人助け 1

 


「これで残りは八百シールになります。また来月にでも伺います」

 イシュルは「月の宿り木」亭の女店主に愛想良く微笑んでみせた。

「……」

 女は苦虫を噛み潰したような顔をしている。何も言わない。

 先月に三百、今回で四百シール、未払いの代金を回収できた。あとふた月くらいで全額回収できそうだ。

 もうこの店には昼間から飲んだくれていたあの用心棒はいない。シエラと始めて依頼をこなした夜にイシュルに鎖骨を折られて以降、あの男はこの店から姿を消した。

「それではまた」

 イシュルは女店主に声をかけると店を後にした。

 人のまだ少ない午後の歓楽街をのんびり歩く。

 季節はそろそろ初夏、大陸のやや北に位置するエリスタールは今がちょうどいい季節だ。来月にはセヴィルに代わり、イマルとともにフロンテーラの本店に買付けに行くことになっている。

 この世界のいろいろな所を見てまわりたい、という幼いころに抱いた夢の第一歩がいよいよ実現しようとしている。ただそれは、風の魔法具を手に入れる以前に抱いた夢だったのだが。

 フロンテーラは王国でも有数の大都市である。現地に滞在するのはせいぜい数日程度だろうが、その期間になんとか魔術書を置いているような書店があるか、その有無と、もしあるのならその所在を確かめたかった。きっと滞在中はかなり忙しいだろう。もし市中を見て回る機会があるとしても、本店の人やイマルと同行する場合が多いだろう。

 魔術書のことは伏せ、まず本店の人に本屋があるか聞き、あるのならその店に行く時間をつくる。なるべくシンプルに、欲張らずにフロンテーラ滞在中の行動目標を決めておく。重要なことだ。

 考え事に身を委ね、のんびりと川の南岸から橋を渡り、商会のある道に入る。

 その通りの先、道を行き交う人々の間に、ちらちらと見え隠れするシエラの姿があった。


 シエラは商会の前に立っている。商会の建物の扉を睨んでいるようだ。

「シエラ」

 イシュルはちよっと歩を早め、彼女の前まで来ると声をかけた。

「イシュル!」

 いつもの勝ち気な感じのシエラではない。ふり向いた彼女の顔は青白く、不安な色を浮かべていた。

「どうしたの」

 シエラは右手を握り、開き、不安そうにしている。

「エレナが…」

 シエラが泣きそうな顔になった。

「エレナがどしたんだ? しっかり話してごらん」

 彼女の両腕をそっと抱えてやる。

 前回はエレナからの依頼はお休みで、届けた金額もかなりの額になるし、そろそろお終しまいかなとは思っていたのだが、それに関係する話だろうか。

「『子鹿の園』を急に辞めちゃったの。娼館のひとに聞いたらお店を移ったって言われたんだけど、それ以上は教えてくれなくて。それで、モーラに調べてもらったら……」

 「子鹿の園」とはエレナがいた娼館の名前だ。母のために生活費と借金の返済分を稼ぐ、真面目なエレナに同情していたシエラは彼女と単なる依頼主と請負人、知り合い以上の仲になっていた。

「今は『宵の満月亭』で娼婦をしてるって」

 モーラはツアフの娘だと聞いている。ならエレナの新しい店を調べるのは簡単だろう。あのなぜだかしらないが女装している情報屋が父親なのだから。

 しかし「宵の満月亭」というのが気になる。慣習として「月」が店の名前に使われるのは夜も営業している宿屋や飲み屋、食堂などである。娼館も夜の商売だが業種、が違うのかあえて「月」にからむ店名はつけないことが多い筈だ。

 つまり、表向きは飲み屋で娼婦たちに給仕させ、気に入った娘を指名して、とかそういう形式になっているのか。

 だとしたら表向き娼館と思わせないだけでない、この街でもめずらしい、そこそこ手の込んだ演出をしているわけだ。

「それならそれでいいんじゃないの」

「違うの。その、前からエレナを気に入っていたお客がいたんだけど」

 シエラが少し気まずそうに言い淀む。

「その客にだまされて借金を負わされちゃって、その借金の形にその店に売られちゃったんだって」

「なるほど」

「なるほど、じゃないわ! モーラの話ではそのお客、『宵の満月亭』に雇われていた男らしいの。『宵の満月亭』はとても筋が悪いお店で、そうやって他所の女の子たちをだまして無理矢理集めているって」

 どうせその客、例えば見た目は真面目そうな若い男で、エレナと深い仲になってから彼女と同じように親が借金を抱えていて、とか、街で工房を持ちたいんだ、とか言って彼女に大金を無心し借金させたのだろう。

