第15話

 交通量の少ない道路を走ること三十分、市場と乗り場の複合した人々のごった返す広場に乗合は到着する。二人同時に乗合から飛び降りると、けばけばしい原色の点々とする露天通りを歩き、右目の窪んだ店主の寂しい果物屋で二人は足を止め、水気をたっぷり含んだ白い果肉の果物を一つ買う。表面のざらざらする皮をサバラが剥いて、一つ一つ食べさせながらピアノ講師の宅へ向かう。


「まるで餌付けよね」鎖骨の突き出た美人は果物籠を抱えてつぶやく。


 膨大な数の電線が宙に乱雑に張り巡らされ、電飾のうるさい半端な雑居ビルを結びつける。すでに死亡した電線も放置され、黒いミミズの死体が垂れるよう。不気味な黒線に空の大部分は遮蔽され、埃と芥が引っ掛かり、生命力ばかりやたら強い無彩色の小動物が食い散らかし、糞尿を垂れ流し、汚穢の限りを溜めている。


 縦の線は鈍い赤、横の線は鈍い緑、黒い窓縁が等間隔に割って配置され、ビルの正面は整然としながら落ち着かない印象を与える。安いペンキに塗りたくられた壁面を見上げることなく、風雨に萎れた三人掛けソファに目もくれず、二人一緒に重いガラス戸を押して中に入った。


「ピアニストは変人じゃなきゃいけないのよ」鷲の手の如く指を鉤形に両手をあげて、自分に聞かせるように言い放つ。


 ピアノ講師ポグスワフは四十後半の独身男性だ。小学生半ばで身長が止まり、その頃に体毛もびっしり生え揃い、顔面も三十代の皺に刻まれていた。物心のつく時からピアノを始め、そこそこ才能もあったのでとんとん拍子に音楽学校へ進学して、気づけば教え上手なピアノ講師になっていた。


 郵便ポストと同じ背丈のまま成長し、老け顔はさらに変形して今では松ぼっくりになり、性格を抜きにしても一風変わった奇人だと一目で判別できる。人の気分を害する均等の取れない上半身はやたら大きく、おもわず唾を吐きかけたくなるので、街を歩けば必ず一度は顔にひっかけられる。


「ピアニストは変人じゃなきゃいけないのよ」汚い顔を真面目に度々主張する。


(ぴあにすとジャナクテ、アンタガ変人ナダケデショ!)ポグスワフの言葉を聞くたびに、棍棒で叩きたくなる欲求にサバラは襲われる。


 ピアノの腕前と教授に定評はあるものの、醜い外見とひん曲がった性格を厭って生徒は寄りつかず、教室はひっそりとする時間が多い。授業料を安くしてどうにか生徒は集まるようになったが、それでも時間は多く余っている。故意に足を切断した三本足の猫を三匹飼っており、それらの動きを見て時間を潰すことがほとんどだ。


 色々なピアノ教室を訪れては奇妙な飛手を災いに断られてしまい、講師が見つからずに困っていると、アジャジの知人からポグスワフの噂を聞いた。それでもすぐにポグスワフのもとへ足を運ぶことはせず、訪れる先がそこ以外になくなった時点で、しかたなく訪れることにした。 


「あなたは変人よ、立派なピアニストになるわ」奇異な常盤の手と眼を見て、ポグスワフは大層気に入った。


(失礼ナ人、噂ヨリヒドイワネェ)アジャジは表情を変えないように努める。


(ナニコイツ、気持チワルイ!)サバラはあからさまに気色を表す。


(変ナ顔、ナンカヤダナァ)常盤は困惑してサバラとアジャジに顔を向けた。


 三人とも一致して第一印象を嫌ったが、他に教えてくれる人が見つからないので、仕方なく教わることになった。一回の稽古の時間は三十分の決まりだったが、最初の稽古から二時間休みなしに行われ、それ以後は最低二時間は続けるようになった。時間を持て余すポグスワフはあまりにも暇な男であり(ハアァァ、生徒ガコナイ)、常盤の演奏は彼の生活を潤すのに打って付けなので(超才能アルジャナイ!)、週に一度の練習も、次の週から二度に変わった。ポグスワフが懇願してやまないので、サバラが毎回付き添うことと、授業料を半額にすることでアジャジは渋々承諾した。

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