ギルド 2

 

 ギルドにはひと組しかないという女性用の小さな革鎧をつけ、片手に木剣を持ち、ツワフの後について、ギルドの建物の裏手にある階段を降りていく。

 二階のギルドのあるフロアには、カウンターの奥の事務スペースの裏にももうひとつ階段があり、建物の裏に直接出られるようになっていた。

 イシュルは階段を降りながらツワフの後ろ姿を見つめた。先日はじめてギルドに来た時、同じ部屋にいながらこの男の存在に気づけなかった。フロアの奥の方は窓もなく薄暗く、本人が椅子に座り、書類がうずたかく積み上げられた机の奥に隠れて視界に入ってこなかったのは確かだが、息でも止めてまったく動かない、というくらいでないと、人の存在を知覚できないことはまずあり得ない。

 この男も小さいとはいえ傭兵ギルドのギルド長だ。魔法具を持っているのかもしれない。あるいはあのフロアに何かの仕掛けがしてあるのか。

 だが、魔力が働いている気配は感じられなかった。それは魔法具を持たない、魔法が使えない一般の者に加えて、魔法具を持つ者、魔法使いに対しても隠蔽したり、撹乱させることができる魔法具が存在するということではないのか。使用者の気配を消し、同時に魔力も感知させないようにする魔法具があるのかもしれない。これは充分に注意すべきことだった。


 ギルドの裏は商会の裏手とよく似ていた。エリスタールの市街地はどこも似たようなつくりになっているのだろう。同じブロックの家々に囲まれ、ほぼ中央に井戸や洗濯場があり、周りには家ごとに板きれや丸められた布、木箱や壷、荷車などが雑多に置かれていた。ただ、ここにはギルドの建物寄りに少し広めの空き地があった。

 もとから革鎧を着けていて先に行っていたゴルンが大きな木剣を持ち、その空き地にひとり立っていた。

 あれからゴルンにはいろいろ聞かれたが、イシュルがフロンテーラ商会で商人見習いをしている、と言うと目を丸くして驚いた。

「へぇ、そりゃ奇遇だ。俺もフロンテーラ商会の仕事は良くやってるんだ。ベルシュ村にもよく行ってた弓と長槍のやつ、あいつらもいっしょにな。これからも店の主人に言って、どんどん仕事、まわしてくれよな」

 そしてニヤリとすると、

「お客さんだからな。やさしくしてやらないと」と言った。

 そんなことで空き地に立つゴルンはにこにこ、愛想良くしている。

 イシュルがゴルンから十長歩(スカル、六〜七メートル)ほど間を空けて立つと、ツワフが審判をやるつもりなのかふたりの間に立ち、

「じゃあ、お互いに、首から上の攻撃は禁止、片方が降参したらそこで試合はやめ、で」

 そしてゴルンの方を向いて、

「相手は子どもだから、本気じゃなくてそこそこでね」

 と言った。


 ふたりは正対した。ゴルンが両手で木剣を構えると、イシュルも木剣を構えた。

 ゴルンは肩幅くらいに両足を開き、剣先をやや斜めに倒して細かく振りはじめた。

 対するイシュルはやや腰を落とし、剣を正眼に構えた。

 両腕をかるく引き絞る。

 そして左足をわずかに下げ、右足をするすると前に出した。 

「坊主、おまえ……」

 イシュルの構えを見て、それまで余裕のある笑みを浮かべていたゴルンの表情が一変した。

 目がすわり、引き締まった真剣な表情になる。

 彼にはわかったのだ。

 その構えが素人のものではないことを。

 剣道の形にも単に竹刀で打ち合うだけでない、真剣での、実戦で培われてきた武術の要素が少なからず残っているだろう。経験豊富なゴルンは単に初見だからというだけでなく、その構えに何か危険なものを感じとったのだ。

 ただ、イシュルは、そのゴルンを警戒させた構えそのままの実力を持っているわけではない。数年間、素振りや剣道の形を稽古してきたとはいえ、師匠がいたわけでもなく、特別な剣の才があるわけでもなく、真剣での実戦経験もない。そのまま打ち合えば所詮は素人の少年、本気になったゴルンに簡単に打ちのめされてしまうだろう。

