第7話 【曖昧模糊な証言者】
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「ゲリラだよ、ハスミン」
「私がゲリラみたいな言い方はやめてもらえるかな」
放課後直前の六限目終了間近、授業をぼんやりと聞いていると窓の外で大粒の雨が叩きつけるように降り始めた。窓際で私の前の席の友人が、これで部活がなくなると、はしゃいでいる。
騒ぎ始めた生徒を先生がいさめて、授業の方は一瞬中断しただけで再開した。このゲリラ豪雨は数年前からよくあることだ。今日の雨は特別強そうだが、どうせ数分でやむだろう。やまなくても、折りたたみ傘はカバンの中に常に入れているので心配はない。
結局、授業が終わっても雨はなお降り続けていたが、だいぶ弱まった。いつもなら友人や後輩達と適当に喋るか、真っ直ぐ家に帰るかのどちらかの放課後だけども本日は会いに行くべき人物がいるので、私は彼の元へ向かった。
昼間のうちの情報は得ていた。尼将軍が今朝口げんかをしていたのは、彼女の証言通り橘という男子生徒で間違いないらしい。現場を見た一部の生徒がそうだと断言したので信じて良いだろう。本名は橘直広。特に所属している部活などはないらしいが、時々尼将軍と親しげにしているのを目撃されて、それで知っている人が多い。彼女と親しくできる人間なんて、校内ではかなり限られているから。
彼のクラスへ行き、扉付近にいた生徒に橘君に会いたいんだけどと言うと、教室の隅で喋ってると教えてくれた。事実、教室の隅の方で男子が数名喋っていたので、私はそこへ向かう。
「ちょっと失礼していいかな」
そう声をかけて割り込むと、輪になっていた男子たちが一気に視線を向けてきた。二人、顔見知りの生徒がいて挨拶してきた。
「どうしたんだよ」
「橘君って子にお話しがあるんだけど」
そういうと、輪の中心近くにいた、茶色のカラーコンタクトをし、ワックスで頭を固めた生徒が片手を上げて、微笑んだ。
「俺だよ」
「君がそうか。私は蓮見っていうんだ。よろしく」
右手を差し出すと、握り替えしてくれた。
「言った通り、話があるんだ。お時間をいただけるかな」
「ないって言ったら引き下がる?」
「あきらめが悪いことで有名なんだ、私」
そう返すとははと笑われた。橘は輪から離れ「それじゃ」と友人達に別れを告げた。彼らも手を振ると、すぐにお喋りの方に戻っていく。
「話っていうのは何?」
「尼将軍……あ、違う、北条静佳のことだよ。今朝君らが言い争っているのを見たって証言があるんだ。それについて詳しく聞きたい」
相手のプライバシーのこともあるからと思い、廊下を並んで歩きながらなるべく声を潜めて用件を伝えると、橘君はきょとんとした顔をした後、急に唇の端をつり上げて、非常に意地悪く笑って見せた。
「そうか。静佳の話か」
彼はしばらく面白そうに小さく笑った後、周りの生徒を見渡した。放課後といえども、廊下には幾人かの生徒が何度も通り過ぎていく。
「蓮見、面白い話を聞きたいなら、誰もいない場所を案内してくれないかな」
「襲われないか心配だね」
「噂通りの人だね。安心してよ、俺は心に決めている人がもういるからさ」
そう優しく微笑む彼を信じて、私はこの学校で人があまり近寄らない場所を思案して、思いついた一つの場所へ案内することにした。そこは進路相談室で、鍵は常に開いている空き部屋だった。受験を控えた生徒が教師と対話するために設けられた部屋だが、使う生徒はほとんどいない。
そこへ行くと、やはり誰もいなくて、そのくせ鍵は開いていた。二人で入室し、扉を閉めた。
「さて、ここなら秘密のお話しも誰にも聞かれないと思うよ」
窓際に寄って行き、まだ雨が降り続けている外の様子を見た後、念のためにカーテンも閉じた。
「静佳から君の話は何度か聞かされたことがあるよ。トラブルシューターなんだろ?」
「そう言ってもらえると聞こえはいいけど、厄介事を押しつけられているだけだよ」
そしてそれを断れない、面倒な性格というだけだ。
「そうなんだ。けど、君から静佳の話を求められるなんて驚いた。あいつ、何かしたの?」
「先日、この高校で子犬が殺されているのが見つかった。あまり信じたくはないが、私は彼女がその事件に関わっていると見ている。今朝の口げんかも、それがらみじゃないかと思ったんだよ」
ここまで正直に吐露してしまって大丈夫かなとも心配になるが、変に誤魔化してもいい証言を得られそうにない。尼将軍と古い付き合いだというのなら、言いふらしたりすることもないだろう。
私の言葉に少しは驚いてくれるかと思ったが橘は、また意地悪そうに微笑んで、そうかそうかと一人で納得していた。
この彼、どこか気味が悪い。今まで悪い人間には何度か関わってきたが、そういう者たちが出す雰囲気を持ち合わせてはいないものの、それに近い物を感じる。腹の中に暗闇を抱えていそうな、それでいてそれを飼い慣らし、またそれを楽しんでるような、そんな雰囲気が感じられた。
私は、何かとんでもないものを引き当てたんじゃないだろうかと不安になる。
