第1話 手伝い

『あ』


 朝交わした言葉はこれだけだった。紅葉はどうかわからないけれど、少なくとも僕は気まずくて声をかけられそうになかった。事実、担任の教師がHRを進めてる今もできていない訳だし。


「えー、まず連絡なんだが、入学式の開始が少し遅れるそうなので、事務的なことを済ませるぞ」


 僕らの担任は中年でいかにも剣道部の顧問をやっていそうな風格だった。……常に竹刀持って歩いてそう。絶対怒ったら怖い人だ。


「それに当たってだ。隣の教室にオリエンテーションで使うプリントが置いてあるから、だれか2人で取ってきてくれないか?」


 まぁ担任のことはオリエンテーション期間でわかるだろう。それよりも目先のことを気にするべきだ。そもそも僕は、元カノにどういう顔で接すればいいんだ?


「——ちゃん!」


 いや、そもそも関わっていいのか?受験期間という高い壁を越えられなかったヘタレだぞ?むしろ隣にいること自体がおこがましいのでは……。


「涼ちゃん!」


 ……ん?前の席から僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。そこで初めて自分が下を向いて物思いにふけっていたことを知る。そして視線を前に向けると、担任と目が合った。


「そこの2人、初日から話を俯いて聞くのかな。とりあえず、プリント取ってこようか」



 ******************



 今日は入学して初日ということもあってか、教師の怒りは怖くなかった。……というか、隣に座っていた紅葉まで手伝わされてるし。紅葉も考え事をしていたようだけれど。


「……」

「……」


 あー、会話を持たせるどころか発生すらしない!やっぱ紅葉も気まずいよな〜。いや、“菊原さん”の方がいいのかな……。そんなことを考えながら廊下を歩いていると、紅葉の方から話を振ってきた。


「ひ、久しぶりだね」

「ん。そうだな」


 それでも気まずさは抜けず、素っ気ない返事になってしまった。こんな性格だから別れちゃうんだろうな、としみじみ思う。


「あのさ、ひとつだけ聞いていい?」

「あぁ、いいよ」

「えーとね」


 なにを尋ねられるのだろうか。なにを聞かれてもちゃんと答えられる気がしないが、紅葉に悪いことをしたと思ってるから僕には答える義務があるだろうな。


「もしかして私のこと……嫌いになったりした?」

「へ?」

「あーうそうそごめんね!変なこと聞いたよね、今の忘れて!」

「いやいや。……別にそんなことないよ」

「……そっか」


 廊下には意外と声は響かないらしく、心地よい静けさのなかで交わした会話だった。およそ半年振りだったけれど、ぎこちなさは抑えられてるんじゃないかな。さては僕ってば優秀か?


「……やっぱり今の質問は忘れて?」

「え?」


 プリントを持って教室から出る時、紅葉に言われた。


「今のことは気にしないで、いつも通りいこ。……また仲良くしたいし」


 最後の小さな呟きも聞こえてしまった僕は、少し離れたところから紅葉の背中を眺めることしかできなかった。


「……質問に対して『そんなことない』って言ったつもりだったんだけどな」








 後日。


「いや涼ちゃんさ、それはわかりづらいよ……」

「そうか?」

「これは指導しなきゃダメか……」

「え、そこまで大きなミスした!?」


 この話を中学の頃の塾からの友達にしたら怒られた。どうやら僕は優秀でもなんでもないらしい。

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