大きく高く、手を振って
それは家族を残し頓死してしまった、悲哀と苦渋の記憶からはじまる。
終わることのない理知と感情のうねりだ。
いつも心の中で呻き、叫び、呪文のように唱えてきた、決定的なことだ。
運命とか宿命とか、そんなこと知ったことか。
気まぐれな風の吹くその先は……。
万物の流転に楔を打つ。
今、言うしかない。
長い失意の時を新たな決意に塗り替え、力を込めて言った。
我こそは──。
本当は死にかけの、一か八かの思いつきのような言葉……。
呟いたその時、すべては無に閉じた。
おそらく、二度目の死だった。
何もない暗闇に、ほのかな光が滲む。
瞼の裏にぼんやり明かりを感じて、目を開く。
ぼやけた灰色。
それがゆっくり像を結んで、土塊と岩肌、わずかな下草になった。
まだ、薄暗い。
……そして自分の足、爪先が見えた。
俺は、どこかに座っている。
何気に両手を持ち上げ、顔を覆った。
俺は生きている。五体満足で。
からだのどこも、痛みを感じない。
大怪我していた筈なのに……。
顔を上げて前を見る。
薄暗い空と、海か。はっきりしない。
左にからだを捩じり、後ろの方を見る。
横に伸びる水平線、らしきもの。手前の岩の頂。小さな岬の端にいるのか。
そして、見上げると目の前に、あの神殿があった。
ひとが二、三名、入れるかどうかの小さな神殿だ。
ベルシュ村にあった祠のような神殿と似ている……。
「……!」
心の底から何かがせり上がってきて、ぼんやりしていた記憶が少しずつ鮮明になっていく。
目が覚めてきた。
……なぜ俺は、こんなところに座っている?
何かを感じて首を右にむけた。
「!!」
思わず声にならない呻きが、吐息が漏れた。
足許を、やや離れて女がひとり片膝をつき、頭(こうべ)を深く垂れていた。
視線を移すと、さらにその後ろに女がもうひとり、蹲っていた。
顔はまったく見えなかったが、その女たちがヘレスとレーリアだと、すぐにわかった。
手前が主神、奥が月神だった。
「……レーリア」
おまえは確か、風の剣に貫かれたのではなかったか。どうしてそこに──。
「うっ」
一瞬頭痛がして額に手をやると、一気に記憶が甦ってきた。
「リフィアは? ミラは?」
肺腑をえぐる苦痛が、恐怖が全身を侵していく。一瞬で喉がひりつき、頭が真っ白になった。
ふたりが死んだ、その瞬間が脳裡に甦る──。
「……!?」
思わず立ち上がろうとしたが、両足に力が入らない。腰が神殿の敷石に固定されてでもいるのようだ。動かないし、感覚もない。
「お望みなら後ほど、あの者たちを生き返らせましょう」
ヘレスが僅かに頭を上げ、抑揚のない声で言った。
「あなたの思うがままに。望みどおりにいたしましょう」
かるく波打つ金髪が揺れる。今は少しくすんで見える。どんな表情か、よくわからない。
「メリリャは……」
どうなった? と訊こうとして口を噤んだ。
顔を見せない主神から視線をそらし、前を向く。
水平線は遠く、霞んで見える。はっきりしない。
リフィアとミラが無事なら……。
はやる心を押さえつけ、またヘレスを見下ろす。
「……」
大きくひとつ、溜め息を吐くと、ゆっくりと口を開いた。
「いや、あれからどうなった? 俺はどうしてここにいる? 俺も死んだ気がするんだが」
乾いた笑みが顔面に浮かぶ。それがわかる。
……確か、ほとんど破れかぶれで、いや確信もあったろうか。
俺は最後に呟いたのだ。
あの呪文を。
その力を持つ者、その意味を知る者、その資格を備える者が口にすれば、それはただの言葉では終わらない。
──そは呪文なり。
今までの出来事から、ヘレスに“世界”を創世するよう命じたとされる正体不明の存在、“名もなき神”、“名も知れぬ神”が、もしかしたら自分のことを指しているのではないか、と疑っていた。俺は“名のなき神”とされる側の人間ではないかと、漠然とだが考えていたのだ。
その推理を、最後の最後に試した。
ヘレスに宣言したのだ。
あの時、俺にはもう、そんなことくらいしかできなかった。
ヘレスもレーリアも、この世界の神々が見たいのに、知りたいのに、触れることのできないもの。俺の記憶、転生する前の、俺の人生──それが彼らにとってどんなものか、考えれば考えるほど、“名もなき神”、“名も知れぬ神”の存在が頭に浮かんだ。
ヘレスの見せた、主神らしからぬ風変わりな態度。レーリアの、まるでト書きがあるかのような芝居がかった言動。
不自然というより、何らかの作為を疑わざるを得ない事態に捕らわれてしまったのは、明らかだと思われた。
途方もない風の魔法の力を得て、エリスタールで主神ヘレスらしき存在に出会った。それからあの事件が起こって、家族を奪われ故郷を奪われることになった。怒りと自責の念に、そして不可解な疑念に苛まれることになった。
神々はそれが、俺が転生した、前の世界の記憶を持っていることが原因であると、発端になったのだと示唆した。そう思わざるを得なかった。
このことが、“名もなき神”に対する興味を加速させた。
謎は謎を呼び、やがてすべてが同じ答えに帰結していく。
ヘレスとレーリアのこの姿。ヘレスの物言い。
……間違いない。俺自身が“名もなき神”だったのだ。
「俺は五つの神の魔法具を揃え、レーリアを退けた。そしておまえにも勝った、ということでいいのかな」
「はい、そのとおりです」
ヘレスは一度、さらに深く頭を下げると顔をぐっと上げ、しっかりと視線を合わせてきた。
「……」
エリスタールの神殿ではじめて会った時、この女は光り輝いていた。柔らかく暖かい、明るい空気を纏い、少しからかうような悪戯な口調で声をかけてきた。
「あなたの名前は、何というのでしょう」
ヘレスはあの時と同じように、わずかに首を横に傾け訊いてきた。
だがその顔に、あの時の神々しさは微塵も感じられなかった。主神ヘレスの顔をした、ただの女がいるだけだった。
「俺の名前だと?」
言ってから不意に、笑いがこみ上げてきた。
「は、ははははっ」
笑いはとめどなく溢れ、終わることがなかった。
……何でこんなに、笑いが込み上げてくるのかわからない。でも止められない。たいしておかしくもないのに、まるで怒りのように、哀しみのように終わることがない。
こいつは、いやこの女神は何と言った? 名前を教えろと?
