執事長の提案

「よろしいですかな?」

「はい」


 僕は返事をしてドアを開ける。


 廊下には、執事長が立っていた。

 僕の上司にあたる人で、執事服を一分の隙もなく着こなした、シルバーヘアの老紳士だ。

 温厚そうな笑みを浮かべてるが、騙されてはいけない。

 背筋がピンとしてて、自然体なのに隙がない。垂れ下がった白い眉で隠された目には、鋭い光が宿ってる。


(なにもなければ、温厚で紳士的な、執事のかがみみたいな人だけど)


 執事長――箸蔵はしぞうさんは、すこし困った表情を浮かべていた。


「お嬢様、そろそろお出かけになるお時間ですぞ」

花京院かきょういんのパーティかぁ。行きたくないわねー」


 お嬢様が顔をしかめる。


「ね、じい。異世界に行く方法って知らない?」


 お嬢様が冗談めかして箸蔵さんに聞いた。


「ふむ……異世界ですか。そういうことでしたら、心当たりがないでもありませんな」


 箸蔵さんが、いたずらっぽくそう答える。


「えっ、ほんと!?」

上古じょうこの時代より当家に伝わる『隔世へだてよの門』というものがありましてな。その門は『波留解はるげ』なる異世界に通じているとかいないとか……」

「なにそれ! 初耳よ!」


 お嬢様が驚く。

 僕もそんなの初めて聞いた。


「どこにあるの!?」

「この屋敷の地下にございます」

「「ちかっ!」」


 僕とお嬢様のつっこみが重なった。


「よろしければご案内いたしましょうか?」

「いいわね! うちにそんなおもしろそうなものが眠ってたなんて!」

「ですが、その代わり今夜のパーティには出席していただきますぞ?」

「うっ……そう来たか。しかたないわね、出ればいいんでしょ、出れば」


 というわけで、お嬢様はその晩ちゃんとパーティに出席した。


(箸蔵さんもうまく乗せるなぁ)


 ドレスに身を包み、シャンデリアの下でひきつった愛想笑いを浮かべるお嬢様を、僕は会場の隅から見守った。

 お嬢様の美貌に惹かれ、近づこうとする「虫」には混じり気なしの殺気を飛ばし、パーティ会場から追い払う。

 もちろん、僕が殺気を飛ばしたなんてことは、誰にもわかるはずがない。


 パーティは波風もなく、無難に盛り上がり、無難に終わった。

 浮世離れしたきらびやかな会場の中で、ただ一人、お嬢様だけが寂しげだった。


 あかのドレスに身を包み、完璧な礼儀作法で社交するお嬢様は、まさしくパーティのはなと言っていい。

 それなのに、当の本人は、このパーティに――いや、この世界に、ちっとも興味を持ってない。


 ――お嬢様は、生まれる世界を間違えた。


 お嬢様も、僕も、そのことをはっきりと理解している。


(でも、どうしようもないじゃないか。まさか、本当に異世界なんてものがあるわけもないし)


 箸蔵さんはああ言ったが、僕もお嬢様も、「異世界」なんて話を真に受けたりはしていない。

 欲求不満なお嬢様の対戦相手をいかにして見つけるか。

 年々難しくなる一方の課題を前に、僕と箸蔵さんが頭を悩ませるしかないのだろう。




 ……そう思っていた時期が、僕にもありました。

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