女はレベルが低いから

なに言われても愛想笑いするとか

 凍える曇った夜を、アーシェラたちは最高級の宿で過ごした。彼女たちのわずかな蓄えは、これでとうとうきれいさっぱり吹っ飛んだ。ここから先は純然たる一文無しだ。

 大陸に住まう淑女にとって、グランド・ツアーは教育でありファッションでもある。巨大なダンジョンを擁するマナニアは、観光需要をあてこんで女性向け宿泊施設を建築した。この宿は、消えゆくマナニア経済の火に投げ込まれる小枝だ。

「やばいねこれ。いやー、これはやばいわ」

 アーシェラは椅子に深くもたれ、小麦のビールを愉しんだ。夏の果物のような甘い香りがうれしい。

 足首まで沈む柔らかな絨毯。一枚板の分厚い机。銀の皿に盛られたいちご。巨人対応の大きなベッド。蜜蝋のろうそくを何十本も使ったシャンデリア。内地趣味もここまで来れば清々しい。

 食事は塩漬けにしたチョウザメだった。この比類無き美味にくらべれば、“銀の鹿角”で食べたものなど残飯同然だ。

 自宅に戻るのも、もっと安い冒険者用の宿に泊まるのも論外だった。前者はギルドに監視されているだろうし、後者は目もくらむほどのスピードでレイプされるだろう。柱の間にくくった紐に体重を預けて眠るような最下等の宿は、男だけのものだ。

「うん、いいこと思いついた。それはしないでしょ。って思わせなきゃダメなんだ」

 この宿に泊まることを提案したのはアーシェラで、彼女はこんな風に三人を説き伏せた。

「どうせあいつら貧乏だし暗渠で震えてるだろ、とか、男装してごみみたいな宿に潜り込んでいるのでは? とか、まあ普通に考えたらそうなるじゃん。そこで逆。そこで最高級」

 これにはなんとなく説得力がありそうだったし、なにより三人は提案の時点でけっこう説得されたがっていたので、なんかあったら言い出したこいつを責めればいいし。ということになった。

「やば! やば! 蒸し風呂! やば!」

「最高っスね。このなんか、生地のこの、なんか肌ざわり」

 連れだって風呂に向かったルイーズとテルマは、語彙を失っていた。ガウン姿でふらふら戻ってきて、先の言葉を口にしたあと、ふわふわした顔で席についた。

 ペチカの熱を利用した蒸し風呂には白樺の枝が用意されていた。まだ自分が木にくっついていると勘違いしているのか、しゃきっと新鮮なものだった。

 テルマとルイーズはこの枝で互いをひっぱたきあった。血流をおおいによくし、垢を落とし、白樺の芳しさをまとったのだ。

「おつかれおつかれ。ビールのも」

「っかー! うっま!」

 ルイーズは、アーシェラに差し出された杯をひったくって一気に飲み干した。つまみには、チョウザメの軟骨と頬肉、ハラタケを和えて炒めたもの。風呂上がりの身体に、塩気が染みわたる。

「さて、ここからですね」

 ただ一人、ふわふわしていない人物がいた。ヴァージニアである。かつてエステルにあちこち連れ回された彼女は最高級のもてなしに慣れていたし、なんならそのことにこいつら気付かないかな。みたいな顔をしていた。あまりにも露骨なしたり顔だったので、三人ともヴァージニアをぶっとばしたくなった。

「イキってんじゃねーし」

 しぶしぶルイーズが言った。それでヴァージニアは深く満足した。

「まあでも、ここからは本当に急がないとだよ。なにしろお金まったくないから」

 アーシェラが話を先に進めた。

「駅鈴を手に入れるには、どうすればいいかなって考えたんだ。まずは使者と接触しないと」

「浮ついた地方役人が狙い目ですよね。ただ観光に来ました、ぐらいの」

 駅路利用には厳密な規定がある。無駄な往復で馬や伝馬町の住民を疲弊させないためだ。しかし、たとえば公文書規則の一つである公文令を引くと、駅路利用に関するこのような一文が見られる。

 瑞兆があった場合、駅路の利用はこれを許可する。

 これはつまり、“変わった形の雲が浮かんでた”だとか“どこからともなく素敵な香りがした”だとか“めっちゃ良い夢見た”だとか、その手の報告のために駅路を使っていいということだ。

