人助け 4



 ツアフの店を出るとイシュルはいきなり、裏道の突き当たりに面する家の屋根に跳躍した。屋根づたいに街を東方へ移動して行く。

 歓楽街の端、一般の住宅や職人の工房が増えてきたあたりにジノバの家、というか小屋敷があった。

 ジノバの家はまわりの家々と比べるとすこし敷地が広く、西側に多くの木々が植えられた二階建ての、月夜に白い壁の目立つ家だった。家の形が凸型になっていて、二階のその突き出た部分の窓から灯りがもれている。あの部屋に数人のひとが寄り添って、近いところに集まっている気配がある。

 あそこだな。

 窓からいきなり飛びこんでもいいが、人相を聞いたとはいえジノバの顔がはっきりとはわからない。あの部屋の中には似たような風体のやつもいるかもしれない。

 できればあの男達のいる部屋をなるべく近くで探りたい。部屋の中の連中の会話や仕草の様子を探ってジノバが誰か特定しおきたい。建物の外壁に足を掛けるところはないし、窓枠にひっついて、なんてわけにはいかない。あの部屋の真下の、一階には小さな窓が片側にひとつずつしかない。

 正面突破でいくしないか。あの家の中と外には護衛の人間が数人はいるようだ。護衛をなるべく静かに倒して、部屋の扉越しに中の様子を探るしかないだろう。


 イシュルは仮面をつけ、マントを羽織るとジノバの家に面した道に飛び降りた。ジノバの家はちゃんとした玄関があり、手前には小さな門もある。イシュルはそこを飛び越え、玄関の前に立った。玄関の扉の横、道の反対側の奥に椅子に座っている見張りがいた。顎を上げ下げして寝ている。男の腰から出ている鍵を慎重に抜きとり扉をそっと開けた。中は小さなホールになっていて、奥に二階に上がる階段がある。小金持ちの家の典型的なつくりだ。

 そのホールの階段の手前にも男がひとり座っている。この男も船を漕いでいたが、勘がいいのかイシュルが近づくと目を醒した。

 イシュルは男の顔の周り、鼻と口のあたりの空気を「固め」た。

「くっ、う」 

 男は息ができず手を口に当てて苦しみ出す。暴れられると困るので男の全身も空気でくるみ、動きを鈍くした。男は不自然な動作でしばらく苦しむと、音もほとんど立てずゆっくりと床に倒れた。

 倒れた男をまたいで階段を上っていく。二階は廊下が奥まで真っ直ぐ伸びていて、左右に部屋が続いていた。

 壁にひとつだけ掛けられたカンテラがあたりをぼんやり照らしている。その灯りに隠れるようにして男がひとり立っていた。男がいきなりナイフを投げてくる。男は上ってくる者が最初から敵だとわかっていたようだ。上と下で何かの合図が取り決められていたのか、ほとんど音も出なかった階下の異変を察知することができたのか。ナイフは正確にイシュルの心臓に向かって飛んでくる。 

 イシュルはイシュルですでに男がそこにいることも、男がナイフを持った腕を降りはじめた瞬間も察知していた。男の手からナイフが離れるタイミングに合わせ、からだを屈め頭を下げ片膝立ちになる。そしてナイフが頭上を飛び過ぎるより早く、男に魔法を見舞った。

 下の階の男と同じように、向かいの男の呼吸もまわりの空気を固めて止めてしまう。男はすぐ腰に刺してあった二本目のナイフを取り出し、投げようとしたが、その動作の途中で呼吸ができなくなり、腕の動きが緩慢になり、すぐに動きを止めてしまった。呼吸ができず、腕が思うように動かせず、全身をぶるぶる震わせている。

