第8話 厨房

「あのひとは、僕の伯父に義理立てしているのです」

 ルワンは俯いた。

 馬車が揺れる。揺れて前に倒れそうになった私を、隣に座ったレムスが肩を抱くように支えてくれた。

「伯父さん?」

「はい」

 ルワンは頷いた。

「あのひとの両親は、魔の森で事故死して、そのあと僕の伯父に引き取られて育ちました。だから、親類である僕を庇っているだけです」

「……あなたは、それが不服なの?」

 庇ってもらっていることが辛そうに話すルワンに、私は違和感を覚える。まるで、ディアナに見捨てられたがっているかのようだ。

 ルワンは、下を向いたまま答えない。

「あなたは、ディアナが自分の親族であることが嫌だということ?」

「ジェシカ」

 レムスが止せ、と言いたそうな目を向ける。

「大事なのは、虫を見つけることだ。誰が責任をとるかというのは、その後で考えればいい。そうですよね、公爵?」

「……そのとおりだな」

 フェルダ公爵は、渋面のまま頷く。

 何か問題があった場合、フェルダ公爵も責任を免れることができない立場だ。軽はずみな行動をしたルワンを手元に置いておきたくはないだろう。

 それでも、現段階では、一番の専門家である。

「虫が、既に死んでしまっている確率は?」

「……当然あります。生きているかどうかは、五分五分だと思います」

 ルワンは、下を向いたまま答える。

「魔光蟲の行動範囲はどれくらいだ?」

「風があれば別ですが、それほど遠い距離を移動することはないと思われます。おそらくは、宮廷のどこかにまだいるのではないかと」

「中庭から、俺たちの実験室のある別棟までの距離は遠くない。しかし宮廷に魔道灯をはじめ魔道具は、そこかしこにある。探すのは骨だな」

「ディアナのくれた、これは?」

 手のひらを開いて、透き通った結晶を見せる。

「近い距離にいれば、魔道具より、こちらにおびき寄せることは可能かもしれません」

 魔の森は他の森よりエーテルの濃度が濃く、奥には魔界があると噂されている。

 魔光蟲のような、レーゲナスの森固有の生物が多いのは、そのためだともいわれており、まだまだ謎が多い。

「魔光蟲は、魔道具よりも本来の森のエーテルのほうを好むはずです。そうでなければ、森の近辺の民家で、今回のような事故が一度も起こっていないのは不自然です」

「それはそうだな。ところで、俺たちが封印したとき、封印の魔術の力まで吸収していたように見えたのだが……」

「そういうことはあるかもしれません。ディアナさんが封印しようとした時、明らかに術の完成が遅れていました」

「見つけても、一人で対処するのは危険かもしれないな」

 レムスは顎を手で撫でる。

「ジェシカもひとりでは、しんどそうだった」

「そうね」

 確かに二匹いたこともあったけれど、いつもより呪文の完成に時間がかかったように感じられた。

「圧倒的な力で封印速度を上げないと、吸収されて危険度が高くなる可能性がある」

 もしそうだとしたら、レムスがそばにいてくれたから、大事に至らずに済んだともいえる。

「ジェシカですら俺の加勢を必要とした。ディアナもひとりでは無理だろう」

 ピクリと、ルワンの肩が震える。

「そろそろ着くな。私は陛下に報告に行くので、対処はとりあえず、そちらに任せる。ルワンはお好きにお使いください」

「わかりました」

 私とレムスは頷く。

 ルワンはずっと下を向いていた。その顔は、先ほどより青ざめているように見えた。




「ああ、ちょうど良いところに戻ってきた」

  室長の部屋をノックすると、グレームス室長は、扉を開きながら、私達を出迎えた。

  部屋に灯された魔道灯の光がこうこうと光を放っている。室長の机の上には、魔道具のメンテナンス用の道具が並べられ、今、まさに出かけようとしていたところらしい。

「厨房の魔道具の保冷器の調子が悪いという報告が入ってな。今、出かけようとしていたところだ」

「厨房の?」

 厨房は、ここからそれほど遠くない位置にある。ここの玄関ホールに居たのだから、厨房まで、飛んでいったとしても不思議はない。

「魔光蟲でしょうか?」

「……かもしれん。だとすれば、破裂する危険がある。報告は歩きながら聞く」

 室長は道具をかばんにつめ、私達を引き連れて部屋を出た。室長の足は早い。ついて行くのがやっとだ。足が痛い。

「厨房は、危険物が多いですから……厨房の人間を避難させたほうがいいかもしれませんね」

 レムスの進言に室長は頷く。

「とりあえず、厨房の人間はこちらが良いと言うまで避難するようには指示はした」

 レムスの心配は当然で、室長の指示も的確だ。

 それなのに、ここが、今日、レムスがコーデリアと話していた場所だということに気がついて、私の胸は痛んだ。

 コーデリアがいても、いなくてもレムスは同じことを言うと思うけど、いつもより心配しているような気がするのは、私のひがみだろう。そして、そんな自分が嫌になる。

「それで、その魔光蟲の話はどうなった?」

「はい。魔光蟲は、あと二匹いるらしいです。そして、こちらのルワン氏は、ディアナの助手だそうで」

 レムスが、私の後ろについてきていたルワンを室長に紹介する。

 ルワンは何も言わずに、小さく頭を下げた。

 避難指示が既に出ていることもあって、辺りに人の気配はない。

「夕方、俺が来たときは、特に異常はなかったようなんですが」

「なんでも、保冷器に入っていたものを出そうとして、気が付いたらしい。中のものが全然冷えていなかったという話だ」

「保冷器ですか……」

 保冷器というのは、食品を冷気で保存するための器だ。

 私達は誰もいない厨房のドアを開く。魔道灯に照らされた厨房はガランとしていた。調理は、既に終わっていたのだろう。皿や食材は、片付けられている。

  問題の保冷器は部屋のすみにあり、かなり大きいものだ。

「居るとしたら裏側だな」

  室長とレムスが保冷器に手をかけた。

  保冷器は重い。常ならば魔術を使って楽に動かせるのだが、下手に使うのは、危険だ。しかし、人力だと、男二人でやっと動く感じで、隙間があいたところでルワンも加勢に入る。

  壁と保冷器の裏側に魔光蟲の姿はない。

「故障だったか?」

  レムスが眉根を寄せる。

「待って下さい」

  ルワンが声をあげた。

「羽音がします」

  言われて耳をすますと、小さくジジという何かを擦るような音がする。

  どうやら、魔道の機構に入り込んでいるのかもしれない。

  レムスが、慎重に羽目板を外すとエーテルの取り込み用の管の中に魔光蟲と思しき光が明滅している。

  下手に引き上げる魔術を使用すると、噴水の時の二の舞になりかねない。

「おびき寄せてみます」

  私はディアナから預かった結晶を取り出し、管の入口付近に近付けた。

  カサカサと音を立て光が動き始めた。

「よし。出てきたら、そこの調理台に置け」

  室長が厨房の中央を指さした。

「やってみます」

  虫は一匹だけのようだ。管から這い出てきたそれは、今まで見た見た中では、一番小さく、通常よりひと回り大きいだけのようだ。

  私はゆっくり結晶を台の上に置いた。

「ジェシカ、上!」

  レムスの声に弾かれるように上を見上げると、大きく膨れた別の魔光蟲が私の真上にいた。












 



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