第36話 芽生の記憶
翌日、二〇二〇年四月十四日。魔法災害隊東京本庁舎。
「長官、昨日の報告書です」
碧が長官に昨日の一部始終について書かれた報告書を手渡す。
「うん、ありがとう。ごめんね、君たちにばかり負担かけさせちゃって……」
申し訳なさそうに言う長官に、碧は首を横に振る。
「いえ、これが仕事ですから。それに、元はと言えば私たちが調べたいと言ったのが始まりですし」
「碧さんは真面目ね」
長官は碧に優しく微笑みかける。
「それと長官、今日は何をすれば良いでしょうか?」
碧が問いかける。
すると長官は、少し考えてこう答えた。
「昨日のこともあるし、碧さんだって疲れてるでしょう? だから君たちは今日は待機でいいよ」
「いやしかし、それでは人手が足りないのでは?」
碧が聞くと、長官は笑顔を見せた。
「大丈夫、心配しないで。そこをなんとかするのが長官の腕の見せ所だから」
「では、お言葉に甘えて……」
碧は長官に頭を下げると、響華たちが待つ食堂へと向かった。
食堂では、響華たちがテレビを見ながら碧が戻ってくるのを待っていた。
『昨日の午前十一時頃発生した国会襲撃事件。その捜査中、警視庁の楠木耕一管理官と捜査一課の刑事複数名の信用レートが規定値を下回り、射殺・拘束されたことについて、松本警視総監がまもなく会見を行う模様です』
テレビは昨日の事件の話題で持ちきりだ。
「やっぱり、ある程度は情報操作がされてるわね」
芽生がテレビを見ながら呟く。
「まあ本当のことが世間に知れ渡ったら日本中大騒ぎだろうしね〜。あっ、千日手って将棋用語なのか……」
遥がスマホをいじりながら言う。
「でも、あの時なりふり構わず私たちに拳銃を向けたってことは、よほど石倉製薬と公民党の繋がりはバレたくないものだったんでしょうか……?」
雪乃が問いかけると、響華が頷いた。
「多分そうだと思う。楠木管理官がどこまで知ってたのかは分からないけど、少なくとも公民党が悪事を働いてるのは分かってて、それに警視庁も協力してた。だから楠木管理官たちはその事実に気づいていた私たちを殺そうとした」
「響華の言う通り、そんなところでしょうね。ただ、守屋さんに見事にやられて返り討ち。残念な結末ね」
芽生は憐れむように言った。
すると遥が、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえばさ、みーちゃんが現れた時に楠木管理官が『裏切られたか』って言ってたけどあれどういう意味?」
「どういう意味って、守屋さんに裏切られたってことじゃないの?」
響華が首を傾げる。
「確かにそうとも取れますけど、その前の『死んだはずじゃなかったのか』って言葉からして、誰かに殺害を命令していたんじゃ……」
雪乃はその時の状況を思い出して少しぞっとする。
「まあ何であれ守屋さんが無事で良かった。それでこの話は終わり。ね?」
芽生がそう言ったのと同時に、碧が食堂に入ってきた。
「碧ちゃん、今日のスケジュールは?」
響華が質問する。
「昨日の疲れがあるだろうからと、待機にしてくれた」
碧が答えると、響華はあくびをしてテーブルに突っ伏した。
「それじゃあおやすみ〜」
「寝るんかい!」
遥がツッコミを入れる。
すると響華は上半身を起こして。
「冗談だよ冗談」
と言って笑った。
碧は椅子に座ると、芽生の方を向いて真剣な顔をした。
「それでだ桜木。共工に殺されたというのはどういう事だ?」
四人の視線が芽生に集まる。
「さすがにもう隠せないわね……」
芽生は諦めたようにため息をつくと。
「それじゃあ話すわ。それは五年前、香港に住んでいた時のこと……」
過去の出来事を話し始めた。
五年前、二〇一五年四月二十九日。香港中心部。
当時の香港は半年以上に渡り市民によるデモが続いていて、治安が大きく悪化していた。
十二歳だった芽生は、両親の仕事の都合で香港に住んでいた。
「早く帰らなきゃ! 今日はお父さんとお母さんと外食よ!」
芽生は学校が終わると、一目散に学校を飛び出した。
毎月最後の水曜日は両親と外食することになっていて、芽生はずっと今日を心待ちにしていたのだ。
「もう、早く青に変わってくれる?」
芽生が幹線道路の信号に引っかかる。
するとその時、けたたましいサイレン音が聞こえてきた。