 そしてマナニア人は、こうした律令の拡大解釈にかけて大陸一の技術を誇っていた。

 律令運用の歴史は、解釈の歴史でもある。全文の抜本的見直しによって、誰がどう見ても分かる形へと改正するべきだ、という動きは一度ならず起こった。だがそのたび、現行法の解釈次第でどうとでもなる。と言い出す者があらわれたり、どう考えても直すべきはそこじゃないだろ。みたいなところに修正が加えられたり――盛り上がったはいいけどぐちゃぐちゃになって放り出され、機運も熱も失われるのが常だった。

 恣意的な運用の恥ずべき積み重ねは、しかし今、アーシェラたちを救おうとしていた。

「中央の様子を見に行きたい地方役人は、“なんかいい夢みたんです”などと手紙にしたため、上京します。ついでに、しっかり遊んでくる」

「なるほど、すごい世界っスね。で、そういうぼんくらが狙い目なわけっスか」

 テルマは、ヴァージニアが語った駅路のからくりに感心していた。律令の恣意的解釈は、知性の発露と言えなくもない。

「でさ、そんな連中が遊ぶとしたら、どこへ行くと思う?」

「娼館っしょ」

 ルイーズが端的に答えた。

「そうなるよね、きっと」

「ふうん? それじゃあつまり、私らは女を使って駅鈴をだまし取るってことっスね」

 テルマの口調が、棘と皮肉を含む。

「まあいいんじゃないっスか。男なんてセックスのときはあほ丸出しっスから、なにかを盗むなら完璧っス。おまけに女遊びなんて恥ずかしいから、盗まれたことに気付いてもしばらく言い出せないっぷえ」

 最後の「ぷえ」がなんの「ぷえ」かと言えば、ルイーズにぎゅっと抱きしめられて顔を胸にうずめたときの「ぷえ」だ。

 ルイーズはだまってテルマを抱き、頭をなでた。テルマはもう、抵抗しなかった。

「あのさ、テルマ。ああいや、そのままで」

 顔を上げようとしたテルマは、ルイーズにぐいっと引き戻されてまた「ぷえ」と言った。

「あたしたち、もうイヤなことするのやめようよ」

 アーシェラは豪華な部屋のぐるりを示すように、両手を広げた。

「普通の宿には男しか泊まれないから、暗渠で震える夜を過ごす。自分たちが女だってことを恨みながら――そんなのイヤだからここに泊まったんでしょ。大成功じゃん、これ」

 いちごをほおばり、ビールを呑み、ちょっとしゃっくりまでアーシェラはしてみせた。

「したくもないセックスするとか。秩序のためにエステルをやっつけるとか」

 言ってアーシェラはルイーズに目線を送った。

「なに言われても愛想笑いするとか、ケツ触られたぐらいで怒んなよって言われて本当に怒んのやめるとか?」

「なにもかも自分が悪いんだって思うとか、離婚したことを謝らなきゃならない空気に屈するとか」

 ヴァージニアもかぶせた。

 三人は、テルマを見た。テルマのしかめっ面がゆるんだ。

「合コンで大学名言えないとか」

 四人はげらげら笑った。

「そーうそうそう! そういうの、もう全部やめよう。今ここでおしまい」

 アーシェラは手をぱちんと鳴らして、にっこりした。

「分かった、分かったっスよ。それで、どうするつもりなんスか」

 テルマはルイーズの膝の上にいた。あまりにも抱きしめられすぎて、なんかもういいやと思ったのだ。

「さっきの話の続きね。地方役人の遊ぶところ、実はもう一つあてがあるんだよね。ここに泊まったのは、それもあるんだ」

 アーシェラは床を踏みならしたが、音がすべて絨毯に吸収されて思ったような反応が起きなかったので、仕方なく下を指さした。三人はつられて、うつむいた。

「地階にあるバー。グランドツアー中のお金持ち女子と、マナニアの大金持ちがまじわる場所」

 


