閑話:おっかねえやつら

◇冒険者ギルド・ペリジア支部ギルドマスター、マルク視点

 執務室の窓から通りを見下ろすと、ちょうど「あいつら」がギルドから出て行くところだった。

 ベニカと名乗る少女が楽しげに、ケイトと名乗った少年を引き連れて、大股に通りを歩いていく。

 ペリジアは古い城壁に囲まれた街だ。人口密度が高いわりに通りは狭く曲がりくねっているのだが、二人は夕暮れ時の人混みの中を、魚が川を泳ぐような自然体ですり抜けていく。

 周囲を威圧して道を開けさせるでも、素早い身のこなしで人を避けるでもない。人の流れを掴みながら、かといってそれに合わせるばかりでもなく、自分で自分の流れを作り出し、周囲がそれと気づかないうちに、自分たちの道を作っている。

 拳ひとつでギルドマスターにまでのし上がったマルクでも、ああまで自然に自分の強さを「消す」ことはできない。


「……なんて奴らだよ、まったく」


 マルクは一人つぶやいた。


 ギルドマスターをやっていれば、単に腕っぷしが強いだけのやつなどいくらでも見る。

 また、マルクとて自分の腕に自負はある。実際、客観的に見ても、マルクは一流の冒険者の、さらに上半分には食い込むだろう。Sランク冒険者のような規格外を除けば、マルクより強い冒険者は数える程だ。

 だが、数えるほどにはいるとも言える。ギルドマスターは、自分より強い冒険者を使いこなせないことには始まらない。マルクがギルドマスターに収まっているのは、実力が半分、人望が半分といったところだ。これから歳をとっていくことを思えば、徐々に実力から人望へと重点を移していく必要があるだろう。そして実際に、マルクはそれなりには人望へと軸足を移すことに成功している。


 だから、紅華との戦いに敗れたことは、マルクの中ではさほど尾を引いてない。またひと組、自分をも超える若い才能が現れた――その才能にまったく嫉妬を覚えないといえば嘘になるが、そうした感情を呑み下せない程度では、ギルドマスターとして大成することはないだろう。

 衆人環視でボコられて、いささか体面は傷ついたものの、紅華の力量はあの場にいた全員が目撃している。過去の実績からしても、マルクのことを今更「思ったよりも弱くね?」などと思う冒険者はいないだろう。むしろ、マルクをまるで子ども扱いにして叩きのめしたあの女は何者だ?という話になるはずだ。

 その意味では、敬斗の意図した通りに、紅華は冒険者たちにその実力の片鱗を見せつけたことになる。紅華の真価を正しく認識できた者があの場に一人でもいたかは疑問だが、秘められた実力を予感させるには十分だった。「竜は竜鱗のみをもってしても竜である」ということわざが、マルクの脳裏に浮かんてくる。


 とはいえ、優れた拳闘士として、戦いに敗れた理由を検討するのは当然のことだ。

 敗因の最たるものは、


「常識が一切通じなかった」


 拳闘士ならば、この距離でこのスキルを使う。

 そのスキルに対して、定跡としてはこのような返しが効果的だ。

 さらにその返しに対して、一般的にはこうした応じ手が有効とされる。

 そうした、スキルの存在を前提に組み立てられた戦いの駆け引きが、紅華には全く通じなかったのだ。


「そもそも冒険者になりにきたんだから、クラスを持ってないのはわかってたんだよな。もちろん、そいつは織り込み済みで、スキルのない相手に有効なはずの戦術を取ったわけなんだが……」


 まれに、クラスを持つ以前に独力でスキルを身につけてしまうケースもある。クラスがないからといって、スキルがないと思い込むのは危険なのだ。

 マルクは当然、十分な用心をした上で、まずは相手の力量を図ろうとした。


「だが、それこそが油断だったな。最初から全力で潰しに行くべき相手だった。いや、そうしてたところで、間違いなく返り討ちには遭っただろうけどな……」


 要するに、紅華はマルクより単純に「強かった」。

 レベルがどうの、スキルがどうのなんて話ですらない。

 人対人の格闘戦の能力で、紅華はマルクを上回っていた。技術も、立ち回りも、気構えも、あらゆる面でマルクを圧倒していた。

 ただそれだけのことだ。


「ま、そいつは結構なことだ。俺よりつえぇ奴なんて探しゃあ見つかる。あの歳で、しかも女でってのは珍しいけどな」


 自分より強い連中まで含めた冒険者たちをまとめ上げるのがマルクの仕事だ。人より強くありたいという気持ちは当然あるが、ギルドマスターとしては、優秀な冒険者が現れるのは大歓迎である。

