ゴブリン蠱毒(こどく)

 ――その夜。

 僕は、ゴブリンどもの前にいた。

 ゴブリンの群れは満身創痍の状態だ。

 僕が手加減をして、【看破】でHPを確認しながら、殺さないようにいたぶり続けたからだ。


「ギ、ギギィ……」


 ゴブリンどもが怯えた声を漏らす。

 もうやめてくれ。勘弁してくれ。見逃してくれ。あるいは――いっそ、ひと思いに殺してくれ。

 言葉は通じずとも、ゴブリンどもの思ってることは手に取るようにわかった。

 そうなるように、僕が追い詰めたからだ。


「おまえら、悔しくないのか? 雑魚に等しい魔物に生まれ、人間の冒険者が力を得るための養分として狩られる。そのことに、疑問を感じないのか?」


 通じるわけがないと思いながらも、僕はそうゴブリンどもに問いかける。


「力が、ほしいか?」


 僕は、インベントリからありったけのスライムの核を取り出した。

 スライムの核は山と化し、ぶつかりあって地面を転がる。

 核のひとつが、へたり込んだエルダーゴブリンの腕にぶつかった。

 エルダーゴブリンは、おそるおそるスライムの核を手に取った。


「そうだ。それが力だ。喰えッ!」


 僕は命じる。

 エルダーゴブリンは迷わなかった。

 真球のオーブであるスライムの核を、自分の胸に押し付けた。

 核はずぷりと、ゴブリンの赤い胸へと吸い込まれる。


「――ギャオオオオオ!」


 エルダーゴブリンが目を剥き、あおのけになる。

 胸をかきむしり、溢れ出す魔力に悶え苦しむ。

 魔力は一度まとまりかけたが、


「グガ、グガアアアアッ!?」


「ちっ、こいつも耐えられなかったか」


 エルダーゴブリンの胸が、風船のように膨らんだ。

 その一瞬後、ゴブリンの上半身が血肉となって消し飛んだ。


「……しかたない。次を探すか」


 僕は、死滅したゴブリンの群れに背を向け、森の中を駆け出した。


 ……なんで、こんなことをしてるのかって?

 話は、少し前に遡る。





 ゴブリンの群れは、ペリジアから半日の距離にいるという。

 普通の冒険者で半日なら、僕とお嬢様なら一時間といったところだろう。

 だが、一時間で行って五分で片付けて一時間で戻るのでは、本当に依頼を果たしたのかと疑われかねない。


 魔物を倒したかどうかの判定は、魔物の身体の一部を持ち帰ることで行われる。


(討伐証明部位ってやつだね。ありがちだ)


 魔物の身体は倒すとまもなく消滅するが、その前に一部を切り取って冒険者証のインベントリにしまうと、次に取り出すまで消滅時間が延長されるということだ。

 スライムの核のような特殊な残留物を得るには、特別な倒し方が必要らしい。


 ともあれ、指定された地点への移動は、明日の朝になってからだ。

 夜間は魔物が強化され、昼には出現しない魔物も出ると聞かされた。

 冒険者は、よほどの事情がない限り、夜間の行動は避けるのだという。


「ま、今日はペリジアの観光ね」

「僕は情報収集がしたいんですが」

「あら、わたしとのデートを断るっていうの?」

「思ってもないことを言わないでくださいよ」


 ペリジアはそんなに大きな街ではない。

 ぶらぶらと歩きまわるだけで、見るべきものは見てしまった。

 重要施設としては、冒険者ギルドと教会。武器屋、防具屋のたぐい。その他は生活施設がほとんどだ。


「ファンタジー感はあるけど、けっこう生活くさいわね」

「現実世界ですからね」


 観光地で、情緒があるのは表通りだけで、ちょっと外れるとコンクリートのビルばかり、ということがあるけど、ペリジアの街並みもそれに近い。この世界で観光に気を使う余裕はないのだろうし、しかたのないことだろう。


