第17話

「あっ! 常盤君、常盤君、ねえねえ、昨日の演奏会も超良かったよ! マジコとねぇ、ハジキと一緒に見にいったんだけどね、ほんと超良かった、あの、あれ、ふんちゃらちゃちゃっていう曲あるじゃん? ほらぁ、前の演奏会でも、その前の演奏会でもやってた、ほらぁ、曲名忘れちまったけど、じゃぁぁんって手が高く弾む曲、なんだっけ? あれが超お気に入りな……」 


「あっ、ありが、来てくれてありがと、でっ、でも、どのきょ……」 


「それからじゃかじゃかじゃじゃじゃんってさぁ、もうあの手の動き、超イマジネーション! 震えちまうよ、完全に手品を超えてるねえ、あれ見てさ、ハジキなんか『なに? なに? 鳥肌すごいんだけど! もう一回やってくんない!』なんつって声だしやがって、わたし超……」


「て、手品、そっ、そうだよね……」


 背を丸め、視線を合わせず、斜光に映える明灰色の渡り廊下を足早に、常盤はどもりながら女子生徒に返事する。女子生徒は脂っぽい肌をてかてかさせ、平たい顔をやや上向きに、口を閉じることなく、遅れて常盤についていく。中庭に植わる模造の桂は新緑を透かし、梢には自動機械の小鳥が囀っている。


 階段を上り、教室に近づくと。


「なあ常盤さんよぉ、おめえの手はべらぼうにすげえなぁ、おれは昨日所沢につられてなぁ、おめえの演奏会を見に行ったんだけどなぁ、ああすげえなぁ、ピアノなんざぁ、軟弱男子のやるままごとかと思ったらよぉ、すげえなぁ、ありゃ手品だなぁ、うん手品、おれはびっくりしたぜえ、おめえたまによぉ、屋上でちょろちょろ手を飛ばしているだろぉ? 実はなぁ、おれはあれが気に食わなくてよぉ、いつか……」


「えっ? ご、ごめん、ほんとごめ、なん……」


「いやいやいいんだぁ、いいんだよぉ、ひねり潰そうと思ったのは昔のことだぁ、かまわねぇ、あれが手品の練習になるんならぁ、いくらだって飛ばしてくれぇ、常盤さんよぉ、おれが許すんだから、思う存分手品の練習をして……」


「て、手品、そっ、そうだよね……」


 巨大な男に肩を組まれたまま、さらに背中を丸めて歩かされる。廊下に据えられたアルミ細工の前にちらほら、生徒は朝の荷物をロッカーに出し入れして、もうすぐ始まる授業に備える。蜂の巣の形したスピーカーから、澄んだ声を伸びやかに朝の放送が流れる。


 一時間目は社会の授業。


「ええぇ、おはようございます、みなさん、今日も天気は順調ですね、現在過去未来の社会情勢を学ぶのには、このうえない陽気ですね、ええぇ、昨日も大国の軍部代表が不穏な発言をこぼしましたね、ええぇ、わが国にも影響が及ぶのではないかとの懸念があるので、わたし達は現在過去未来の社会情勢を学んで、過ちを犯さない健全なる社会情勢について詳しくなりましょう、ええぇ、みなさんもすでにご存知だと思いますが、昨日は常盤君の演奏会がありましたね、行った人、挙手! ああ、多いですね、素晴らしい演奏会でしたね、何度も感想を述べているので、先生が常盤君の演奏をどれほど好きなのかは、今さら説明する必要はないですね、ええぇ、毎回手の動きに魅了されるのですが、昨日は特にすごかったですよね? みなさんもそう思いましたか? ええぇ、あの曲、あれ、ええぇ、ちょっと曲名を失念してしまいましたが、たんたたたったったぁぁんっていう曲ですね、わかりますか? あの曲の手の動きを見て、常盤君はいよいよ本物のマジシャンに近づいていると思いました、今までの手品も上手でしたが、昨日の手品はさらに手がこん……」


(テ、手品、ソッ、ソウダヨナァ……)机に肘を突き、頭を抱えて常盤は苦笑する。


 二時間目は体育の授業。


「ぐへぇ、おまえら、今日も太陽様様の御天道様だ、体育するにはちょうどいい細胞の運動日和だ、ぐへぇ、近頃は大国の大将が横暴な動きをみせているからなあ、いざという時の為に体を鍛えて、わが国に体を捧げるんだぞ? ぐへぇぐへぇ、おい常盤、昨日の演奏会はなんだ、とんでもねえなぁ、いつもあんな感じなのかあ? ぐへぇ、先生、音楽はちっともわかんねえが、あの手の動きにはたまげたぞ、ぐへぇ、カロライン先生に誘われて行って見たら、器械体操に通じるものがあるなあ、カロライン先生の言うとおりだ、上手な手品を見ているような……」


(テ、手品、ソッ、ソウダヨナァ……)体育座りの常盤は俯いたまま苦笑する。

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