 紅華はからっとした性格で、若干向こうっ気の強さがうかがえるものの、それすらも魅力に変えてしまうような、人を惹きつける力を持っている。ギルドマスターとして嫉妬すべきは、紅華の実力よりも、そうした天性のカリスマ性のほうかもしれなかった。


「性格に問題がなく、実力はそれ以上に申し分のない新人冒険者。ありがてえにもほどがあんな」


 その意味では、マルクは紅華を脅威とは思わなかった。もちろん、敵に回したくないとは思うものの、こちらが常識的な対応をしている限り、理由もなしに敵対されるようなことはないだろう。


 だが、


「むしろ、おっかねえのはあいつのほうだ」


 キリガミネ・ケイト。

 黒い髪と黒い瞳。特徴のない顔立ち。男としては華奢にすら思える体格。

 隣に華やかさの塊のような紅華がいるせいもあって、敬斗は人の注意をほとんど引かない。

 気まぐれに敬斗に注目した者がいたとしても、「なぜこんな地味な奴がこんな美人と一緒にいるのだろう?」と思うだけかもしれない。


 いや、そうではないと、マルクは思った。


「不思議と、そんな感想すら浮かばねえんだよな。取り立てて注意も引かねえが、かといって悪目立ちするわけでもねえ。紅華と比べると華がない、みてえな感想すら湧かねえ。だが、気配を消してるってわけでもねえんだよな」


 そこにいるのはわかってる。

 だが、敬斗がそこにいることに、マルクの意識が向かわない。

 たまに敬斗に脚光が当たることがあったとしても、「あ、いたのか」といった反応すら浮かばない。

 敬斗は、自身が必要だと思った時だけ姿を現し、それ以外の時にはその存在感を消している。他人の意識にいつのまにか入り込み、気がついた時には消えている。


「薄気味悪いったらねえぜ。存在感そのものが薄いってわけじゃねえ。いるのはわかってる。目立ちもしねえし、逆に目立たなすぎるってわけでもねえ。じゃあ平凡かっていうと、そういう感想も浮かばねえ。見事に、ただの背景と化してやがる。

 つまり、『無』だ。あいつのいる場所には意識の空白ができやがる。んで、その空白は後になってみねえと気づけねえ。

 いや、俺だからかろうじて気づいたが、あの場にいた冒険者は誰もあいつのことを覚えてねえんじゃねえか? 覚えてたとしても、あいつに対して何の『印象』も抱いてねえから、あいつについて何かを語ろうとしても語れねえ。賞賛されることもなければ、批判されることもねえ。話題に上るのはベニカのことだけだ」


 メシ屋でメシを食ったとする。

 どんなメシを食ったのかは、数日以内なら思い出せるだろう。

 だが、そのメシがどんなうつわによそわれてたかを思い出せるだろうか?

 よほど特徴的な器でない限り、思い出すのは難しいだろう。


 それを苦労なく思い出せるのは、「器」と同じ世界に身を置いている者だけだ。ギルドマスターにまで登りつめたマルクは、そうした連中を知らないわけではない。そう考えてみれば、敬斗にはそうした連中に通じる雰囲気がないでもなかった。


