第9話 甘え
私の頭上の魔道灯にいたのであろうか。
魔光蟲は羽音を立てながら膨れ上がっていく。
もはや、台の上の結晶には興味はないのか。ぐるぐると大きく私の頭の上を旋回する。かなりの大きさだ。身体に触れそうな距離。
背筋が冷える。
グイッと腕を引かれ、我に返った。
「落ち着け」
レムスが私を庇うように前に入りながら、呪文を唱え始めた。
私は慌てて、その呪文の強化をする。
蟲はさらに大きくなり始めた。明らかに魔力を吸っている。
「まずいな」
室長も呪文に加わった。呪文の速度が速まる。
この際、小さい方の蟲は後回しだ。
「もう一匹は、僕が引きつけます」
ルワンが私の置いた結晶に手をのばした。
そうだ。もう一匹を離しておかないと、二匹一度に破裂したら、かなりの被害になってしまう。ルワンの判断は適切だ。ルワンはゆっくりと私達から離れた位置へと結晶を運んでいった。
三人がかり、ということもあろう。呪文の完成速度はいつもより早い。
魔光蟲が激しく明滅しはじめたところで、なんとか呪文が完成した。
「魔存器に」
大きく息を吸い、室長から魔存器を手渡され、私はゆっくりと虫をその中に入れた。
「もう一匹は?」
「こちらです」
ルワンがじっと見守る中、結晶の上にとまっている。
「普通に補虫することも可能かと」
「大きさは、どうなんだ?」
「今のところ変わりはありません。通常より、一回り大きいですけれど」
「任せる」
室長に言われて、ルワンが捕虫網を取り出した。
ふわり、と網がかぶさり、魔光蟲はいとも簡単に捕らえられた。
そのまま、ルワンは持っていた小さなカゴに結晶ごと入れる。
「大丈夫なの?」
「おそらくは」
私の問いに、ルワンが頷く。
「魔光蟲は、交尾前に、若干、大きくなることは森でも観察済みです。オスは交尾後、メスは産卵後には、元の大きさに戻ります」
「つまり、その大きさに変化するのは通常だということだな」
「そうです」
レムスに答えながら、ルワンは慎重にかごの中の虫を見る。
「僕たちが捕らえた虫は、すべて産卵直前の断食状態にあります。通常の状態であれば、その後、エーテルを大量に取り入れて体にエネルギーを蓄えて、産卵に至ります。先ほどから、この虫は大きさに変化がありませんから、結晶のエーテルでは、これ以上の変化はないと思われます」
「つまり、封印せずとも良い、ということだな」
「確証はありませんが」
室長は大きくため息をついた。
「とりあえずは、ここで何かあっては対応できん。厨房は魔道具が多すぎる」
「実験室に戻りますか?」
「……そうだな。とりあえず、保冷器を元に戻そう」
男性三人が力仕事をしている間、私はかごの魔光蟲を観察することになった。
ルワンの持ってきたかごは、本当に小さなもので、大人の手のひら二つ分ほどの大きさだ。中には結晶と魔光蟲と、小さな木の枝が一本入っている。葉はついてない。かごの網目はとても細かく、本来の大きさの虫でも通り抜けることは不可能だろう。
結晶にとまっている魔光蟲は小さな光を明滅してはいるが、大きさに変化はない。
「何かしら」
ぷるぷると魔光蟲が身体を震わせ始める。
「室長!」
私は声を上げる。大きさに変化はないが、明滅が激しくなってきた。
魔術を唱えるべきか、唱えないべきか、迷う。
魔光蟲が、ゆるゆると移動をはじめ、結晶から、木の枝の方に移った。
「どうした?」
仕事を途中でやめた三人が、かごを覗きこんだ。
魔光蟲の身体はずっと震えている。
「封印しましょうか?」
「──待ってください」
ルワンは、呪文を唱えようとした私を止める。
虫は、木の枝に尻をくっつけはじめた。
「産卵です」
「え?」
よく見ると、木の枝に丁寧に小さな粒が並んでいる。
虫は小さく震えながら卵を産み終えると、よろよろと結晶のほうへと移動した。
身体は幾分、小さくなったようだ。
「この虫は思ったほど、魔道具の影響を受けなかったみたいです。大きさも元に戻りました。ただし、卵が孵るかどうかは、別問題ですが」
「つまり、産卵期が終われば、巨大化の危険は少ない可能性がある、ということか?」
「たぶん。そう結論を出すのは、まだ早いかもしれませんけれど」
「何にしても、君たちの研究データは、早急にこちらに提出してもらわないといけないな。この虫をどうするかも、私だけの判断でどうにかなるものじゃない」
室長は大きくため息をついた。
「わかっています」
ルワンは俯く。
「このようなことになった罰は、きちんと受けるつもりです」
「現段階で、君を裁くのはフェルダ公であって、国家ではないし、償うべきはディアナだろう」
レムスが肩をすくめた。
「虫が危険でなければ、君のしたことは、それこそフェルダ公の腹一つで決まる出来事だっただろうが……」
確かに、たくさん捕まえた珍しい虫を、人にやっただけの話であれば、それは虫の所有者である公爵自身の問題だ。被害届を出すにしろ、出さぬにせよ、それは公爵の問題だったであろう。
