潜入 2



 イシュルは城前の広場を去ると、人気のない裏道を選び、時には建物に上り屋根伝いに歓楽街の方へ向かった。

 行き先は歓楽街の情報屋、ツアフのところだ。村で遭遇した騎士団の平騎士から、ベルシュ村で何が起きたかおおよその内容は把握できたが、この街にいるベルシュ村出身者がどうなったのか、ほんとうに男爵に捕われ尋問を受けているのか、男はセウタの屯所詰でエリスタールの事情をあまり知らず、しっかり確認することができなかった。

 まずエリスタールでベルシュ村出身の者がどうなっているか、正確な情報を得る必要があった。

 ブリガールによって、彼らが拘束されるなど何らかの危機的状況におかれているのなら、イシュルは同じ村の出身として、その一因となった当時者のひとりとして、彼らをその危機から助け出さなければならなかった。

 知りたいことは他にもたくさんある。辺境伯は具体的に、公式にどんな命令を男爵に下したのか、単に依頼程度のものだったのか。今、男爵は何をしているのか、男爵の今後の動き、王家の動向、そしてエリスタール城内の居館や獄舎の間取り図や、城に秘密の抜け口があるかなど、もし知ることができるのならそれらすべてのことを知っておきたかった。

 そしてエリスタールでもそろそろ収穫の祭が行われる。お城でも街の名士たちが招かれ、男爵主催で宴が催される。その宴には街の各ギルドの代表、有力な商人や地主、周辺の小領主や貴族の代理、その家族などが招かれる。今年はベルシュ村の事があったから行われない可能性もあったが、イシュルはその男爵主催の宴が行われるのか否か、行われるならその日取りを知りたかった。


 男爵家の収穫の宴に乱入し、街の有力者らの面前で男爵の人非人ぶりを晒しあげ、殺す。

 収穫の宴を復讐の宴にかえてやる。

 いつ復讐を果たすべきか、イシュルはすでにねらいを定めていた。

 

 イシュルは歓楽街の中心に近いところにある、かつてエレナがいた大きな娼館の屋根に上って、目の前の通りを見渡してみた。

 今は一番街が賑わう時間帯だが、やはり人出は少ない。通りは呼び込みが増えたせいか、賑わいが衰えた感じはあまりしないが、客自体はあきらかに減っている。

 男爵側の見張りが混じっていないか、しばらく上から通りを観察したが、イシュルにはよくわからなかった。あまり警戒しても、こちらの経験や能力に不足がある。魔法を使えるような者でないかぎり、怪しい者を見極めることは彼にはできなかった。

 イシュルは娼館の屋根から、通りの向かいの建物の屋根に飛び移り、そのまま屋根伝いにツアフの情報屋がある裏道に向かった。

 表通りから奥に入った裏道はあいかわらず壷や椅子、布切れの束などが道の左右に積み上げられ、暗く人気がなく、静かだった。表通りの街のざわめきが、小さく遠く、まるで別世界から聞こえてくるように感じられた。

 ツアフの店の扉に近づくと、中にツアフの他にもうひとり、ひとの気配を感じた。どうやら先客がいたようだ。その客は何か叫んでいるようで、扉の向こう側から緊迫した空気が伝わってくる。客は扉の方へ近づいてきて、また何か叫んでいる。微かに聞こえ始めた高い声音からすると、ツアフに叫んでいる客は女のようだ。

 イシュルが店の前から離れようとすると、いきなり扉が開き、乱暴に閉められて、女がこちらに向かってきた。泣いているのか片手を目鼻に当てて、イシュルにぶつかるようにして走ってきた。

 扉から出て来た女はまだ若く、夜の歓楽街にはそぐわない地味な服を着ていた。日中、街中でよく見かける平凡な街娘、といった感じだ。

 なぜこんなひとがこんな所から?

 イシュルは一瞬呆然として向かってくる女をよけきれず、ぶつかりそうになった。

 女が顔をあげる。

「あっ……、ごめんなさい」

「!?」

 イシュルに顔を向けてきた女は、傭兵ギルドで事務をしていたツアフの娘、モーラだった。




「イシュルも父さんのお店のこと、知っていたのね」

 川面に映る街の灯が揺れている。

 川縁の石垣に座るモーラと、傍らに所在なげに佇むイシュルの姿も歪み、揺れている。

 ふたりの間には、間の悪い、なんとも言えない微妙な空気が流れていた。

 あれからふたりは歓楽街から、街の中心部を流れる川の河岸に出てきた。イシュルはあまりこんなところに長居をしたくない。さきほどからちらちらと左右を見て、怪しい者がいないか警戒していた。

