第2話 噴水

「最悪」

 私は自室の椅子に腰を下ろし、天井を仰ぐ。

 レムスに話すにしても、話し方として最悪だ。きっと、様子がおかしいと思われたに違いない。彼は心配性で過保護なところがある。余計な詮索をされかねない。

 もっと嬉しそうに話せばよかったのだ。

『やっと私にも春が来るのよ、祝ってよ』と笑顔で話せば、レムスは、にこやかに祝福してくれたに違いない。

「大馬鹿だ……」

 私はため息をついた。

 心配させたいとは思わない。レムスが親身になってくれればくれるほど、私の心は乱れてしまう。わかってはいても、優しくされれば期待してしまう。

 彼の望む立ち位置に立ち続けるために、私は自分の想いに蓋をすると決めたのだから。

「仕事しなくちゃ」

 仕事一筋に生きてきた。それは、間違いない。生きていくためでもあったけれど、何より私は仕事が好きだし、誇りも持っている。

 両の掌で、自分の頬を叩く。

 ウジウジしていているのは性に合わない。

 立ち上がって、仕事道具を鞄にいれた。

 大馬鹿かもしれないけれど、私はこんな風にしか生きられないのだ。

 薬棚に置いているフレの葉を空瓶にとりわけて、大きく息を吐く。

 レムスはまだ、休憩室にいるのだろうか?

 それほど時間はたっていない。私は、ゆっくりと部屋の扉を開いた。

 目の前の休憩室はがらんとしていて、人影はなかった。

 私は手に持った瓶に視線を落としてから、ゆっくりとレムスの研究室の扉を見る。

 扉はピタリと閉まっていた。

 ホッとすると同時に、手にした瓶をどうしようか迷う。そのまま、部屋の外に置くという考えがよぎるも、仕事として、それは無責任であろう。

 私は鞄を握り締める。

 これから仕事なのだ。渡して、すぐに去ればいい。

 扉をノックすると、レムスの返事が聞こえた。いくぶん力がない。

「私だけど」

 カチャリ、と音がして、扉が開く。

「……ジェシカ」

 どこか戸惑った様子なのは、私の中に『女』の部分があることに驚いたからなのかもしれない。先程も随分と驚いていたし。

「フレの葉、これだけでいい?」

「……ああ、ありがとう」

 瓶を渡すと、レムスは淡く微笑んだ。

「それじゃあ、これで」

「仕事か?」

「ええ。中庭の噴水の点検に。しばらく部屋を空けるから、何かあったらお願いするわ」

「一緒に行こう」

 レムスは瓶を薬品棚にしまい、仕事道具を一通り鞄につめ始めた。

「……え?」

 噴水のエーテル機構の点検は、私の仕事だ。レムスとはよく共同研究をしているけれど、これに関しては、私の担当分野であって、彼の担当ではない。

 宮廷魔術師は、魔術の開発、魔道具の開発のほかに、宮中のさまざまな魔道具のメンテナンスを行っている。私たちはそれぞれ、自分の担当があるのだ。

「おまえが辞めたり、休んだりしたら、引き継ぐのは俺だ。知っておく必要があるだろう?」

「……そう」

 言われてみればそうだ。

 私は仕事をやめるつもりは今のところないけれど、結婚が決まって、相手が望めば、仕事をやめることもあるだろうし、そうでなくとも、数週間単位での休暇を取る可能性はある。

