人助け 3
「ここで待ってて」
じりじりして聞きたいことがたくさんありそうなシエラを入口のところに残して、裏口の物置に残してきた老人を連れてくる。三人でラウンジの奥にある階段を上っていく。二階も奥まで廊下が伸び、片側に個室が並ぶ形だ。このフロアは客が出入りするからか、内装にウォールナットの落ち着いた感じの木材が使われ一階のラウンジと同じ上質な雰囲気がある。
各個室の扉も同じ上質なものだが、変わっているところがある。部屋の鍵が外からつけられていた。
昨晩の下見や、一階と二階の鎧戸の様子、そして何よりこの娼館の性質から女たちの部屋には当然、外から掛けるタイプの鍵がついているだろうとは予想していたが、それは扉の外に古びた西洋錠が着いている、監獄の扉のような露骨なものだった。
「じいさん、すべての部屋の鍵を開けていってくれ」
「はいっ」
老人はがたがた震えながら手前の鍵を開けている。連れてくる時に一階の廊下に倒れていた大男の惨状を見ているのだ。
「早くな。的確に」
「はいっ」
部屋の鍵が開くと、シエラに頼み、中で寝ている女の子らを起こしてもらう。
「みな起こしたら、下まで連れていってくれ。なるべく地味な服を着せてな」
「うん!」
部屋の中に入ったシエラが元気に返事をしてくる。
そして奥の部屋まで鍵を開けてきた老人を引き連れ、また一階に降りて支配人のいた部屋に戻る。
「貴様、こんなことしてただですむと思ってるのか」
上体をえびぞりにして支配人がなかなか元気に言ってくる。こいつは軽傷ですんだのか。
「クーフはどうした…げほ」
対して剣を持っていたやつは元気がない。こいつも寝転がったままだ。喉に血がつまるのか咳こみながら聞いてくる。
「クーフって誰だ? あの大男か?」
男が無言で小さく頷く。
「あいつは廊下で寝てるよ。やっつけた」
「そんな馬鹿な…」「なに!」
イシュルは元気な方の支配人の前にしゃがむと、男の首にまかれたスカーフを引っ張り上げて言った。
「で、この店の女たちの借金の証文はどこにある?」
「そんなものない」
男の顔に、さきほどまでとは少し違った必死な表情が浮かびはじめた。
イシュルは部屋を見渡す。
支配人だか店長だかが座っていた机、椅子が三脚、左に書棚、そして右にチェスト。書棚からこぼれ落ちた帳簿を手に取ってめくってみる。特にあやしいものではない。
イシュルが部屋の反対側にあるチェストに向かう。寝ている支配人をまたぐと、男が叫んだ。
「おい待て!」
チェストに決定だな。
上から開けていく。早速一段目に巻物の束が見つかる。開いてみると借用書のようだ。知らない女の名前に男の名前。金額は五万シール。書式はごく一般的だが、下の方に身請けする云々の添え書きがある。添え書きだと? こんなもん商人ギルドや王都の役人に通用するのか? 怪しさ満点のクソ書類だ。こんな物、持っていてもしょうがないんじゃないか? 所持すること自体、自らあやしい者と言っているようなもんだ。
とにかく巻物の束をぜんぶ出し、入口に立っていた老人に渡す。
「それ裏に行って、全部燃やしてこい」
老人はこくこくと頷き裏へ行こうとすると、
「おい爺、やめろ!」
支配人が叫ぶが顎を蹴っ飛ばして黙らせる。
「で、次は金だな。どこにある。この店の売り上げだよ」
蹴られた支配人はうーうー唸って返事をしない。
もうひとりの用心棒のような男に顔を向ける。
「知らねぇよ」
チェストの引き出しを開けていく。一番下にいかにもな箱が出てきた。重い。両手で持ち上げ、机の上に置く。ごっつい鉄枠のはまった茶色い木箱だ。鍵がついている。ゲームや海賊の映画によく出て来るおなじみのものだ。
「鍵がついてるな」
支配人に話しかける。
「しがれぇよ…」
蹴りすぎたか。なんか痛そうだ。
「鍵はどこにある?」
しゃがんで支配人のからだをまさぐるが、以外にも鍵らしいものをひとつも身につけてない。椅子にかけてある上着も探るが見つからない。
「ふむ」
イシュルは口に手をやり考える。
「おい爺さん!」
裏口に向かって大声で呼ぶ。
爺さんがのそのそと戻ってきた。
「火、つけましたよ。旦那」
「ああ、それはいいから。おまえに渡されてる鍵で、使ってない鍵ってあるか」
老人の腰元に吊るされている鍵の束を指さし、聞いてみる。
「うぉおい、ぐっえ」
何か言おうとした支配人をすかさず再び蹴り上げた。
「これと、これと」
老人の怯え、震える手から差し出された二本の鍵の、一本目で箱が開いた。蓋を開くと金が文字通りざくざく、うなるように入っていた。
中には金貨もかなり混じっている。商会で仕事をしていても、金貨をあまり目にすることはない。王国で発行される金貨はマティアス金貨と、鋳造、発行した当時の王の名がついているが、一枚で一万シール(一万銅貨、百銀貨)に相当し、普段の庶民の生活で使われることはほとんどない。
