第4話 初デートの思い出
携帯電話の時刻表示を確認しながら、初菜は『遅い』と呟いた。待ち合わせは午後の二時。場所は藤ヶ峰駅前広場のベンチ。
携帯電話の表示は二時五分。たかが五分、されど五分。緊張に速くなる胸の鼓動を抑える為に、深呼吸を一回、二回、三回。
時刻表示を覗き込む。二時七分。
「遅いよ……和君……」
初菜はふと不安になった。ひょっとして、待ち合わせ場所を間違えたのではないだろうか。ひょっとして、来る途中で何かあったのではないだろうか。ひょっとして……ドタキャン? 携帯をかけても繋がらないし、メールを送ったのに返ってこないし……。
『初菜が、好きなんだ』
告白の木曜日から三日。付き合い出してから初めての日曜日。初めてのデート。
『初菜を、彼女にしたい』
お洒落に決めようとクローゼットを引っ掻き回した初菜だったが、変に気張るのもはずかしく、結局普段着のまま。黄緑色のブラウスに、赤のスカート。……ズボンにしなかったのは、女の子を強調したい初菜の苦肉の策だった。
初菜の視界の端で、和樹が大慌てで走ってくるのが見えた。初菜の胸が一際高く、どきりと鳴る。よかった……来てくれたんだ!
そう思うと初菜の顔に嬉しさが拡がっていった。
「……ご、ごめん、月。遅れちゃって」
必死に謝る和樹。
「私も今来たところだよ!」
なんだか恋人みたいなやりとりだなと思った瞬間、初菜の顔が真っ赤になった。
駅前から歩いて五分。目的の喫茶『セルベッテ』は比較的空いていた。
「お客様は何名様でしょう?」
「に、二名です……」
和樹の上ずった声がおかしくて、初菜はあははと笑った。
「それではこちらの席にどうぞ」
「……笑ったな」
先導するウェイトレスの後ろ。小突こうとする和樹から、初菜はひらりと身をかわす。
「それではご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」
向かい合わせの席に座ると、自然と相手の顔が飛び込んでくる。かっと頬が熱くなるのを感じ、初菜はお品書きに目を落とした。
「……え、えっと、な・に・に・し・よ・お・か・な。て・ん・の・か・み・さ・ま・の……」
「だ~、さっさと決めろ! これだ、これ。これにしよう! はい、決定!」
和樹がロクに見もせずに指差したメニューは……。『ジャンボストロベリーパフェデラックス』。アイスクリームにイチゴやパイナップル等、種々のフルーツが乗っかっている。ただ、それだけのもの。……なのだが、特筆すべきはそのサイズ。二人~三人前と記された、いわゆる『恋人サイズ』だった。
「……」
「……」
「……これにするの? ホントに?」
「……月は……嫌……?」
「……嫌……じゃないけど……はずかしいよ……」
目を見交わし、初菜は申しわけ無さそうに呟いた。
「……普通のやつに……しよ? 私、このクリームあんみつにする」
「じゃ、俺はティラミスにするよ」
何を話せばいいのかが解らなくて、食事は無言のまま進んだ。何か話さなきゃ、と気ばかりが焦って初菜は思いつくままに口を開いた。
「クリームあんみつ、おいしい」
淡雪のように溶けていくアイスクリームの舌触りは、確かに心地良く、雑誌で取り上げられたのも頷けた。
「ティラミスもおいしかった」
何故過去形? と訝しく思って見ると和樹は既に食べ終わ
り、初菜の食べる様子を眺めていた。
「相変わらず早いね、食べるの」
「月って、しゃべるのは早いのに、食べるのは遅いのな」
「いいでしょ、別に」
ムッとした初菜の口調に、和樹は慌てて謝った。
「ごめんごめん。責めてるつもりはないんだ」
「あ、ううん。私こそ。短気でごめんね」
ぎこちない会話。おさななじみから恋人へ。急激に変わった関係に、二人は戸惑っていた。
「……ゆっくり食べなよ」
「……うん、ありがと」
何だろう。今まで、どんな話で盛り上がっていたんだっけ? 手持ち無沙汰になった和樹は必死に考える。
「そーいえば、昨日の『土曜サスペンス劇場』見た? あの、
タイトルだけでどんな事件か解っちゃう、あれ」
「……キャスト見ただけで誰が犯人か解っちゃったから見なか
った」
「……あ、そう。いや、実は俺も見てないんだけど……」
「……そうなんだ……」
「……」
「……」
「……あのさ、ピッキング娘。の新曲聴いた? なんかいつも
以上に弾けてたよ」
「……まだ聴いてないよ。持ってるなら貸して?」
「……いや、俺も歌番組で聴いただけだから」
「……残念」
初菜は食事の手を休め、上目遣いで和樹を見上げた。
「和君」
「なに?」
「……食べてるとこ、あんまりじっと見ないで。なんかすっごいはずかしいから」
「……ごめん」
「……いいけどさ」
顔を赤くしながら、初菜はぼそっと呟いた。
「……こういうはずかしさ、嫌じゃないから……」
いつのまにか、二人の心から焦りが消えていた。初菜の呟きが、周囲の空気を穏やかに塗り替えたのだろうか。無理にしゃべらなくても、無理に盛り上がらなくても。
「……俺たち、恋人なんだよな……」
和樹の声は幸せに満ちていた。
「……そうだよ、和君」
優しい笑顔を浮かべる初菜の頬を、和樹の指がつつ、となぞった。目を閉じる初菜。和樹の唇がそっと、初菜の頬に触れた。
ふわっとした感触。とくとくと早まる鼓動。目を開けると、和樹も耳まで赤く染めていた。自分だけじゃない。和樹も照れてくれたんだと思うと、初菜はとても嬉しくなった。
「……はずかしいね!」
「……はずかしいな」
「……だけど、こういうはずかしさなら大歓迎かも……」
顔を見合わせて微笑み合う。
「……俺さ、月のことますます好きになりそう」
「……ありがと……」
頬を赤くして俯いてしまう初菜。はにかみ屋の彼女から、和樹は視線を逸らすことが出来なかった。
外の空気を取り込もうと、初菜は大きく息を吸った。火照った頬に、冷たい風が気持ちいい。店を出て時刻を見ると、夕方の五時。楽しい時間は飛ぶように過ぎていく。
「この後、どうする?」
「文房具屋さんに行ってもいいかな」
「文房具屋さん? いいけど、何買うの?」
「まだ、内緒だよ」
悪戯っぽい光を浮かべながら、初菜は和樹の手をぐいっと引いた。
「……っとと、危な……」
柔らかな初菜の熱が繋いだ掌から伝わってくる。
「次に来る時は、ジャンボストロベリーなんとかに挑戦しようね」
「……ひょっとして、ずっとそんなこと考えてたの?」
言葉に詰まる初菜。和樹の心に温かい気持ちが拡がっていく。こんな時間がきっとずっと続いていく。はずかしくて、優しくて、愛しい時間。時に喧嘩したり、辛いこともあるかもしれないけれど。この少女と一緒なら、どんなことでもきっと乗り越えていける。初菜の笑顔が和樹にそんな確信を与えてくれた。
文房具屋で、初菜は小さなノートを買った。B6の、何の飾り気も無い大学ノート。売っているのは知っていたが、使っている人を見たことが無かった。
「何に使うの?」
疑問に思って尋ねる和樹に、初菜はにやりと笑ってみせた。
「二人の『好き』を沢山詰めて、題して『ラブ・ノート』!」
和樹の頬が引きつった。ネーミングセンスの悪さは、少し問題かもしれない。
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