「気が早いのね」

 私は肩をすくめた。

 まだ、相手に会ってもいない。先方は乗り気だと室長は言っていたけど、実際に会ったら気が変わる可能性だってある。

 それにしても、私が結婚するなんて考えてもいなかったみたいなのに、受け入れるのは随分と早い。友達ってそういうものなのかもしれない。なんだかとても寂しい。

「そっちの仕事は大丈夫なの?」

「それどころじゃ……なかなかうまくいかないから、気晴らしだ」

 レムスの目にいつもほどの力がない。

 様子が少し違うのは、私のことで戸惑っていたのではなく、仕事のせいだったのかと気づく。

 自意識過剰だった。さらに胸が痛んだ。

 今、彼がなんの研究をしているかは知らないけれど、魔術の研究って、必ずしも思い通りに行くものではない。気分転換が必要な時もあるだろう。

「いいわ。ついてきて」

 大丈夫。仕事に徹すればいい。今までと同じようにするだけだ。どうせ、レムスは私の気持ちに気が付くはずがない。だって、私は、彼にとって親友なのだから。



 シンメトリーに作られた中庭の中央にある噴水は、常に七色に輝く水を噴き出すことで有名だ。

 たかが噴水に、何もそんなに凝った技術を使用しなくてもいいとは思う。

この庭は、舞踏会などが行われたときに開放されることもあり、諸外国の来賓にこの国の技術と富を見せつけるために作られているのだ。

「やあ、ジェシカ」

「こんにちは。アラン」

 中庭に続く廊下で、騎士と出会った。背が高く、武官らしくがっしりとした体格をした、精悍な男性である。将来有望で、女官たちの人気も高い。良き仕事仲間だが、仲良くすると女性に睨まれるので厄介だ。

「なんだ、今日はレムスもいっしょか」

「……悪いか?」

 アランとレムスは、別段仲が悪いわけではない。

 むしろ、仲が良いと聞いているが、私が見ている時はいつも、とげとげした会話をしているような気がする。

「噴水が調子悪いって聞いているのだけど、何か知っている?」

「発色が悪いとは聞いている。オレにはよくわからないが」

「そう」

 アランには、いわゆる『芸術性』といった感性が乏しい。彼から見れば、噴水は、水が噴き出てさえいれば、壊れていないのだ。とはいえ。彼は騎士としては有能だし、実際のところ、この噴水の魔術機構部分は、なくても成立するものだ。彼の見解は、それほど間違っていない。

「手が必要なら、いつでも貸すよ。また、声をかけてくれ」

「ありがとう。頼りにしているわ」

 にこやかに挨拶をかわす私たちの横で、レムスは黙りこくっている。

 よほど、研究がうまくいっていなかったのかもしれない。

 アランと別れ、私はそのまま噴水の方へ向かった。

「またって言ったけど、いつも何か手伝ってもらっているのか?」

 ようやくに口を開いたレムスの目が、私を責めているように見える。

 私が人に頼りすぎると思っているのだろうか。事実、その通りだから、仕方がないけれど。

「バルブの開閉とか、手伝ってもらったことがあるわ。うまく動かなくて困っていた時、たまたま通りかかったのがアランだったから」

 私は正直に答えた。

「でも、いつもじゃないわよ。自力でやるようにはしているわ」

「……怒るな。別に、お前が仕事をやっていないとは思ってない」

「思っているから、聞いたのでしょう?」

 私はため息をついた。

「わかっているわよ。人に頼りすぎていることくらい」

「だからそんなことは、言っていない!」

 レムスの声が大きくなった。

「……人手がいる仕事を、一人で請け負っているのかどうか確認したかっただけだ」

「ああ、そうか。そうね」

 私が一人で出来ない仕事ならば、次に担当する人が一人でいいのかって話にもなる。レムスはそれを心配しているのだろう。

「たぶん、一人で大丈夫よ。バルブがかなり硬かったの。それで手を借りただけだから」

 私の前任者は、男性で魔術師といえども怪力のレベルの人で、とにかく必要以上に、部品を締め付けていた。現在は、私が動かせるように一部の部品は取り替えたりしたから、よほどのことがない限り、助けは必要ない。

