第11話 【見方によって変わる真実】
「違うだろうっ! そうじゃないっ!」
今度否定を叫んだのは尼将軍の方だった。彼女は悔しそうな表情で、首を左右に激しく振りながら、また違うっと声をあげた。
「そうだね。違う。殺したというのは語弊があるよ。……死なせてしまったというのが正しい。この事件は事故だった。そうだろ?」
自分が犯人だと自白したばかりの仁志に問うと、彼はどう答えていいか分からないのか、言葉を詰まらせた。……まあ、かなり辛いことをさせてしまったし、後は私が引き継ぐとしようか。
立ち上がり、彼の側まで行って頭を一度だけ撫でてやった。それが事切れたように、彼はまた俯く。
「この事件は事故だった。あの子犬は殺されたんじゃない。これが真相だね、尼将軍」
恐らく昨日まで唯一この事件の真実を見抜いていた彼女に質問する。
「お前……さっきまで披露していた自分の推理は、全部演技だったのか」
「ああ、もちろんだよ。けど演技させたのは君だろう。君はどうしてって、君が犯人だって結論を私に出してもらわないといけなかった。だから昔なじみの橘まで協力者にして、自分に不利な証言ばかりさせたんだ」
さっきまで私が話していた推理は、確かに私が昨日までに手に入れた手がかりで構成したものだ。どうあっても彼女以外犯人になり得ない。妙だな、おかしいなと思っていた。だけどこれが、彼女が自らを犯人であるとするための、偽装した手がかりなら納得がいく。
「やっぱり警察の介入がないのがいたいよね。君の計画通り警察が介入しなかったせいで、事件がこんなにややこしくなった」
私が教室で憂いした通り、この事件に科学の力がないのはきつかった。
「ひぃ君が子犬を死なせてしまい、その死体を君が切り刻んだ。そうだね?」
「……そうするしか無かった。お前が分からないわけないだろう」
彼女の言うとおり、分からないわけがない。私が彼女と同じ立場なら同じ行動をしたかもしれない。テーブルに置いてあった携帯の画面に映る子犬の死体を見つめる。切り刻まれたグロテスクな姿。
私はこれ見たとき、この事件の裏には悪意があると思った。けどそれは全然違って、この事件には善意しか存在しなかった。
「君が子犬の発見される前日に早く帰宅したって証言を得て、ようやく確信を得たよ。恐らく君はその日は本当に何か用事があったんだろう、そして子犬の世話をひぃ君に任せた」
「……ああ。家の用事で、どうしても世話ができなかった」
「もちろん、ひぃ君は快く引き受けた。これまではよかった。しかし、彼の善意が空回りをしてしまったんだ。それが事件の発端だね」
ゆっくり目を瞑って、私はある証言を思い出す。最初はそれが証言になるなんて思っていなかった。昨日、尼将軍に会った後に廊下で会った後輩二人組の姿と、その一人が放った言葉だ。
『けど櫻井君、料理上手かったよ。彼の班はハンバーグだったけど、すごく手際がよかったもん』
彼女のこの言葉が全てを繋げてくれた。事件の前日というと、仁志のクラスで調理実習があった日だ。そして彼女は彼が作ったハンバーグをいくつか弁当箱に入れて持って帰っていたとも言っていた。
「ひぃ君、君は餌のつもりでハンバーグを子犬に与えてしまった」
俯いたままの彼が、小さく頷くのが確認できた。
「……犬にとって、タマネギは毒物なんだよね」
「……ああ。タマネギに含まれている養分の中に、犬の赤血球を破壊するものが含まれている。普通なら大量に獲らないと死なないが、それは犬による。ましてや子犬なら、どうなるかなって大きな個体差が生まれてしまう」
尼将軍が諦めたように丁寧に解説していく。昨日の夜、自分でも調べていたので今は知っているが、犬にとってタマネギがよくないという大雑把な知識しか昨日までは持っていなかった。
ハンバーグには色々と具材を入れただろう。タマネギがなかったとは思えない。
「見た目は好物のお肉の塊だからね、子犬は臭いに警戒しつつ食べた」
一見するとおいしそうだから、手を出してしまう。私が昨日仁志に言ったことだ。
