第20話 ああ「キャビアで雑魚を釣る」なんて

 結論から言おう。

 あたしはその日の”弁当お届けレース”には負けた。

 あたしの全財産をかけたキャビア入りの弁当は、あの人には届かなかったのだ。


 ゆで卵とタマネギを細かく刻んだ上に、たっぷり乗せたキャビアのカナッペ。

 クリームチーズとスモークサーモンのキャビア乗せ。

 キャビアを散らしたトマト味のパスタ。

 キャビアの軍艦巻き。


 その全てが、赤御門様には届かなかったのだ。

 ああ、神は死んだ!人類への絶望のため!


 今日は奴らも本気だった。

 本気で『アタシに対する対策』を講じて来ていたのだ。

 今日の妨害役はいつもより人数が多い上、明らかにあたしを標的にしていた。

 あたし一人に対し、常に三人が張り付いていたのだ。


 さらにあたしのスタート・ポジションも悪かった。

 四列目八番。一番右側だ。

 あたしはスタートで出遅れた上、さらに三人の妨害役に前を阻まれたのだ。

 勝ち目がある訳がなかった。


 今日の勝利者五人を尻目に、あたしは”特製キャビア弁当”を抱えて、トボトボとその場を立ち去ろうとした。


「ちょっと、待ちなさいよ」


 背後からそう声を掛けられて、あたしは振り替えった。

 声をかけて来たのは、渋水理穂だ。


 前にも言ったが、渋水理穂は次期セブン・シスターズの座を狙っている美少女だ。

 学年はあたしと同じ一年生だが、入学当時からその可愛さは際立っていた。

 既に男子生徒の親衛隊がいるくらいだ。

 まるでアニメキャラのようなパッチリした目。

 小振りだが、すっきりと通った鼻筋。

 小顔でスッキリと尖った顎のラインまで、まさしくアニメ顔だ。

 トドメは金髪でツインテール。

 昨今のヲタク学生には、さぞかし受けるだろう。


「何か用?」


 あたしはトゲが無い程度に穏やかに聞いた。

 こいつから話しかけてくるなんて初めてだ。

 一体、何の用件なんだ?


 渋水はちょっと気取った足取りで近づいて来た。

 身長はあたしと同じくらいのはずだが、スカートから伸びる太ももは、あたしより長く感じる。


 って言うか、こいつ、このスカートの短さで学校来てるのか?

 駅の階段とかで、絶対丸見えだろ?


「天辺さん、だっけ?あなた、足が速いのね。今までは隠してたって訳?」


 渋水は口許に笑みを浮かべて、腕組みした。


「別に、隠していたって訳じゃないけど。スタート位置が悪いと全力で走れないでしょ」


 渋水は目を閉じて「いかにも」って感じでうなずいた。

 仕草までアニメキャラな女だ。


「でもさ天辺さん、アナタ、これからはもうトップは走れないわよ」


 あたしは無言で渋水を見つめた。

 何となくコイツの言いたい事はわかった。


「もうアナタは完全にマークされているからね。足が早い上に、お弁当も赤御門さんの受けが良かったそうだから」


 まじ?ねぇ、それマジ?

 あたしは渋水に問い質したかった。

 だがその前に渋水の言葉が続いた。


「それでね、セブンシスターズの連中が手を組んだのよ。妨害役を増やして、アナタ専用の妨害役を付けることに」


 そうか、あいつら、そこまでやったか?

 今日だけじゃなく、これからずっとアタシを完全マークし続けるんだな。

 あたしの様子を伺っていた渋水は、そこで顔を耳元まで近づけてきた。


「それで提案なんだけど、アタシと手を組まない?」


 予想通りだったが、驚いたフリをして、渋水の顔を見る。


「アタシ達も協力する事が必要だと思うの。アナタがアタシの仲間になってくれれば、ある程度はトップ争いに入れるように配慮するわ。その分、普段はアタシのためにくじ引きと妨害役の邪魔をお願いしたいんだけどね」


 なるほどね。アタシがいい場所のクジを引いたらそれを譲れ、そして普段は妨害役を引き付けて、渋水の邪魔をさせるな、そういうことか?

 その見返りは、何回かに一回は先頭集団の争いに加われるようにしてくれるってか?


