ギルド 1

 

 その女はカウンターにだらしなく身をもたせかけ、手ずから酒の壷を陶器の杯に注ぎ飲み続けていた。

 エリスタールの、飲み屋や娼館が集中する一画、商会が酒を卸している飲み屋のひとつだ。

「だからさぁ。今旦那がいないんだよ。来週にでも来てくれない?」

 女が横目に鋭い視線を向けてくる。

 酔っぱらってるの、見せかけなんじゃないか?

「この前もそのようなお話だったので、今日伺ったんですが」

 対するイマルはにこにこ、愛想良く応対している。

 ここ「月の宿り木」亭は、商会の抱える顧客の中で最も支払いの悪いお客さん、一応宿屋も兼ねた居酒屋だった。

 イシュルは店内に目をやった。部屋全体が薄汚れた感じで、あまり繁盛しているようには見えない。まだ客が来る時間ではないが、客席にはだらしない風体の男がひとり、酒を飲んでいた。テーブルに細身の剣を立て掛けている。

 街中では剣を差している者はあまり見かけない。この時間からこんな店で酒を飲んでいるのだから堅気ではないだろう。

「いないもんはしょうがないじゃないか。払えないもんは払えないんだよ」

 イマルに聞いた話では、この店に出資している者がいて、その男の愛人がこの女で店をまかされている、ということだった。「旦那」はこの店にはいない。その男が誰か、どうせろくなやつじゃないだろうが、調べてそいつに請求してもいいのだが、そうなればこの店の店主であるこの女の面目は丸つぶれだ。

 それをやるのはこちらから取引を止める時だが、もうそろそろ潮時だろう。

「でも、もう随分とお支払いいただいてないんです。なんとかなりませんか」

「うるさいねぇ」

 食い下がるイマルに業を煮やしたか、女は口汚く吐き捨てるように言うと、ひとり酒を飲む男に顔を向けた。

「ちょっと、酒ばかり飲んでないでひとつたのむよ」

 男が面倒くさそうに立ち上がった。立て掛けてあった剣を持ち鞘から抜いた。

 来たか。なんか何かで見たか読んだか、おなじみのパターンだ。

「おい、いいかげんしろよ。ひとがいい気分で飲んでるときに」

 思ったより長い剣をこちらに向けて凄んでくる。疲れた表情をしているがまだ若い。イマルよりやや上くらいだ。

 イシュルはイマルの一歩前に出た。

 店の中に微かに風が吹き込こむ。

 この男を痛い目にあわすのは簡単だが、当然魔法を使ったと思われないようにしないといけない。今日は剣を持ってきていない。どうやるか。

 そこでイマルがイシュルの腕を後ろから引いた。

「ここは引こう」

 小声で声をかけ、

「仕方がありませんね。また来ます」


「あの店はもう駄目だね。取引を止めないと」

 まだ人もまばらな歓楽街の通りを歩きながらイマルがぼやいた。

 エリスタールの歓楽街は街を流れる川の南岸、下流にある。飲み屋、娼館、連れ込み宿、賭場、何か得体の知れない生業の店などが狭い区画にひしめいていた。

「店の女が言ってた旦那さん、のところに行きますか」

「いや、その旦那さんのこと、この前セヴィルさんが調べてたんだけど、けっこうまずい生業の人でさ。ここら辺の顔役のひとりみたい」

 イマルは声をひそめ、あたりをきょろきょろ見まわした。

「だからあの店から直接取り立てたいんだよね。なるべく穏便に」

 そしてイマルは腕を組み、

「お金はかかるけど、傭兵ギルドで用心棒をひとりふたり頼めば楽なんだけどね」

 傭兵ギルド! そういえば今度行かなきゃって思っていたのだ。

「傭兵ギルド、ですか?」

「うん。うちも時々たのんでるよ。小さなギルドで傭兵以外にもいろいろとやってるみたい。まぁなんでも屋だね」





 数日後、商会で半日ほど仕事がない日に、イシュルは傭兵ギルドに行ってみることにした。

 セヴィルには前もってギルドに行き、そちらの仕事も商会が暇な時にはやりたい、と正直に話した。

 どうせイシュルくらいの歳では、隊商の護衛や商家の用心棒など危険を伴う仕事はやらせてもらえない。今後はわからないが、魔獣の討伐依頼などもこの地域では滅多にない。おそらくエリスタールの街中や近郊への手紙や物品の配達くらいしかやらせてもらえる仕事はないだろう。

 小遣い稼ぎ、街の人々、特に同年輩の知り合いをつくりたい、街と周囲の地理を覚えたい、暇つぶし。イシュルはいろいろと理由を積み上げてセヴィルを納得させた。

 商会は先日の黒糖や木樽で熟成した高級酒など、単価が高い物を扱い、しかも卸売が中心で小売りはほとんどやらないので、毎日朝から晩まで忙しく働く必要はない。かさばる酒の配達も近所の若者や老人など下働きで雇って手伝わせているのでイシュルとイマル、どちらかがついて行けば良い。店や倉庫の掃除も近所の子どもが手伝いにくるので、無理にやる必要はない。ということで、普段は割と手が空く時間があるのだった。

「どうしてそんなことやるの?」とイマルは聞いてきたが、

「将来はできれば王都かアルヴァ辺りにでも行きたいんです。だから今のうちからお金を貯めたくて」と答えておいた。

 セヴィルとフルネ、夫婦には子どもがいない。このままいくとイマルが養子になって商会を継ぐことになるかもしれない。イシュルはそこに割り込む気は当然なかったし、そう思われるのもいやだったので、いい機会だと思って自分の考えている将来のことをちょっとごまかして伝えておいた。


