お使い


「この仕事は前からギルドに出ていたんだけどね。そんなわけでやっとできるわ。イシュルのおかげね」

 イシュルとシエラは早速依頼を受け、ふたりで連れ立ってギルドを出、街中を流れるエリスタール川の南岸、歓楽街へと向かっている。

 ギルドの依頼をシエラとふたりでやることになったのだが、正確には依頼を請け負ったシエラをイシュルが私的な立場で護衛する、という形だった。

 シエラが前からやりたかった依頼とは歓楽街の娼館で働く女から、エリスタール近郊に住むその女の母親に、生活費として給金の一部を届ける、というものだった。

 以前は店で働く小者に届けてもらっていたのだが、女が一度休みをもらって母に会いに行った時に、母に渡していた金がかなりくすねられていて、半額ほどしか受け取っていないことが発覚した。女は店の上の方に掛け合ってその小者をクビにしてもらったが、お金をごまかさずに渡してくれる者、信じられる者が身の回りにいない。自分で届けようと思ったが、母の住む集落はエリスタールの市街からかるく十里(スカール、十スカールは六〜七kmくらい)以上ある。往復すると、女の足では半日ではすまない。仕事を一日休むことになるので頻繁には届けに行けないし、ひと月、ふた月に一回、となるとそこそこの大金になるので、女ひとりで持ち歩くのには不安がある。

 そこでその女はギルドに依頼を出したのだった。対象はお金をくすめたりしない者、道中万が一危険な目にあっても、金をとられたりしない者、ということになる。

 さらに月に二回、長期で続けられる者、という条件がつき、報酬は一回五十シール(銅貨)ということだった。


「月に百シールだからね。なかなか馬鹿にできないわ。長期だしね。もし一年間やれたら千二百シールだもの」

 ふふふ、とシエラが欲深い笑みを浮かべた。

 確かに千二百シールもあればひと月くらいは余裕で生活できる。

「でもさ、シエラの家はお金持ちだろ? なんでこんなことしてまでお金が欲しいわけ?」

「わたしね、将来は王都に行きたいんだ。王都に行って音曲と絵の勉強をしたいの」

「ほう」

 確かにそれはお金がかかる。

「別に宮廷絵師になろうとか、そういうだいそれたことは考えてないのよ」 

 イシュルが真面目に感心して見せたのがシエラの羞恥心を引き出してしまったのか、彼女は頬を染め、手を振ってちょっと慌てた。

「ただ、王都で流行ってる、おしゃれなものを見たり、聞いたりしたいだけなの」

「なるほど。そういうの、遊学っていうんだ」

 ん?ちょっと違ったか。まあいいか。

「へぇ、イシュルって難しい言葉知ってるね。誰に教えてもらったの?」

 遊学、なんて難しい言葉だろうか。当てずっぽだしな。辞書はもう手許にはないし。

「ほんとはいけないんだけど、あなたのことちゃんと知っておきたかったから、モーラにたのんであなたの登録票を見せてもらったの。書いてある字が凄くきれいでびっくりしちゃった」

 そこはまめな元日本人ですから。っていうか、それは見ちゃだめだろう。

 との思いは心の内にとどめ、イシュルはただ苦笑してシエラの話を流した。

「でね、宮廷に務めている役人とか、王都の大きな商家の息子とかを捕まえて結婚できたらいいな、って考えてたんだ。さすがに貴族さまとかは無理だもんね」 

 シエラのおしゃべりは止まらない。

 最初はお高くとまった近寄りがたい印象があったのだが、あっという間に彼女の方から打ち解けてきて、あっけらかんとなんでも話てくる。

 シエラは城前の広場に面した「三日月亭」という老舗旅館の娘である。彼女の家は旅館をやっているだけでなく近隣一帯の地主でもあった。傭兵ギルドの入っている建物も彼女の家の持ち物である。モーラと大家の娘が顔見知りなのも頷ける話だった。モーラはそれで彼女のやりたがっている仕事の斡旋に力を入れていたわけだ。シエラに付き添って護衛できる相手を探していたわけだった。

「王都に行くお金も滞在費も、お父さんに頼めば全部出してくれるとは思うの。でもそうなると滞在先を親に決められて、きっと礼儀作法や詩歌の勉強とかも強制されてしまうわ。だから自分で少しでもお金を出して、その分くらいは自由にやりたいなって」


