フロンテーラへ 3

 


 その後イマルが同じ待ちぼうけをくらっている商人に話を聞いてきた。

「三日ほど前に、この先にあるラジドがドラゴンに襲われたらしい。フロンテーラに駐留している王国軍が討伐に出動してきている。街道はここから先、フロンテーラまで封鎖されるって」

「ドラゴン?まさか赤帝龍が」

「いやいや違うよ。ふつうの龍、火龍って言ってたな。ふつう、って言ったって凄く強いんだろうけど」

 イマルがため息をつく。

 ラジドというのは街道の沿道にある村だ。川を渡って十五里(約十キロ)ほど先にある。王国軍がその龍を討伐するか、その龍がどこか遠くに逃げるかしないと、街道の封鎖は解かれないだろう。

 大変なことになった。

「火龍ってのはな、大きさはまぁまぁって感じだが、口から火を吹くし、鱗も固い。もちろん空も飛べるしな。軍隊が出て来たってすぐには倒せないぞ。やばくなったら飛んで逃げるしな」

 とゴルンが解説してくれる。

「飛んでどこか遠くにいってくれれば、それで終わりとかになりませんか?」

 イシュルが質問する。

「そうもいかねぇ。あいつらはな、一度人里に来ちまうと、大抵は居着いちまうのよ」

 ゴルンがイシュルにきびしい視線を向けてきた。

「あいつらは、人間より牛とか馬とか、人様の家畜を襲うんだがな、一度その家畜を食っちまうとその味を憶えちまうんだよ。馬は知らねぇが、よく肥えた牛や豚はそりゃああいつらにとってもいい御馳走だろう」

 ゴルンは顔を歪めた。

「だからやつらは人里から離れず、村々を飛びまわっては家畜を襲い続ける」

 その後、テントから出てきた王国軍の兵士に事情を聞いても、より詳しいことはわからなかった。ただ、ラジドに現れた火龍を討伐しない限りはここの封鎖は解かれない、このことは上からの命令だそうで、イシュルたちはフロンテーラを目前にして、ここから先、一歩も進めなくなった。


 仕方なく、荷車を街道から、王国軍のテントから少し離れた下流の川端、背後に木々の茂ったあたりに移動し、数日野宿して様子を見ることにした。同じ考えなのか、近くに以前から止まっている荷車がある。積んであるのは麦わらの束で、近隣の農民が襲われたラジドに運ぶ予定のものだったかもしれない。人の姿は見えなかった。麦わらの束を盗んでいくものなどそうはいない。

 さて、せっかくだからその火龍とやらを、なんとかこの目で直に見たいところだが、そのラジド村が周辺も含めるとかなり広いらしい。どこにいるか逐一情報が入ってくるわけではないし、火龍は空を飛ぶし、こちらは徒歩で移動だ。王国軍の部隊を見つけ、後をついてまわればいずれ火龍と遭遇するだろうが、何日も荷の側を離れるわけにはいかない。夜中にちょっと抜け出して魔法を使って高速移動するとしても、火龍の位置が最初からわかっていなければ周辺を探しまわることからはじめなければならず、朝までに帰ってくるのは難しいだろう。

 王国軍がどれほどのものか知らないが、火龍を自分でやっつけてしまえばいいじゃないか、力試しの絶好の機会ではないか、とも考えたのだが、火龍と戦う時にはおそらく強力な魔法を使うことになる。戦ってる最中誰かに、特に王国軍の騎士とか将校クラスの者にでも見られたら、とってもまずいことになるんじゃないか、いや、それどころか宮廷魔導師本人に直接見られてしまったら……と、そこでいきなり、いつのまにか目の前に立っていたビジェクと目が合った。真正面からじっとこちらを見つめてくる。さっそく野宿の準備をはじめていたのか、小枝を両手いっぱいに抱えていた。