「あいつは、紅華の『影』か。紅華をいっそう華やかで颯爽とした存在に演出するための、な」


 マルクが結論じみたものを得たところで、執務室のドアがノックされた。


「失礼します」


 入ってきたのは女性の秘書だ。


「どうした?」

「ひとつ、ご報告といいますか、驚くべきことがございましたので……」


 有能な秘書にしては珍しく、はっきりしない物言いだった。


「驚くべきこと? なんのこった?」

「先ほどのお二人の話です」

「あいつらについて、これ以上驚くべきことがまだ残ってるってのか?」

「正確には、ケイトさんのほうですね」

「ベニカじゃなくてか」


 マルクは、自分以外が敬斗に注目したことを意外に思った。


「はい。ケイトさんは、訓練場の計測人形でオーバーキルを出されたわけですが……」

「ん? 人形に不具合でもあったか? やっぱ、オーバーキルなんてそうそう出るもんじゃなかったってことか……」


 そいつはつまらねえな、とマルクは思った。

 あの結果が計測ミスだったのなら、マルクは敬斗を過大評価していたことになる。

 もっとも、その後オーブを割るほどの魔力を見せてもいるので、ダメージ計測が過大だったとしても、十分以上に異常な新人冒険者ではあるのだが。

 マルクは、それ以上に得体の知れない何かを敬斗に予感――いや、期待・・していたのだ。


 しかし、秘書は首を左右に振った。


「いえ、計測人形に不具合はありません。むしろ、その逆です」

「逆だと?」

「ええ。ケイトさんはナイフを合計16本投じていたわけですが……」

「16もあったのかよ!? オーバーキルまで10秒しかなかったってのに……」


 10秒間に16本。秒間およそ1本半の投擲ペースだ。いちいち数えてはいなかったが、まさかそんなに投げていたとは。

 投げナイフを得意とする冒険者でも、こんなペースでは投げられない。投げられたとしても、そのことごとくが的に当たるなんてことはないはずだ。

 さらにいえば、敬斗の投じたナイフはすべて、人形の頭の中心へと命中していた。連続して投げたナイフ同士がぶつからないよう、微妙に狙いを調整しながら投げていたということだ。


「ええ。それも驚きではあるのですが、計測人形のログを精査したところ、さらに驚くべきことが判明しました」

「ずいぶんもったいぶるじゃねえか。精密な狙いの投げナイフを高速で連投できる以上に驚くべきことがあるってのか?」

「はい。その、計測人形のダメージログを見たのですが……」


 秘書は、自分の出した結論を疑うかのように、しばしためらってから先を続けた。



「……ケイトさんがオーバーキルを叩き出したのは、どうも、最初の投げナイフだったようなんです」



「…………は?」


「ですから、ケイトさんは、一投目のナイフで既に1000以上のダメージを出していたのです」


「……はぁ?」


「ではなぜ、オーバーキル表示までに10秒ものタイムラグがあったのかといいますと、どうもあの計測人形は、計測開始10秒後まではオーバーキルを表示しない仕様になっているようなのです。私も今回のことで初めて知りましたが……」


 つらつらと説明しだした秘書に、マルクが言う。


「……おいおい、マジで言ってんのか?」

「はい。ログを見る限りでは、ケイトさんはあの10秒間に少なくとも16回のオーバーキルを達成していたことになります」

「少なくとも、ってのはなんなんだよ?」

「ナイフの一撃のダメージが1000以上であることはわかるのですが、具体的にいくつかだったかはわかりません。1000以上のダメージは計測不能ですから」


 当然だ、とマルクは思う。

 冒険者のダメージ計測に使う人形に、1000以上のダメージを計測する機能なんて必要ない。一般の冒険者でも100もあれば十分以上にお釣りがくる。新人に限っていえば20もあればいいくらいだ。

 上限が1000では物足りないなんてやつは、Sランクの化け物の中にもそうはいない。


「ってことは……」

「はい。仮にケイトさんの一撃あたりのダメージが1200だったとすれば、すべての攻撃を合算した場合のオーバーキル回数は19回となります。論理的には、ケイトさんがそれ以上のダメージを出していた可能性も否定できません。それこそ、2000、3000だったとしてもわからないわけです」

「ただの投げナイフでそんなダメージが出せるもんなのか? ほとんどスナップだけで投げてるようにしか見えなかったぞ」

「わかりません。そのようなスキルが知られていないことは確かです。可能性があるとすれば、暗殺者の【致命攻撃】でしょうか」

「ありゃ人間の急所を狙うもんだ。計測人形に急所なんてあるわけがねえ」

「では、賭博士の【幸運】でしょうか?」

「16回の全部に幸運が乗ったってのか? 【幸運】によるクリティカルは10回に1回出ればいいほうだって聞いてるぞ」

「戦士の【全力攻撃】、狂戦士の【諸刃の剣】……」

「【全力攻撃】は投擲では使えねえ。【諸刃の剣】は攻撃力が上がる代わりに自分もダメージを受けちまう。1回1000超えのダメージを16回も反射されて、平気でいられるはずがねえ」