──だから、言ったじゃないか。
まさか聞こえなかったのか?
最後の呪文を、「我は名もない神だ」と言ったじゃないか。
名もない、と。
空は雲が厚く、まだ夜が明けきっていない。海は暗く沈み表情がない。風はなく音もない。
この場所が、いま目の前にいる神々と戦ったあの島と本当に同じ場所なのか、いや違う。似た風景の、まったく違う場所としか思われなかった。
「俺は確か、名もなき神、と言ったのだがな」
ひとしきり哄笑すると、イシュルは皮肉に口角を歪め、低い声で言った。
……まあ、あれは自らの存在を宣言したのであって、確かに名乗ったわけではないんだが。
「とにかく、そんなことはどうでもいい」
イシュルはそこで視線を厳しく、表情を改めると続けて言った。
「悪いが俺は自分のことを、自分に何が起きたのか、よくわからないんだが? おまえたちは俺のことをどこまで知っている? これは、この結果はいったいなんだ? 何が起きた?」
イシュルは胸の前で腕を組み、深く嘆息するとヘレスを睨みつけた。
「まずはおまえの方から、説明してもらおうか」
「……わかりました」
ヘレスはほんのわずかの間、イシュルの眸を無表情に見つめると小さく頷いた。
そして片手を月神レーリアの方へ伸ばし、かるく横に振った。
「はい。……失礼いたします」
レーリアは頭を下げたまま、言い終わると一瞬で姿を消した。
顔も見せず、あっけなく消えた。月神は何も言わず、何の感情も見せず消えた。
「それでは、わたしたちの側から見た、あなたに関する一連の事案を説明いたしましょう」
ヘレスは感慨に浸るイシュルを知ってか知らずか、相変わらず表情の薄い、単調な口調で言った。
「事案、ね。いいだろう」
イシュルはレーリアから視線を逸らすと、肩をすくめ力なく頷いた。
……ここに来てこれか? 一体どこのお役所か、事務所か。“事案”ときたか。
もう、笑うだけ笑ってしまった。これ以上は意味がない。
「あなたがベルシュ村で生まれてからしばらく、一年ほど経過してから、わたしたちはあなたの存在の特異性に気づきました。あなたは統括者の特性を備えていました。監理官からの連絡が途絶えてから、三千公転周期以上経過しており、わたしたちはあなたの誕生、発見に歓喜しました」
レーリアはゆっくり、言葉を選びながら話した。
「ああ、……なるほど。何となくわかるような気もするが、監理官とか統括者とかは何だ? おまえたちは何だ? 何の話をしている? ……俺がよくわからない、と言ったのはそういうことだ。まずはここがどこか、地球なのか? おなえたちは何者か、そこらへんから説明してもらえるか?」
……ああ、最悪だ。多分、そうなんだ。これはたぶん胡蝶の夢とか、そういう話なのだ。
何となく、そんな気もしていたが。
心の片隅で危惧し、怖れていたことだ。ずっと目を背けていたことだ。
イシュルは小さく溜息を吐くと、がっくり頭を垂れた。
わずかに明るさが増したか、視力が戻ってきたのか。
俯いた目の前、地面の様子が視界を覆った。レーリアと戦う前と寸分違わない、自身のブーツの爪先と、砂まじりの岩肌や踏みしだかれた下草が見えた。葉先は朝露か、濡れてぼんやり光っていた。
……そうだ。これは、まごうことなき現実だ。
これのどこが、夢の世界なんだ?
今までの艱難辛苦はいったい何だったのか。死んでいった人びと、俺の家族は、リフィアやミラたちは、あれは夢なのか。
「馬鹿な。そんな筈ないじゃないか」
イシュルは呟くと顔を上げ、ヘレスを睨みつけた。
「最初から、わかるように説明しろ」
「はい、わかりました。……しかし、地球、ですか……」
主神はそこで一瞬、人間のような表情を見せた。戸惑うように視線を彷徨わせ、独り言のように言った。
「まず最初に、ここは“地球”ではありません。この星は地球型の惑星をモデルに、監理官の命令によってつくられた別の星です。この恒星系も、銀河も。そしてこの宇宙も……」
片膝をつき、下から見上げてくる女神の眸に明るい、細い光線が映った。おそらく黎明が、夜明けが近づいているのだ。彼女の眸に海原が、まだ暗い空が映り込んでいる。
茫然と、不審の声が出た。
「この宇宙、だと?」
「そうです」
対してヘレスは無表情のまま、あっさり首肯した。
「この宇宙は統括者によって無数につくられた、模擬実験用の実在宇宙のひとつです。わたしは監理官の命令により、この惑星を含む恒星系および周辺の星系を創造し、管理してきました」
ヘレスは視線を外さず、じっと見つめながら話し続ける。
「この惑星の環境や棲息する無数の生命も、わたしが主神として他の神々を創造し、彼らとともに創り出し、管理してきました」
「ちょっと待て」
イシュルは手を上げてヘレスの説明を遮った。
……話が飛び過ぎて、いや、名もなき神が実在するなら、これはありえる話か。
だが、それよりも……。
「とにかく、ここは仮想現実……その、誰かの夢とかじゃないんだな?」
動揺と混乱する心をぐっと抑え込み、絞り出すように言った。
……もちろん、これは夢とかじゃない。それは疑っていない。でも一度、しっかりと確認しておかなきゃならない。
「ええ、もちろん。この世界はすべて現実です」
ヘレスはそこで、この場ではじめて笑みを──人間のような表情を見せた。
「ふふ、それは荘子の、“胡蝶の夢”のことでしょうか」
「……」
イシュルは驚き、目を剥いてヘレスを睨みつけた。
「荘子、と言ったか」
……これで決定的になった。この世界に“荘子”を、“胡蝶の夢”の故事を知る者はいない。