「えっ、何?」
芽生が音のする方を見ると、数え切れないほどの警察車両がこちらに向かって来るのが見えた。
その警察車両が芽生の前を通り過ぎようとした瞬間。
『バババババン!』
爆竹が警察車両に投げつけられた。
それと同時に、デモ隊が警察車両に襲いかかる。
「自由な選挙を!」
「我々の権利を奪うな!」
声を荒げて警察車両を取り囲むデモ隊。
「ど、どうすればいいの……?」
目の前で繰り広げられるその光景に、芽生は恐怖で足がすくんでしまい動くことが出来ない。
その間にも、どんどんと状況が悪化していく。
「同じ香港の人間なら、なぜこんなことをする!?」
デモ隊の男性が警察官の胸ぐらを掴んで言う。
「仕事だからだ」
警察官は毅然とした態度で答えると、デモ隊の男性を突き飛ばして催涙弾を投げた。
「まずい、逃げろ!」
「それでも市民の味方か!」
叫びながら逃げ惑うデモ隊に、警察官は容赦無く催涙弾を投げ続ける。
「わ、私も、逃げなきゃ……」
芽生がそう呟いた時には、周りはすでに催涙ガスが充満していて。
「お父さん……、おか……さん…………」
芽生は意識を失い、その場に倒れ込んでしまった。
それからどれくらいの時間が経っていたのだろうか。
芽生が目を覚ますと、空はかなり暗くなっていた。
「あれ? 私……」
芽生が体を起こす。
すると、幹線道路の真ん中にぽつんと立つ人影が目に入った。
「そんなところにいたら、車に轢かれるわよ……?」
意識が朦朧とする中、芽生はその人に話しかける。
「誰ダ……?」
芽生の声が届いたのか、その人がゆっくりとこちらを向く。
その人の顔を見た時、芽生は感じたことのない恐怖を感じた。
「あなた、何者……?」
「我ハ共工。我の顔ヲ見た者は、殺ス……」
その人は徐々にこちらに歩み寄ってくる。
「待って、嫌……!」
芽生は必死に立ち上がろうとする。しかし、芽生は体が思うように動かない。
「魔法条款第一號、魔法光線」
その人は至近距離で魔法光線を放つ。
「くっ!」
芽生の体を強い痛みが襲う。
必死に逃げようとする芽生に、その人は。
「これで、終わりダ!」
と叫び、もう一発魔法光線を放った。
「くっ、うわぁぁ!」
芽生は吹き飛ばされて地面を転がる。
「我の前デ目を覚ましたのが運ノ尽きだったな」
その人はそう言って姿を消してしまった。
どんどんと意識が遠のいていく中で、芽生は自分の体を見る。
「これじゃあ外食、行けないわね……」
大量に出血している自分の体を見た芽生は、諦めたように呟いてそっと目を閉じた。
「おい、起きろ。起きるのじゃ」
ふと女の子の声が聞こえてきた。
芽生はゆっくりと目を開ける。
「……あれ、私どうしたんだろう? って、ちょっと!」
芽生の目に飛び込んできたのは真っ暗な空間で、自分の体はその空間に浮かんでいたのだ。
「大丈夫じゃ、落ち着け。ここはそなたの心の中じゃ」
またどこかから女の子の声がする。
「あなた誰? どこにいるの?」
芽生が問いかけると、その女の子は。
「こっちじゃ、こっち!」
と言って芽生の右手を掴んだ。
芽生は突然右手を掴まれ、驚いたように右を見た。
「っ! あなたは、誰……?」
そこにいたのは、四角い帽子に長いガウンを羽織った十歳ほどの少女だった。
「驚かせてすまなかったな。私はコンパイル。魔法神の一人じゃ」
「コンパイル……? 魔法、神……?」
芽生が首を傾げる。
「そうじゃ。魔法神はこの世界に魔法物質が誕生したのと同時に生まれ、遥か昔よりこの世界を見てきた。私はその一人でな、魔法物質の力を人間が扱えるようにするのが今の仕事じゃ」
「ってことは、魔法神はあなた以外にもいるの?」
芽生が聞くと、コンパイルはこくりと頷いた。
「ああ、もちろん。じゃが、その中に一人悪さをしている者がいてな」
「悪さ……?」
「魔法物質から魔獣を生み出し、それらを従えて人間を支配しようとする者がな」
その言葉に、芽生はハッとする。
「もしかして、魔法災害は全てその魔法神の仕業なの?」
すると、コンパイルは首を横に振った。
「それは違うな。魔獣や魔法爆発は自然発生してしまうものじゃ。しかし、その者が生み出した魔獣はとても強力で、あらゆる国を支配してしまっておる」
「それじゃあ、香港も……?」
