第9話 【Love is poison】

 段ボールハウスへ戻ると、そこには仁志が一人で寂しそうに立っていた。手には、どこから摘んできたのは数本の花があり、彼はそれを段ボールハウスの前に供えて、手を合わせていた。


 私が着たのに気づくとこちらを見た後、悔しそうに無言で俯く。


「……君が尼将軍の動物の世話の手伝いをしていたなら、あの子犬がここで彼女に飼われていたことは知っていたよね」


 彼に一歩ずつ近づきながら、彼が吐いた嘘のことを遠回しに責める。彼は私が子犬の写真を見せたとき、知らないと証言したが尼将軍がここで飼っていた犬のことを彼が知らないわけがない。事実、彼は今ここにいるんだから。


「……三ヶ月くらい前から、ここで」


「そして一昨日、死んで見つかった」


 彼が返事をしなくなる。はあと、わざとらしくため息をついた。


「君の嘘はいいよ、ある程度予想していたから。けど尼将軍の嘘は、個人的に見過ごせないね」


「あの人は絶対にやってな――」


「君、今日一日、彼女の無実を証明しようと随分と頑張っていたそうじゃないか。それで何か収穫はあったかい?」


 彼が必死に否定しようとするのを遮って、あえて笑顔で尋ねてやった。彼は言葉に詰まり、何か紡ぎ出そうとするのがそれは声にならない。つまりは収穫はゼロということだろう。


 ――これで決定だ。


「何一つなかったようだね。なら、代わりに私が教えてあげよう」


 仁志の前に立つと、自然と目が合った。いつの間に身長が並んでいたことに驚かされたが、それに構わず彼の目を見つめて、私はゆっくりと今までの捜査状況を語り始めた。


「事件が発覚したのが一昨日の朝の七時ごろ。ちなみに、この三十分前に尼将軍が登校しているのを確認済み。彼女のいつもの登校時間は七時半頃。そしてその日の放課後に海野先生が私に依頼してきて、聞き込みによって尼将軍の名前があがった。翌日、私が彼女に会いに行って子犬の事件を知っているかと聞いたら、彼女はあんなグロいものに関わりたくないという発言した。けれど、その段階で死体がグロテスクだったかどうか、死体を見た人間でないと知らないことだった。当然私は写真を見せていないし、事件のことを彼女に報告した婆さんは細かい説明はしていないと証言している。つまり彼女は、知ってるはずのない死体の状況を知っていたということだ。さて、その聴取の日の放課後、私と君があの森で出会う。君は子犬を知らないし、彼女は関係ないと言ったが、前者は嘘で後者は証明できずだ。そして今日になり、私が登校する前に尼将軍と橘という生徒が校門付近で言い争っていたという。橘という生徒に話を聞いたら、事件に彼女が関わってるんじゃないかと尋ねたら激昂したとのことだったよ。ついでに彼は彼女が昔気性が荒かったことと、この段ボールハウスについて教えてくれた。段ボールハウスには、子犬が飼われていた形跡があり、君の証言で尼将軍が三ヶ月前から飼っていたものだと判明済み。そしてさっき河川敷を歩いていたら、こんなものを拾ったんだ」


 一気にまくし立てると流石に疲れて、酒の一杯でも欲しくなったが、そういうのを顔に出すことなく彼の前に先ほど拾った尼将軍の学生証を差し出してやると、私の説明で青くなっていた顔が、更に青くなるのが目に見えて分かった。


「彼女の学生証だ。君に渡して置くから、彼女に返しておいてもらえるかな」


 返事も聞かずに彼の制服のポケットにそれを突っ込んだ。


「さて、ひぃ君、君はまだ彼女を信じるのかい?」


 私の質問に彼は何も言わなかったが、僅かに頷いたのは確認できた。これでもまだ、彼女を信じるというのだから大した物だ。ならばその心、少しお手並み拝見と致しましょうか。