いや、いないと思っていた。
この“女神”は明らかに俺と、地球と人類と関係がある。
「おまえが言っている“統括者”や“管理官”は、やはり人類のことなのか」
「そうです」
「なるほど、それなら確かに俺は、“名もなき神”だ」
「ただ、わたしたちの知る統括者は、基本的にはあなたの言う“人”とは違う存在ですが」
「それは……」
「統括者が人間であったのは、原始宇宙において──」
一瞬、ヘレスが止まった。その眸が宙を彷徨い、何かを考え、窺っているような仕草をした。
「遥か昔のことです。本惑星における公転周期に置き換えると、五千年以上になります」
「むっ」
五千年前? ってことは俺が死んでから五千年以上経ってからこの、進化した人類の子孫が創った宇宙に転生したというのか。
そんな馬鹿な。一体、どうなっているんだ? 何もかも、ちっともわからない……。
「……」
混乱し、動揺も露わなイシュルを見てヘレスは口を噤んだ。
「いや、いいんだ。続けてくれ」
心配そうなそぶりを見せるヘレスに、イシュルは胸を押さえひと息つき、落ち着きを取り戻すと先を促した。そしてふと、思いついたように言い足した。
「どうして人類はその、“統括者”という存在になったのか、そこら辺から説明してくれないか」
「……わかりました」
ヘレスもひと息間をあけ、イシュルにほんの一瞬、探るような目を向けるとゆっくり頷き、話を再開した。
「人類は今より遡ること五千年以上の昔、地球において、比較的短期間のうちに急激な進歩を果たしました」
ヘレスはまたそこで、ほんの少し間をあけた。どうやら何らかの理由で、慎重に時間をかけ言葉を選らびながら話しているように思われた。
「電子工学や生物医学など当時の先進技術を駆使し、個体間、集団間の意思伝達領域を級数的に拡大し、主要な政治的、社会的課題の多くを解決しました。結果、さらなる革新的知見を獲得し、自身の力で急速な生物的進化を果たしたのです」
「──意思伝達領域を、級数的に拡大?」
イシュルはヘレスの言を遮り、不審をあらわに言った。
「どういうことだ? もっと具体的に、わかりやすく説明してくれないか?」
……まあ、何となくわかるが……。
おそらく多数の人間の脳、というか意識が、ネットを通じて同時に、直接意思疎通することによって互いの理解が進み、誤解や不審、差別や偏見、諍いなど、さまざまな問題が解消されて……とか、そういうやつだろう。
人間どうしがすべてをさらけだし、理解し合うことができれば世界は平和になる──などという安直な理想主義など、今さら過ぎる与太話だが、科学技術の発達によってコミュニケーションの問題が解決する可能性は、確かにあるだろう。
ヘレスの言うような、電子的な仮想領域で進展する強制的な相互理解の結果、人類に壮大なカタルシスが訪れる、そんなことも将来起こるかもしれない。
「それは──あなたにも完全に理解できるよう解説し、すべての情報を開示することは禁じられています」
ヘレスはまた両目の焦点をぼんやりと彷徨わせ、わずかに間を起き考えるふうを見せるとそう答えた。
「これらの、あなたの生きた時代の後に起きた事柄の関しては、その開示に対し多くの制限が課せられているようです」
そしてある意味、決定的なことを付け加えた。
「いずれにしろ、現在のあなたの知性で、人類の進化と宇宙についてすべてを理解するのは不可能です」
「……」
まったくそのとおりだが、それでは話が先に進まない。
「そうですね、……可能な範囲で説明すると──当時、人類は技術的特異点(シンギュラリティ)の到来にうまく対処し、電子工学や生物医学を急速に発展することに成功しました。結果、それらの最新技術をもとに電子・生化学上の新しい仮想領域を創出し、その場において現実では不可能の高位、広域での個体や集団間における意思伝達を達成、相互理解を極限まで進めることにより、人間社会におけるさまざまな問題を克服していきました」
……おそらく、かなり不満そうな顔をしていたんだろう。ヘレスは少し困ったような顔をしてこちらを見、多少は詳しく説明してくれた。
前世で見聞きした、”シンギュラリティ仮説”という懐かしい言葉以外、相変わらず具体性皆無の内容だったが、それならその情報を“制限”している存在は何なのか。
「その禁止しているとか、制限しているのが、“統括者”と“管理官”か」
「そうです」
ヘレスは表情を消して小さく頷く。
「俺もその、“統括者”の一員なんだろう? それでも駄目なのか」
「あなたは統括者でも監理官でもありません。彼らの、古い系譜に連なる方であるのは間違いありませんが」
ヘレスは今度はよどみなく答えた。
……つまり俺は彼らのご先祖さまみたいなものだから、特別扱いはしてやるが、決して同じ待遇にはならないぞ、とそういう感じか。
「ふーん」
だが、まだまだ訊きたいことがある。疑問がある。
「確か、あんたらは俺の前世の記憶──生まれ変わる前の存在の記憶、意識に触れることも、見ることもできなかったんじゃないか? それなのになぜ、俺を“古い系譜に連なる”なんて言えるんだ? なぜ知ることができた?」
「その制限は、あなたが最後に唱えたあの“呪文”によって、解除されました。運命神の干渉を退けたことで今回のシミュレーションは終了し、結果、あなたに関する制限が解除されたのだと、わたしたちは考えています」
「なるほど」
……そうきたか。しかし、“考えている”というのがひっかかる。
なぜはっきりしないんだ? そんなにあやふやでいいのか?