「ならば、伝説の必中クリティカルではいかがでしょう?」

「そんな馬鹿な」


 マルクは秘書の言葉を一笑に付した。

 もっとも秘書も本気で言っているふうではない。

 ものの本質を見抜き、攻撃を急所の中でもさらに特別な一点に当て続ける――伝説の必中クリティカルとはそういうものだが、そんなことが人間に可能だとは思えない。単に急所に攻撃を当てるだけでもそれなりの段取りが必要となるが、急所に当てた攻撃が必ずクリティカルになるというわけではない。賭博士の【幸運】がなければ確率は百分の一もあればいい方だ。

 伝説の必中クリティカルの場合はただのクリティカルですらなく、対象を一撃で崩壊させるようなより高次のクリティカルだとされている。人間にできるできない以前に、ほとんどオカルトのような話なのだ。


「となると、彼個人の特別な技術か、未知のスキルと思うしかないのですが、彼があの時点で冒険者でなかったことは確実です。クラスを持っていたはずがありません。常識的にいえば、クラスに対応するスキルも持っていなかったはずです」

「……なるほど。スキル以外の技術を持ってんのは、ベニカだけじゃなかったってわけか」


 マルクは半ば納得しながらそうつぶやいた。

 敬斗が紅華を引き立てるための「影」ならば、そのほうがむしろ自然かもしれない。


「しかし、そんなことがありえるのでしょうか?」

「俺も半信半疑だが、計測人形が嘘をつくはずもねえ。あの場にいた人間の注意を引かないことはできても、ダメージログは誤魔化せねえ。たぶんだが、目立たない程度に力を抑えようとしつつも、どのくらい加減したらいいかわからなかったんだろう。その結果として、やりすぎた・・・・・

「まさか……あれで全力でなかったというのですか!?」

「逆に、あれで全力を出してるように見えたか?」


 あの時敬斗は、いかにも無造作にナイフを人形へと投げていた。

 さじ加減を試すかのように、むしろゆったりと投げているようにすら思えた。「ゆったりと」10秒に16本のペースで投げるのは明らかにおかしいのだが、敬斗から受けた印象だけでいえば、そう表現するのがぴったりだ。


「……たしかに、そのようには見えませんでしたが……」

「あいつにとっちゃ、この程度は余技ってことなんだろうな。かなり手加減をしたはずの余技でこの結果だ。やっぱり本当にヤバいのあいつのほうかもしれねえな……」

「危険な人物なのでしょうか?」

「さあ、どうだろうな。ベニカについちゃ心配してねえが、ケイトの奴はよくわからん。ベニカを主人と仰いでる様子だったから、ベニカの不利益になるようなことはしねえだろうけどな」


 悪人とは思えないが、かといって確信を持って善人とも言い切れない。

 それほどの実力を隠し、紅華の「影」たることに徹するには、人間離れした自制心が必要なはずだ。

 もし自分にそんな力があったとしたら、マルクにはそれを世に示さずにいられる自信がない。実際、それほどの力があるのであれば、わざわざ隠す必要がないのだ。その力を世間に認めさせ、それにふさわしい地位や名誉を求めればいい。


「ベニカさんもそうですが……一体、何者なのでしょう?」

「さあな。だが、ここは冒険者ギルドだ。聖導教会とは違って、来るもの拒まずがモットーだからな」


 マルクは答えながら、唇の端がひくつくのを感じていた。


「なぜ嬉しそうなのですか、マスター?」

「いや、なに……なんかおもしれえことをやらかしてくれるんじゃねえかと思ってな」

「拳闘士時代の血が騒ぐということですか。私としては、平穏無事が何よりなのですが。知りませんよ? 何か問題が起こって、マスターが責任を問われるようなことになっても」

「危険を冒すのが冒険者の仕事だ。好き好んで冒険者になるようなのはもともとどっかイカれてんのさ。その意味じゃ、あいつらだって同じことだ。あれだけの力を持ってりゃ、それにふさわしい危険を求めずにはいられねえ。俺と同じ匂いを感じるね。とくに、ベニカのほうにはな」


 そう言って獰猛な笑みを浮かべたマルクに、秘書は冷たい目を向けた。


「……あれだけ無様に負けた人がそんなことを言っても格好がつきませんよ、マスター」

「う、うるせえ! それは言うなッ!」

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