 やがて男がナイフを取り落とし、膝をつくと、イシュルは反対に立ち上がって、男に向かって歩いて行く。

 男はイシュルの足元に倒れた。今日戦った相手の中では或る意味、一番手ごたえのあるやつだったかもしれない。

 用心のため、男の腰から残り三本のナイフを抜き取っておく。事が終わる前に息を吹き返えされるとまずい。

 すぐ左側の扉の奥の部屋に、男が四、五人いる。扉が厚く、中の声はよく聞き取れない。だが男たちの会話の雰囲気は鮮明に感知できる。男たちの会話は暗いものではない。危機感があるわけでもない。世間話をしているような気安さがあった。昼間の襲撃などたいしたことではないのか、まだ担当する者が詳しく話していないのか。

 だが、そんなことはどうでも良かった。どの男がジノバかわかれば。

 男たちのからだを動かす感じや会話の口調の変化から、誰がこの場の中心にいるか、ジノバが誰かすぐに見当がついた。

 イシュルは扉を開けた。鍵はかかっていなかった。

 男たちの談笑が止む。

「おお、遅かったですな…」

 まだ扉の裏側にいるイシュルを他の者と勘違いしたのか、誰かが素っ頓狂なことを言ってくる。

 それも扉を開けきり、イシュルが姿を表わすと場は一瞬で緊張感をはらんだものに変わった。

「貴様、誰だ!」

 男たちがいっせいに立ち上がる。会議用なのか豪華な大きな机の左右に四人の男、机の奥、真ん中におそらくジノバ。

 部屋は左右にふたつずつ窓がある。なかなか豪華なつくりだ。都合がいい。

 これがいかにも悪者が集まって密談するような地下室の一室、とかだったらイシュルにはちょっとやりにくいことになっていただろう。

「……」

 イシュルは何も答えず、建物の外に風を集める。部屋の窓がガタガタと揺れた。気圧を高め固めた空気球を五つつくる。自身の身の回りに室内の空気を集め覆い、防護壁のようにする。

 男たちが気圧の変化に耳をさわり、周囲に首を振る、鼻を押さえあくびをしたりする。

「おまえたちはいろいろとやり過ぎた」

 イシュルはそう言うと相手の反応を待たずに部屋の左右から窓ごしに四つの空気球をぶち当てた。 

 窓ガラスが割れ、部屋の中へ吹き込む。部屋の左右から爆風がぶつかり合い吹き荒れる中、最後の一発を、爆風が中和されたような状態になっている部屋の中央部へ突入させ、さらに爆発させた。瞬きする間もないほどの一瞬だ。威力は押さえた。天井や壁を破壊するほどのものでないのはもちろん、中にいる者が死んでしまったり重傷を負ってしまうほどの威力もない筈だ。

 だが室内が連続する爆風にさらされたことにかわりはない。イシュルは前もって自らの周りに空気の壁をつくり、爆発と同時にしゃがみ込んだが、それでも爆風にからだを持っていかれそうになった。


「うっうう…」

「ああっああ」

 暴れる風の狂乱は一瞬で幕を閉じた。

 部屋の中に倒れた男達の呻吟する声が響く。それ以外にはなんの音もなく、あたりを静寂が覆った。

 かるく風を吹かして室内に舞う埃を外に排出すると、イシュルは細かいガラス片や木切れなどが散乱している会議机の上に乗り、椅子に倒れるようにしてもたれかかり、呻き声をあげているジノバの前まで歩み寄り見下ろした。

 ジノバは顔中を突き刺さったガラスの破片で覆われ、血だらけになっていた。薄く目を開け、イシュルを見て、微かに呻いた。

「まほう…」

「そうだ。俺の言うことが聞こえるか?」

 ジノバがだるそうに頷く。

 耳はそれほどやられてなさそうだ。鼓膜をやられて音が聞こえなくなっているとちょっと面倒なことになる。

 イシュルは仮面越しにジノバに顔を寄せ言った。

「おまえはいろいろとやりすぎた」

 そしてジノバの髪をつかみ顔を持ち上げると、

「一日でも早く家業をたたんでこの街から出ていけ。おまえの手下もだ。言うことが聞けないのなら次は皆殺しだ。わかったな」

 と、むしろ静かな声で言った。

「わ、わかった。すぐ出ていく…あんた教会の者だろう? た、頼む、おとなしくするから、これ以上は……」

 教会?