 シエラの身の上話を聞いている間に、歓楽街に着いた。

 もう陽はだいぶ高くなり、お昼に近い頃合いだ。今ふたりで歩いているのは歓楽街で最も賑やかな通りなのだが、昼間だからか人影がなく閑散としている。

 イシュルの付き添いが必要なのは依頼主が少女には危険な歓楽街にいるから、というのも理由のひとつだったが、とりあえずこの時間であれば彼女ひとりでもまったく危険はないだろう。

 この時間帯は客も引け、夜までいわば街が眠っている状態だ。堅気の少女がひとりで歩いても声をかけ、ひやかしてくるような者はいない。

 依頼主が住み込みで働いている娼館は通りの中ほどにある、石造りの三階建ての大きな建物だった。エリスタールでもこんな大きな娼館は数えるほどしかないだろう。

 ただこの建物も、昼どきだからかすべての窓が鎧戸で閉められ、両開きの扉も鍵がかけられ、人気がまったく感じられない。完全に「閉店」状態だった。

 シエラと顔を見合わす。

「裏にまわろうか」

 大きくまわり道して娼館の裏道に入ると、そこはいかにも歓楽街の裏手というべきか、傷んだ木箱や布きれ、ゴミが口からこぼれて落ちている麻袋、それに後ろ足で立ってへばりついている野良犬など、汚物と悪臭で満たされた光景が道の奥の方まで続いていた。

 足を踏み入れるとつま先を大きな鼠がさっと、横切っていく。

 シエラを見ると顔が真っ青になっていた。

「俺ひとりで行ってこようか」

 シエラは表情を固定させたまま、ふるふると首を横に振る。

 イシュルはシエラが歩くスペースを充分にとれるよう、端によってゆっくり歩いた。シエラは身を縮こませ、両手でスカートの裾を押さえている。服に汚れがつかないよう気を使っているようだ。

「そんないい服、着てこなきゃいいのに」

 彼女の着てきた服は、今日の行き先を考えれば、たとえ彼女が庶民では上流の家の娘だとしても、ちょっとおめかしし過ぎで場違いなものだった。

「だって。モーラがかっこいい男の子だよ、って言ったから……」

 シエラが顔をつんと横にそらして言った。後半は声が小さくなっている。

「そう?」

 おお、俺、かっこいい、か。

「でも、イシュルってそんなにかっこ良くないよ? どちらかっていうと、かわいい感じ」

 はは。

「あっ、でもわたし、イシュルってけっこう好みのタイプだから…」

 と、落ち込んで見せたらシエラがかなり大胆なフォローをしてきた。

 言ってしまってからその内容に気づいたのか、彼女は顔を真っ赤にした。


 目的の娼館の裏手は土壁で囲まれていた。館の裏側は隠したいのか中には何本か木々が植えられている。土壁の間にひとつだけある小さな門は開いていた。

 中に入ると木々の下に井戸と洗い場があり、女の子がひとり洗濯をしていた。

 女の子に声をかけ、依頼主を呼んできてもらう。

 館の裏口から顔を出した女は思ったよりも若かい娘だった。まだ二十歳前だろうか。だが髪が乱れて頬にかかり、少し疲れの出ている表情は歳のわりに妙に艶かしい。陽に照らされた薄手の生地の寝間着はからだのラインが浮き出ていて、昼間から扇情的な雰囲気を漂わせていた。

 前に出て女と話しているシエラが、後ろ手に掌をぱたぱたと振ってくる。

 おまえはあっちに行ってろ、というわけだ。

 別にかまわないんだが。見た目の年齢と違うし、と思いつつも門の方へ離れることにする。

 館の門の前で、密集して建つ周りの建物をぼーっと眺めていたらシエラが戻ってきた。ひとつかみほどの大きさの皮の袋をイシュルに振って見せ、バスケットに入れた。依頼主の母に届ける金だろう。