「解除されたことで、あなたの蘇生も可能になったのです。このように、あなたに一定の情報を開示することもできるようになったわけです」
「解除されたとは? 管理者から命令がくるのか? ……単純に、触れることができなかったものが触れるようになった、中身が見れるようになった、ということか」
「そうです。あなたに関することは、おそらく監理官より上の統括者の専権事項と思われます」
「その監理官や統括者に会わせてもらえないかな。いや、そうか。確か──」
「もう三千年以上、監理官と連絡がとれないのです」
ヘレスはこちらを見て、すぐ言葉を付け足した。
「もちろん統括者とも。彼らはどこかに消えてしまいました」
「……なるほど。だから俺がこの世界、この宇宙のこの惑星に、“人間”として誕生したことに歓喜したわけか。また監理官やら統括者らとコンタクトできる、彼らが戻ってきたと思ったわけか」
「はい、そのとおりです」
それは自嘲か、ヘレスは微かに笑みを浮かべると話を続けた。
「わたしたちには彼らがなぜ、どこへ行ってしまったのか、それを調べる権限も能力も与えられていません。ただ待つしかないのです」
ふと、“わたしたち”という言葉が気になって質問する。
「その、わたしたちとは誰なんだ? あんたとレーリアらほかの造られた神々、いや“機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)”といったところか」
「レーリアたちはわたしが創造した、いわば眷属神です。わたしたちは統括者により生み出され、監理官の命令によりこの宇宙を創造し、現場で直接管理、統制している者です」
そこでヘレスは息を吐き、笑みを深くして言った。
「今、あなたと接しているわたしは、この恒星系、惑星の管理を担当する端末のような存在です。……デウス・エクス・マキナというのなら、それも間違ってはいません。ただ、わたしの方こそ、最初はあなたのことを“機械仕掛けで登場する神”と見当をつけていたのですが」
ヘレスはこちらの皮肉をしっかり理解して、やり返してきた。
「そんな筈ないだろう。俺は人間だ。機械仕掛けの神こそおまえらのことだ、俺にとってはな。おまえたちが、転生した俺の人生を誘導し決定したんだ、この結末を導いたんだ、違うか?」
“機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)”とは、その神の力を持って物事に対し無理やり、時にありえないような展開で決着をつける存在だ。
統括者や監理官、ヘレスと彼女の創造した神々、みな俺にとっては機械仕掛けの神そのものだ。
「そうですね、少し言い方を間違えたかもしれません。あなたの転生、誕生が統括者によって仕組まれたのなら、あなたという存在はわたしたちにとってもやはり、“機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)”なのです」
「まあ、その話はもういい。……次だ。あんたらの言う“統括者”とはどういう存在だ? 人類から進化して、彼らはどうなった?」
「統括者は、人間個人および集団間の様々な問題を解決した後、さらに多方面の科学技術を発展させ、自らの人工的進化に着手しました。人間拡張を進め、生命の本質を追及し、その必然性を損なわずに肉体を捨て、ある時代にはプラズマ化し集合自我を形成し、無数の形態を試行しました。現在は──あなたに開示できる範囲で説明すると──従来の炭素系生命体として人間になったり、プラズマ化したり変幻自在で、多数の宇宙や無限の時空を往来できる存在となっています」
「……なるほど、まさに神さまそのものだな」
思わず溜め息が、そして口許が皮肉に歪むのがわかる。
これらのことは大まかには、俺が生きていた時代にも一部の学者たちによって真面目に議論されていたことだ。
統括者だか監理官だか、情報の開示には制限がかけられているという話だが、俺程度にそんなことをする必要はない。遠い未来のことなど、どうせ理解できないことばかりだろう。たとえば石器時代の人間に鉄砲や大砲など見せても、それが何か理解できないだろう。実際に撃ってみせればその威力はわかるだろうが、原理など皆目見当がつかないだろう。
「多数の宇宙を行き来する、というよりこうして自ら創りだすこともできるんだろう?」
辺りを見回しながら言った。それから視線を落とし、自分の手のひらを見つめた。
「凡庸な旧人類の俺にはとても理解できる話じゃないな。もし連絡がつくなら、あんたみたいに直接話したかったが」
「……」
無言で頷くヘレス。
「だが、彼らと話せなくとも、どうしても訊きたいことはある。次の質問だ」
顔を上げ、あらためてこの惑星の創造神を見下ろす。
「なぜ統括者はこの宇宙を造った? 俺は? 俺を転生させたのがその統括者、人類の成れの果てとして、なぜ俺をこの世界に生まれ変わらせた? 時空を超越する存在なら、そんなこともできるわけか? ……そしてなぜ俺が選ばれた?」
そこまで言って思わず唾を飲み込む。間を空けて、どうしても知りたかったことを質問する。
「おまえたちは、転生した俺のこれまでの人生に、どれくらい介入した?」
レーリアは俺自身に触れることはできなくとも、俺の行動には時に露骨に干渉してきた。そうであるなら、彼女は俺の知らないところで一体、どれだけのことをやってきたのか。
「……」
ヘレスも間を空け、両目を大きく見開き俺を見つめ返してきた。
その眸に、暗い影となった自分の顔が映り込む。
「そうですね、……統括者が文字どおり“神”のような存在になったのは、自らを進化させ、同時にさまざまな科学技術を急速に発展させたことにあります。その最初の契機となったのは素粒子などの解明が進み、当時の物理学や量子力学などの矛盾が解消され、……時空の成り立ちが明らかになったことです。このことが人類の進化、発展をさらに加速させることになりました」
ヘレスはまた説明を途中で区切り、言葉を慎重に選ぶ、あるいは表現する言葉を探すふうな様子をみせた。