「いや、香港は平気じゃ。だからこそ中国に狙われておる。中国は先史時代より魔獣の支配下にあり、今なおその力は健在じゃ」
「そんな……」
芽生は相当なショックを受けた様子だ。
「それでじゃ、そなたにはその中国を支配する魔獣、共工を倒してほしいのじゃ」
「私が……共工を、倒す……?」
「そなたの魔法能力は五本の指に入るほど高い。きっと出来るはずじゃ。お願いできぬか?」
コンパイルは芽生の肩をぽんと叩く。
芽生は少し考えると、ゆっくりと首を縦に振った。
「……分かったわ、やってみる」
「よし、契約成立じゃな」
コンパイルはそう言って微笑んだ。
しかし、芽生には一つ気がかりなことがあった。
「ねえコンパイル、私はひどい怪我をしてしまった。この体じゃいくら魔法能力が高くても戦えないわ」
芽生の言葉に、コンパイルは急に真剣な表情になる。
「そうじゃな……。いつ言おうかと迷っておったのじゃが、そなたはもう死んでしまっておる」
「えっ……?」
芽生は自分の耳を疑った。だが、確かにコンパイルは『自分は死んでいる』と、そう言った。
芽生の目から涙が溢れ出す。
「それじゃあ、どうやって共工を倒すのよ! 私、死んじゃったんでしょ……?」
涙をこぼす芽生に、コンパイルはそっとハンカチを差し出す。
「涙を拭け。大丈夫じゃ、私と契約してくれたからな」
「どういう、こと……?」
芽生がハンカチで涙を拭いながら聞く。
「私と契約してくれた以上、私にはそなたを助ける義務がある。私はそなたを生き返らせる。だから、もう泣くな」
「そんなこと、出来るの……?」
芽生の表情が少し明るくなる。
「もちろんじゃ。私は魔法神じゃからな」
コンパイルはそう言って笑うと、芽生の胸に手を当てて何かを唱え始めた。
すると、芽生の体の中から魔法結晶が浮き出てきた。
「……これは?」
芽生が問いかけると、コンパイルはそれを手に取って差し出す。
「これはそなたの魂じゃ。魂と体を分離させ、体を魔力で満たすことでそなたは生き返れる。但し、これは肌身離さず身につけておくこと。でないと今度こそ死んでしまうからな」
芽生はその魔法結晶を受け取ると、コンパイルの顔を見た。
「私、絶対共工を倒してみせるわ」
芽生の力強い言葉に、コンパイルは大きく頷いた。
その時、芽生の視界が急に白くなる。
「…………」
芽生が目を開けると、そこは病院のベッドの上だった。
「芽生? おい、芽生が目を覚ましたぞ!」
芽生の父の声が聞こえる。
「お父、さん……?」
芽生が声のした方を見る。
「良かった……! すぐにお医者さんが来るからな」
芽生の父は目を潤ませながら芽生に話しかける。
しばらくすると、医者と芽生の母が病室に入ってきた。
「まさか、あれから回復するなんて……」
医者が信じられないといった表情を浮かべて呟く。
「芽生……! 本当に、芽生なのよね……?」
芽生の母は涙を流して芽生に抱きついた。
「ええ、私は芽生よ」
芽生が答えると、芽生の両親は人目も気にせずに泣き出した。
芽生は少し恥ずかしかったが、それと同時に生き返ったことを強く実感した。
「……これが私の、忘れもしない記憶よ」
「そっか、そんなことがあったんだね……」
芽生の話を聞いていた響華がぽつりと言う。
「それから私は、情勢が悪化した香港から日本に引っ越した。でもすぐに両親は仕事の都合でイギリスに行くことになって、そこからは一人暮らし。こんな経験した人、小説の主人公でもいないでしょう?」
芽生がそう言って笑う。
「確かに、ここまでの主人公はいないかもしれませんね」
雪乃は笑っていいのかどうか分からず、少し困ったような表情を浮かべている。
「事実は小説よりも奇なり、だな……」
碧の言葉に、遥が続ける。
「そうだね〜。アニメは現実より面白いよね〜」
全員が遥の方を見る。
「遥ちゃん、誰もそんなこと言ってないよ」
「滝川さん、この状況でどうしてふざけるんですか?」
「全く、お前という奴は……」
響華と雪乃、碧が同時にため息をつく。
すると、その様子を見ていた芽生が吹き出した。
「フフ、アハハ……!」
「どうしたの芽生ちゃん?」
響華が問いかけると、芽生は笑いながら答える。
「だってあなた達、面白いんだもの……!」
「私たちが、ですか?」