 で、その金主が借金をチャラにするとか、金利をまけてやるとかいって「宵の満月亭」に彼女を売った、と。当然金主も「宵の満月亭」とつながりのある者だろう。エレナ以外は誰も損をしない仕組みだ。

 金主からエレナ、そして騙した客、そいつからおそらく「宵の満月亭」へ、そして元の金主へと、金が一巡しただけだ。そしてエレナだけが借金をしたと思わせられている。

 借金の形にその店に売られた、ということは住み込みで半ば監禁、「借金」を完済しなければ給金も出ないだろう。金利によってはそれこそ死ぬまで出てこれない、なんてことだってあり得る。

 確かにエレナが不憫だ。可哀想だと思う。だが、あの歓楽街で似たような境遇の女がどれだけいるだろうか。

 彼女だって子どもじゃない。男に騙されたのならそれは自己責任だろう。半ば騙されているのがわかっていて金を貢いだ可能性だってある。すでに苦界に身を沈めてしまっているのだ。男に騙された女、女に騙される男たちの姿を身近に見る機会だってたくさんあったろう。

「それはしょうがないよ。確かに彼女は可哀想だけど、よくある話なんじゃないか? だまされる方も悪い」

「そんな…」

 シエラは両目を見開き、ちょっとショックを受けたような顔をした。

 その両目から涙がこぼれる。

「彼女の借金はいくらになるんだ?おそらく俺たちの持ち金じゃぜんぜん足りないぞ」

 商会からの給金もせっせと貯めているが、エレナのこしらえた借金はおそらく万単位、ケタが違うだろう。

 いや、そもそも金を払って彼女を助け出す、なんてまっとうな考え自体意味がない。払う相手は悪辣な詐欺集団だ。それこそ大金をドブに捨てるようなものだ。

「俺たちでなんとかできる話じゃない。首を突っ込むと危険だぞ」

 泣いていたシエラの目が怒りに染まる。

「イシュルって大人だよね。イシュルがそんな人だとは思わなかった」

 今度は怒りが悲しみに変わった。

「ねぇ、イシュルはエレナがどれだけがんばっていたか知ってるでしょ? エレナは今どんなに苦しいだろう。彼女はこの先どうなっちゃうんだろう。エレナのお母さんはどうしたらいいの?」

 シエラの目から再び涙がこぼれ落ちる。

「イシュルって強いんでしょ? 街でも一番強い傭兵上がりの用心棒に勝ったってモーラが言ってた。イシュルは頭もいいし、きっとエレナを助けることだってできる」

「わたしたちでなんとかできないかな。知ってる人が、ずっとずっと頑張ってきた人が苦しんでいるのに、知らんぷりするなんてわたしにはできないよ」

 玉のような涙を流して、シエラは言い切った。

 涙に洗われた眸がみずみずしい、柔らかい光をたたえている。

 ぷるぷるとからだを震わせて、瞬きもせずにじーっと見つめてくる。

「シエラ…」

 困っていた人がいたら助ける。それが知っている人なら、友達ならなおさら助けてあげないと。

 シエラが言っていることは当たり前のことだ。ひととしてまともな心を持っている者なら。

 大人の自己責任だ。金の問題がある。相手は堅気じゃない。関わらない方がいい。

 シエラはそんなことに拘っちゃいけない、あきらめちゃいけない、もっと大事なことがあるじゃないかと言っているのだ。

 彼女は、彼女の何倍も生きてきた俺よりよっぽど、大きくて真っすぐな、やさしい心を持っていたのだ。大人になると忘れていってしまうことを、彼女はまだ大切に持ち続けている。

 今、自分の目の前にいる娘はそんな子だった。

「わかったよ。なんとかしよう」

 彼女の真心を知った以上は逃げられない。

「あのう……」

 左肩をたたく人がいる。

「その、イシュル、こんなところでちょっと……アレなんじゃないか」

 道往く人がちらちらとこちらを見ている。

 セヴィルがその人の往来を背に、困惑しきった表情で立っていた。





「このお嬢さんは誰だい?どこかで見たと思ったんだがなぁ」

 と右手を顎にやって考え込むセヴィルを、あれから立ち直ったシエラといっしょに必死でごまかし、商会の店舗の中に追い立てたあと、ふたりで商会の建物の横にまわって、イシュルはシエラの話の続きを聞き、おおまかな方針を決めた。

「今晩、『宵の満月亭』を俺が偵察をしてくる。それから作戦を立てよう」

「うん。わたしは?」

 シエラが知っていたのは、『宵の満月亭』の場所と、そこにエレナを含む七、八人の女たちが半ば監禁されるような形で住み込みで働いていること、店の元締めとして店主の上にジノバという、この街の裏社会を牛耳る顔役がいる、ということだった。