 赤帝龍ならともかく、火龍ならいずれ目にする事も戦うこともあるだろう。今回はおとなしくしていよう。ビジェクになんだか、すべてを見透かされているような気がした。


 それから数日間は何事も起きず、街道は封鎖されたままで、自然と一行の役割分担ができ、荷の見張りは全員で交代で、馬の面倒を見るのはビジェク、水汲みや洗濯、雑用はイシュル、飯づくりと沿道に増え始めた車両、商人やテントにいる兵隊から情報を集めるのがイマルとゴルンの役割になった。

 念のために塩や干し肉、芋やパン、酒なども途中補充しつつ持ってきている。しばらくは食っていける。

 夜はみんなで火を囲みながら飯を食い、時々酒も飲んだ。酒が入るとゴルンが中海の都市国家、ブラガで傭兵をしてた頃の話をたくさん聞かせてくれ、夜話の一席はゴルンの独壇場となった。

 だが、それからも街道の封鎖が続き、ついに十日ほども経つといつもほがらかなイマルの顔つきが変わってきた。これからどうするか、このままここで待ち続けていいのか。一旦オーフスまでもどって西へ大きく迂回することも検討されたが、それはもちろん相当な時間がかかってしまう。フロンテーラに着くころには秋も半ばになるだろう。しかも、迂回途中、オーフスに到着するあたりで火竜が討伐され、街道の封鎖が解かれたりしたらただバカを見るだけになる。

 迂回する案は早々に破棄された。


 ちょうどその頃、一日中雨の降る日があった。雨が降ると、ふだんは荷車の荷物にかぶせている大きな布に紐をわたし、四隅を木々の枝に結びつけて即席の屋根をつくる。そこに荷車の荷台を入れ、イシュルらも膝を抱えてその屋根の下で日がな一日何もせずに過ごす。

 布を張る時は、たまった水が一ヶ所に落ちるように傾けるのがコツである。その下に空いた壷や、木樽を置いて雨水を溜めておく。溜めた雨水は一度沸かして飲み水にしたり、料理に使う。

 イシュルは壷に落ちる雨水の水滴をぼーっと見つめながら、同じく所在なげに隣に座るイマルに話かけた。

「火龍がこんなところに出てきたのも、赤帝龍がクシムの辺りまで出て来てるせいなんですかね」

「前にセヴィルさんが言ってたやつ?」

「ええ」

「まぁ、関係ないとは言えないよね。他の魔獣も以前から増えてきてるんだし」

 火龍はその名の示すとおり火属性の魔法を主に使う。赤帝龍はその親玉、王様みたいな存在だろう。赤帝龍の動きが今回の火龍出現の騒動に関係しているのは間違いないのではないか。

「イマルさんと坊主の話してること、なんとなくわかるぜ」

 後ろであぐらをかいてたゴルンが話に割り込んできた。

「俺は東の山の方は詳しくは知らないがな、ふつう魔獣が里に出てくるときってのは、その魔獣たちの主、王様みたいのが動き出すときと、魔獣が増え過ぎて新しいエサ場が必要になるときと、大きくふたつのときがあるんだ」

 ゴルンは胸をはって鼻をうごめかした。

「だからな、ひと様と魔獣は陣地取りをいつまでも続けていかなきゃならないのさ。弱い魔獣しかいないところ、数がすくないところはひと様のものになる。強い魔獣がいる、数が多いところはやつらのものになる」

「なるほど。我々が東の山々を越えて先に行こうとしないのも、魔獣が多くて、その親玉に赤帝龍がいるからってことなんですね」

 イシュルがなにげに言うと、ゴルンがもっともらしく頷いた。

「まぁ、そういうことなんだろうなぁ。赤帝龍なんてあまりに恐ろしくて、近くに住むなんてとてもできねぇ」

 自分で言っておいてなんだが、実際はそんなことではないだろう。赤帝龍や魔獣の存在も原因のひとつではあるだろうが、東の山岳地帯への進出が進まないのは、単に山岳地帯の地形や気候上の問題と、大陸の人口が少なく食糧の生産等に余裕があるからだ。

 この世界は、前の世界の例えば中世期のようにひとの寿命は短くない。農作物の生育が良く収穫量が多い。飢饉などは滅多に起きない。疫病などもあまり起きず、ひとの基本的な生命力が強いということなのか、老齢になるまで病気になる事が少ない。