「とりあえず宿を取りますね」


 僕はペリジアでいちばんいい宿を確保した。

 スライムの核の売却金だけで、この宿が向こう半年は泊まれることになる。

 夕食は可もなく不可もなく。

 まあ、鳳凰院家の屋敷と比較するのが間違ってる。

 鳳凰院家の屋敷は、地球上で最も快適に過ごせる場所の一つなのだから。


「僕は、情報収集の続きをします」


 食事を終え、部屋に下がった僕は、お嬢様に言った。

 この世界にしては透明度の高い窓の外は、既に真っ暗になっている。

 文明の利器のないこの街は、地球に比べて夜の闇が深く濃い。


「あんまりやりすぎるんじゃないわよ? 後の楽しみも取っておくべきだわ。あと、あんまり睡眠圧縮ばかり使わないこと」

「一週間くらいは平気ですよ」

「夜は寝るものだと思うんだけどね」


 自分の部屋に戻られるお嬢様を見送り、僕は宿の外に出る。


「……太陽は夜になると沈み、月は夜になると輝きはじめる」


 われながらくさいセリフに赤面した。

 お嬢様に言った通り、街で情報収集をしてもいい。

 だが、日中にぶらついただけでも、それなりに情報は集まった。

 執事服の胸ポケットに挿した万年筆は、先がカメラになっている。その録画データは、屋敷に帰った後に解析班に回す予定だ。僕個人としても、見聞きしたことを、冒険者証のインベントリに突っ込んで持ち込んだノートPCに記録している。