 モーラの問いに、どう答えようか。嘘をついてもしらじらしくなるだけだし、今さらごまかしようもない。観念して「はい」と、正直に答えようとした時、決まりの悪そうな表情だったモーラの顔が、あっ、と何かに気づいたような驚きと困惑の表情に変わった。

「ベルシュ村があんなことになったから、……それで父さんの所に来たのね」

 彼女も傭兵兼なんでも屋のギルドで事務をしているのだから、ベルシュ村で起きたことを当然知っているだろう。そして、イシュルがベルシュ村の出身であることも。ギルドに登録するとき、生まれや出身地を記入する欄はなかったが、ゴルンと練習試合をした時に、イシュルがベルシュ村の生まれであることは耳にしていた筈だ。古いつきあいだから、おそらくフロンテーラ商会のセヴィルも同じ村の出身だと知っているだろう。セヴィルがフルネを伴ってエリスタールを脱出したことも耳にしているかもしれない。

「ええ」

 さて、どうごまかすか……。

「男爵さまが村を焼き払ったって聞いてるけど、うまく逃げて助かってる村人もたくさんいると思うわ。だから……」

 そこでモーラは顔を歪め、言い淀んだ。

 モーラの気持ちはなんとなくわかる。村の惨状を考えれば、下手な慰めなど逆効果にしかならないだろう。

「でも、危険な真似をしたら駄目よ。気をしっかり持って、冷静に」

「大丈夫、わかっています。情報を集めたら、またフロンテーラに戻りますよ。セヴィルさんも逃げてきてるんで。ゴルンさん達が帰ってきたら、詳しい話でも聞いてください」

 モーラに最後まで言わせず、イシュルは遮るようにして言った。

 赤の他人といっては何だが、村の出身でもない彼女にあまり気苦労をかけたくはなかった。もうこれで彼女とはこの話は終わりにしたい。男爵に復讐するために戻って来た、なんてことももちろん言えないし、

勘ぐられたくもない。 

「そうね……」

 彼女は静かに頷いた。

 ふたりはしばらくの間、無言で川面を見つめた。

 イシュルがそろそろモーラと別れて、もう一度ツアフの店に行こうかと考えはじめると、気を使ったのか、モーラが話題を変えてきた。

「それで、あの店でもう父さんに会った?」

 話題を変えるというより、それは彼女がイシュルに一番聞きたかったことかもしれない。

 イシュルが無言で頷くと、モーラの顔に一瞬、当感と自嘲、そして苦悩の入り混じった複雑な表情が浮かんだ。

「父の格好、おかしかったでしょう?」

 モーラは微かに笑みを浮かべて言った。

「あれはね、わたしが小さい頃に死んだ、母なの」

「は?」

「父さんはね、夜になると、あの部屋に行って、わたしの母さんになるのよ。わたしの母は、生前、情報屋をしていたの」

 モーラはイシュルに問われるまでもなく、身の上話を語りはじめた。

 モーラの話は以外なものだった。


 モーラの母、ステナは、オルスト聖王国の西北の要衝、テオドールの、老舗の高級娼館を経営する家の末娘として生まれた。

 テオドールはラディス王国とその南のアルサール大公国の国境近くにある。そしてオルスト聖王国とアルサール大公国とは昔から対立関係にある、いわば仇敵どうしであった。

 アルサールはその勢力を中海に伸ばそうと南の都市国家群を圧迫し、聖堂教会の総本山を抱える聖王国は対岸の異教の大陸、ブルガへの布教に取り組む聖堂教会を助け、その足場となる沿岸の都市国家群と友好関係を維持してきた。このことが長い間、両国に根深い対立を生んできた。

 そのアルサールは一方でラディス王国とは同盟関係にある。故にラディス王国も聖王国とあまり良好とは言えない関係にあった。ただオルスト聖王国と聖堂教会とは一心同体と言ってもいい密接な関係にある。聖王国にはラディス王国はもちろん、敵対関係にあるアルサール大公国でさえも、聖堂教会を国教としている限りは宗教上尊重し、時に擁護しなければならない立場にあった。また、ラディス王国をはじめ大陸の国々は、アルサール大公国でさえも、オルスト聖王国を少なくとも宗教面では粗略に扱うことはできなかった。

 この複雑な三国の関係が、国境の街、聖王国の王領でもあるテオドールに大きな影響を及ぼしていた。テオドールは軍都であり、商都であり、時には三国の諜報と謀略が激しくぶつかり合う街であった。