「時空の仕組みを知り、制御できるようになった統括者は、さまざまな実験を行い、試行錯誤を繰り返しました。この宇宙もそのひとつですが、本宇宙が具体的にどのような目的で生成されたか、その理由などの事項はわたしたちに開示されていません。わたしたちに、そのことを調べる権限も能力も付与されていません」
そこでヘレスはなぜか、薄っすらと笑みを浮かべた。
「この宇宙、この惑星上では、その目的はわかりませんが、監理官によって幾つもの──おそらく模擬実験のようなものが行われてきました。そのなかには、わたしたちの推察できる範疇において、ゲーム性、娯楽性を感知できる事案もありました」
「……」
ヘレスの眸の奥を、探るように見つめる。
どうせ、何もわからないだろうに……。
「俺の転生も、その“事案”のひとつだったわけか」
……長らく統括者や監理官の接触が途絶え、久しぶりに彼らから何らかの動きが観測された。それが、俺の誕生だったわけだ。
「で、おまえたちは俺の人生にどこまで介入した?」
まさしく俺は、神の手のひらの上で踊らされていたわけだ。彼らの娯楽だったか、何かの余興か。
「あなたの存在、行動に関することでは、過去の事例から察するに幾つかの規定がありました。あなたの誕生は前もって我々には知らされず、慎重に対処することが求められました。わたしはレーリア以下の眷属神にあなたに干渉しないよう厳命し、しばらく観察するにとどめました。その間、あなたが風の魔法具の所有者レーネと接触し、彼女からその魔法具を奪った出来事は、まさしく驚嘆すべき重大事でした」
ヘレスはそこで言葉を切り、視線に力を込めて見つめてきた。その眸に強い光が灯り、激しく揺れ動くのが見えた。
「しかし、このような事態になっても、監理官からは何の連絡も、接触もありませんでした。こちらからの呼びかけにも何の反応もありませんでした。わたしははやるレーリアやイヴェダをなだめ、もうしばらく監視を続けることにしました。それから数年、ラディス王国のベーム辺境伯やブリガール男爵が動き、ベルシュ村で虐殺事件が出来(しゅったい)、続いてあなたが復讐に乗り出したことで、これ以上看過できないと判断、監理官の通達を待たずに模擬実験遂行を決断しました」
「模擬実験か。俺の場合も、シミュレーションだったわけか」
今までに起きた無数の出来事が脳裡をかすめる。あれらはつまり……。
「脚本みたいなものか。そうか、台本があって、そのとおりにシミュレーションを行った、ということか」
「そうですが……、あなたの考えていることとは少し違うと思いますよ」
ヘレスはやや口端を歪め、首を横に振りながら言った。眸に浮かんだ強い光は、瞬く間に影を潜めた。
「統括者がこの星に人間として転生し、何らかの事案を試行し実体験する──そこにはあなたの考えるような既定の筋書き、物語は用意されていません」
「そうなのか? 本当に?」
あらためて自分の、これまでの半生を振り返ってみる。
あれは冒険譚ではあったかもしれないが、正真正銘の悲劇だった。いったいどれだけの辛苦を味わってきたことか。
神の魔法具の力が本物なら、俺が家族を、故郷を失ったのも厳然たる事実だ。
「おまえたちが、ベルシュ村の悲劇に加担していないのはそうだとしても、俺の行く手を阻み、邪魔しながらも挑発し、五つの魔法具を入手させ、この島まで誘導してきたのは確かだ」
「そういう意味ではありません。どの模擬実験にも何らかの設定が組み込まれていますが、そこに娯楽性はありません。物語性は設定されていないのです」
「ああ……」
つまりヘレスは、いやこの“端末”は、転生して今まで俺の身に起きたことはゲームや映画、漫画や小説の主人公のようにその台本、物語を単純にシミュレートしたものではない、と言っているわけだ。俺の経験してきたことは、例えば、“悲劇を乗り越え英雄になった物語”のシミュレーションではない、ということだ。
「あくまで実験、ということか」
……でも、なぜあれが実験になる……?
「模擬実験、というより試行、といった方がより的確な表現でしょうか」
「どちらも似たような意味だろう」
「わたしたちに開示されている統括者の情報は、それほど多くありません。あなたに開示できる情報はさらに少ない。あなたに理解できる事柄でないと、お話ししても意味がありませんし」
ヘレスは一端視線を外し、遠くの方を見て言った。
「たとえばあなたは、自分の生きた時代より何千年、何万年も前の人々がどんなことを考え生きていたか、わかるでしょうか?」
「……ふむ」
「興味が湧きませんか?」
「まあな」
……千年前だろうと、一万年前だろうと、変わらないものは変わらない。俺なんかよりはるかに賢い、人格者もいたろう。それは当たり前のことだ。
だが、例えば当時の彼らは、どんな世界観を持っていたろう。どんな感性を持ち、何を想ったろう。同じ空を見て、山を見て……俺と同じことを感じ、考えたろうか?
俺がこの世界に転生し、風の魔法具を得て独自に魔法を使おうとした時、最初に考えたことは、小説や漫画で描かれたいかにもそれらしい魔法よりも、前世の自然科学や力学などの、中途半端な知識を生かすことだった。空想上の、非現実の魔法の使い方より、前世の科学に裏打ちされた概念によって魔法を使う方がより確実だと考えたのだ。
まさしく本物の“神”、いやそれ以上の存在になったかもしれない“統括者”にとって、俺の生きた時代の人類がどんな存在だったか、それは非常に興味深いものだろう。
いくら彼らでもはるか昔の祖先、人類がどんな存在だったか、すべてを知ることはできない筈だ。
巨視的と言ったらいいのか、例えば生命活動において不可逆性は絶対だろう。人間の営み、社会活動、そんなものが可逆であるわけがない。
時間旅行は未来には行けても過去には行けない。
「まあ、俺のそこらの学問的知識なんて皆無、に等しいからな。確実なことは何も言えないが……」
「?」
考え事を呟いていたか、ヘレスが首を捻って訊いてきた。
「何か、おっしゃいましたか」
「いや、待てよ」
……不可逆であるなら、俺はどうして転生した? 俺が死んだのは人類の進化以前、ヘレスの言うところの“統括者”が誕生するはるか昔のことだ。俺を転生させたのは彼らではないのか?