下働きの老人に持たせた鍵束にいちばん大切な鍵をまぎれ込ませておく、というのはどうなんだろうか?偽装になるのだろうか?果たして名案といえるのか……。
「木を隠すなら森というが、随分わかりやすいな」
イシュルは歪んだ笑いを浮かべる道化師の仮面を、彼に蹴られ痛みに呻く支配人に向けて言った。
鍵番の老人に証文をしっかり燃やすようたのむと、イシュルは宝箱を抱え、店のラウンジの方へ向かった。中にはシエラを除いて、八人の女たちがいた。二階の奥の方の部屋は衣装部屋か物置か、人の気配はなかったから、残りは八室、二階にいた女たちは全員、自分の部屋から出てきたことになる。彼女らはフロアの真ん中あたりに固まって立ち、不安そうにしていた。
「イシュル!」
シエラが声をかけてきたが、イシュルは仮面をつけている。
あー、でもいいか。どうせ街中でははずさなきゃいけないんだし。
エレナが仮面のイシュルに微笑みかけてきた。
イシュルは抱えていた木箱をテーブルの上に置いて、蓋を開けた。まず自分でひとつかみ取る。
「さぁ、これはみんなで山分けにする。みなひとつかみづつ取ってくれ」
女たちが歓喜の声をあげて殺到して、はこなかった。みなイシュルに不審と戸惑いの目を向けてくる。
「俺も報酬として少しいただくが、これはもともとあんたらの稼いだ金なんだぞ」
イシュルは女たちを見渡して言った。
「この金でこの店を辞めて親元に帰るなり、他の街に行くなりしてくれ。あんたらの借金の証文とかは燃やしてしまうから」
「でも…」
女たちのひとりが小さな声を上げる。
ジノバとその一味は街でも恐れられている存在なのだ。報復が怖いのだろう。
「店のやつらはみな倒した。心配しなくてもいい。ジノバの件は何とかする」
もう一度店の裏まで行って、一応証文が灰になているか確認、鍵番の老人にも金を握らせ、歓楽街から出て行くようにさとし解放した。廊下に倒れていたクーフは上体を起こし、足を押さえて呻吟していた。
横を通り過ぎると赤く濁った目で一度睨んできたが、仮面越しに睨みつけてやると露骨に怯えた表情を見せた。
イシュルは店を出ると仮面をはずした。店の女たちはシエラの先導で、ひとり、ふたりと数歩ごとに間隔を開け、彼女の用意した隠れ家に向かっている。しんがりはイシュルだ。午後の歓楽街は少し人が増え出したが、その多くは店の小者や出入りする業者などで客筋の者はまだいない。間隔を開けた女たちの行列はそこそこ目立っているが、この時間帯は夜に働く女たちが買い物に出て来る時間帯でもある。道を往来する者すべての強い注目を浴びる、というほどではない。
だがシエラが用意した彼女たちの潜伏先は川を渡った先、城前広場にほど近い、街の山の手と呼べるような住宅地に商店が散在するようなところにある。救出した女たちはなるべく地味な服を選んで着ているが、やはり商売女独特の雰囲気を少なからず漂わせている。彼女たちは潜伏先では人目を引き、近所では噂になるかもしれない。シエラの両親の耳に入れば面倒なことになるだろう。それは彼女にどうにかしてもらうしかないが。
ジノバの件は今日明日にでも片をつける。風の魔法を派手に使ってでも。彼女たちの潜伏は街に噂が広がる前に、一日でも早く終わらせてやる。
考えごとをしていたイシュルに、前を歩いていた女が歩を緩め横に並んできた。
「ねぇ。あたし達を匿ってくれるって話だけどさ、あたしは行きたいところがあるんで、ここで別れていいかな」
赤毛を派手に巻き上げたその女は、まだ明るい街中でもまったく臆せず、うすい桃色のひらひらしたドレスを着てい歩いている。店から助け出し女たちはみな怯えを見せ、おとなしい印象だったが、この女だけは違って落ち着き払い、ふてぶてしい態度を隠そうともしなかった。
「だめだ」
イシュルは顔を前に向けたまま、目も合わさず答える。
「まだ若いのに場慣れしてるねぇ、坊や。あのさ、あたしの旦那はジノバと仲が悪くってさ。それであたしはやつにつかまってあそこに閉じ込められちゃたんだけど」
女は媚びた目でイシュルを嘗めるように見つめる。
「あの店から出してくれてほんと助かったよ。あたしはジノバが憎いんだ。だから、この事もジノバにたれ込んだりしない。だからさ、ね? もしジノバを殺るんならさ、あたしが旦那に話して加勢させてもらうよ」
イシュルは女の顔を睨んだ。
街の裏側のことなんてどうでもいい。鬱陶しい。
「駄目だな。おとなしくしていろ。おまえの言ってることが本当のことだとしても、事がすむまで他の女たちといっしょにいてもらう」