 ステナの生まれたその街の老舗の娼館には、ある秘密の仕掛けがあった。館内の各個室に、おそらく魔法具の一種ともいえる伝声管のようなものがしかけられ、その部屋での娼婦と客の会話を、ささやくような小さな声でさえも聞き取ることができた。

 老舗の娼館には三国を行き来する商人や貴族、時には公式、非公式の外交に携わる者、諜報活動をしているような者さえも女を抱きにくる。

 その娼館と、オルスト聖王国が直接つながっていたのかはわからない。ステナは成人すると、自然と自分の家の店で、その伝声管からいろいろな情報を収集する立場になった。

 その後しばらくして彼女は親から出資され、保護されて、テオドールの街中で情報屋をやり始めた。ある時から、半ば必然か、はじめから仕組まれた事だったのか、彼女に総本山に近い聖堂教会のある組織が接触し、重要な顧客となった。その組織は国内外に散らばる大陸中の神殿、神官を秘密裏に監視し、神殿やその神官に破戒行為など腐敗があればそれを中央に告発し、時に処罰する教会の裏を仕切る秘密組織だった。

 そこに当時、まだ若いツアフが所属していた。

 かつて歓楽街で相対したやくざ者のジノバの言っていたこと、あの脅え。聖堂教会の裏の監察、懲罰組織は実在したのだった。

 なるほど、それでツアフが姿を消す、魔法使いからも気配をさとられない魔法具を所持していた説明がつく。ツアフは聖堂教会の者だったのだ。

 ツアフはその情報屋、ステナと接触する役目を与えられ、情報を売り買いし、必要があればステナと共謀して、敵対する側にニセ情報を流したりもした。

「そこで父さんと母さんはお互いに愛し合うようになって、わたしが生まれたの」

 モーラはすこしはにかみながら言った。

「ふたりには身分も立場も隔たりがあったから、正式な結婚はできなかったけど、わたしが赤ちゃんだったころは幸せにやっていたみたい」

 聖堂教会の戒律は基本的には男女の関係に厳しいが、神官の結婚は認めている。ただし女性の神官は結婚すると神官を辞めなければならない。男の場合は最高位の神官にはなれず、教会内での出世が遅くなる傾向があった。

 それでも教会でそれなりの地位にいたツアフの父は、自分の初孫にほだされたか、息子の出世はあきらめ、ステナとの事実上の結婚、内縁関係を認めた。ふたりの関係は教会で黙認されることになった。

 だがふたりの幸せは長くは続かなかった。ある時、ステナが聖堂教会やその組織の情報を、つまり一番の顧客の情報を、教会と敵対する客にも売っていたことが露見した。

 なぜ彼女がそんな自殺行為とも呼べる掟破りな事をしてしまったのかはわからない。情報を売り買いする商売とはいえ、顧客自体の秘密は絶対守らなければならなかった。

 どういう人物、団体が、どういう情報を売ったか、買ったか、そこまで商売のネタにしてしまえば、情報屋としてはやっていけなくなる。当然誰も情報を売らなくなるし、買わなくなる。それどころか命がいくつあっても足りない状況に追い込まれるだろう。

 多くの秘密、人の業、国の機密に触れ続けてきたことで、それがすべて己の手のうちにあり、自由に扱えるという、いわば万能感に侵されたのか、それとも単純に彼女が聖堂教会とツアフを裏切り、敵対する勢力に買収されただけだったのか。

 いずれにしても彼女は自ら破滅を選ぶことになった。教会の秘密組織はツアフに彼女の殺害を命じた。

 命じられたツアフはどんな思いだったろうか。ツアフはまだ小さかったモーラを彼女から引き離し、彼女を殺した。

 それから何年か経ち、テオドールにひとり、新しい情報屋が現れた。その情報屋はなかなか腕がいいと評判になり、ある日その情報屋に、殺されたステナのように教会の秘密組織が接触してきた。

 そこで接触した組織の側で大きな問題が起きた。その接触した情報屋は自分の殺した女になり切った、本心から自分がステナ本人と信じて疑わない、ツアフそのひとだったのだ。

 彼は非番の夜にだけ、自分が殺したかつての自分の内縁の妻、ステナ自身になって情報屋の仕事をしていた。教会の組織の仕事をしている時は本人にまったく異常はなく、情報屋をしている時の記憶はあいまい、情報屋をしている時は殺されたステナの人格になっていて、ツアフとモーラを自分の愛する家族と認識していた。