「おかしいな。おまえの言うとおり、統括者が遥か昔の“人類”のことを知りたくて、この宇宙を、この世界を創造しシミュレーションしているのなら、彼らは時間遡行できない筈だ。俺をこの地球によく似た星に転生したのは誰だ? 統括者ではないのか?」
「……」
ヘレスは同意するように頷き、寂しげな笑みを浮かべた。
「先ほどもお話したとおり、わたしたちに開示されている情報、あなたにお話しできる情報は限られているのですが……」
彼女はそこで言葉を切り、少し考えるふうな仕草をした。
「そうですね。たとえば統括者は時空を自由に往来し、制御できる存在で、原始宇宙の過去へ遡行できたとしても、そこで同様に何でもできる存在ではない、過去の世界では自由に干渉できない、という考えはどうでしょう」
「タイムパラドックスのことか? それなら知っているが」
「時間遡行が可能になった時点で、時間の逆説(タイムパラドックス)は発生しないことが確認されました。過去に干渉するとその事象は従来の時間軸から外れ、消失し、観測不可能になるのです──が、わたしの言いたかったことは違います」
「ん? 何だ?」
「時間遡行が可能であることと、その遡行先で何ができるかはまた別の話です。……そうですね。たとえばこの三次元で、わたしたちは空間を認識し、移動することができますが、鳥のように空を飛んだり、地中深く潜ったり、地上を音速で移動したり、何でもできるわけではありません」
ヘレスはそこでバツの悪そうな笑みを浮かべ、「ああ、今は魔法のことは忘れてください」と続けた。
「それは、そうした機械──技術があれば可能だろう」
「そうです。つまり統括者は遡行先で何でも自由に行動し、タイムパラドックスを自らの力で制御できる技術は今のところ持っていない、というように解釈されます」
……えーと。
気づくと顎に手をやり、さすっている。
「ふむ。今ひとつよくわからないんだが、それが俺を転生させることと、どうつながるんだ?」
「まず第一に、あなたが前世で命を落としたことに、統括者は関わっていないということ、それから──」
ヘレスは視線に力を込め、真剣な口調で言った。
「気を確かに、落ち着いて聞いてください。第二、二つ目は、同様に死んだあなたの存在を丸ごと、そのままこの世界に転生させたわけではない、と思われることです」
「ん? それは……」
この女神はいろいろと制限されているからか、言い方がまどろっこしい。わかりにくい。
「統括者は、あなたの生命そのものをこの世界に転生させる能力を持っていない可能性がある、ということです。あなたは先ほどお話したとおり、太古の、過去の存在だからです。万能とも言える統括者であっても、過去の事象に問題を起こすことなく干渉し、あるいは改変することは困難なのです」
「つまり──」
思わず唾を飲み込む。さーっと首から下へ、血の気が引いていくのがわかる。
「俺は、あの時死んだ“俺”自身ではなくて、統括者によって再現された、ふ、複製品みたいな存在なのか」
「それは、いえ」
ヘレスは迷ったふうに一瞬口を噤み、だがそこから語気を強めて言った。
「あなたは生命には魂が存在すると思いますか?」
「いや……」
脱力感と妙な緊張感が同時に襲ってくる。
……怖ろしい想像だ。本物の俺はあそこで、地下鉄のエスカレーターで、すでに死んでいたのだ。
今の俺はそのコピー品というわけだ。確かに俺は生きている。ひとりの人間だ。だが厳密に言うと、あの時死んだ“俺”と同一の存在ではない……。
「魂というものは存在しません。物質としても、それに紐づけられる情報としても、です。お話しできる範囲で説明すれば、人間の生命とは自意識と記憶、そして肉体です。生命の本質とは峻別すれば、自意識と動因なのです。あなたはその要件を完全に満たしています。一時的な断絶があったとしても、記憶と意識、動因が変わらなければ、同一の生命と見なしてよいのです」
「ぐっ」
ヘレスは険しい顔で、力を込めて言い切った。彼女の勢いに思わず首を窄め、後ろに仰け反る。
「たとえば、心臓が止まった人間を蘇生したら、その者は一度、死んだことにならないでしょうか? 意識を失い昏睡状態に陥った人間が、再び意識を取り戻し目覚めたら、その者は一度死んだことにならないでしょうか? あなたの場合も同じようなものです。前の人生、世界の記憶を持っているのなら、自分の意識が連続していると思うのなら、それで十分、気にする必要はありません。あなたは、あなたです」
「……」
なんだかうまく言いくるめられたような気もするが、この造られた女神の言い分も一理ある。
真実はいずれか、それは俺にわかる話ではない。
「まあ、気分は少し楽になったかな。ところで」
蹲るヘレスを見下ろし、気を引き締めあらためて問う。
「俺をこの世界に転生させたのはおそらく統括者で、だがその統括者とも監理官とも、相変わらず連絡が取れず所在もわからないと、そういうことだな?」
「そうです」
ヘレスはにっこり笑って頷いた。
……やっと元の話に戻ってきたか、そう言いたげな顔をしている。
「それで俺がブリガールを殺したところで、統括者によって決められていた模擬実験の規定に従い、俺の行動に介入しはじめた、ということでいいな?」
「はい」
「模擬実験の内容、というのはほかにもいろいろあるわけだ。この星、この宇宙は統括者の実験場として造られたんだものな」
「そのとおりです」
ヘレスは機嫌良さげに柔和な表情で、しっかりと何度も頷く。
「俺にはやはり、ここはその本物の神さまの遊技場、遊び場に思えるんだがな」
「……そうかもしれません。でも、仮にそうだとしても、わたしたちは何もしようがありません。統括者の意図すること、すべてを知ることはできないのです」
「ふむ」
……まあ、またその話をぶり返してもしょうがない。
「俺が“名も無き神”を名乗ったことで、俺が統括者側であることがはっきりした。直後、俺は死んだ筈だ。そこでなぜ、おまえは俺を助けた? 生き返らせた?」
「それは、あなたもわかっているのではありませんか」
ヘレスはまたにっこり笑って言った。
「あなたが統括者だと名乗ったことで、事実上、模擬実験はその時点で終了しました。あなたを殺すわけにはいかず、すぐに蘇生し、こうして今までのことを説明しているのです」
「シミュレーションは終わったわけだ。じゃあ、あとはもう、俺はお役御免だな? もう俺の人生に干渉するのはやめてもらおうか」
「はい、一応は」
ヘレスの表情は変わらない。
「一応?」
