと、同じタイミングでこちらを向いたひまわりと目が合った。その瞬間、ふたりとも笑いの発作に見舞われて、私たちは同時に噴き出した――。

「あそこだよ」

 ひまわりが道路の向かいにある白っぽい建物を示す。かなり大きい。視界に全体像が入りきらないほどだ。周囲のビルと比べると外観は古めかしく、昔のアメリカ映画にでも出てきそうな雰囲気を纏っている。

 中に入ると、眼前に巨大な化粧品売り場が現れた。眩い。行き来する客も、制服をきちんと着込んだ女性店員も、誰もが優美に見える。取り扱われているブランドからしても、普通の女子高生がおいそれと買い物できそうな感じではない。

 売り場を突っ切って進んだ。スタッフにメイクを施されている女性。巨大な海外モデルの顔。ひまわりはともかく、私は明らかに場違いなのでは、と思えてならない。

 やがていちばん奥の階段へと至った。あえて歩こうという客はいないのだろう、私たち以外に人の姿はなかった。

「エスカレーターもエレベーターも、さっきあったよ」

 そう指摘するとひまわりは笑んで、

「ここになにしに来たと思う?」

「デパートでしょ? なにか目当てのものがあるの?」

「目当てのものはもちろんある」

「服とか? 私、あんまりセンスないよ。買い物には付き合えるけど、ちゃんとしたアドヴァイスはぜんぜん」

 よほど頑張ってお金を貯めたのだろう、と想像した。買うものもあるていど決まっているに違いない。最後の一押しが欲しくて、私を連れてきた。私も優柔不断なほうだから、そういう心理は理解できる。

「欲しいなら買っちゃったほうがいいと思うよ。自分への高校入学のお祝いってことで。何階?」

 ひまわりは相変わらず悪戯っぽく唇を湾曲させたまま、壁に視線をやって、

「ここ」

「ここって――まだ迷ってるの?」

「迷ってない。というか買い物じゃないんだよ。こんなとこで服なんか買ったら破産しちゃう。用があるのは本当にここなの。この壁」

 理解できず、私は首を傾げた。ひまわりは視線を少し下げ、ある一点を見据えるようにしながら、

「気付かない?」

「なにに?」

 ひまわりの指が壁に近づいた。灰色に薄くオレンジ色が混じったような大理石だ。人差し指の先にある白っぽい模様は、ぐるぐると渦を描いているようで――。

「アンモナイト?」

 と思わず声をあげた。ひまわりが強く頷いて、

「大正解」

 一度気が付いてしまえば、それは紛れもなくアンモナイトだった。壁の中に化石が埋め込まれている、としか言いようがない。形はもちろんのこと、殻を小部屋のように区切っている線の一本一本まで、はっきりと視認できる。

「凄い。こんなにはっきり残るんだ。これ、ひとりで見つけたの?」

「ううん、化石ウォッチャーのあいだでは有名なやつ。最初はこれが分かりやすいかなって」

「他にもある?」

「建物全体だと数十個は。このすぐ近くにもあるよ。大理石のどこか」

「答え、まだ教えないで。探す」

 私は壁を精査しはじめた。アンモナイト、渦、渦、化石……。大理石というのはこんなにも複雑な表情をしていたのかと思う。宝探し――確かにそうだ。ぼんやり気にするという程度では見つかるはずがなかったのだ。

 はっとする瞬間があった。しかし最初のアンモナイトほど鮮明ではない。単なる模様のようにも見えるし、小さく分かりにくい化石のような気もする。これは? とひまわりのほうを向いて確認を求めると、彼女は小さく首を振って、