「なんにしても、場所を変えよう」
「そうですね。産卵が終わったら、本当に安全になるかどうかは、まだわからないことですし」
魔光蟲は結晶の上にとまり、再び、小さく明滅を始める。
「とりあえず、俺は保冷器に異常がないかどうかだけ、確かめて戻ります」
「わかった」
室長はレムスに頷き「ジェシカも残れ」と言いつけた。
「え?」
室長は私の持っていた魔存器に手をのばす。
「魔道具系のトラブルがないとも限らん。いざという時、一人より二人のほうが良かろう」
「……はい」
室長に押し切られ、私は頷いた。
虫がいなくなってトラブルが解消するものとは限らないのは事実だ。
万が一にトラブルが大きく時間をとる場合は、私が室長に報告に行けばいい。
室長がルワンを伴って出ていくのを見送ると、私は保冷器に頭を突っ込んでいるレムスの横顔を見た。
仕事中の真剣な目は、こんな時でもドキリとする。大馬鹿すぎる自分に思わず呆れる。
「どう? 大丈夫?」
「いや……これは、虫関係なく、中の調整が狂ってる」
レムスが苦い顔で保冷器の中を指さした。
「大方、料理人の誰かが、熱い料理をそのまま突っ込んだんだろうな。エーテル調整がめちゃくちゃだ」
「直せそう?」
「ああ。たいしたことはない」
レムスは懐からエーテル量をはかる装置を取り出して、チェックをはじめた。
「なんか、もうすぐコンテストがあるらしいからな。誰かが新作を作ろうと実験したのかもしれん」
「コンテスト?」
「皇妃さま主催のスイーツ祭りだそうだ。まあ、俺達には縁がないことだが」
皇妃さまは甘いものが好きなため、時折、料理人たちに腕を競わせるようなことをなさっている。ただ、残念ながら、宮廷魔術師には何の関係もない行事だ。
「詳しいのね」
「ここのメンテに回ってくると、いろいろ聞かされる」
レムスが読み上げる数値のメモを取る。保冷器をはじめ、調理用の魔道具というのはかなり精密にできていて、調整が難しい。
「コーデリアも出るの?」
「出るんじゃないか? わざわざラレートのレストランまで、偵察に行ったのだから」
「ラレート……よく、予約が取れたわね」
それは、レムスとコーデリアが入って行った高級レストランだ。
「無理やりだよ。俺がたまたまラレートに魔道具を入れたことがあるって話したら、これ幸いって、頼み込まれた」
「ふうん」
私達、宮廷魔術師は基本、宮廷の仕事をしているわけだけれども、たまに公務以外の仕事を請け負うこともある。何しろ、魔術の研究というのは、金食い虫なので、国の予算だけでは、回らないことも多々あって、そういった内職は、どの魔術師もしていることだ。
そして、レムスは、一緒に行ったことを否定しない。あれはやっぱり見間違いではなかったのだ。
「ラレートって、行ったことないけれど、素敵だった?」
「……どうだろう? まあ、高いだけあって、美味いとは思ったけど、素敵かどうかは行く相手によると思うぞ」
レムスはとぼける。
そうか。よく考えたら、どんな理由にせよ、場所にせよ、デートなんだから素敵なのは当たり前か。
馬鹿だ。私。
自分で聞いておいて、自分で落ち込む。レムスの隣に私の居場所はないのだ、と再確認して……もう、全部忘れなきゃいけないのだと思う。
「よし。これでいいかな」
レムスが調整を終えて、私の方を向いた。
私は慌てて顔を背ける。泣きそうな顔を見られたくはなかった。
「これが元から調子が悪かったせいで、あの虫は、巨大化しなくて済んだのかもしれないな」
レムスは、保冷器をポンとたたく。
「今となっては、壊れていて良かった、ということね」
また、ルワンが、軽率な行動をおこさなければ、魔光蟲が危険な虫だと気が付かず、明日のパーティでお披露目されたに違いない。ディアナは怪我をせずに済んだかもしれないが、ひょっとして、事故が起きて、大惨事になっていたかもしれない。本当に何が良いとはわからないと思う。
「ディアナのケガ、早くよくなるといいけど」
「ひとの心配もいいけど、お前の足はどうなんだ?」
道具を片付けて、戻る支度をしながらレムスが私の顔を覗き込む。
「何だか、泣きそうな顔をしている」
その優しい瞳に、ほんの少しだけ、泣き言を言いたくなった。
「……痛いことは、痛いわ」
足よりも、本当は心が痛い。
「まったく、無理ばっかりするから」
ひょいと、体がすくいあげられた。レムスに抱き上げられたのだと、気づいた。
「レムス?」
「歩くと酷くなる」
「でも……」
「気にするな。俺が格好つけたいだけだから」
その真意は、どこにあるのだろう。
私は、卑怯だ。レムスの優しさにつけこんで我儘言って甘えて。
そんな権利はないのに、彼の首に手をまわして顔を埋める。そこは、私の場所ではないと知っているのに。
「ごめん」
今だけだから許して。
小さな呟きは声にならなかった。
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