第8話 記憶の中のラスボス



 人魚の背中を見送った男は月明かりの中、空になったヤシの実の器を二つ、両手に持って岩壁に向かって歩き始めた。


 そしてその二つを置いて、空いた両手を雨水が溜まったヤシの実の殻に伸ばす。


 生ぬるく、不味い水であるはずが、乾いた男には甘露であった。


「これで溜まってた雨水は無くなったか……。海水を飲んだら余計に体内の水分が失われるって言うし……。明日までに湧き水にセットした空き瓶が一杯になるか、雨が降ってくれればいいんだが……」


 男は、やるかたなく雲一つない夜空を見上げた。


「そう言えば海人族は水分補給はどうしてんだ ? ひょっとして海水をそのまま飲んでんのか ? ……だとしたらとんでもなく強靭きょうじんな腎臓を持ってそうだな」


 腎臓の機能の一つは体内の余分な塩分を排出することである。


 海で暮らす海人族がその能力に優れているであろうことは、地球で流れまくっている健康番組を見ていて中途半端な知識を持つ男に容易に想像できた。


「しかしそうなると意図的に体調を崩すために醤油を一気飲みしても無駄ってことか。赤紙がきても徴兵逃れができないな……」


 大日本帝国時代、徴兵を逃れるために自らの身体を毀損きそんする者がいた。


 その中でも有名なのが、徴兵検査の前に醤油を飲み、わざと体調を崩して内蔵に疾患があると見せかけて不適格を狙ったというものである。


 また肛門に生肉をはさんで、重度の痔をよそおって徴兵を逃れようとした者もいるというが、真偽の程は定かではない。


 そんなことを男は思い出していた。


「……なんでこんな無意味なことだけは覚えてんだ……」


 ブツブツと自らの記憶に文句を言いながら、男は知能を持つアイテムインテリジェンスである付け髭が伸ばした黒い触手に火の灯った着火用アイテムを持たせて明かりとして、暗い岩壁を登っていく。


 そして岩壁の上で、昼間見つけた先住者達を改めて観察する。


「三人、それも全員、自然死とは思えない……か」


 上半身だけの人間の骨が三つ、それぞれ数メートルの間隔を置いて静かに転がっていた。


「……森には相当前に木を伐採ばっさいした後がある。石と棒を結び付けて作った石斧も一つ落ちていた。誰かが俺と同じようにいかだを作ろうとした……いや、完成させたんだろうが……」


 男は1メートルほどの長さの棒とそれに無理やりロープでくくりつけられた平べったい石で構成された不器用な石斧を手に取る。


「……死体は三人、となると犯人は三人を殺した後にこの島を脱出したのか…… ? でも動機がわからんな。それにわざわざ身体を両断して下半身をどこかに捨てた理由も……」


 大根はどんな風に食べてもお腹を壊さないので、食あたりにならない「当たらない」ものとされ、そこから人気の出ない「当たらない」役者のことを大根と呼ぶようになったとも言われる。


 その意味で言えば男のプロファイリングセンスはまさしく大根であった。


 男は腕を組んで、もっともらしくそれを展開していく。


 明後日の方向へ向けて。


「これは恐らく……儀式殺人だな。海の女神に筏による航海の安全を祈願する儀式を行ったんだ……。切断された下半身は神への捧げものとして海に投下したということか。仮に被害者が男だったなら、男の下半身が供物くもつとなるなんて……とんでもない痴女的な女神だな」


 男はぶるりと身を震わせた。


「まあ、山で落とし物をした時は下半身を露出しながら探すと山の女神が喜んで、探している物を見つけやすい所に置いてくれる、なんて伝承もあることだし……。女神とは言え所詮は女……男の下半身には勝てない、というわけか」


 フェミニスト女性から痴漢冤罪をでっち上げられて社会的に抹殺されても仕方のないような暴言を、したり顔で吐き終わった男は、自らのプロファイリングに満足して岩壁を降りようと振り返り、気づいた。


 いつの間にか周囲が白い霧に包まれていることに。


 そしてその霧のベールの向こうに凄まじい圧力を放つ女の影があった。


「……全ての『職業』の『スキル』を最高レベルで行使するなんて……チートにもほどがある…… ! 」


 男の口が勝手に動く。


 これはかつてあったこと、喪失した記憶の断片であると、何度か似たような白昼夢を体験した男は確信していた。


 女の影が剣を構えた。


「……私に言わせればあなたの装備も大概ですがね。回避行動のため時の流れを速めます」


 男の全身を隙間なく覆う鎧の内部から機械的な声がした。


 それと同時に大量の魔素が、魔石を通して時の流れを操作する力へと変換されていく。


 女の影から放たれた幾条いくじょうものゆるやかな稲妻の隙間を縫って接近し、鎧の拳の先から伸びた四本の黄金色の爪が届く寸前、影は消えた。


「目標、転移魔法を使用しました。左後方です」


 男はその音声に従って、左腕をその方向に向け、振り返るよりも早くそこに仕込まれた機能ギミックを作動させる。


 右腕より若干太目の黄金の左腕から短い筒が飛び出し、加速された時の中、凄まじい速度で弾丸が撃ち込まれていく。


 バリン、とガラスが割れるような音がした。


 女の影が展開していた防御魔法が突破された音だ。


 数発の弾丸が女の影に被弾するが、またしても影は消える。


「クールダウンです。時の流れを通常に戻します。……できれば再使用まで時間を稼いでください。まともにやり合うとこちらが不利です」


 まかせておけ──と男が自信満々の声で応える。


「……あなたが無根拠に自信にあふれている時は大抵事態を悪化させるんですが……本当に大丈夫でしょうね ? 」


 不安げな音声を無視して、男は既に回復魔法で傷を塞いだ女の影に語り掛ける。


「……さっきは『勇者』の雷魔法を使ったな。俺の世界では雷は稲妻とも言う。稲の妻、農作物の妻だ。雷が多い年は豊作になるって言い伝えがあるからだ。科学的には空気中の窒素が放電によって水なんかに溶け込んで成長を促進させるんだが……。ともかく稲妻は豊穣をもたらすものだ。『勇者』が稲妻を操るのも、人間族を守り、豊かにしてほしいというあんたの願いが込められてんじゃないのか ? それなのに……今のあんたはこの世界そのものを……」


「無駄だ…… ! この女は完全に俺の支配下にある…… ! ! ご希望とあれば詳細に教えてやるぞ ! この女が葛藤しながらも、徐々に俺に心と股を開いて行くさまをな ! 」


 女の影の両目が、蛍光の青に、不気味に、冷たく、光っていた。


「そんな……俺の声は届かないというのか…… ! 」


 地面を殴りつけ、頭を抱えて、オーバーリアクションに悔しがる男。


「……クールダウン、完了しました。……もうそのワザとらしい演技はやめてもいいですよ。なんか見てるこっちが恥ずかしくなるんですよ」


 聞こえているのに、きょうがのったのか、男は止めない。


「ならば……彼女の股と心を俺に対して開かせて……お前から彼女を寝取ってやる ! 」


 最低ですね──と小さく呟く音声を無視して、男が広げた両手に瞬時に何かが現れた。


 それは質実な造りの剣と、黄金に輝く十字架だった。


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