 この悪い冗談ともいえない異様な事態にツアフの父は頭を抱えた。総本山から希少な、精神系等に治癒能力を有するという神官が呼ばれ、ツアフの治療に当たったが効果はなく、ツアフの父は彼を組織からはずし、しばらく謹慎させた後、それ相応の金品を与え、彼の持っていた魔法具の存在にはあえて目をつむり、神官の身分を剥奪して、モーラとともに聖王国から放逐した。

 その後、ツアフの父の縁故などを頼り、エリスタールまで流れてきて、小さな傭兵ギルド、実質なんでも屋を始めたのだという。

 その間、しばらくはツアフの病気は安定していたが、エリスタールに腰を据え、仕事が安定し、ツアフ自身が街や周囲の環境に慣れてくると再発し、エリスタールの歓楽街で再び夜間に情報屋をやるようになってしまった。

 モーラはそんな父をなんとかしようと、今晩のように時々父の、あるいは母の、というべきか、お店に顔を出して父を諌め、情報屋を辞めるように説得しているのだという。

「教会にいた祖父はもうだいぶ前に亡くなっているから、教会とも組織とも縁は切れているし、父がエリスタールで細々と情報屋をやっている限りは問題ないと思うんだけど……」

 モーラの表情は暗い。そこに微かな自嘲が含まれているのがよけいに哀愁を誘う。

 彼女はイシュルに顔を向けると無理に明るい表情をつくって言った。

「今日はごめんね。こんな聞きたくもない話をしちゃって」

 彼女の眸に、川面に映る街の灯のゆらめきが映りこむ。

 彼女も救いを求めているのだ。ツアフと同じように……。

「ツアフさんの病気は二重人格、って言うんです。きっと、奥さんを自ら手にかけたせいで、心をおかしくしてしまったんでしょう」

 確か解離性同一性障害、とか言うんだったか。近いだけでまた別の病気だろうか? もし自分に雑学以上の、専門的な知識があるなら力になれたんだが……。だが、いずれにしろ今は先にやらなければならないことがある。

「二重人格……。はじめてそんな言葉を聞いたわ。イシュルは学者さんね」

「いえいえ、昔読んだ本にそんな言葉があったような」

 イシュルは小さく笑ってごまかすと、

「あの、話の腰を折るようで申しわけないんですけど、今日、ぼくと会ったことは誰にも言わないで、内緒にしておいてもらえますか」

 そこでモーラは、あっ、と何かに気づいたような顔になった。

「ええ、そうね。イシュルはうちの大事なお客さまだもんね。もちろん、誰にも言わないわ」

 大事なお客とは、フロンテーラ商会のことだ。

「でもシエラには」

「いいえ。彼女にも迷惑をかけたくないんです。だから誰にも」

 シエラに知られるのは絶対にまずい。彼女は何かと力を貸そうとしてくるだろう。それはよろしくない。いろいろと藪蛇になりかねない。彼女自身に危険が及ぶことになるのは避けなければならない。

「わかったわ」

 モーラの表情が自然なものに、少し明るくなった。彼女に少し元気がでてきたかもしれない。

 今まで誰にも言えないでいたことを、イシュルに吐露することができたからかもしれない。




 イシュルはモーラと別れた後、早速ツアフの店へ戻った。

 数奇な親子の身の上話を聞いた直後に、当の本人、情報屋のツアフと顔を会わすのはいささか気の重い、間の悪さを感じないでもなかったが、こちらも自分の予定を崩すことはできない。

 扉を開けるといつかのようにフードを深くかぶったツアフの姿が、長細い部屋の奥にあった。

 前に嗅いだものと同じ香が焚かれている。

「あら、いらしゃい」

 ツアフの前の椅子に座ると、ツアフはこの前と同じ調子で声をかけてきた。

 イシュルはフードの影の奥にあるツアフの目を見つめる。

 ツアフを前にしたイシュルの気持ちは、以前とは違っていささか複雑なものだった。この男を狂わした悲劇を思うと、今は自分も人ごととかたずけられない境遇にある。

 俺にも、この男と同じように帰る所はもうない。

「今日の要件はなにかしら」

 ツアフは無理に高くつくった、気色の悪い声で聞いてくる。

 そしてこのままいけば、この男もいずれ……。

「今日はいろいろと訊きたいことがたくさんある。金は持ってきた」

 ツアフもいずれ、彼の殺した最愛の女、ステナと同じ運命をたどることになるだろう。


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