 だから、彼は魔法を使うことにした。

 ふたりの間に微かに風が吹く。

 イシュルは全身、特にからだの後ろ側、足元に空気を集めて自らの動きをアシストするようにした。右足で踏み込み、左足で地面を蹴るときに力を加え、次に全身を前に飛ばす。

 視覚よりもゴルンの呼吸や足元の空気の微妙な変化の方が鋭く感知できる。

 イシュルの眸に力が消えていく。

 ゴルンはその小さな変化を見過ごさなかった。

 ゴルンはその変化をイシュルの集中力が途切れたか、あるいは怖じ気づき気後れした、などと考えたろうか。

 風が止んだ瞬間、ゴルンが突っ込んできた。

 剣を振りかぶるようなことはせず、構えたままの高さで剣を突き出してきた。さすがに実戦経験が豊富なのか、威力よりスピードを選んできた。イシュルの胸か腹のあたりに、リーチの長さを活かした突きを入れようとしてきたのだ。

 イシュルはゴルンが動きだした瞬間には飛び出していた。やや右へ飛び、からだを沈め捻りゴルンの左小手を狙った。

 ゴルンはイシュルが早すぎて反応できない。イシュルはゴルンの左小手にこするように木剣を打ち当て、からだを横に回転、片膝立ちに振り返り剣を前に突き出した。

 イシュルが小手を打ち、からだを回転させ後ろに逃れる間に、ゴルンは体勢を崩しながらもなんとかからだを左に捻り、剣を袈裟斬りに振り回そうとしていた。目の前にあるイシュルの剣先を見て、ゴルンは動きを止めた。

「ほう、驚いた」

 ツアフがびっくりしている。

「坊主、凄いじゃないか」

 ゴルンは木剣を放り投げると左の革製の小手をさすり、

「しかもあまり痛くない。さっきのは手加減したな? 随分と余裕があるじゃないか」

 と言った。


「これで行商の護衛や用心棒もたのめることになったわけだが、どうしようか」

 ツアフがカウンターの奥に立ち、平綴じされた紙の束をめくりながら言ってきた。請負のリストを見ているのだろう。

 あの後三人はギルドのフロアに戻ってきた。イシュルが荒事でも請け負える、という事になって、改めて彼でもできそうな仕事があるかツアフに見てもらっていた。

「おい坊主、娼館の用心棒なんかいいぞ。夜の仕事だからな。昼間の商会の仕事を済ませてからやればいい。通いもできるしな。しかもおまえみたいなやつ、店の女どもからもたっぷり可愛がってもらえそうじゃないか」

 ひひひ、とイシュルの横にいたゴルンが下卑た笑いをした。

 ツアフの横、カウンターに座っていたモーラが露骨に嫌な顔をした。そして、ツアフから請負リストの綴りを取りあげるとその何枚目かを開き、

「急ぎの依頼で、なかなかやれる人がいなくて困っているのがあるの。明日、その依頼をやりたがっていた子と話してくるから、明後日の朝、また来てくれる?」

 とよくわからないことを言ってきた。


 当日の朝、ギルドに顔を出すと、イシュルと同い年くらいの少女がカウンター越しにモーラと話していた。

 少女はすっと姿勢良く立ち、イシュルと同じくらいの背丈で、鮮やかな赤色のスカートに白いブラウス、同じ赤色のベストに上からベージュのショールを羽織って、茶色の革のブーツにつば無しの赤い色のかわいい帽子を頭に載せていた。左手に木の皮で編んだ、小さな留め具のついたバスケットを持っている。

 場末のギルドには似つかわしくない着飾った衣装に持ち物、それは街でも中流以上の家の娘のものだった。

「あら、イシュル、来たわね。お早う」

 モーラが少女から視線をはずし、カウンター越しに挨拶してきた。

 少女もつられてこちらに顔を向けてきた。

 少しつり上がった目が勝ち気そうな、整った顔立ちの娘だ。

 イシュルをじっと見つめてくる。

「この子よ」

 モーラが小声で娘に話しかけている。

 イシュルを凝視していた少女の目が値踏みするような目つきに変わった。不遠慮な視線がイシュルの全身を上から下へ、下から上へと移動する。

 上がってきた視線はイシュルの顔でぴたりと止まり、少女はにっこり微笑んでうんうん、と頷いた。

 そして、

「わたしの名はシエラ。よろしくね」

 と言ってきた。


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