「どう?悪い話じゃないと思うけど」


 渋水は既にあたしが提案に乗る前提で、そう言い放った。

 まるで悪役令嬢のセリフだ。


「悪いけど、あたしは遠慮しとく。そういうのは好きじゃないから」


 あたしがそう答えると、渋水は目を丸くした。


「断るって言うの?このままじゃアンタ、絶対にトップ争いに入れないんだよ?アタシと手を組まないとチャンスはない!」


「あたしは自分の力で頑張るよ。他人の手は借りない。だから渋水さんも、あたしは気にしないで頑張って」


 彼女はあたしを睨み付けた。


「後悔しても知らないから!」


 そう言い捨てると、クルリと後ろを向いて去っていった。

 最後の捨てゼリフまで悪役令嬢だ。


 彼女の言うことにも、確かに一理ある。

 あたしはマークされている以上、この先は勝つ事は難しいかもしれない。


 だが彼女の提案に乗ると言うことは、彼女の考えた通りにしか、レースに参加できないということだ。

 それでは『あたし自身が赤御門様に選ばれる』という大いなる目的を達成できない。

 そもそもツインテールなんかで男受けを狙っている女なんて、信用できるか!


*****


 あたしは脱力感激しくも、屋上に向かった。

 屋上のドアを開けると、兵太がいた。

 いつも通りに・・・


「今日はダメだったか?」


 兵太は苦笑しながら近づいて来た。

 あたしも最早、何も言う気力がない。

 黙って弁当を差し出した。

 兵太は弁当を受けとると、代わりに三百円をあたしに手渡す。

 思わずじっとその手を見てしまった。


 三百円。

 三九八〇円のキャビアを使った、あたしの全財産をかけたお弁当が、三百円。


 そんなあたしの哀愁など気も止めず、兵太は壁際に座り込むと弁当を開き始めた。

 あたしも力なく、二メートル離れて腰を下ろす。


 ああ、昨日はあの赤御門様と一緒に憧れのホワイト・テーブルに座り、一本一万円の水と、一杯一万円のジャコウネコの糞コーヒーを飲んでいたと言うのに……

 何と言う落差!

 弁当を開いた兵太が言った。


「この黒いの、なに?」


 あたしは力無く答えた。


「キャビア」


「え、キャビアって、おまえ、高いんじゃないの?いくらしたんだよ?千円くらい?」


 あたしは答える気にもならなかった。

 自分の分の弁当を開ける。

 黒く艶やかなキャビアがそこにはあった。


……あたし、なにやってるんだろう……


 虚しさが込み上げてきた。しばしキャビアを見つめる。

 横では無神経な兵太が、あたしのキャビア軍艦巻きを口に入れていた。


「ふうん、これがキャビアか。確かにうまいな。俺、いままでイクラとかタラコとかカズノコ以外、食ったことないからな」


 この愚か者め、イクラやタラコやカズノコと比べるんじゃない!

 キャビアだぞ、キャビア!

 世界三大珍味の一つだぞ!

 そりゃ、雲取麗佳の買った二万円のキャビアに比べれば劣るかもしれないが、それでもキャビア様はキャビア様だ!


 兵太は無遠慮に、次々とキャビア様を平らげて行く。

 あたしもキャビアとゆで卵とタマネギのカナッペを口に運んだ。

 けっこうしょっぱい気がした。

 美味しくない、とは言わないが、そこまで価値のあるものだろうか?


 次にキャビアの軍艦巻きを食べる。

 酢飯とあまり合わない感じのしょっぱさが口に残る。


 あたしは涙が出てきた。

 あたしが母親に頼んでお金を借りて、苦労して隣駅のスーパーで買って、さらにはそこで雲取麗佳にバカにされ、それでも苦労して作ったお弁当は、赤御門様に食べて貰えない?

 その上、兵太にまで”テキトーな評価”をされて……あたしの苦労は何だったんだろうか?


 あたしは涙が止まらなかった。

 本当は兵太の前でなんか泣きたくなかったが、それでも涙の方が勝手に目から溢れ出てくるのだ。

 ぬぐってもぬぐっても、涙は流れ続けた。


 あたしのそんな様子を見た兵太が、ポツリと言った。


「おまえ、もう弁当作るの止めたら?」


 あたしは泣きじゃくったままだ。


「そんなにまで無理してんじゃん。これ作るのだって早起きしてるんだろうし、金だって相当かかってるんだろ?」


 あたしはぬぐっていた手の間から、兵太を睨んだ。

 金のことなんて言われたくない!

 だが兵太は、そんなあたしの様子に気付かずに、さらに言い続けた。


「こんな事を続けて、意味あるのかよ?」


 あたしは自分の弁当を床に叩きつけた。

 屋上に弁当がブチまけられる。

 もちろんキャビアも一緒にだ。


「アンタに、アンタにそんなこと言う権利なんて無いんだよ!アンタにあたしの気持ちが解るって言うのかよ!」


 さらに喚き続ける。


「あたしは上を目指しているんだ!それなりの人生なんて嫌なんだ!だから出来る限りの事をやっているんだ!兵太ごときに、批判される筋合いは無いっつ!」


 あたしはそのまま、屋上から出ていった。

 兵太は後を追いかけて来なかった。


 ちくしょう、もったいないことをした。

 キャビアだけ食べてからブチ撒ければ良かった……

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