番外編&後日談

執事見習いの戯言

「お嬢様! お待ちください!」

「やだ~、わたくしはお母様の元に行くの! マックスったら、邪魔!」


 そうおっしゃって、この公爵家、リールシュ公爵家のお嬢様は執事見習いである僕の手から逃げようとする。しかし、お嬢様はまだ七歳。どれだけ頑張っても、どれだけ力を振り絞っても、僕の手からは逃げられない。それを悟ったのだろう、お嬢様は次の手段に出た。


「……マックス、お願い……」


 秘儀、涙目上目遣い攻撃だ。普通の使用人は、これだけで落ちる。それはそれはあっさりと、これで落ちてしまうのだ。


 何故ならば、とにかくこのお嬢様は可愛らしい。ふわふわとしたウェーブのかかった金色の髪。奥様譲りの美しい赤色の瞳。その容姿で見つめられれば……誰だって、落ちてしまう。それは、僕もよくわかっている。


 しかし、甘やかしてはいけない。僕は、これでもこの公爵家の執事見習いなのだから。今お仕事で留守中の旦那様の代わりに、他の仕事で忙しい執事の代わりに、体調が優れない奥様の代わりに、このお嬢様を守らないといけないのだ。


「……お願い……」


 だが、僕はすぐに落ちてしまった。このお嬢様の、可愛らしさに。


「……仕方がないですね。奥様がオッケーすれば、会うことを許しましょう」

「わ~い、マックス、大好き! わたくし大きくなったらマックスと結婚してあげるわ!」


 そうおっしゃり、僕の腕にすりすりと頬を寄せるお嬢様は……本当に、お調子者だ。あと、その上から目線のプロポーズ、すぐに忘れるんでしょうね。


 ……まぁ、旦那様が許可するわけがありませんが。あのお方、お嬢様を溺愛していますから。


 ですが、それさえも憎めない。そんな可愛らしさが、お嬢様にはある。


(……はぁ、奥様は現在体調が優れないというのに……)


 しかし、七歳のお嬢様にそれを理解しろ、という方が酷なのかもしれない。そう思った僕は、重い足取りでゆっくりと奥様の元に向かうことにした。


********


「あら、どうしたの、マックス?」

「……え、えぇ……奥様。実は、お嬢様が奥様にお会いしたい、と駄々をこねられておりまして……」


 それから五分後。お嬢様に急かされた僕は、急いでこの公爵家の奥様である、アミーリア様の元に向かった。奥様は寝台に横になられており、僕が来たことに気が付くと起き上がろうとされる。だけど、僕はそれを止めた。もしも奥様に何かがあったら……僕のクビが飛ぶ。それはもう、リアルに、物理的に。


「ヴェロニカが?」

「は、はい……。きっと、旦那様もここ数日出張で留守ですし……寂しいのかと……」

「……そうよね。あの子はまだ七歳だものね……。いいわ、今は少し体調が安定しているから、軽くヴェロニカとお話でもしましょうか」


 奥様はそれだけおっしゃると、儚げな笑みを浮かべられた。この方は、本当に美しいお方だ。……さすが、あの気難しい旦那様がご執着なだけはある。お美しいというのはもちろん、容姿と中身、両方のことだ。この奥様は……とにかく、お優しい方なのだ。


 貴族と言えば、使用人を人とは思っていなかったり、使い捨てだと思っていたりするが、奥様は違う。なんといっても、とにかく使用人一同にお優しいのだ。もちろん、時折いらっしゃる庭師の方など、日雇いの者にもお優しい。その結果、ここで働きたい、と希望をする人間は後を絶たない。まぁ、そのこともあり、このリールシュ公爵家に就職するのは大変なのですが……。


「……わかりました。では、お嬢様にそうお伝えしておきます」


 僕はそれだけ言うと、奥様のお部屋を出ていく。今はメイドのシャルロッテがお嬢様のお相手をしてくれているはずだ。シャルロッテは優秀な若いメイドだが、お嬢様に甘い使用人筆頭なので、少々心配だ。早めに引き取らなければ、どれだけ甘やかすが分からない。


(……はぁ、本当に……)


 この公爵家は、今日もお嬢様と言う名のお姫様に振り回されている。


 でも、それはきっと平和ということでもあるのだろう。そう思うと、僕は幸せだった。


 元々孤児だった僕を拾ってくれた旦那様。優しい奥様。可愛らしいお嬢様。尊敬できる同僚たち。


 ――僕は、今までの人生で一番幸せな時を迎えているのかもしれない。


 不意に、そう思った。

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