 バーにはルームキーを見せるだけで入場できた。ステータスボードをチェックされたら弾かれていただろう。

 薄暗いフロアの片隅、うっとりするほど素晴らしい香りのポートワインをなめながら、四人は酔客を眺めた。

「あの人、地方出身だね。あっちは来慣れてるけど、たぶん東の人だ」

 アーシェラは訛り、発音、歩き方や靴の減り方などを観察し、少しずつ対象を絞り込んでいく。

「袖にされて、ひとり寂しく帰る人を狙うべきですね。付け足すなら、うっぷんを娼館で晴らそうと考えている男の人。他のことを考えられなくなってますから」

 ヴァージニアがむごいことを言って、アーシェラは苦笑した。

「そういうことなら、あれかな。なんか雰囲気あるよ」

 フロアを物珍しそうに見回す若い男を、アーシェラは指さした。外套を着込み、肩掛け鞄をぶら下げている。コートや荷物を預けることすら知らないのだろう。

 しばらく観察していると、着ぶくれした男は女性に声をかけて勝手に対面に腰を下ろした。アーシェラたちは会話が聞こえる席に移動した。

 若い男は地方長官の息子で、父親がどれだけ優れているのか、中央のえらい官僚とどれだけ昵懇なのかを語って女性の愛想笑いを引き出した。決定的なのは、鞄から駅鈴を取り出し、音を鳴らしてみせたことだ。父の荷物からくすねてきたらしい。あまりにも理想的すぎて四人はちょっと笑った。

 そのうち年かさの女性が現れ、男にかなり乱暴な言葉を浴びせかけた。グランド・ツアーには付きものの、家庭教師だろう。

 男はしばらく毒づいていたが、やがて椅子を蹴って立ち上がった。このおれが今すごく怒っているんだけど。の顔で乱暴に床を踏みならしながら、バーを出た。

 アーシェラたちは無言で立ち上がり、男の後を追った。男は運河をどんどん外側に渡っていった。第六運河の娼館街に向かうのだ。

 第三運河と第四運河の辺りで、人気が失せる。頃合いだ。そしてアーシェラたちは銀影団との経験から、面識のない相手に襲いかかるときのポリティカル・コレクトネスな振る舞いを学んでいた。

 獣化したヴァージニアが、背後から飛びかかって押し倒す。混乱する男の顔を、テルマが無文字の盾でふさぐ。ルイーズが鞄のひもを引きちぎる。アーシェラは心の中で謝る。

 四人は脱兎のごとく逃げ出し、わけもなく暗渠を潜り抜けて宿に戻った。鞄の中身をひっくり返す。札束、着替え、手紙、香水の瓶……最後に、鈴が転がり落ちた。

「うおー完璧! 完璧じゃん!」

 アーシェラが絶叫した。部屋中を走り回って、ベッドの上で跳ねた。三人もそれに続き、ぴょんぴょん跳びながら互いをほめまくった。

 四人は宿を出てからここまで、一言も喋っていなかった。男に挑む恐怖、強盗への抵抗感、尾行の緊張、それら全てから、彼女たちは解放されたのだ。しかも金までついてきた。

「お酒を呑もう! あたしたちは!」

「チョウザメまるごと注文しましょう!」

「イクラは?」

「イクラもっスよ!」

「めっちゃ塩っからいやつ!」

「うぇーい!」

 そういうわけで彼女たちは呑みまくり、食べまくった。ふかふかのベッドにすっぱだかで潜りこんで昼まで寝た。

 勢いそのまま、馬を四頭借りた。駅路の一歩目で、随伴する馬引きを振り切って西めがけ一気に駆け出した。なにもかもが最高だった。駅路の名残は地面のわずかなくぼみで、賢く忠実な馬は忘れられた道を捉えて駆けた。

 冷たく湿った北風が吹き、分厚い雪雲と砂まじりの塩で世界は灰色だった。だが彼女たちは問答無用に無敵だった。速度は万能感をもたらした。わけもなく、アーシェラたちは馬を早駆けさせた。いつも馬引きにあわせてのろのろ歩きを強いられている馬たちは、喜んで砂を蹴立てた。

 打ち棄てられた町と、小舟の墓場を四人は見た。建物は、はびこる蔦もないまま朽ちていた。立ち寄った井戸は枯れ、砂と塩に埋まっていた。

 雪が降りはじめた。冬のはじまりの、べたつく雪だった。鼻の頭が赤くなっていると指摘しあって笑いあった。国境を越えたらまず最初に化粧するとルイーズは力強く宣言した。

「私もしてみようかな。良い機会っスからね」

「ウチやってあげるよ」

「いいじゃんいいじゃん。テルマ、二度と化粧無しで外出できなくなるよ」

「なんスかその脅し。一気に嫌になったんスけど」

「香水も選び放題ですね。みなさん、オポポナックスってご存じですか? 南東の小さな国で――」

 併走するアーシェラの身体がぐらりと揺れ、ヴァージニアは慌てて手を伸ばした。

「アーシェラ?」

 声をかける。反応が無い。雪と風に、かすかな異音がまじる。低く唸るような音。

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