 イシュルは街に来て日が浅いせいもあって知らなかったが、ジノバというのはエリスタールではなかなか知られた存在であるらしい。マフィアとか暴力団の親玉と同じ、そのものだろう。

 これはなかなかやっかいだ。ジノバという元締めの存在がきつい。

 だが、とりあえずは「宵の満月亭」から手をつけなきゃならない。

「シエラは俺がお家まで送っていくから。今日はなし」

「えー」

「えー、じゃない。明日、ふたりで作戦を考えよう。な?今日はおとなしくしてろ」

「わかった」

 シエラはさきほどの泣き顔がどこにいったのか、頬を膨らませて唇を尖らし、ちょっと不満そうだ。

 まぁ、なんだ、すぐ元気になって良かった。

「ほんと、お願いだから。な?」

 シエラは頷きはしたが、疑わしそうに、

「今晩さっそく、イシュルひとりでエレナを助けてきちゃうんでしょ?」

「そんな簡単にはすまないよ。明日はシエラにも活躍してもらうから」

「ほんと? イシュルはもう何か考えているのね?」

「ああ、なんとなく」

 いいとこのお嬢様であるシエラには仕方のないことだが、彼女はおそらくこの件を甘く考え過ぎている。エレナを助ければそれで終わると思っている。だが、今回のような事はジノバとその取り巻きを潰さないと何も終わらない。禍根を残さないようにしないといけない。


 シエラを送っていき、商会のみんなと、セヴィルにちらちら視線を向けられ続け、いたたまれない辛い思いを味わった夕食をすませ、みな寝静まってから二階にある小さな自室の、ひとつだけある小さな窓から外に出た。

 隣の家との隙間を、両側の壁にぶつからぬよう気をつけて降りる。表通りに出、石造りの橋を渡り、歓楽街に向かった。

 「宵の満月亭」は歓楽街のメインの通りのやや南より、東側に伸びる細い横道の奥にあった。周りを飲み屋や宿屋などの建物に囲まれている、いわゆる旗竿地が建物の敷地になっていた。

 イシュルはとなりの今は営業していないのか、窓が暗く、人気のない宿屋のような建物の二階の屋根に上がった。屋根の上を「宵の満月亭」の裏側が見えるところまで移動する。

 「宵の満月亭」は敷地が旗竿になっているところ以外はふつうの建物だ。二階建てで、一部外装に石造りの部分があるが全体は他の家と同じ灰色の洋漆喰で覆われている。

 竿の部分に当たる外に伸びる細い道がこの建物の唯一の出入り口で、その細い道に面した部分に店の扉があり、その内側が飲食するスペース、そのとなりが調理スペース、そしておそらく物置きや店の小者らの寝泊まりする小部屋、そしてこの店の支配人や店長などがいる事務室のような部屋、と並んでいる。二階はたくさんの小部屋が並んでいる。二階の小部屋は女たちの部屋で、同時に客に抱かれる部屋だ。

 一階の飲食スペースでは複数の男や女たちが飲み食いし、騒いでいる。時折その声が外まで聞こえてくる。調理スペースと事務の部屋にも人の気配がある。調理スペースにいる者の動きの方が事務の部屋にいる者の動きようり激しい。調理スペースでは火が使われている感じがある。

 そして二階の個室ではいくつかの部屋でふたりの人間がベッドの上でうごめく気配があった。

 しかしなかなか考えられた立地だ。店の扉のある細い通路以外は建物に囲まれ、周りが見えない。あくどい手口で集まられた女たちを働かせるには都合の良い場所だろう。大通りに店をかまえる大きな娼館のように目立つわけではないので、同業者から目の敵にされにくいかもしれない。通りから奥まったところにあるから、娼館に出入りするところを見られたくない客には都合が良いかもしれない。隠れ家的なところが客の気分を盛り上げることもあるだろう。

 前世の日本でならありふれたものだろうが、この世界でなら良く考えられた立地の店だといえる。だが、この店をやってる連中が果たしてそこまで考えているだろうか。やつらがこの地に娼館を建てた最大の理由、それは店の女どもを逃さないためだろう。周りを建物にかこまれ出入り口は一ヶ所だけ。店側はその一ヶ所の出入り口だけを見張っていれば良いのだ。

 店の建物の裏側の扉が空き、老人がひとり出てきた。老人は壁際に並べられた壷をひとつ持ち上げ中へ入っていく。壷の中は酒だろう。入っていく老人の腰に鍵の束が揺れているのが見えた。

 いいものを見た。

 明日はあの店の小者、老人にもしっかり働いてもらおう。

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