「君は餌をやり終えてその場を去った。しかし犬の中毒症状はその後に出て、子犬は死んでしまった。そして、朝か夜かは分からないが、念のために子犬の様子を見に来た尼将軍がそれを発見する」
「朝だ。あの日は本当に委員会の用事もあったし、かなり早めに家を出て、橋の下に行った……」
「なるほどね。そしてそこで死骸を発見した。昨日、橘が言っていたよ、君の将来の夢は獣医だったね。君には何で子犬が死んだか、恐らくは一目で分かった」
もしかしたらハンバーグが残っていたかもしれない。彼女はとにかく、死因がタマネギであることと、それを与えた人物がすぐに分かった。なにせ自分が世話を頼んだのは、一人だったんだから。
「君は、ひぃ君の失敗をカバーしないといけないと考えた」
そして彼女は実行する。子犬の死は隠しきれるものではない。しかもその死因が毒物であると分かれば、仁志は自分が与えた餌に疑いを持つだろう。そして調べればすぐに分かったはずだ、タマネギが犬にとっては毒であると。
彼女はそれを回避する方法を編み出した。それが、あのグロテスクな死骸へ繋がる。
「尼将軍、君は毒死という死因をとにかく隠さないといけないと考えた。だから、死骸を運び出して、校内へ入れ、切り刻んだ。見た目だけで死因が分かるようにね」
あの死体を見たとき、私は思わずグロテスクだと素直な感想を漏らした。しかし、そうすることが彼女の目的だったんだ。あれだけの外見なら、それが死因だと決めつけてしまう。誰も他に死因があるとは思わない、まさか毒死なんて。
校内に入れた方法などはさっき私が話したので合っているのだろう。
この方法なら私がさっきの推理で説明できていなかった、死骸を校内へ入れた理由も分かる。彼女は間接的に、第三者の口から仁志の耳に「子犬が校内で切り刻まれて殺された」という情報を入れておきたかった。
それなら仁志だって死因は、何者かによる明らかな悪意だと決めつける。そうなれば、彼が自分の餌に疑いなど向けるはずがない。それこそが彼女がどうしてもしなければいけなかったこと。
生徒会長として婆さんと面識があり、性格を知っていた彼女なら警察には通報されないだろうと予想出来たはずだ。科学捜査が入れば、すぐにでも死因が分かって、彼女の目的は崩れ去ったのに。
彼女の予想通り、学校は警察へ通報しなかった。
「しかし、君にとって予想外のことが起きた。私が事件を調べだしたことだよ」
彼女としては警察が介入しない以上、死因も分からず事件は未解決のまま闇に葬られるはずだったのに、ここで私という個人が調べだしたことで計画に歪みが生じた。仁志さえ誤魔化せれば良かったのに、私まで騙さなければいけなくなってしまったのだ。
「どうでもいい生徒だったら、何もしなかっただろうが私はひぃ君と個人的に繋がりがある。もしも私が捜査を進めて、彼の与えた餌にまでたどり着けば真相が見破られてしまうと思った君は大急ぎで、私用の真相を用意することにした。――それがさっき私の披露した推理だね。君が犯人だっていう、急ピッチで作った虚像だ」
短い時間で複雑なものを考えつくほど、彼女は悪党じゃなかった。だけどもなんとか私を誤魔化し、仁志に真実を知られないようにしないといけないと考えて、私が彼女を疑っているという状況を利用することにしたんだろう。
「……気にくわない。橘にまで頭を下げたのに」
「そう、昔なじみまで利用してね。君はまず、私に疑いの目を向けさせるように、わざとらしい証言をした。そして私が捜査を進めている間に橘に手伝ってくれと頼んだんだろう。それが、昨日の口げんかだ」
私が最初に引っかかったのはこれだった。尼将軍と橘が口げんかをしていたのは、別に構わない。これだけなら私は単純にその内容にだけ興味を示せただろう。しかし、明らかな矛盾がそこに生じていたのだから、それを無視できるはずがない。
「時間のずれはここでも起きていたんだ」