「袋の中はすべて銀貨ね」

 シエラが近づいてきて小声で言った。

「ずいぶん多いな。届けに行くのは月二回だったよね」

「亡くなったお父さんが生きていた時に借金してたんですって」

 依頼主の女の名はエレナといった。彼女の亡くなった父は農家の次男坊で、成人するとき小さな畑を親からもらったが、それだけでは食べていけないので畑は兄夫婦に預け、エリスタールの市街に出て木彫り職人になった。結婚後は妻に畑をまかせ、休みの日に郊外の家に帰っていたが、エレナが生まれしばらく経ったころ、家に帰る途中追い剥ぎにあい、給金を奪われ大けがをしてしまった。以後寝たきり同然になり、仕事がつづけられなくなってしまった。務めていた工房から寝たきりでもできる簡単な仕事をまわしてもらい、細々と内職を続けていたがその後は生活が苦しく借金が増えていったという。その頃の借金を今でも細々と返しているということだった。

「そうか。それじゃ届けてもらう時にくすね取られちゃたまらないな」

「うん」

 シエラは神妙な顔をして頷いた。

 

 エレナの実家はエリスタールの市街の南側にある。歓楽街を南に突っ切り、街中を少し東に歩きフロンテーラ街道に出た。そのまま道なりに南下し、途中から西に少し歩いたジュープと呼ばれる小集落が彼女の実家のある目的地だ。

 エリスタールの街並を抜け、郊外に出ると季節はもう冬で、雑草がまばらに生えた黒々とした畑地が広がっている。ところどころに蕪かほうれん草か、青く野菜を植えているところが見える。

「故郷を思い出しちゃった?」

 歩く道すがら、辺りの景色を見ていたらシエラが聞いてきた。

「ん?モーラに何か聞いた?」

「ちょっとだけ。イシュルはフロンテーラ商会で住み込みで働いてるんでしょ」

「そう」

 俺の登録票、見たんだもんね。

「どこの生まれ? ここらへん?」

 それからシエラは根掘り葉掘りイシュルのことを聞いてきた。イシュルがベルシュ家の親戚だと知ると、彼女は昔ベルシュ家が騎士爵を持っていたこと、昔からの土豪だと知っていた。

「それくらいの事はここら辺の人ならみな知ってるわ。ベルシュ家はかつてのウルク王国の神官の末、って言われてるわ」

 ウルク王国はラディス王国の興るはるか昔に滅んだ王国だ。現在の辺境伯領、アルヴァの辺りが都だった。

「へー、知らなかったよ」

 ファーロは村の古老らしく、知らなくていい事は知る必要はない、って固い考えの人だったからな。本人はいろいろと知ってるくせに、質問しても教えてくれない事がよくあった。

「でも我が一族はウルク王国の王家の末だ!なんて言ってる貴族とか田舎領主とかけっこう多いけど」

「まぁそうだろうね」

「なんか人ごとね。イシュルはベルシュ家の人に教えてもらえなかったの?」

「ああ」

 頷いて、シエラに話を振る。

「シエラのお家はどうなの?」

「さあ? そういえば、今まで気にしてなかったな」

 そこでシエラは悪戯っぽい顔をして、

「そうそう、うちもフロンテーラ商会から砂糖とかお酒、仕入れてるのよ。わたしの家はお客さまなんだから、イシュルもわたしをお客さまとして扱わないと駄目よ」

 「三日月亭」への納入や集金にはイシュルもセヴィルやイマルと同行したことがあるが、店の主人の娘であるシエラとは今まで顔を合わせたことはなかった。大きな宿屋をやっているだけでなく、近隣の地主でもある家の娘であれば、出入りする一業者と顔を合わすことなどないのだろうが、次にイシュルが商会の用で「三日月亭」に行くことがあれば、シエラは間違いなく何らかの茶々を入れてくるだろう。

 これからは商会の用事で「三日月亭」に行くのはやめよう。何か理由をつけて絶対拒否しよう、とイシュルは思った。

 

 街道を右に折れ、ジュープの集落が見えてきたところで遅めの昼食をとることになった。道端にふたり並んで座り、シエラが持ってきたパンを食べる。パンは客に出しているものなのか、柔らかくおいしかった。

 商会で仕入れたものか、パンの上に砂糖がまぶしてあった。


 エレナの実家に着いて、金を渡すと早々に来た道を戻ることにする。往路はゆっくりおしゃべりしながら来たのでやや遅れ気味だった。

「書き付けとかもらったの」

 エレナの母が字を書けるか知らないが、彼女の署名のようなものがないとまずいんじゃないだろうか。ちょっと離れて道端から家の前のふたりのやりとりを見ていたが、そういう様子はなかった。