 ジノバの反応は以外なものだった。ひと言くらいは毒づいてもおかしくないと思ったのに、露骨に怯えを見せた。長くしゃべるのは辛かろうに、必死になってしゃべった。

 教会とは、聖堂教会のことか?

 ありえる話かもしれない……が、今はいい。それを考えるのは後だ。もともと、マントを羽織り仮面をつけて派手に魔法を使って見せ、はったりを効かせて王国の監察や魔導士、密偵の類いと思わせようと考えていたのだ。希少な、攻撃力のある魔法を使えば、相手は是が非でもそうと信じるざるを得ない。強力な魔法を使える者など、高位の神官を除いては国王や王族、大貴族や宮廷魔導師など彼らに仕えるごく少数の者以外ほとんどいないのだ。

 王国の、本当にあるか知らないが裏の監察機関が動いている、とでも思ってくれれば、相手は嫌でも手を引くだろうと考えていたのだが、ジノバは勝手に勘違いし、こちらの思惑以上にはまってくれたようだった。

「明日にでもここをたたんで出ていけ。わかったな」

「わかった…」

 おそらく痛みよりも、恐怖に歪んだジノバの血だらけの顔を一瞥すると、イシュルは机の上からそのまま窓の外へと飛びだした。


 下に降り、ジノバの家の庭先からさきほどの玄関に戻る。途中、さっきの爆発で目を覚ましたのか、玄関横で寝ていた見張りと鉢合わせした。その男は道化師の仮面をつけたイシュルを見ると「ひっ」と情けない悲鳴を上げ、その場で腰を抜かして尻込みしてしまった。

 道に出たところで、その先の暗がりに人の気配を感じた。三人いる。近づくとそそくさと逃げ出した。街を覆う夜の闇の中、一瞬、月明かりに三人の男達の顔が照らし出された。

 若い貴族がよくかぶる、つばひろの帽子の下に見えたその顔に、男爵の家令のヴェルスの顔があった。

 男たちは早足で暗闇の奥に消えた。

 あいつ…。

 ヴェルスといっしょにいた他のふたりが誰かはわからない。ヴェルスの護衛か何かだろう。男爵家か、それともヴェルス個人か、やつらがジノバと何らかの関係があったのはこれで明白だ。あいつらが他になんの理由があってこんな時間にこんな所に来る。ヴェルスとつきあってる女が近くにでも住んでいるのか?

 ジノバたちのいる部屋に入った時、遅かったですな、などと言ってきたやつがいた。それはヴェルスのことではなかったのか。

 イシュルはヴェルスの動揺した顔を記憶に留めると、通りを挟んだ向かいの家の屋根に飛び上がり、路上を駆けるヴェルスたちを無視して、屋根づたいに城前広場にほど近い、救出した女たちがいるシエラの手配した隠れ家に向かった。


 女たちが隠れている家は特に異常もなく、辺りも静かだった。イシュルは小道を挟んだ斜め向かいの家の屋根の上で、明け方まで女たちの家を見張ることにした。つまらない仕事だが前から決めていたことだ。万が一、ということもある。

 しかし、さっきのジノバの襲撃ではやつの勘違いで、面白い話を耳にできた。あいつはこちらの襲撃を聖堂教会の手の者と勘違いしたのだ。

 今まで知らなかったが、このことは聖堂教会に裏で仕事をする秘密組織、実力部隊が存在する、ということを意味している。神官兵、僧兵などとは別に、確かにそういう存在があるのはおかしいことではないだろう。教会内部にも外にも、表向きにできないいろいろな問題がたくさんあるだろう。もっともありそうなことなら、例えば神官や神殿の腐敗だ。寄進物や魔法具の着服、横領や、商人や領主と結びついて金銭目的で不法行為を行ったり、不法集団などとも結びついて、それ以上の悪事を行うことだってあるかもしれない。

