魔女の一撃1
ノキシスは困惑していた。
自動人形整備工房の技師が、平謝りしている。
「たいっへん、申し訳ありやせん! 親方ぁ、『魔女の一撃』くらっちまったぁみてぇで!!」
「『魔女の一撃』って、確かぎっくり腰のことでしたっけ?」
「ああ、そうだね……」
サミュエルの問いに、どこか不明瞭な声音でノキシスが答える。
はて。主人の様子をうかがった年若い執事が、その目を瞠った。
ノキシスは事務用の眼鏡の向こうを不安そうに揺らしており、顔色もよくない。
おろおろと狼狽えるノキシスが、「そんな」小さく呟いた。
「マエストロの容態は? いつ、患ったのかね?」
「それが、その、……親方ぁ、数日前から張り切っちまって……。ぐきっといったのが、昨晩なんですわぁ……」
「昨晩……」
技師の回答に、ふらりとノキシスが項垂れる。
慌てたサミュエルは、励ますように声をかけた。
「大丈夫ですって、ノキ! マエストロさんが回復するまで待ちましょう? ほら、他の技師を探すとか!」
「いや、だが、マリアの調子が……」
「私でしたら、大丈夫ですわ。ノキさん」
穏やかに話しかけたマリアへ、ノキシスが振り返る。
いつもの微笑を携えた彼女は、どこにも不備がないように見えた。
「そう、か。……では」
「……え」
眉尻を下げて微笑み返した主人の表情に、マリアが胸へ手を当てる。
きしりと軋んだ患部に、彼女は様相を変えた。
はっとしたノキシスが、華奢な背に手を添える。
「マリア? どうしたんだ?」
「……時折数値に異常が。……でも、この程度でしたら、問題ありませんわ」
「えっ、マリアの悪いところって、胸なんですか? 心臓なんです!?」
「て、てぇへんだ!!」
技師がカートを滑らせ、様々な機材を引っ張り出す。
ノキシスがおろおろとマリアを背に隠した。ふるふる、首を横に振る。
「待ってくれ。マリアは初期型だ。マエストロ以外に、専門の技師はいるかね?」
「マリア……って、まさか初期モデル『type-MariA』じゃねぇか!! こいつぁ驚いた!!」
技師の男が大声を上げ、その声に工房の中にいた技師たちが反応する。
なんだなんだと顔を出す彼等によって、あっという間にマリアは囲まれてしまった。
皆が一様に感嘆の声を上げている。
「本当だ! マリアモデルだ!」
「オレ、稼動してるやつ、初めて見たぜ!!」
「すげぇ! これ、整備してんの親方か!? さっすがだぜ!!」
「握手してください!!!」
「は、はあ……」
一番前に出た少女と、困惑したマリアが握手する。
両手を天高く突き上げ喜ぶ彼女に、技師たちはこぞってマリアとの握手をせがんだ。
人混みに押し出されたノキシスが、サミュエルに支えられながらおろおろする。
「や、やめてもらえないかね……!? 彼女は不調で……ッ!」
「てめぇら!! お客人を困らせるたぁ、どういう了見だい!?」
突如空気を裂いた怒鳴り声。
ハスキーな女性の声に、技師たちの身体がびくりと飛び跳ねた。
ぎょっとしたサミュエルが、声の主を見遣る。
工房の入り口にいたのは、大胆に肌を露出させた女性だった。
彼女の出で立ちに、少年が別の意味でぎょっとする。
――服! もっと着て!!
「親方!?」
「こ、この人がマエストロ!?」
口を揃えた技師たちの呼び名に、三度サミュエルがぎょっとする。
妙齢の女性は颯爽……とはいかずに、杖をつき、艶めかしい腰をよぼよぼと擦りながら歩いていた。
あ、この人がぎっくり腰の人だ。サミュエルが確信する。
「すまないね、ノキ坊。うちの若いのが世話になった」
「坊はやめておくれ、マエストロ。それより、身体はもういいのかね?」
大海を割った偉人のように技師たちを割り、親方の彼女がノキシスの前まで歩み寄る。
慌てた仕草で駆け寄ったノキシスは、うかがうように左手を差し出した。
にっと快活な笑みを浮かべ、彼女がその手を小気味よく叩く。
「ああ! この通りも、うッ!? ……ったた」
「親方!?」
「無理はしないでおくれ……」
膝をついて身体を丸めるマエストロに、技師たちが駆け寄る。
困ったような顔をしたノキシスは、再び彼女へ手を差し出した。
震える手が、彼の手を握り締める。
「てやんでぇ……ッ、マリアが来てるってのに、何てザマだ……!」
「彼女は、マエストロのエイプリル。マリアの整備を担当してくれている、凄腕の技師だ」
「はあ……」
「……ノキ坊、この状態で褒められても、ちっともかっこつかねぇぜ」
ノキシスが手で示した先、折りたたみベッドにうつぶせる、妙齢の女性。
サミュエルは曖昧な顔で頷き、マリアが親方エイプリルの腰に氷のうをのせる。
直立のまま伏せるエイプリルは微動だにせず、ぎっくり腰とは恐ろしいものだと、サミュエルは学んだ。
「それで早速だが、他にマリアを整備できる技師はいないかね?」
どこか焦りを滲ませたノキシスの声に、ぴくりとエイプリルの耳が跳ねる。
彼女の返した声は、拗ねたものだった。
「……この辺りじゃあ、アタシだけだよ」
「そうか……」
「全く、坊は相変わらず心配性だね。マリアはアタシが生涯かけて直すって、言ったろい」
「……すまない、マエストロ。そうだったね」
「ありがとうございます、マエストロ」
マリアが胸に手を当て、腰を折る。
ノキシスは眉尻を下げた。
「マリアはあまり不調を言わないからね、動揺してしまった。以前は、確か右目のノイズだったかな」
「7年前の義眼レンズの交換だね」
震える指で差された机の上に、つづり紐でまとめられた書類を見つける。
机上には機械油のはみ出たボトルや、汚れたウエス。スパナや歯車など、様々なものがのっていた。
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