変身転落死

庵字

変身転落死 1/3

「一週間前、ビジネス街のビルで飛び降りがあったことを知っているか?」

「ええ、もちろん。はい、どうぞ」


 事務所を訪れるなり詰問してきた警部に簡単な返事を返しながら、探偵はソーサーに載ったカップを差し出した。中身は探偵自慢のオリジナルブレンドコーヒーだ。


「新聞で読んだ情報だと……」応接テーブルの対面に腰を下ろして探偵は、「死体が発見されたのは朝だったそうですね。解剖の結果、転落死したのはその前日の夜だと見られているとか。警察では他殺と自殺の両面から捜査していると、まあ、お決まりの文句が書いてありましたが」

「そうなんだ。まず、他殺の線だが、苫村とまむら――死んだ男の名前だ――の周辺に、彼に恨みを持つような人間は見つからなかった。死亡時刻に付近で怪しい人物を見かけたとかの情報も得られなかったしな。鑑識の調べでも、苫村の衣服や体に誰かと揉み合いになったとかの痕跡は残っていなかった」

「他殺の線は薄いと言うことですね」

「まあな。次に自殺の線なんだが、死体直上のビル屋上の縁に擦れたような跡があった。飛び降りる際に靴によって付いた跡だと見られている。屋上からも誰かと争ったりした痕跡は発見できなかった」


 説明しながら警部はカップに砂糖とミルクを入れ、真っ黒だった液体を明るいブラウンに変えた。


「どちらかと言えば、自殺の可能性が濃いということですか」


 探偵の言葉に、警部は肯定も否定もせず、


「だがな、現場からも彼が住んでいたアパートの部屋からも、遺書らしきものは見つかっていないし、何か深刻な悩み事があったという話もない。加えて、苫村は死ぬ直前に大金を手にしている」

「大金? 博打で勝ったんですか?」

「まさにそうだ。身辺を調査して、苫村は暴力団が取り仕切る違法カジノの常連だったことが分かった。それで一週間前に大勝ちをしていたことも判明した」

「いくらです?」

「三千万だ」


 探偵は口笛を鳴らして、


「それは凄い」

「そもそも、最初に投資した金が莫大だったんだ。苫村はその日、ひと勝負に五百万を賭けていた」

「それが一気に六倍に」

「そういうことだ」

「それじゃあ、動機的に自殺の可能性はちょっと考えられませんね」

「ああ。闇金に手を出して、三千万ぽっちの金じゃどうにもならないほどの負債を抱えていたということもない。そもそも苫村にサラ金利用の履歴はない」

「そんな大金を手にした人間が自殺するとは考えられない、ということですか。他殺と自殺、どちらの線も薄いというわけですね」

「うん。だがな、ひとつだけ妙な話を聞いた」

「何ですか?」

「さっき話したカジノの話だ。ガサ入れのときに従業員から聞いたんだが、苫村は確かにそこの常連だったが、遊ぶ金はいつも数万円程度で、多くてもせいぜい十万前後だったそうだ。それが、いきなり五百万もの大金で一発勝負してきたんだそうだ」

「本当ですか? 文字通り、桁違いの額じゃないですか」

「ああいうところは、掛け金の上限なしの青天井が売りだからな。勝負を受けないわけにはいかない」

「で、見事勝利した」

「そうなんだが、実は、それがイカサマによる勝ちだったことも分かった」

「何ですって?」

「カジノで働く給仕の男のひとりが、二、三日前にカジノを辞めた。調べてみたら、その男が苫村と知り合いだったことが分かった」

「その男は、今はどこに?」

「田舎に帰っている。所在も確認した。地元警察に絞り上げてもらったら、あっさりと吐いたよ」

「苫村と組んで、イカサマしたことを認めたと」

「そういうことだ。手口はこうだ。給仕をやっていたその男が飲みものを配る隙に、苫村にすり替え用のカードをこっそり渡したんだ」

「そんな単純な?」

「ああ、まさに、あまりに単純な手口すぎて、かえってディーラーも見逃してしまったんだろうな」

「暴力団が経営する違法カジノでそんなことをしたら、ただじゃ済まないですよね。十分な殺される理由になるのでは?」

「バレたらな。カジノ側も当然イカサマを疑って、その場で苫村の体を検めたが証拠が出なかった。君も知ってると思うが、ああいうところは、いざとなったらカジノ側もあらゆるイカサマを仕掛けて客を勝たせまいとしてくる。客もそれを承知で勝負をしてるんだ。だから客側もイカサマで対抗するのは正統な手段とされているんだ」

「現行犯でなければ無罪放免、ということですか。それがルールだと」

「そういうことだ。客側もカジノ側にイカサマを仕掛けられたと思ったら糾弾できるが、それも同じことだ。証拠が出なければ相手にされない。逆に因縁を付けられたと言ってボコボコにされるだろうな。イカサマもギャンブルのうち、ということだ。その場で証拠が出なければ、あとからカジノも客もイカサマしたことを糾弾されたりはしない。裏社会なりの紳士協定といったところかな」