 今回のジノバの件はまさしくそれだろう。やつらはヴェルスたちだけでなく、エリスタール城内にある神殿の神官とも関係があったんじゃないか。資金の提供を受けるとか、犯罪行為を見逃してもらうかわりに多額の見返り、金や女を渡すとか、どうせそんなことをやっていたのだろう。

 それで事が聖堂教会の中央にばれて、懲罰部隊のようなものが送り込まれたと勘違いしたのではないか。歓楽街のボスだか知らないが、あの怯えようはなかなかのものだった。

 大陸中の有力者に魔法具を供給する、つまり神の奇跡を具現化し続ける聖堂教会である。表立って政治、軍事に関わる事がなくともその権威には絶対的なものがあるだろう。

 ジノバはおそらく、今晩自分の身に起こったことを神殿やヴェルスらに知らせるだろう。あるいは何も知らせずに我先にと遁走してしまうかもしれない。

 ジノバ襲撃の顛末を知ったヴェルスや神官らはどう思うだろう。

 ジノバの襲撃では派手に魔法が使われた。彼らは聖堂教会の、かなり上の方に裁断を下した者がいると推測するのではないか。そこから放たれた秘密の懲罰部隊。もう蛇に睨まれたカエルどころの話じゃない。反撃どころか逃げも隠れもできない、そんなこと意味がない。ジノバへの警告だけで事が終わったのだと確信が持てるまで、彼らはしばらく夜も眠れぬ日々が続くだろう。しかも実際には聖堂教会は動いていない。こちらはもう手を引くし、彼らを脅えさせるものに実体はないのだ。悪事を働いたが故に見えない影に脅え続けなければならない……。

 これは笑えるじゃないか。ざまぁみろだ。

 イシュルは月の静かに照らす屋根の上で、ひとり彼らの罪を嘲笑った。





 あれから二日後、人目のつかない早朝に、女たちはシエラの用意した家から出て行った。街の外に向かう者には護衛がつけられた。イシュルに相談したシエラがギルドに依頼を出し、若い女と男のふたりが用心棒として雇われたのだった。金もシエラが出した。

 もうジノバとその一味はあらかた街を退散してしまった筈だ。ギルドは妙な動きはしないだろう。例の聖堂教会が裏で動いたという——間違った噂だが、それが歓楽街の裏社会で広まっていれば、少なくとも彼らが女たちに手を出すことはあり得ない。あとは郊外に出没する追い剥ぎや、遭遇する可能性は少ないだろうが魔獣に気をつければ良い、ということになる。

「しかし、女の用心棒なんてめずらしいな」

 イシュルが言うと、シエラは朝から元気よく、自慢げに答えた。

「ここら辺でも魔獣が増え出して、行商の護衛とかで用心棒が足りなくなってるんですって。だから値も上がってきていて、他所からこの街にも傭兵が集まってきてるんだって」

 シエラは両手剣を背中に背負った、二十歳過ぎくらいの颯爽とした感じの女の傭兵に目をやった。

「その中には女の傭兵のひともいて、モーラに頼んで特別に彼女を手配してもらったの」

 エレナもその傭兵に付き添ってもらえる組らしい。

「イシュル、助けてくれてほんとうにありがとう。わたし、これからは実家で母さんといっしょに暮らすわ」

 エレナがイシュルに近寄って礼を言ってきた。

 彼女も大金を手にしている。借金がいくら残っているか知らないが、それを完済しても慎ましく生活すれば、母娘ふたりで相当長い間やっていけるだろう。

「良かったです。お母さんと仲良く」

 イシュルは頷き微笑み返す。

 エレナはこれから、エリスタールの近隣に住む者たちといっしょに用心棒に順番に送ってもらうということだった。

 彼女たちが去っていった後、「宵の満月亭」を脱出する時にイシュルに話しかけてきた、赤毛の女が家から出てきた。彼女が最後だ。相変わらず派手な服を着ている。

「あんたはどこに行くんだ?」

 イシュルが聞くと、彼女はなんの表情も見せずに答えた。

「あたしはあの街以外に帰るところはないよ」

 薄い桃色のドレスを来た女の後ろ姿が、朝の街に消えていった。

 

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