 なんでも屋、傭兵ギルドは城前の広場に集まる道のひとつを少し奥に入ったところにあった。一階は武具屋、とういか実質金物屋兼研屋で、古くさい傷んだ扉を開け中に入ると、最初に巨大な戦斧、いったい誰が持つんだ、というようなバルディッシュ、ハルバードなどが目に飛びこんできた。そしてそれらの下には両手剣や槍、片手剣やナイフ、鉈や鋤、鍬の類いなどが部屋を覆うようにして乱雑に立て掛けられていた。手前には中年の職人があぐらをかいて大きな砥石に調理用のナイフを当て、刃を研いでいた。

 しばらくぼーっと見ていたのだが、職人はイシュルに気づいているのかいないのかまったく反応しない。ギルドが二階にあり、それなりにひとの出入りはある筈なので、声でもかけられない限りいちいち反応しないのだろう。

 イシュルは脇にあるやや狭い階段を登っていった。

 階段を上ると内扉などはなく、いきなりギルドのフロアになっていた。手前は少し広めのスペースがあって小さなテーブルがひとつに椅子が二脚、奥にカウンターがあり、年齢が二十台くらいの平凡な容姿の女がひとり座っていた。

「いらっしゃい」

 女は顔を上げ、階段を上がってきたイシュルを見て声をかけてきた。

「ここが傭兵ギルドでいいの?」

「そうよ。ここは始めてね?こっちに来て」

 女は下を向きごそごそとやると、平閉じされた紙の束を出してきて言った。

「では最初に登録しましょう。字は書ける?」

 一瞬偽名の方がいいかと思ったが、年齢、性別の他に住まい、居住地も書かなきゃいけないので、正直に本名を書くことにした。まさかとは思うが後で照会なんかされたらたまらない。

 居住先にセヴィル商会と書いたら女は、

「あら、お客さんじゃないの」と言ってきた。

 そこで、部屋の奥で人の動く気配がした。カウンターの奥には巻紙や紙の束、石盤などが乱雑に積み重なった机が並んでいて、その奥に誰かがいたらしい。

 中年の、妙に存在感の薄い男がのっそりと立ち上がってこちらに歩いて来、カウンターの女の脇に立った。

 え!?

 イシュルはその男の存在に気づかなかった。いや、気づけなかった。


 男の方は名はツワフといい、この小さな傭兵ギルドのギルド長をしていた。女の方はモーラと名乗った。男とよく似た印象の薄さ、年齢からツワフの娘だと思われた。普段はこのふたりでギルドを切り盛りしているらしい。

 カウンターにはモーラに代わりツワフが座った。こちらが客筋だという配慮だからだろうか。

 フロンテーラ商会はおおよそ三ヶ月に一度、フロンテーラの本店で商品の仕入れを行う。その時には当然、道中の護衛に用心棒を雇う。その手配をこのギルドに頼んでいたのだった。

「十三歳かぁ」

 ツワフが幾分愛想の良い感じで言った。

 数えでは十三だ。問題ない。

「もう少し年齢がいってないと、危険な仕事はまかせられないなぁ。それに、泊まりとか、住み込みとかは無理だろう? 商会の仕事があるものね」

 そういってツワフが出してきたのはろくでもない仕事だった。

 商家のご隠居の買い物の手伝い、五シール(五銅貨)

 露天商の荷車引き、十シール

 銀細工工房の雑用、二十シール

 セウタ村への手紙の配達(不定期)、三十シールから、なんてのもあるが、朝イチで出発して早歩きで行っても、帰ってくるのは夜になる。三十シールから、というのは手紙が一通の場合だろうが、手紙が二通になったとしてもおそらく六十シールにはならないだろう。五シールではパンをふたつくらいしか買えない。街中の食堂などで食事をすれば十シールでは済まない。

 まぁ、子どものお使いに毛が生えたようなものだからこんなものなんだろうが。

「あの、今日は持ってきてないけど、剣が使えるんです。あと一泊くらいなら、何とかなるかも」

「うーん」

 ツワフは腕を組み考え込む風をする。

「剣が遣えるって、誰かに習ったの? まさか騎士団の騎士からとか?」

「えーとそれは……」

 さて、どうするか。すぐばれるような嘘をついてもしょうがないし。

「お得意さんだもんね。仕方がない」

 イシュルが言い淀んでいると、ツアフの方で折れてくれたらしい。彼はモーラの方を見て、

「ゴルンが帰ってくるのは明後日だったか」

「はい」

「じゃあ、三日後の昼過ぎにまた来て。うちでよく仕事を頼んでる傭兵に、きみがどれだけ遣えるかみてもらおう。かるく練習試合でもやってもらおうかな」

 おお! これは絶好の機会だ。

 プロの傭兵、用心棒に自分の剣がどれだけ通じるか試すいい機会になる。

 ギルドのお使い仕事を請け負うより、ぜんぜんためになるじゃないか。

 そこでツワフは掌を出してきて言った。

「二十シールだ。手間賃ね」





 三日後の昼、イシュルは再び傭兵ギルド、なんでも屋に向かった。今回は背中にエルスにもらった大人用の片手剣、イシュルは両手剣として使っているが——を背中に背負っている。

 道を行き交う人の目が気になったが、イシュルの剣にちらっと目をやる人がたまにいるくらいで、多くの人は気にもかけなかった。それほど心配することではなかった。

 ギルドの階段を上ると、フロアの椅子に長剣を抱え、握りの上に顎をのせ、ぼうっと座っている大男がいた。肩の筋肉が高く盛り上がっている。

  大男は首を持ち上げてイシュルを見、しばらく考える素振りを見せると大きな声で叫ぶように言った。

「坊主!久しぶりだな。おまえがそうか」 

 大男、ゴルンはベルシュ村に来る行商の護衛で時々来ていた、あのからだの大きい用心棒だった。

 

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