「苫村と仲間の男は、うまいことやり切ったというわけですね」

「ああ。男の話では、しばらくほとぼりが冷めるまで静かにしていて、半年後くらいに金を山分けする計画だったそうだ。いくら紳士協定があるとはいえ、それはカジノと客の間での話だ。カジノ側の人間である給仕が客のイカサマを手伝ったなんてことがバレたら、間違いなく海に沈むことになる」

「いきなり分け前を貰ったら怪しまれるというわけですね。それで、冷却期間を置くことにしたと」

「そういうことらしい。まあ、苫村が死んで、その計画もご破算になってしまったがな」

「でも、警部、カジノではうまくやったとしても、暴力団側には苫村が大金を持っていることを知った人物がいたはずですし、やはり、金目当てでの他殺の可能性は残っているのでは?」

「そこなんだが……」


 と警部は難しい顔をした。探偵に話の先を促された警部は、


「苫村のアパートを調べたら、二千五百万円の現金が出てきた」

「二千五百万? 彼が手にしたのは三千万ですよね」

「そうだ、五百万足りないんだ。金目当ての殺人であれば、五百万しか奪っていかないなんていうのは変だろう」

「確かに」

「それに、そもそも、元手の五百万の出所からして不明なんだ」

「苫村の金ではないと? 確か、新聞には、苫村の職業は会社員とありましたが」

「そうだ。平均的な年収の、ごくごく普通のサラリーマンだった。口座を調べたが数万円も入っていなかった。苫村は給料のほとんどを一ヶ月でほぼ使いきってしまうような生活をしていたらしい。ちなみに通帳と印鑑も無事で、部屋に物色されたような形跡もなかったんだ」

「三千万のうち五百万だけが消えたということですか。本人が使ったのでは?」

「それもないな。ここ一週間、苫村が何か大きな買い物をしたとか、豪遊したとかの情報は確認されていない」

「行方不明の五百万円……最初に苫村が用意した元金と同じ額ですね。やはり借金で工面した金だったのでは? 警察の調査に上ってこないような、危ない筋から借りた金だったとか」

「それを回収しに来た連中がビルから突き落として殺した、か? それはないだろう。ああいった連中は金さえ回収できれば無意味に乱暴なことはしない。ましてや殺すなんてな。だいたい、金を回収できたのなら殺す必要がないしな」

「そうですよね。それに、そんな危ない金貸し相手であれば、元金だけの返済で済むはずがありません。かなり暴利な利子を持っていかれるでしょうし」

「ああ、借りた金を利子も揃えて返済したなら優良顧客だ。ますます殺す理由がなくなる。さらにな」

「まだ何かあるんですか?」

「大ありだ。苫村が飛び降りた――と決まったわけじゃないが――ビルはビジネスオフィス専門の貸しビルなんだが、そこに彼の勤め先の会社が入っている」

「本当ですか?」

「嘘を言ってどうする。本当だよ」


 それを聞いた探偵は神妙な顔になって、


「違法カジノで三千万を手にした男が、自分の務めている会社のビルから飛び降りて死んだということですか。殺されるような理由も、自殺する動機も見つからないままに。さらには、手にした金のうち五百万が消えている」

「まとめるとそういうことになる。正直、状況がさっぱり分からず暗中模索の状態だった。だがな」と警部は一度言葉を切ってから、「実は昨日、ある有力な情報提供があった」

「何ですか?」

「飛び降りる瞬間を映した映像があるというんだ」

「飛び降りの瞬間? どこからの情報ですか?」

「近くにあるテレビ局からだ。局建物の屋上カメラの映像に映っていたんだ。ああいったカメラは二十四時間回し続けているからな。飛び降りのニュースを聞いたテレビ局の局員のひとりが、現場が自分の局の屋上カメラの撮影範囲に含まれていることに気が付いて、時間を見つけては録画された映像をチェックしていたそうなんだ」

「で、まさにそれが映っている映像を見つけた」

「そういうことだ」

「間違いなく飛び降りだったんですか?」

「そうだ。飛び降りた本人以外、誰の姿もなかった。だから、揉み合いの末、誰かに突き落とされたとか、飛び降りを強要されたとか、そういった可能性はない。屋上の縁に立って、後ろ手に手すりに掴まり、十分以上逡巡したようなあと、手を離して足から落ちていったんだ。典型的な自殺のパターンだった」

「それが、警察が自殺と断定した理由でもあるわけですね。で、その映像には、地面に激突するまでの一部始終が――」

「いや」と警部は探偵の言葉を遮って、「男はカメラに背を向けていた。つまり、飛び降りた直後にはもう、男の姿はビルに隠れて見えなくなったわけだ。実際に見てもらったほうが早いな」