 それなのになぜ人口爆発のような事が起こらないのか。それは、医療技術が未発達で、一度重い病気をしたり大けがをすれば、神官による治癒魔法など希少な例外はあるものの、効果的な治療ができず傷病者の死亡率が高くなってしまうことと、より大きな原因、子どもの出生率がそれほど高くない、というのが上げられる。どの家庭も大抵は子どもがふたりまでで、三人も四人もいる家庭はそれほど多くない。子どものいない夫婦もめずらしくない。

 そこに急激な人口増加が起こるとすれば、それはやはり魔法であれ科学であれ、人類社会の技術を中心とした、産業革命のような飛躍的な進歩が契機となるのではないか。

 大陸にはラディス王国をはじめ封建制の王国が数多くある。現在は大規模な戦争こそ起きてはいないが、互いに対立し、紛争状態にある国々は数多く存在する。そして厳しい戒律を持つ排他的な宗教が存在しない。

 経済面では未発達な部分も多いが、前の世界のように、今後数百年の間に産業革命のような大きな変革が起こる要件が揃っているといえないだろうか。

 もし、この大陸で魔法や科学技術の発達による人口爆発が起きれば、大陸の人々はたとえ赤帝龍だろうと魔獣を滅ぼし、気候や地勢上の問題をたやすく克服して、大陸の東の山岳地帯の先へも、西の大海の先へも進出し、世界へ広く拡散していくだろう。

 イシュルは壷に落ちる雨水の水滴をまたぼーっと見つめた。

 やがては魔法だか科学だかが高度に発展して、前世のような世界になっていくのだろうか。

 それは雨の日の、何かつまらない、物悲しい気分になる小さな思索だ。

 前の世界を知る者にはいちいち考えるまでもない、繰り返される未来だ。

 でも、心の意識しないどこか奥深くで、多分この世界はそんなことにはならない、起こるようにはなっていない、と漠然と感じるもうひとりの自分がいた。

 ふと気づくと、雨水がいっぱいに溜まり、壷から雨水がこぼれて落ちている。

 イシュルは腰をあげるとその壷を、となりに置いてあった空の木樽にさしかえた。

 

 封鎖も十日を過ぎると、道沿いは同じ足止めされた商人たちの荷車で混雑してきた。多めに確保していた食料も残り少なくなり、イシュルはビジェクとセニト村まで何度か食物の買い出しに出かけた。それもさらに五日ほど経つと村の方から、立ち往生している商人たちのために食物や雑貨を売る行商がやってくるようになり、イシュルたちがセニト村まで買い出しに行く必要はなくなった。

 それからさらに数日後、イシュルは水汲みなどその日の日課を早々に終わらせ、一行の荷車の傍にある木陰でゴロ寝していた。一応荷の見張りも兼ねているつもりである。

 辺りはイシュルたちと同じ、封鎖が解けるのを待つ商人たちの荷車やテントで埋まり、まるでキャンプ場のようになっている。

 ビジェクは朝から馬を連れ、水をやり、草を食わせにどこかへ行ってしまったままだ。イマルはご近所で顔見知りになった商人のところへ情報収集という名目の談笑に行き、ゴルンは同じように仲良くなった傭兵のところに行っている筈だ。

 イシュルは昨晩、ゴルンが話してくれたブラガで傭兵をしてた頃の話に気になることがあって、今日もたっぷりとある暇な時間を使ってじっくり考えようと思っていた。

 木陰の中でイシュルが思索の底に沈もうとしていた時、イマルが小走りでイシュルの許にやって来た。見開かれた目にばたばたした手の動き、すこし慌てている。

「ねぇイシュル、いい話を聞いてきたよ。王国は何日か前にとうとう宮廷魔導師を派遣してきて、その魔法使いが火龍にさっそく痛手を負わせたらしい。火龍は空を飛べなくなって、王国軍に追いつめられているらしいよ。やっとだねぇ。そろそろ封鎖も解かれるよ」

 イマルの話は、イシュルの考えごとをきれいさっぱり、一瞬で吹き飛ばすほどのものだった。

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