 少し考え、僕は今夜の行動指針を決定した。


「夜のうちに確認しておくべきは、ゴブリンだね」





 小一時間で、討伐依頼書に記された地点へとたどり着く。

 途中で街道を外れ、ちょっとした岩山の裏に回る。

 洞窟の前の焚き火を、赤い肌の小鬼たちが囲んでいた。


「あれがゴブリンか」


 実際に目にすると、それなりの感動はあった。

 自分は今異世界にいるのだと。


 だが、


「【看破】」




《ゴブリンアーチャー レベル14》《ゴブリンスカウト レベル12》《ゴブリン レベル11》《ゴブリンヒーラー レベル17》《ゴブリン レベル13》




「……問題外だね」


 ステータスの中身も貧弱だ。

 これでは、多少組織だった動きができると言っても、僕たちの脅威にはなりえない。どころか、歯ごたえのある戦いすら望めない。

 無双するにしても相手が弱すぎる。気持ちいいというより、単に面倒なだけだろう。

 手間を省きたいのなら、僕がここから【火炎魔法】を撃つだけで終わってしまう。


「依頼書では10体だったね。洞窟の奥からも気配がする」


 気配もするが、それ以上に、ゴブリンたちは臭かった。

 ちょっと鼻のいい人なら、遠くからでも気づけるだろう。


「せめて100体くらいいればなぁ」


 まとめて薙ぎ倒す気持ちよさくらいは味わえたはずだ。

 できれば200、300ほしい。


「それこそ、お嬢様が言ってたように、ゴブリンキング的なものでもいれば……」


 クラス持ちは組織だって動くというが、群れのサイズには自ずと限界があるらしい。

 群れを大きくするには、統率者が必要だ。

 ゴブリンリーダーがいれば数十体、ゴブリンキャプテンがいれば百体前後、ゴブリンジェネラルがいれば数百体、ゴブリンキングが出現すると千体を超える。

 ここに来る前にギルドへと忍び込み、必要そうな情報は抜いてきた。万年筆に仕込んだカメラで撮影すればいいだけだからね。


「ゴブリンキングは、どうやったら出現するんだろう?」


 群れが大きくなるに従い、統率者系列のクラス持ちが現れる……と、ギルドの資料にはあった。

 だが、それは因果関係が逆のような気もする。統率者が現れなければ群れがまとまらないのなら、群れが大きくなるより先に、統率者が現れている必要がある。

 魔物が「湧く」瞬間を目撃したという話はないので、事後的にそれらしい説明をつけただけではないか。


「でも、上位の統率者がいるのに、適正サイズより群れが小さいってこともないみたいだね」


 ゴブリンキングがいるにもかかわらず、群れが百体規模という事例はないという。

 ゴブリンキングがいる=千体規模の群れがいる、ということになるらしい。

 さらには、ゴブリンキングが低レベルであることは絶対になく、最低でもレベル50を超えるとあった。

 【鑑定】や【看破】はそこそこのレアスキルらしいので、すべてのゴブリンキングのレベルを調査したわけではないだろうが、推定されるHPなどから考えるとそうなるらしい。


「そもそも、魔物のレベルはどうやって上がるんだ?」


 人間は魔物を倒すことでレベルが上がる。

 魔物も魔物同士で戦うことはあるらしいが、どちらかといえば、テリトリーがかぶらないように棲み分けることが多いという。

 つまり、魔物が魔物を倒す機会が多いとはいえない。


「いや、違うな。それ以前に、魔物は最初から高レベルで湧くことがある。スライムパークのスライムみたいに」


 もし、「ゴブリンパーク」のような、高レベルのゴブリンが無限湧きするスポットがあったらどうなるだろう?

 そこからは高位の統率者が現れるはずだ。

 スライムパークの湧き方から考えると、ゴブリンパークには統率者の格に見合った数のゴブリンが湧くかもしれない。


「……ひとつ、心当たりはあるんだよね」


 僕はインベントリからあるものを取り出した。

 スライムの核だ。

 レッドスライムのものまで含め、僕のインベントリには有り余るほどの在庫がある。


「スライムの核ってなんだろうね」


 今さらの疑問ではある。

 だが、考えてみる価値はあると思う。


「魔法の適性検査だけのためのものとは思えない。それだけなら、瑕疵かし形容詞がこんなに多彩である必要がない」


 僕は次々とスライムの核を取り出し、【看破】しては収納していく。



《限りなく完璧に近い状態のレッドスライムの核》《いまだ魔力渦巻くレッドスライムの炎核》《真球のレッドスライムの核》《仮死状態のレッドスライム》《スライムの核》《若干焦げたスライムの核》《少しだけ歪みの気になるスライムの核》《スライムの核》《状態のいいスライムの核》《まずまずの状態のスライムの核》《スライムの核》《焦げたスライムの核》《焼け爛れたスライムの核》《究極のスライムの核》《完璧な状態のスライムの核》《一切の曇りのないスライムの核》《窮理のスライムの核》《魔力伝導性の高いスライムの核》《進化の可能性を秘めたスライムの核》《ゴーレムのコアにぴったりのスライムの核》《ダンジョンコアになる素質を秘めたレッドスライムの魔核》……