「わたしたちに知らされ、許可されているシミュレーションは終わりましたが、統括者による何らかの実験はまだ、続いているのかもしれません」
「……そうか、なるほど」
俺を転生させた連中はまだ何かを、今この瞬間も実験とやらを続け、観察しているのかもしれない。何もせず、俺がどう行動するか観察するだけでも、彼らにとってそれは確かに実験と呼べるものだろう。
「ですから、あなたの監視は続けさせてもらいます。監理官、そして統括者と接触するために、あなたはわたしたちにとって、大きな希望なのです」
消炭色にくすんだ暗闇は黎明が近づくにしたがい薄れていき、幾重にも連なる雲間に薄い、微かな切れ目が見えはじめた。
「あなたも、五つの魔法具を揃えたらどんな願いも叶えられる伝承は、ご存じでしょう」
「ああ」
長い間座っていた神殿の敷石から立ち上がり、わずかに見えるようになってきた水平線の方へ目をやる。
「何か望むものはありませんか? ベルシュ村で亡くなったあなたの御両親、お友だちを生き返らせましょうか? それともあなたもわたしたち神々の列に並びますか?」
「いや、それはいい。ベルシュ村のみんなが死んでもう何年も経っている。みな生き返らせたらどうなる?」
「ふふ、そうですね」
ヘレスは寂しそうな笑みを浮かべ言った。
「よくお気づきです。蘇らせるのなら彼らの亡くなった場所、埋葬された場所になります。もうだいぶ時間が経っていますから、いきなり生き返らせたら現場では混乱するでしょう。生き返った者たちも、戸惑い、皆が皆喜ぶか、それはわかりません」
「だろうな」
「ただ、再生にはもうひとつ別のやり方もあります。あなたと関係するラディス王国の人々を、ベルシュ村の方々が亡くなる以前まで、疑似的に時間を巻き戻すのです」
「はっ? それは?」
「実際に時間を巻き戻すわけではありません。あなたと関係する人びと、亡くなった方々の関係者を中心に、大きな矛盾が起きない範囲まで、指定の時間の状態を再現し直すのです。あなたとこの大陸の多くの人々が、ベルシュ村の虐殺事件の起きる以前の状態に戻ります」
「そんなことが……。それじゃあ、俺は」
「あなたはエリスタールのフロンテーラ商会で働きながら、賞金稼ぎを目指していたころにもどされます。ベーム辺境伯もブリガール男爵も動かず、ベルシュ村の虐殺も起きません」
「そ、それは、……じゃあ、マーヤやリフィアたちと会うこともないわけか」
「同じような出会いは起きないでしょう。ただ風の魔法具を持っているのなら、あなたはいずれ諸国の王侯貴族らと面識を持つことになるでしょう」
「そういうことか」
……それでは彼女たち、ペトラやミラ、ニナともいつ会えるか、いや、二度と会うこともないかもしれない。
「いや、わかった。家族も、村の連中が死んだのも、その原因の一端は俺にもあるが、そんなたくさんの人の生死を俺ごときが決めていいもんじゃない。人の死をそう簡単になかったことにすべきではないだろう。たとえおまえたちにつくられた存在であろうと、彼らは、俺も、明らかに人間なのだ」
「……」
ヘレスは無言で眸を細め、笑みを深くして頷いた。
「俺の願いは決まっている」
真正面から女神を見つめる。
彼女は今は、少しずつあの不思議な輝きを纏いはじめていた。
この世界の本物の神に、元に戻る時間が近づきつつあるのだ。
「俺とともにレーリアと闘った、ミラとリフィアを生き返らせて欲しい」
……俺が生き返ったのに、一緒に戦ってくれたふたりが死んだままなのはおかしい。
しかも、俺より少し早かっただけで、死んだ時もほぼ同じだ。
「あのふたりの少女たちは、あなたと同じ扱いになります。このあと生き返って、無事再会できるでしょう。ほかにありませんか?」
……ふふ。
思わず心のうちで、笑ってしまう。
あるさ。小さな、在り来たりな願いが……。
「じゃあ、頼めるかな。もうひとつ、あるんだ」
黎明の、創世の時が終わろうとしている。
夜が明け、雲間から陽光が海原に落ちている。天使の梯子、薄明光線だ。
そして、海から稜線を渡って風が吹いてくる。
「あっ」
背後の、頭上から少女の声が聞こえる。
「イヴェダ神」
瞬きする間か、気づくと数歩先、山の稜線に風の女神が立っていた。
銀製の細いバンドで留められた金髪の先が、吹く風にさらさらとなびいている。
神話時代の古いトーガ―の着こなしは、大聖堂に降臨した時と変わらない。
「イシュル、我が愛しい風の子よ」
イヴェダが心なしか、眸を潤ませ声をかけてきた。
「ヘレスも言っただろうが、わたしの魔法具はそなたの、ベルシュの風の神官の血としっかり結びついている。今さらそなたから引き剥がすことはできぬのだ」
「あ、ああ」
ヘレスに願いを聞いてもらい、別れ際、五つの魔法具の返還を申し出た。
彼女は俺の胸元に手を差し伸べると火、水、土、金の魔法具を順に、引き抜いていった。
特に痛みも、何の感覚もなかった。ただ、彼女の手がそのたびに明るく輝いた。
だが、風の魔法具は俺の肉体や精神とも深く結びついて、無理やり引き剥がすのは難しいと言われた。そして彼女は「これからも、風の魔法具とともに生きていくべきだ」と言った。
「そなたはこれからも生涯、風の魔法具を背負って生きていかなければならない。そなたの今際の際にでも、わたしが回収しに来よう」
イヴェダは笑みを大きくし、続けて言った。
「これからも幾たびか、そなたを苦難が見舞おう。その時は必ず、風の魔法具が大きな力になる筈だ」
そして彼女は、俺の後ろに浮かぶ少女を見上げ、皮肉にわずかに口端を歪めた。
「まあ、そのレーリアのつけた精霊がいたら、たいていの難題は解決するだろうがな」
そう、ヘレスと別れる前に月神レーリアが再び現れ、今までのお詫びに、そしてこれから俺の守護にと、専門の精霊をつけてくれたのだった。
俺は彼女の申し出を断らなかった。そのレーリアが差し出した精霊、運命の精霊はあの、メリリャの姿をしていた。正確には生前、メリリャだったまだ若い、子どものころに戻った幼い精霊だった。
俺は彼女と契約し、生前と同じメリリャと名付け、自らの守護精霊としたのだった。
「ええっ、なに?」
イヴェダと一緒に精霊のメリリャを見ると、彼女はあたふたして少し上ずった声を出した。
今までに例のない、希少な精霊の彼女は幸か不幸か生前の記憶がなく、俺に対し特に隔意もなく従順なふうに見えた。
そして月神の精霊として、契約者を中心に運命の、物事の蓋然性を一定の範囲で操作できる力があるとのことだった。
つまり俺の周囲で起きた、起こり得る事象の結果をそれなりに操作、改変できる──まさにレーリアの持つ力の一部を、使うことができるようになったわけだ。