そしてイシュルは見た目の若さに似合わぬ酷薄な笑みを浮かべて言った。
「おまえ、その旦那に裏切られたんじゃないのか? ジノバに売られたのかもしれないぞ」
「……」
女の表情がさっと変わった。今まで考えもしなかったのだろうか。思い当たる節でもあったのか。
それ以後、女はおとなしくなった。口を聞かなくなった。
その後、シエラの用意した空き家に女たちを押し込め、絶対に外に出ないこと、夜は戸締まりを厳重にすることを申し伝えた。
「エレナたちの食事はわたしの方でなんとかするわ。お金はたくさんあるし。お手伝いのおばさんと買い出ししてくる」
「宵の満月亭」の売り上げを山分けし、イシュルをはじめ、今はみな四、五年は派手に遊んで暮らせる金を手にしている。
これでイシュルも商会を辞め、次の目標の魔術書探しか、ハンターとして辺境伯領の東部や、聖王国の東部の山岳地帯に行くこともできるようになったわけだが、今はそれを考えている場合ではない。
「わかった。大きい声じゃ言えないが、夜は彼女たちを匿ってる家には近づくなよ。シエラはいつもどおりにしてろ。夜中、行ける時は俺の方で見張りはするから」
「うん、わかった。イシュル、ほんとにありがとう」
シエラは頬をすこし染めて、感謝と尊敬の眼差しでイシュルを見つめてくる。
だがまだやらなきゃいけないことがある。
「まだ終わってない。ジノバに言い含めてやらないとな。女の子らには手を出すなと」
シエラが心配そうな表情になるが、そんな手緩いことですますつもりはない。
ああいうやつらには恐怖をたっぷりと植え付け、逆らえば即、殺されるとまで思わせないとこちらの言う事をきかせられないだろう。
夕食時には一旦商会に戻って、セヴィルに今日一日仕事を休んだことを詫びた。
「いや、いいとも。気にしなくていいぞ。誠実にな。誠実に」
「いや、それちょっと違うんですが……」
「何か困ったことがあったら、わたしに言ってね?相談にのるから」とフルネ。
「明日はぼくが休むから。いいよね? イシュル」
イマルの目がすわってる。
一日でシエラの件は一家に知れ渡ってしまった。
ははは。……なんだかいろんな意味でどんどん辛くなってる。
夕食後は反省してる風を装い、自室に直行、一息ついたら仮面とマントを持ち、剣を背負って窓から外に出た。
歓楽街のツアフ、情報屋のところに向かう。
行き交う人の増した歓楽街のメインの通り、誰も目に止めないような暗い脇道に入る。ツアフはいる。先客はいない。情報屋の扉を無造作に開け、中に入る。
「いらっしゃい」
この前とまったく同じ格好、仕草、声でツアフはそこにいた。
イシュルは机の前の椅子にすわると早速用件を切り出した。
「ジノバのことで知りたいことがある」
「ジノバね。何なりと」
フードの下の口がひん曲がった。
「ジノバの人相とアジト、というか、やつが今晩と明日、どこにいるかを知りたい」
「いいわ。人相やアジトはともかく、今晩と明日いそうなところ、の情報も含めるとけっこう高くなるけど」
「大丈夫だ。金は出せる」
「そう」
フードの下の口がこれでもかとひん曲る。気持ちの悪いやつだ。
「ジノバは年齢は五十過ぎ、中肉中背、肌の色はよく陽に焼けていて濃い。白髪の髪に口髭、ちょっと鷲鼻、って感じかしら。歓楽街のはずれ、フロンテーラ街道に近いところに住んでるわ。そこは仕事場にもなっていて、手下たちがよく呼びつけられたり、幹部たちが集まったりしてるわ。そこそこ大きい家だから、すぐわかると思う」
その後ツアフはジノバのアジト、兼住まいの住所を詳しく説明すると、
「これで五百シール。そこに置いて頂戴」
と言って机の端を指差した。
イシュルは銀貨を五枚積んだ。
「それで次はジノバの居場所ね。ふだん夜は自分の家にいないことも多いみたいだけど、今日明日は間違いなくいるわね。今日の昼間、街でなんか騒ぎがあったみたいで」
そこで女に化けた情報屋、ツアフは言葉を一旦切った。フード越しにおそらくイシュルを見つめている。
つくづく嫌なやつだ。
「金は出す、続けろ」
「……ジノバの配下にやらせている店で事件があったみたいなの。誰かに店を襲われたらしいわ。その件で、今晩か明日にはあの男の主立った配下が集められるでしょう。もう、集められて、会議かなにか始まってるかもしれないわ」
「わかった。いくらだ?」
「二千」
「高いな」
「あなた、今日の昼にジノバの店で何があったか知らないかしら。あたしのところにはまだ詳しい情報は入ってきてないのよ。教えてくれたらただにしてあげる」
「知らないな」
イシュルは机の上にさらに銀貨を二十枚、積み上げた。
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