雪乃が首を傾げる。
「ええ。こうやってあなた達と馬鹿話が出来るだけで、私は幸せだわ」
芽生は四人に微笑みかけた。
「よし、メイメイ笑ったね!」
遥が突然声を上げる。
「『よし』ってお前、どういう事だ?」
碧が聞く。
「だってあのままじゃ暗い感じになっちゃうでしょ? だからメイメイを笑わせようかと思って」
遥はあのタイミングであえてボケたようだ。
「遥ちゃん……」
響華は苦笑いを浮かべる。
「あなたは本当に自由な人ね。ありがとう、遥」
芽生は遥の顔を見ると、ニコッと笑顔を見せた。
「なるほど、そういう事でしたカ……」
五人の会話を隠れて聞いていたリンファは、スマホを取り出すと共工に電話をかけた。
『どうシタ、リンファ?』
「桜木芽生の生きている理由が分かりまシタ」
『ほう?』
共工はかなり気になっていた様子だ。
「桜木芽生は、どうやらコンパイルと契約して生き返ったみたいですネ」
『コンパイル、またアドミニストレータ様の邪魔ヲ……!』
共工はコンパイルと聞いて急に怒りが込み上げたようだ。
「私は引き続き日本で監視を続けマス。共工様はどうされますカ?」
リンファが聞くと、共工はコンパイルへの憎しみを抑えきれない様子で答える。
『あの物質ガ完成したら、即座ニ作戦を開始する。ただ、最初の標的ハ桜木芽生に変更ダ』
「了解デス」
リンファが電話を切る。
「……やっぱり、アマテラス様の言う通りになりましたネ」
リンファはそう呟いて不敵な笑みを浮かべた。
警視庁、警視総監室。
松本警視総監が会見に向けて準備をしていると、ドアをノックする音が聞こえた。
「誰かね?」
「失礼します」
入ってきたのはスーツ姿の女性だった。
「松本警視総監。いえ、松本第一執行官。あなたに通達事項があります」
執行官という呼び方をしたことで、その女性が自分の味方であると松本警視総監はすぐに察した。
「君も執行官かね?」
「はい。公民党第二執行官、魔法災害隊東京本庁副長官の木下です」
「ほほう、魔災隊の人間か。それで、通達事項とは? もうすぐ会見の時間なんだ。手短に済ませてくれ」
すると木下副長官は、鋭い目つきで松本警視総監を見た。
「あなたは魔災隊をコントロール下に置くことに失敗、それどころか信用レートシステムの欠陥を露呈させた。よって、あなたの執行官権限は剥奪されました」
「ま、待ってくれ! 魔災隊をコントロール出来なかったことは認める。だが、信用レートの件に関しては石倉製薬の裏切りが原因で……」
松本警視総監は慌てて反論する。しかし、木下副長官は更に語気を強める。
「では、石倉製薬の裏切りを未然に防げなかったのは何故ですか? それさえ防げれば魔法結晶カプセルで人が暴走し、信用レート計測不能な人間を生み出すことはなかったのでは?」
「そ、それはだな……」
松本警視総監は言葉を返すことが出来ず黙り込んでしまった。
「では、松本第一執行官の権限は剥奪。これにより、あなたは排除対象になります」
木下副長官は松本警視総監にそう告げると、魔法を唱えた。
「魔法目録八条二項、物質変換、拳銃」
木下副長官は目の前に形成された拳銃を手に取ると、銃口を松本警視総監に向ける。
「おい、それだけは勘弁してくれ! そうだ、神谷さん! 神谷さんと話をさせてくれ! 神谷さんの指示なんだろう?」
松本警視総監は必死に訴えかけるが、木下副長官は表情一つ変えずに照準を定めている。
「松本警視総監、これは神谷総裁の指示ではありません。アマテラス様の指示です」
「アマテラス……?」
松本警視総監が首を傾げたのと同時に、木下副長官は引き金を引いた。
『バンッ!』
松本警視総監がその場に倒れる。
木下副長官は松本警視総監が死んだのを確認すると。
「次は共工との戦いですね。アマテラス様の駒として、イレギュラー藤島響華を必ず地獄に葬ります」
と呟き、警視総監室を後にした。
その直後、テレビでは速報が流れた。
『たった今、松本警視総監による会見の中止が発表されました。理由は明らかにされていません。警視庁の会見は中止ということです』
それ以降、松本警視総監について報じられることは無かった。
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