「大丈夫よ。ほら」

 シエラは軽くなったバスケットから小さな木刻りの飾りを出してきた。ブローチやなにかの留め具などに使われる物だろう。

「これをエレナさんに渡すことになってるの。亡くなったお父さんが彫っていたものですって」

 それは細かい木目が波うつ、一輪の花の周りに葉をあしらった素朴なかわいらしい飾りだった。





 エリスタールの歓楽街に戻ってきた時には夜になっていた。道には多くの人が行き来し、両側に建ち並ぶ建物からはたくさんの明かりが漏れ、通りを明るく照らしていた。軒下にランプを吊るしている店もあった。エレナの働く娼館も、昼間とはうってかわって窓からはまぶしいくらいの明かりが漏れていた。

「表側からは行かない方がいいかな」

 娼館の正面の出入り口は扉が開け放たれ、中には店の者と話をしている客の姿も見える。

 ふたりは昼間と同じ娼館の裏側に回ることにした。

 裏道は予想に反し、昼間よりはゴミ類が片付けられ、表通りほどではないが周囲の建物からの明かりもあって、歩くのに苦労することもなかった。この道に面している店もいくつかあるのだろう。

 無事エレナに木刻りの飾りを渡し、報酬を直接彼女から受け取って依頼は無事終了した。

「やったね!」

 シエラが笑いかけてくる。館の光を背に受けた彼女の顔はほの暗く、とても美しくみえた。

 館から裏道に出て帰途に着く。

 だが依頼も無事終了し、これで今日は何事もなくお終い、とはならなかた。

 道をこちらに歩いてきた男がすれ違いざま、イシュル達に下卑た口調で話しかけてきた。

「おやおや、どこかで見たと思ったら、この前の酒屋のガキじゃねぇか」

 男から酒臭い匂いが漂ってくる。

「ククク、なんだよ、女なんか連れやがって。これから連れ込み宿でお楽しみかい」

 男は酔っぱらって少しふらついていたが、腰には細身の剣を差していた。男は「月の宿り木」亭にいた飲んだくれの用心棒だった。

 あれからも何回か取り立てに行っている。イシュルの顔は男にしっかり憶えられていたらしい。

 シエラはイシュルの後ろにまわり、怯えている。イシュルの服の袖を掴み、身を縮こませていた。

「行こう」

 イシュルは男に蔑んだ一瞥を向けるとシエラを促して背を向けた。

「おい、ガキ。待てよ」

 男が後ろからイシュルの肩に手をかけようとするのを、からだを横にそらして避ける。

 目に見えなくても動きはわかる。

「こいつ……」

 男が剣に手をかけた瞬間、イシュルは振り向きざま、男のみぞおちを蹴り上げた。

 すうっと道を風が吹き抜けていく。

「……」

 男が声にならない叫びをあげ、尻餅をついた。

「ぐぇっ、げほげほ」

 男はみぞおちを蹴られ、一瞬呼吸ができなくなったのかさかんに咳き込んだ。イシュルは背中に背負っていた剣を鞘ごと抜き取ると、そのまま男の右肩に激しく打ち付けた。

「ぎゃっ」

 男は叫ぶと身を反らしてもんどりがえる。鎖骨が折れたのだった。

「いててて」

 イシュルは剣を抜くと半泣きになっている男の顔に突きつけて言った。

「次、取り立ての邪魔したら、もう片方の骨も折るからな」


 シエラを家に送る道すがら、イシュルは村の想い出や商会のことなど、なるべく明るい話を出して彼女を元気づけようとした。依頼を無事こなして安心していたところでいきなりの荒事で、彼女がだいぶ動揺しているように感じたからだ。

 城の前の広場に面する彼女の家、「三日月亭」の傍まで来ると、胸の前で手を組み、彼女が明るい声でいった。

「今日はありがとう。ちょっと怖い目にもあったけど、イシュルに守ってもらえてうれしかった」

 あれはどちらかというと俺がからまれたんだが。 

 そう思いながらも笑って頷いて見せる。

「この次もよろしくね。おやすみなさい」

 ん?

 何か忘れているような。

 シエラが身を翻して「三日月亭」の正面の扉の方へ駆けていく。

 そうだ。

「ちょっと待て。取り分!俺の取り分は?」

 扉に手をかけたシエラが振り返って、舌を出してみせた。

 

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