 私は彼の耳元に口を近づけて、意地悪な笑みを浮かべながら囁くように告げてやった。


「私が思うに――恋というのは、毒物だよ」


 仁志が顔を赤くして、見開いた目で私を見てくる。そんな彼のリアクションなどお構いなしに続けていく。


「猛毒でもあり、中毒でもある。非常に厄介なものだ。一見、おいしそうに見える、だから手を出してしまうし、口に入れてしまう。けど、それはすぐさま身体を蝕んでいく」


 私は右手の人差し指を彼の左胸に突き刺すように押し当てた。


「心臓が、止まるまでね」


 赤くなっていた彼の顔の色が少し変わった。私が何を言わんとしてるか、少し理解したのかもしれない。


「危険だって分かったところで、中毒でもあるからやめられない。自分をとめられない。ねぇ、恋とは一番恐ろしい毒物だとは思わないかい」


 綺麗な花にはトゲがある。あまりの美しさに目を奪われ、盲目になってしまい不用心に手を伸ばしてしまうと、きっとそのトゲが刺さってしまうだろう。恋とは盲目になることだ、なんて言葉があるけれど、恋ほど用心しなければいけないものはない。


 彼の耳元から口を離して、指を降ろした。そして思い出すように、例の英文を読み上げる。


「“When you have eliminated the impossible, whatever remains, however improbable, must be the truth.”」


 急に私がわけのわからない英文を口に出したものだから目の前の彼が困惑した顔をみせた。


「有名な英文なんだけ、知らないかな」


 彼が怯えるように、震えながら首を左右に振るので私は直訳をした。


「不可能を消去して、最後に残ったものがどんなものでも、それが真実となる。――かの有名なシャーロックホームズの推理法だよ。君も今回みたいに何か調べるときは、この言葉を胸に秘めるといい」


 彼から一歩下がって距離を置き、唇に浮かべていた笑みを消す。


「どんなに信じたくなくても、どんなに受け入れがたくても、それが真実だと認めるしかないときもあるんだよ、ひぃ君」


 君にとって、今回の事件の真相がどんなものでも、きっと君はこれを受け入れないといけないんだよ。


 血の気を失った彼の表情を見ながら、これ以上は耐えられないだろうなと思った。そして、これ以上は不要だなと。あとは彼の精神力に任せるしかないようだ。


 背中を向けて、学校へと戻る道を歩いて行く。しばらく歩いて少し振り返ってみると、彼は少しも動いていなくて、さっきと変わらぬ様子でそこに立ち尽くしていた。


「……ヒントはあげたからね、ひぃ君」


 学校へ戻り、私は真っ先に近藤さんの元へ向かった。


「近藤さん、一つだけ聞きたいことがあるんだ」


 校門の前で仁王立ちしながら警備に当たっている彼を捕まえて質問する。


「なんだってんだ」


「事件の前日、眼帯の少女が帰った時間を覚えているかい」


 やはり一日に何人もの生徒を見ているせいか、これも覚えていないらしかったが、ある予想をたてていた私は確認するように問い詰める。


「もしかして、いつもよりすごく早い時間に帰ってたんじゃないかな」


「……ああ、そういえばそうだな。いつも五時頃なのに、あの日は終業後すぐに帰ってた気がする」


「そうかい、どうもありがとうね」


 事件が発覚した一昨日の前日、彼女はいつもより早く帰路につき、そして翌日はいつもより早く登校した。そして今日は橘と喧嘩をしたわけだ……なるほどね、やっぱりそういうことか。


 私は、少しやらなければいけないことがあったのだが、その前に子犬が見つかった場所へ向かった。体育館の裏、高い塀の足下に黒い子犬が惨殺されていた、あの場所。今はそこには私と海野先生で作った小さなお墓がある。


 そのお墓の前に立ち、二メートル半はあろう塀を見上げた。そして次は視線を落とし、小さな砂山に石が置かれた墓を見つめる。


 最初の予想通り、嫌な事件だったじゃないか。


「いや、予想以上にだね」

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