イヴェダはメリリャから俺に視線を戻すと、柔らかな笑みを浮かべ、
「それでは達者でな。わたしもおまえを見ているぞ。何かあったら呼んでくれ」
そう言ってふっと、稜線を吹き上がる風とともに姿を消した。
まだ無口で、ぼんやりしている月の精霊とともに山を下って行く。一歩一歩、進むごとに帆差しが、風が強くなっていくような気がした。
途切れることのない潮騒の音が、潮の香りと陽に焼けた草の匂いがした。岩や土塊の硬い、そして草叢の柔らかい感触が踏みしめる足裏に伝わってきた。
……長い間抱いてきた不審や疑問、それらの多くは解決したものの、新たな疑問も加わり、すべてが解消されることはなかった。
死んでしまったひとたちもそのまま、自らの罪も消えることはない。今まで戦ってきたこともただの自己満足と言ってしまえばそれまで、すべては無意味だったのかもしれない。
今はまだ神々との戦いに、彼らとの対話に興奮し、高揚感に包まれている状態だが、いずれ徒労感に苛まれることは間違いない。
結局何も変わらず、今までと同じ己の罪科(つみとが)を背負ったままだ。だからといって今さらヘレスらを信仰することなどできない、彼女らに縋ることはできない。名も無き神は俺の子孫だが、その正体は皆目見当がつかず、どこにいるのかわからない。
ならばこの苦渋は、自分自身で何とかしなければならない。解決できないなら、せめてその罪を、哀しみを忘れず抱いて生きていくしかない。
「……」
契約精霊となったメリリャが、そっと心を寄せてくるのがわかる。振り返って彼女に微笑みかける。
メリリャも無言で、微かに笑みを浮かべた。
気を取り直して前を向く。尾根伝いにゆっくりと、もと来た道を歩いていく。
やがて行く手に、山稜にそってふたりの女騎士が並び立っているのが見えた。
「お帰りなさいませ」
「終わったんだな」
ふたりの傍まで来ると、ミラとリフィアはそれぞれ花のような笑みを浮かべて言った。
「うん、ありがとう。そして、ただいま。ふたりとも、どこか悪いところはない?」
ふたりは明るい声でどこも悪いところはない、元気いっぱいだと答えた。
リフィアとミラはまさしく今この瞬間、生まれ出てきたように清らかで、眩しく輝いて見えた。
「ところで、その後ろに浮いている女の子は……」
「ああ、彼女は月の精霊で──」
メリリャの説明からはじまり、ヘレスが言葉を選んで俺に話したように、ふたりにも話す内容を慎重に選び、説明しながら山を下り、この島に上陸した小さな入り江に向かった。
「それで、イシュルが主神にお願いしたことは何なんだ?」
「ああ、えーと」
わずかな間だが、躊躇して言葉が途切れる。少し、説明しにくいところがあった。
「それは、……“記憶”だよ。両親のエルスとルーシ、弟のルセルの顔と声、一緒に過ごした頃の、幾ばくかの記憶だ」
本当を言うと、生前の加納耕一だった頃の妻と子どもたちの分もだ。
ヘレスにとっては簡単なことだったろう。俺の脳髄の奥深くに眠る記憶を探り出し、再生すれば、忘れてしまった記憶の多くを以前のように思い出すことができる。
ベルシュ村の家族のことはまだしっかり憶えている。だが、この先十年、二十年となったら
どうなるだろうか。どこまで鮮明に覚えていられるだろう。
ましてや前世の妻と子の思い出はどうか。今でも憶えていることはたくさんある。しかし彼女らの顔を、声を、その仔細な記憶は年々失われていく。
ヘレスにはその記憶の再生をお願いしたのだ。この、新しく更新された記憶もまた何十年も経てば失われてしまうかもしれない。だが、見方を変えればその、何十年もの長い時を再び、得ることができたとも言えるのだ。
それは自責と悔恨、苦渋と悲哀を抱き続け、自らに課すのに十分な時間でもあろう。
「そうか……」
「イシュルさまらしいですわ」
自らの経験に当てはめたか、神妙な顔になるリフィア。
こんな時も、いつもと変わらぬ賢明なミラ。
山を下るにしたがい、潮騒が、風が、流れる雲が、陽の光が近づいてくる。
どこかで鴎(かもめ)か、海鳥の鳴き声も聞こえてきた。
「帰ってきたんですね」
「ああ」
ふと後ろを振り返ると、草叢と岩肌に斑に覆われた稜線が、北方へ続いている。
遠くにあの小さな神殿、祠が見えた。
メリリャもつられて後ろを振り向く。
名も無き神、この地の神々が統括者と呼んだ存在。彼らがこの世界で試行し、求めているもの──そのひとつが、時とともに失われていく感情の記憶、惜別の情ではなかったろうか。
しばらくみな、無言で山を降りて行く。
陽が昇り、雲が遠く離れ、吹き上がる風に暖気が感じられるようになってきた。
「ヘレスやレーリアと別れる時、俺は挨拶代わりに言ってやったんだ」
イシュルは何気なく、あるいは無言の間を嫌ってか、そんなことを口にした。
「ん? 何だ?」
「なんでしょう」
リフィアとミラが振り向き、訊いてきた。
「それは──」
「おっ」
イシュルが答えようとした時、リフィアが突然、驚いた声を出して前方、下の方を指差した。
目指していた小さな入り江、そこに見慣れない、二本マストのスクーナーが停泊していた。
そして手前の砂浜には、乗ってきた一本楼のスループに小舟が一艘、そして簡易テントが、さらに十名近くの人の姿が見えた。
「あら、ニナさんと、あれは……」
「なぜだか、マーヤ殿の姿も見えるな」
それだけではない、ロミールやルシア、メイドのセーリアとノクタの姿もあった。スクーナーの船上には数名の船夫たちの姿も見えた。
……どうやら島に上陸してひと晩か、それとも数日か経過していたらしい。
マーヤまで追いかけてきたのか。
「おーい」
リフィアが大声を上げ、伸び上がるようにして手を振った。
砂浜にたむろしていたマーヤやニナたちがこちらに気づき、砂浜を駆けてくる。
……ヘレスに言ってやったこと、それをミラたちに話すのはまた、今度にしよう。
俺にとってそれはたいして重要ではない、ささいなことなのだ。
失くしてしまったひとたち、今、周りにいるひとたちと比べれば、それは全然たいしたことじゃない……。
イシュルは砂浜の方を見て笑みを浮かべ、ついで涙を浮かべると、ふと宙に浮くメリリャを振り返った。
少し驚いた顔をして、砂浜の方を見ている。
「帰ってきたんだ、本当に」
イシュルはそう呟いて、自分も手を上げ振りはじめた。
砂浜のひとたち、マーヤもニナもみんな、村を出たあの日のメリリャと同じ、大きく高く、手を振っていた。
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