タチアナの出仕

 一番最初にタチアナ・モルファが白晶城の跳ね橋まで来て一番に思ったのは、白晶城が白いというのが嘘だということだった。


『結構汚れてて白というより灰色じゃない』


 タチアナは一度も白晶城を間近で見たことがなかった。いつもモルファ村から遠くに見える城壁と中央の八階建ての尖塔を畑仕事の最中にちらっと見るぐらいだった。

 弟や妹をおぶりながら父や母から言いつけられるきつい畑仕事からすれば、お城など別世界のことだと思っていた。

 それ村からはかなり遠いし。


「下ろすぞぉー」


 身分の低いものの放つ特有のアクセントの野太い声が城内でした。ぎしぎしといやな音を立てて跳ね橋がゆっくりと降りてきた。


『こっちのほうがすごいじゃん』


 タチアナは頭上から降りてくる跳ね橋に見とれてていて、もうちょっと跳ね橋そのものに押し潰されるところだった。


「あぶないぞ、ガキ」


『ガキだってスカートが見えないのか。女だよ』


 跳ね橋のを挟むように立っている側塔の衛兵が叫んだ。タチアナは後ろに数歩飛んだ。


 ドーン。


 跳ね橋が降りてくるとタチアナが元々立っていた場所はきっちり跳ね橋の降着地になっていた。

 タチアナが眉を潜めて門も明けられた城内を伺っていると、またさっきの衛兵が頭上から声をかけた。


「早く入れ」


 タチアナの眉がさっき以上にひそんでから城内に進む。側塔の衛兵がブツブツ言っているのがタチアナにも聞こえる。汚い四文字言葉の連続だ。うちの父ちゃんや兄ちゃんより酷い。

 城内は予想以上に汚い。城壁で風通しが悪いせいか地面はモルファ村の土地と違い湿りほぼ泥だ。ゴリゴリの小さな馬鈴薯を一個置くだけでえらい繁殖するだろう。

 そしてどこか臭い。

 タチアナが城壁内の中央の八階分はある尖塔に向かおうとすると呼び止められた。


「タチアナ・モルファート、そっちではない。こっちだ」


『うん!?』


 よく見ると、泥の城庭じょうていに異様に背の高い黒い革のダブレットを着た老人が立っていた。

 家令のキリアン・シャットランドである。ロードでもサー騎士にも見える。

 こそこそ、とタチアナがシャットランドの側に駆け寄る。

 そして、右足を後ろに交差させちょこんとしゃがみレディーのお辞儀。母に習ったものだが、こんな上品なお辞儀生まれて始めてした。

 村では、誰もが<やー>か抜けた歯の跡を見せるだけで済む。


「私は家令のキリアン・シャットランドだ。これからはシャットランド様と呼ぶように」

「はい、わかりました。シャットランド様。しかしお言葉ですが私はモルファートではありません」

「なに?」


 老人の鷲鼻の上のシワが更に深くなる。


「モルファです」

「村の者の半分がモルファートではないのか?」

「そのとおりです。モルファかモルファートです」

「どちらでもいっしょだ。そなたの前任者はモルファートだった」


 事実だから仕方がない。村では誰も名字では呼び合わない。そして多かれ少なかれ遠縁の親戚だ。戦がないかぎりモルファ村から出ずに一生を終える。


「オレナだと思いますが」

「そなたは、一々いちいち一言多いな」

「申し訳ありません、シャットランド様。シャットランド様はロードサー騎士なのでしょうか?」


 えへん!。

 大きな咳払いをしてシャットランドが答えた。


「様だけで呼ぶということはどちらでもないということだ。無礼だぞ」

「申し訳ありません」


 タチアナとしては確かめただけである。しかしもっとよく見て訊けばよかった。シャットランドは剣をいていない。

 タチアナが白晶城の尖塔へ向かおうとすると背の高い、シャットランドがちんちくりんのタチアナの首の襟元をつまんだ。


「こっちだ」

 

 タチアナがシャットランドに引っ張られていったのは左翼別館だ。

 ここも、白というよりグレーだ。

 領内の白桑石しろくわいしを使って建てられてあるのは一目瞭然だ。


『えー、レディやロードってあの高い尖塔で生活してないの、、、』


よくよく考えてみれば、当たり前だ。あんな高いところに毎日上り降りするのはまず第一に不便だろう。


「ここがお前の持ち場だ、えーとタチアナ・モル、、、、」

「モルファです」

「下女の仕事でなくて幸運だったな、タチアナ。すべてはここの料理長エルナに従え」

「はい」


 と、ここで、いろいろな匂いがタチアナに襲ってきた。よく知っている匂い。あまり知らない匂い。そしてその全てが混じったわけのわからない匂い。

 と匂いのもともわかった。

 ちょっと離れたところに豚が囲われて飼われていた。


『ああブタちゃん、、、もいるんだ』


 それにコケコケと聞こえる鶏舎。

 もう少し向こうには飼い葉桶の列がみえる牛舎まで見える。

 これも少し考えれば当たり前である。ハスラム卿一家と常時城詰めの衛兵四十人ほど、城詰めや通いの下働きの下男下女が幾数十人ほどいるのだから、その腹を満たさなければいけないのだ。


「グルグル見回してお城見学は其処までだよ、お嬢ちゃん。さっさとこっちに来な」


 左翼別館レフト・ウィングの開け放たれた一階の煙の立ち上る大部屋から声をかけられた。

よく見ると、樽のように丸々と太った中年女性が腰に手をあてて立っている。

 目は細く、髪はひっつめ頭だ。

 これが料理長エルナなる人物だろう。


「あんたがシャットランドさんが寄越したレクシアの替わりかい?」

「たぶん、そうだと思います」

「レクシアはあれで器量良しで下女の連中には色々噂されていたけど、働きの方はちゃんとしてたよ。あんたもレクシアと同じぐらい働かないと、このあたしが確実にここから追っぽり出すよ」


『こりゃあシャットランド様より怖い』


「はい、がんばります」

 

 と言って、タチアナが料理室を覗こうとすると立て続けに質問が飛んできた。


「名前はなんていうんだい?なんて呼べばいいのかいって訊いているんだよ」

「タチアナ・モルファといいます。タチアナと呼んでください。料理は得意です。家でも母ちゃんに言いつけられて五つのときから手伝ってました」


 と答えると。


「おまえさんが料理なんて百年早いよ、あっち行って豚の世話をしな、柵の向こう側のはまだ餌をやり終えていないから餌をやって、それから牛舎に行ってダストンさんと手伝って干草ほしぐさをやりな、それからあんたより小さいロレロと手伝って城外で放牧させてる羊を戻すんだよ」

「ええ、、」


 多すぎて、覚えられない。 


「あの、前のレクシアさんという方はどうなったんでしょうか?」


 タチアナとしては前任者のことはとても気になる。

 エルナはこともなげに踵を返し料理室に戻りながら、言った。


「サー・ハミリアス様のお手付きになって孕まされて、腹ボテになって実家に帰っちまったよ。サー・ハミリアス様は認知するつもりはないそうだ。そんなもんだよ騎士ナイトとか偉そうに言ったって。それより、この季節昼間のスープーの煮出しはまだ地獄だよ」

「はぁ」

 

 タチアナはぼんやりしながら答えた。

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