昨日、私はいつも通りチャイムが鳴る少し前に登校した。事実、友人と話し終えたところでチャイムが鳴った。この学校でチャイムが鳴るのは八時半。そして彼女のいつもの登校時間は七時半頃だという。それにも関わらず、私の友人が彼女たちの口げんかを見たのは二十分ほど前だと言っていた。つまりは八時過ぎ。
彼女が校門にいる時間としては、かなりのずれがあった。
「三十分遅れて登校したのは、より多くの生徒に自分たちが言い争いをしているのを見てもらい、その中の誰かに私に証言させるためだね」
そして彼女の策略通り、私の友人は私に情報を寄越したのだ。
「そしてあとは自分に疑いを向けさせるような発言ばかりして、私を橘の処へ向かわせた。彼には当然、自分が不利になるような証言をするように頼んでおいたんだろうね」
彼が昔なじみのくせに彼女に不利な証言ばかりすると不審に思っていたが、逆だったのだ。昔なじみだからこそ、その彼女の頼み通りに行動したんだろう。ただ、獣医という夢を教えたのは失敗だったとしか言いようがない。
「そして彼の証言に従い、私は段ボールハウスへ行った。そこで学生証を拾わせて物的証拠まで手に入れさせた。そして私がさっきの推理で事件を片づければ、それで終了だったんだろうね」
ところが、その学生証こそが私が真実を掴む最大のきっかけとなってしまったというのだから、彼女にとっては皮肉なことだろう。
あの学生証は裏向けに落ちてあって、私はそれを拾った。しかし表を向けても泥水がついていたので誰のか分からず、それを拭き取って彼女のものだと判明した。これが私にとっては全ての糸口だった。
「昨日は私があそこにいくまで雨が降っていた。それなのに、地面に接していた表面に泥水がついていて、空の方を向いていた裏面はぬれていなかった。だから、あれは雨がやんだ後に置かれたものだって分かったんだ」
そして彼女の学生証なのだから彼女が故意的にそこに置いたとしか考えられなかった。おそらくは橘が私と話している間に置いてきたのだろう。
そこまで考えたなら、彼女が自分を犯人だと私に推理させようとしているのだと気づける。そして自らが犯人だと名乗る理由なんて、いくつもない。
誰かを庇うため。
それしかないだろうと私は考えた。もちろん、誰かというのは簡単に想像できた。思えば彼女は私が二回目に会いにいったとき、仁志に何か吹き込んだだろうと、随分怒っていた。あれは自分が一番恐れていた仁志に真実が漏れるということが、起こりそうだったからだろう。
仁志が故意的に子犬を殺すわけがない。だから、ハンバーグの証言を思い出して、全てを繋げることができた。そして昨日彼に言ってやったのだ、ヒントとして。
恋は毒物だと――。
「ひぃ君に隠すつもりだったんだろうけど、彼も気づいてたんだよ、君の態度でね。明らかに自分に疑いを向けさせるようなことをするから、ひぃ君だっておかしいと考えたんだよ」
そして見事に私の演技の推理を否定して、答えを出したのだ。当人にすれば本当に辛かったと思う。普通なら他人が自ら罪を被ってくれるというのだから黙っていればいいものを、それを名乗り出て否定した。
……成長したね。
「さて、これが今回の事件のあらすじだ。よくもこんなに事態をややこしくしてくれたものだね、尼将軍。私はもう疲れたから、今日は早く帰って一杯することにするよ」
もう話すことなくなったので、二人を残して何の迷いもなく部屋を出た。廊下に出て少し歩いたところで、生徒会室の扉が開く音と、こちらに駆け寄ってくる足音が聞こえたので振り向くことはしないで、足だけ止めた。
「なぜだ」
尼将軍の切羽詰まった声が背中に刺さった。
「櫻井に悪意が無かったことくらい、お前なら分かるだろ。あいつが罪悪感を背負う必要はない、責任は彼に任せた私にあるんだ。だから、必死にお前を欺こうとした。それが悪いとは思ってるが、そっちの方が誰も傷つかないだろっ!」