「まだ頑張る?」

 私は意地を張って、

「近いんだよね?」

「本当にすぐ近くだよ。でもその探し方だと見つからないかな」

「どこが駄目なの? あ、遠くから見るとか?」

 言いながら私はゆっくりと後ろへ下がり、壁全体を見渡した。途方もなく巨大なアンモナイトが騙し絵のように浮かび上がってくる瞬間を期待したが、なにも起こらなかった。

「さっきのやつがいちばん分かりやすいんだもんね、やっぱり小さいのか」

「形はさっきより分かりにくい。大きさは――面積でいうと小さいかな」

 また壁際まで寄った。途端、私は天啓を得たようになった。

「埋まってる向きが違う。そうじゃない? 横向きじゃなくて、殻の出入り口の部分がこっちを向いてる。にょろにょろを出してる口のところ。どうだ」

「そういう発想、めちゃくちゃ大事。でも今回は残念、違う」

 正解だと確信していたので落胆した。私は両手を広げ、

「ギブアップ。どこ?」

 ひまわりは私の正面に回ってきて、

「いま踏んでる」

 右足を退ける。銃弾、あるいは鏃のような、細長い流線形が現れた。その部分だけがくっきりと白い。自然な石の模様ではない。化石なのだ。

「これ?」

「それがベレムナイト。前に話したの、覚えてる?」

「うん。ベレムナイト――とんがりの部分しか化石として残らないイカ」

「中生代に生息した軟体動物。体内に石灰質の殻を持つ、イカに近縁の頭足類」

 さすが、と私は言ってから、

「でもずるくない? 床なんて」

「大理石のどこかって最初に言ったじゃん。床も大理石でしょ?」

 勝ち誇った様子だ。私はすっかり悔しくなって、

「別のフロアにもあるよね? 今度こそ私が見つける」

 壁に神経を集中させながら階段を上がった。手摺の下、足許。ひまわりはなにも言わずに数歩後ろを着いてくる。床がありなら天井もありだろう。一段ごとに左右に移動してみたり、四方八方を見回してみたり、屈んだり背伸びしたり……人通りのない場所でよかったと思う。傍目にはさぞ不審に見えることだろう。

「あった。これ」

 踊り場の壁に浮かんだ渦を指差す。それなりに大きいし明瞭だ。

「アンモナイトだね」

「やった。ちなみにここまでで見逃しはあった?」

「私が数えた限り、三つはスルーしたかな」

「嘘。ぜんぜん分からなかった」

 そんなふうにして一階から順々に上がった。なんとなく見分け方のこつが掴めてきたのは三階に至ったあたりで、やがて分かりやすいものならぱっと見つけられるようになった。アンモナイトやベレムナイトは確かに発見しやすく、数も多い。いっぽうで四射サンゴ、厚歯二枚貝、ウミユリ、フズリナなど、ひまわりに解説されて初めて正体を知れたものもたくさんあった。

 五階にあった喫茶店で休憩を取った。さんざん階段の昇降を繰り返したからだろう、腰かけると途端に疲れを意識した。

「ここまで、どうだった?」

「意外といっぱいある。でも集中して探さないとぜんぜん気付けない」

 デパートで化石に出会うという体験に、私は昂揚していた。今日の今日まで、化石というのは博物館で見るものと認識していたのに。

「夏凛、腕が上がってきたね。この調子だとすぐ一流ハンターになれるよ」

「指導者がいいからだよ。こうやって教わらなかったら、街中の化石になんて一生目が向かないままだった。まだたくさん見つけられそう」

「他の場所だと、駅の地下街とかがお勧めかな。オフィスビルで見つかることもあるんだけど、怪しまれやすいからね」

「今度連れてってくれる?」

「いいよ。私が密かに作成してる街中化石地図に協力してもらう」

「部活みたい。化石部?」

「古生物研究部かな。部員は二名で」

 アップルティーを飲み終えたあと、同じフロアに入っていた書店で少し本を見た。図鑑や古生物の概説書、ポピュラーサイエンス系の読み物などを覗いてから、階段に戻って化石探しを再開する。

 六階の売り場がちらりと見えたとき、私は思わず足を止めた。観察に夢中になるあまり気付かずにいた。デパートという時点で思い至ってもよさそうなものを。

 ひまわりが私を追い越して進んでいく。階段の途中で彼女もまたぱたりと立ち止まって、

「――このフロアは化石、ないかも。引き返そうか」

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