「これで、ゴブリンを『進化』させられないかな?」


 神が与えるという形容詞を見る限り、可能性はありそうに思える。


「問題は、どうやって『使う』かってことなんだけど」


 僕は試しに、物陰からゴブリンの群れに向かって、《進化の可能性を秘めたスライムの核》を転がしてみる。

 焚き火の赤い光を照り返し、スライムの核がきらりと光った。

 近くにいたゴブリンが気づき、スライムの核を拾い上げる。


「おっ?」


 ゴブリンは、思わぬ反応をした。

 牙の覗く口を笑みの形に歪めると、拾った核を自分の胸に押し付けた。

 核が、ゴブリンの赤い胸にずぷりと沈んだ。


「ギ、ギギィィィィィッ!」


 ゴブリンが声を上げる。

 ゴブリンの体内で魔力が渦巻くのがわかった。

 僕に魔法スキルがなかったとしても、十分に気づいただろう。

 それほどまでの爆発的な魔力の膨張だった。


「……【看破】」



《エルダーゴブリン レベル35》



「やった!」


 見れば、ゴブリンは容姿すら変わっていた。

 身長が伸び、肌の赤みが薄くなって皺が増えた。

 彫りの深くなった眼窩の奥には、前よりは知性を感じさせる瞳があった。


 そのゴブリンに、周囲にいたゴブリンたちが跪く。

 さらには、そのゴブリンどもの周囲に、十数体のゴブリンが出現した。

 文字通り、何もないところから出現したのだ。

 スライムパークにおけるスライムの「補充」そっくりである。


「それなら――おまえらも強くなれ」


 僕はインベントリから適当にスライムの核を取り出し、ゴブリンの数だけ転がしていく。

 ゴブリンどもは核を拾い、一様に自分の胸に押し付けた。

 ゴブリンは、本能的に核の使い方がわかるらしい。


 だが、そのうちの数体が苦しみ出し、数秒後、胸を中心にして弾け飛んだ。

 残りのゴブリンは進化に成功、その周囲にさらにゴブリンが湧く。


「なるほど、キャパみたいなものがあるのかな」


 僕は【看破】で核の形容詞を確かめつつ、出現したゴブリンに核を適時投じていく。

 形容詞が仰々しいものは失敗しがちだが、かといって《焦げた》のような品質の悪いものでは進化が起きない。

 ほどほどのラインを見極めながら、僕はスライムの核を追加する。


 ゴブリンは、瞬く間にその数を増やしていた。

 進化失敗で半数ほどが爆散するものの、進化に成功した個体の周囲には、個体の「格」に応じて追加のゴブリンが現れる。

 全体の収支としては圧倒的にプラスだ。


 僕は膨らんでいく群れから距離を取りつつ、スライムの核を転がしたり投げたりする。

 数が増えすぎ、一体一体を狙うことが難しくなってきたので、かなり適当に、片っ端から核を出すことにした。


 数の増えたゴブリンは、徐々に小集団を作るようになった。


「クラスター化っていうのかな」


 統率者の格に応じて、周囲のゴブリンが集団を形成している。

 統率者の格を上げられないかと、統率者にスライムの核を投げてみるが、進化の成功率はかなり低い。


「なんでだろう? 進化が急激すぎるから? いや、そういう感じじゃないな」


 統率者の中には、核を投げても、反応しない個体もいた。

 一般ゴブリンはほぼ確実に反応するのだが、統率者は核への反応が薄い気がする。


「なんていうかな……。地位に満足してしまってる?」


 取り巻きのゴブリンに囲まれて、統率者のゴブリンは満悦しているように見えた。

 部下はいるし、危険もない。

 だから、これ以上の力を求める必要がない。


「人間と同じか。あるレベルで満足してしまうと、それ以上の力を求めなくなるんだ」


 ならば、どうするか。


「簡単だ。力を欲するような環境を作ってやればいい」


 進化を引き起こすのは、環境からもたらされる淘汰圧に他ならない。

 要するに、厳しい環境に追いやってやれば、上位のゴブリンであっても、今以上の力を求めるはずだ。


 僕は、ゴブリンを小集団ごとに追い込むことにした。

 HPを限界まで削り、痛めつける。

 統率者の目の前でその配下のゴブリンをなぶり殺しにする。


 統率者が核を手に取る可能性が目に見えて上がった。

 だが、失敗する確率もまた高い。

 スライムの核の形容詞と統率者のクラス、統率者の追い込まれ方などを勘案し、少しでも確率の高い方法を模索する。


 夜の森で、ゴブリンどもが断末魔の悲鳴を上げた。

 しかし同時に、進化に成功したゴブリンどもの歓喜の声も響き渡る。

 何段階かの進化に成功した統率者は、最初から高レベルやランク持ちの取り巻きを生み出すようだった。



「はははっ! もっとだ、もっと喰らえッ! お嬢様の初依頼の相手にふさわしい力を得ろッ!」



 ――夜の森は、にわかにゴブリンどもの蠱毒の壺と化していた。

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