彼女の言い分が分からないほど鈍くはない。確かに、彼女のとった選択は自らを犠牲にするものだ。けどそうすれば、少なくとも仁志があそこまで落ち込むことは無かっただろうし、今後変な罪の意識を背負うこともなかった。彼は善意の行動をしただけだ。だから彼が傷つくのは、あまりに可哀想だという。
そんなこと、言われなくても分かる。それでも私は彼女の仕掛けた芝居に付き合うわけにはいかなかった。
「君の理屈は理解してあげるよ。私だってひぃ君とは長い付き合いなんだ、あんな姿できれば見たくなかった」
「ならっ」
「けど一つだけ、君は間違っているよ」
振り向いて、未だに動揺と屈辱の色を浮かべている彼女の瞳をのぞき込んだ。
「誰も傷ついてない、なんてことはないよ。君がしたことで、ズタズタにされたものがある。私はそれを尊重した」
彼女が困惑した表情になって、何を言っていいか分からないという様子になった。私はそれ以上何も言わず、また背中を向けて歩き始める。今度は彼女が追ってくることもなく、いつも通りの外の風景を楽しみながら廊下を歩いた。
階段を下りて一階についたところで、一人で立っている橘がいた。私に気づくと、気安く手を挙げて挨拶してくる。
実を言うと、彼にはもう昼休みのうちに話をしていた。君は尼将軍に協力しているだろうと問い詰めると、こっちが驚くほどあっさりと認めた。幼馴染みの頼みを断るわけにはいかなかったと。
「話は終わったの?」
「ああ。後味が悪くて仕方ないよ」
一つだけ、どうも納得できないことがある。彼が彼女に協力していたなら、彼はある程度の真実を聞かされていたはずだ。ならば、私に彼女の将来の夢を教えるなんてするだろうか。あれが中々のヒントになった。
可能性があるとすれば、一つだけか。
「君、昨日言っていたね。心に決めた人がいるって。それってさ、私が知ってる人かな?」
下世話な質問にも関わらず、橘は照れることもいやがることもなく、さっぱりとした顔で答えた。
「当人にはずっと前に振られてるよ。未練がましくて、自分でも嫌になるけど」
彼女が仁志を庇うために自ら罪を被るというのは、橘にとってはあまり面白くないことだったろう。だから、あえて私にヒントを出したのか。……意外と、いい性格をしている。
「私でよければいつでも声をかけてくれ。いい女だよ、私は」
「それで、誘いにのった男はいる?」
「最近は草食系の人が多くてね」
はははと笑われてしまい、結局彼は返答をしないまま去っていった。
私は体育館の裏まで行き、子犬の墓参りをしようとしたのだが先客がいた。スーツ姿の海野先生だ。そういえば、依頼主である先生にまだ報告していなかったと思い出す。
「事件の方なんだけどね、結局分からなかったよ。けど安心して欲しい、もう被害者は出ないから」
無責任この上ない発言なのに、先生はそう飄々という私を見たまま、表情を変えることはなかった。そしてしばらくして、そうかと一言呟く。
先生が真実を知るはずもない。だけど納得してくれたということは、私が言いたくないと理解してくれたのだろう。毎度のこと無口だが、雰囲気でそれが分かる。
「しっかし……どうしてこう、人は器用に生きられないのかね」
尼将軍も仁志も橘も、もう少し器用に生きた方がいい。自分が傷つかない程度に。
「……お前も人のことを言えた義理ではないだろう」
「私は器用に生きているさ。自由奔放でいないさいというのが、母の教えでね」
「そうか。何か浮かない顔をしている。どこかでまた、嫌われ役でも買ってでたんじゃないのか?」
また、なんて言って欲しくないね。私がしょっちゅうそんなことをしてるみたいだ。
墓に手を合わせた後、校舎を見上げた。まだ生徒会室はカーテンがされていて中が見えないが、まだ二人が残っているだろう。事件が解決した以上、これ以上私が深入りする必要はないし、してはいけない。
彼女はちゃんと、私の言葉を理解しただろうか。
けどまあ、後は二人の問題だ。邪魔者の私は、ここで退場とさせていただこう。
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