「あの件……やっぱり静佳が関連してるんだ」
「やっぱりというのは?」
「今朝の喧嘩も、もともとその話だった。俺がお前は何か知ってるだろって切り出したら、向こうが怒ったんだよ」
「どうして、彼女が事件に関わってると?」
今度は声に出して、小さく笑いながら語り始めた。
「静佳とは家も近所だし、昔から家同士の付き合いもあったから、もうずっと一緒だよ。だからあいつのことなら、変な言い方になるけどたいていは知ってるね。好きな食べ物、嫌いな食べ物なんかは暗唱できるよ。だからあいつの長所も知ってるし、短所も知ってる。優しい面も見てきたし……残酷な面も見てきた」
急に声のトーンを落とし、真剣そうな表情をする。
「あいつは元から攻撃的な性格でさ、一回怒り出すとそれを止めるのは至難の業だよ。あいつの両親だって、怒り出したあいつを収めるのには苦労してた。本人も自覚はあるけど、抑えられない」
彼がそこから語り出した話は少し私の想像を超えていた。曰く、幼稚園の頃に喧嘩をした同い年の子に馬乗りになって鼻血が出るまで殴った、髪を引っ張ってきた男子に仕返しに髪の毛が束になって抜けるほど引っ張った。小学生の頃はプールの時間に陰口を言った同級生を溺れさせようとした、中学にあがると知り合いに手を出した男の先輩を木刀で襲って数カ所骨折させた……等々。
「彼女が攻撃的なのは知っているけど、そこまでひどいかな」
「子供の頃はすごかったよ、手がつけられなかった。高校に入ってからかな、少し落ち着いたのは。最近なんかはすごく大人しいね。最近は怒ってる姿は見たことが無い」
「見たことが無いのに、どうして彼女が犯人だと?」
「殺された子犬って、黒かったでしょ?」
質問に答えず、そんな切り返しをしてくるのは少し納得できないが、事実なので頷いておく。ついでに携帯を取り出して、例の死骸の写真を見せてやると、彼はその残酷さには何のリアクションもせず、ただ一言、やっぱりと呟いた。
「そいつじゃないかとは思ってたよ」
「ということは、この子犬を知ってるんだね。尼将軍は知らないと証言してるけど」
「俺は知ってる。今はそれしか言えない」
読めない。未だに、この橘という生徒の心の内が。さっきまでは彼女にとって不利な証言ばかりしていたというのに、肝心なところで言えないとは、困ったものだ。しかも、それを明らかに故意的にやっている。
何か目的があるのだろうが、それが読めない。
「まあ、言えないなら仕方ないかもね。じゃあ、君はどこで見たのかな」
「この学校から少し離れたところに大きな橋があるでしょ」
彼が言ってるところはすぐには分からなかった。この高校のすぐそこに大きめの河が流れていて、近くに橋は何本か架かっている。離れた処の橋と言われても、私としては五カ所ほど思い浮かんでしまう。
細かく聞いていくと、一カ所に絞り込めた。高校からは歩いて二十分ほどのところだ。
「そこの橋の下を調べてみるといい。俺はそこで見たから」
彼はそれだけ言うと、もう話すことはないと言わんばかりに口を閉じた。私としては、この不思議な感じの聴取をまだ続けたい気もしたが、これ以上聞くこともないし、聞いたところでまたこんお不思議な雰囲気に呑まれそうな感じがした。
「最終確認だけ。尼将軍は昔は気性が荒かった。今は落ち着いた。なら、動物に優しいのも昔からかな」
「ああ、それも昔からだな。あいつの両親が動物嫌いで、ペットを家で飼ってもらえなかったんだよ。だけどあいつは動物好きだから、近所の捨て猫とかによく餌をあげてた。動物に関する知識もバカにならない。将来は獣医だったかな」
「なるほどね」
収穫は尼将軍の過去の気性の荒さだけかな。無視していい問題ではない。けど、高校に入ってから落ち着いたのなら、今回の件とは関係なさそうにも思える。考えられることがあるとすれば、彼女の怒りのスイッチを、どこかで誰かが押してしまったということか。
「雨もあがったみたいだし、橋に行ってみなよ。それじゃあ」
彼が言うとおり、窓の外を見るとさきほどまで地面を濡らしていた雨はやみ、どうもおひさしぶりですと言わんばかりの青空が顔を覗かせいた。
橘はこちらが引き留める間もなく、部屋から出て行った。引き留める必要もないし、気にせずタバコを取り出して、傍にあったイスに腰掛けてからすった。
彼の証言が本当かどうかを確認するのは手間がかかる。そしてあまり乗り気になれない。
しかし、あれをまるまる信じるというのはあまりにも尼将軍に不利な感じがする。けれど、ここで彼が嘘を吐くメリットが無い。
嘘を吐いたところで彼は得をしない。今の今まで事件とは無関係だった人間だ。むしろ、尼将軍と昔からの付き合いだというのなら、彼女を庇う証言の一つや二つするかと思っていたが、そんなそぶりもない。強いて言うなら、子犬の件のところでそれらしいことを行っただけか。
……なんとも言えない聴取だった。まあ、とにかく、行ってみるしかなさそうだ。
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