 警部は懐からUSBメモリを取りだした。


 探偵のデスクに置かれた旧式のノートパソコンに、夜のビル街を俯瞰した映像が映し出された。


「映像が荒いのは、当該部分だけを拡大しているからだ。見ろ」


 警部が指さした先、月明かりに照らされたビルの屋上に、画面の下からひとりの人物がフレームインしてきた。


「屋上に出る階段室はカメラのフレームから切れていた」

「……確かに、男性に見えますね」


 探偵も目を凝らした。解像度はかなり荒いが、その人物が着ているのは背広であることは視認可能だった。風にネクタイや上着の裾がはためいている。背広を着たその人物はカメラに背を向けたまま歩き、屋上の手すりの前で一旦立ち止まり、やおらそれを乗り越えて縁ぎりぎりに立つと、後ろ手に手すりを握った。膝は少しだけ曲げられている。震えているように見えるのは、解像度が低いせいだけではないだろう。


「しばらくこのままの状態が続くから早送りするぞ」


 警部はマウスを操作して映像を早送りした。が、固定されたカメラで映されており、手すりの向こうに立つ人物も動きを見せないため、画面にほとんど変化はない。ネクタイや背広の裾のはためきだけが小刻みになり、それだけが映像が早送りされていることを教えていた。タイムカウンターが十分ほど過ぎた辺りで、警部は早送りを解除する。


「あっ!」


 探偵が小さく叫んだ。映像が通常再生に戻ってから数秒も経たないうちに、画面の中の人物は手すりを離して、直後、屋上の縁の向こうに消えた。


「こういうことだ」


 言うと警部は映像を停止させ、メモリを引き抜いた。探偵は、ふう、と息をついて、


「こんなものが撮れていたなんて、恐ろしいこともあったものですね……でも、この映像が出てきたのであれば、やはり自殺で決まりなのでは? 自殺する動機なんて、他人が推し量れるものではありませんからね。いくら金を持っていようが、人生に何の不満もなかろうが、自ら命を絶つことなどあり得ないなんて、誰にも断言できないですしね。何かちょっとした仕事上の失敗や、プライベートの悩みが理由で自殺を図る人だっていますし」

「俺も含めて捜査員たち全員が、飛び降りの瞬間の映像が見つかったと聞いたときには、そう思ったよ」

「……何か、おかしなことがあったんですね」

「ああ、でなければ、そもそもこうして君を訪れんよ。見てもらったとおり、飛び降りた人物は背広を着た小柄な、身長百六十に満たない男だ。身長は実際に手すりの高さを測って、映像から対比で割り出したんだ。だがな……死体で発見された苫村は、百八十センチに達する筋肉質の大男で、ジャージを着ていたんだ」

「えっ?」

「映像に映っていた飛び降り男は、死体となって発見された苫村とは全くの別人なんだ」


 少しの間、考え込むような難しい顔をしてから探偵は、


「間違いはないんですか? あの映像の飛び降り場所が、苫村の死体が発見されたのと同じビルだということは?」

「何度も確認したよ。絶対に間違いない。場所、日にち、時間とも、完全に苫村の飛び降りたビル、死亡推定時刻と一致している。他の日や、違う場所を撮影した映像を勘違いしたという可能性はあり得ない」

「念のため訊きますけれど、映像にあった、小柄な背広の男のほうの飛び降り死体は……」

「もちろん発見されていない。そういった通報もない」

「背広の男の身元は確認できないのですか?」

「無理だな。ただでさえ遠景なうえ夜のことだし、何より後ろ向きで顔が見えない。全くわけがわからん。知恵を貸してくれ」

「飛び降りて落下するまでの間に、筋トレをして着替えたのでは……あ、冗談です! 冗談!」


 怖い目をして睨む警部に向けて、探偵は両手を振った。


「あの映像には、加工をされたような形跡はなかったんですね?」


 気を取り直したように探偵は訊いた。


「そっち方面もプロに頼んで解析済みだ。映像に手が加えられた可能性はない」

「まあ、そんなことをして、誰に何の得があるんだって話ですよね」

「他に何か理由は考えられるか?」

「そうですね……実は苫村は他殺だった。ですが、自殺に偽装するために、殺したあとか直前に犯人が安全を確保したうえで自分で飛び降りた。という線も考えられますが、これはないでしょうね」

「ああ、であれば、体格は仕方ないにしても、せめて苫村と同じ服装をしないと何の意味もない。それに、今回、たまたま映像に撮られていたが、他に目撃者はひとりもいないんだ。そんなトリックを弄するのであれば、飛び降りる場面を誰かに見せないと意味がない」

「このテレビ局のカメラをあてにしていたのでは?」

「君も、局の屋上から、ゆっくりと回転しながら周囲の景色を映している映像をニュースなんかで見たことがあるだろう。ああいったカメラは三百六十度回転できるから、今現在、カメラがどこを向いているかを外から知ることは不可能だ」

「なるほど……とにかく一度、現場を見せてもらいましょう」


 探偵は立ち上がって、ポールハンガーに掛けてあるジャケットを手に取った。

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