「本当、私って、考えが足りなくてごめん」

 被害妄想が激しいのは、本当に申し訳ないと思う。

ここのところ、気が滅入っていたから、すぐマイナス思考に陥ってしまうのかも。

私は、大きく深呼吸した。

 美しい生垣の新緑が眩しい。

 中庭の中央に位置している噴水は、いつものように不思議な色合いに輝く水を噴き出していた。

「ジェシカが謝る必要はない」

 レムスは小さく頭を振った。

「俺の言い方が悪かったのだ」

 レムスは悪くない。レムスは仕事を引き継ぐために必要なことを冷静に見ている。冷静さを欠いて、感情に流されてしまっていたのは、私の方だ。

 仕事に集中しなくては、と思う。

 目の前の噴水に目をやる。変わらないようで、どこかが違うと感じた。

「……ああ、光量がたりないってことね」

 相変わらず、噴水は様々な色彩を帯びてはいるものの、どこか暗く、色が薄い。

「魔石不足じゃないか?」

「どうかしら。この前、変えたばかりなのだけれど」

 私は、中庭の植え込みの奥へと入って行った。

 噴水の水が出るしくみは、通路から見えない位置に隠されている。

 花壇のふちにある地面にはめられた羽目板をはずし、バルブを閉めた。

脇を流れていた水路の水の量が、一気に増える。噴水の水は、魔法ではなく、地下の水路から吹き上げさせているため、噴水を止めると、全ての水が水路に流れてくるのだ。

「では、機構の方を確認しようかな」

 私は噴水へと戻る。噴水は、水を噴き上げるのをやめて、ぽたぽたと雫を垂らしている。水は抜いていないので、落下した水はそのまま池のように溜まったままだ。

光を放つ装置そのものは止まっていないので、吹き出し口そばの小さな穴に光は灯ったままだ。

「さて、と」

私は、ズボンをくるくると太ももの半分の位置まで巻き上げた。

「お、おい、何をする」

 レムスが、目を丸くする。

「水の中に入るのよ」

 光魔法を発する機構は、噴水の水の中に入らないと触れない。

 噴水の吹き出し口は私の腰丈くらいの位置にあり、光魔法を放つ部分はその周りに埋め込まれている。

 私は、ひんやりとする水に手を入れる。

 初夏ではあるが、この水は川から引いていることもあって、ため水とは違う。念のため、温水の呪文をかけた。

「いい湯加減だな」

 水に手を突っ込んだレムスが苦笑する。

 魔道具系に、違う魔法を重ねると、誤作動の元になる。だから、直接は関係ないとはいえ、本当はあまりのぞましくはない。とはいえ、水を抜いてとなるとそれこそ大変だし、冷水に長時間入って気持ちがいいほどは、暑くはない。これくらいは、許してほしいと思う。

 私は噴水の縁に手をかけ、足を入れる。

 ざぼざぼと音を立てながら水の中を歩き、吹き出し口の側面にはめられたパネルをゆっくりと開いた。

 光魔法を発生させる魔道具を動かす、魔力をためた魔石が陽の光にきらめいている。まだまだ、輝いていて、魔力の残量に問題はなさそうだ。

 そのわきに、エーテルを取り込むための小さな吸引口がある。この噴水の場合、魔石で機構を動かしながら、周囲のエーテルを取り込んで、光魔法を発するように作られているのだ。

 エーテルは通常、大気中にただよっているものであり、不足するものではない。

 目を凝らすと、エーテルの取り込み口のエーテル流の流れがおかしい。

「何かが、詰まっている?」

 物理的な埃ではない。もちろん、物理的に穴が封じられることはあるが、それならば完全に流れが止まってしまう。

「一度、機構を止めたほうがいいな」

 レムスが、私の横から覗き込み、スイッチに手をのばした。

「何かしら」

 穴を覗き込むと、機構のものではない音がする。

 黒い闇の中に、小さな光が明滅した。魔力を発している。

魔光蟲まこうちゅうだわ」

 魔光蟲は、エーテルを食料とする魔法生物だ。このような場所に現れるのは珍しい。

「風よ」

 私は、穴に風を送り込み、むしを捕らえさせる。ゆっくりと、穴の奥から蟲を引き上げた。

空中に引っ張り上げたそれは、通常のものより、何十倍も大きく、私とレムスは息を飲んだ。大人の握りこぶしくらいの大きさがある。

「な、なんだこれは」

 レムスが驚きの声を上げた。

 蟲は、そこからさらに膨れていく。

「……大きくなっていく?」

 こんなことは初めてだった。

「蟲を封じるぞ!」

 私は慌てて、レムスと二人で蟲の周りに強固な結界を張る。 

 結界を張り終えるとほぼ同時に、魔光蟲が弾け飛んだ。

 結界の中で、大きな光が発光する。

「何?」

 あまりの眩しさに視界が真っ白になると同時に、巻き起こった衝撃波で、私は弾かれるようにとばされた。

「ジェシカ!」

 とっさにとった防御姿勢が無理だったらしく、足首に痛みが走る。

「……なんとか、平気」

 私は、水の中に座りこんだまま、私は自分の足を確認する。

 少しひねっただけで、それほど重症ではなさそうだ。

 浅いとはいえ、倒れたのが水の中だったのは、幸いだったかもしれない。

「魔光蟲は?」

「……砕け散っている。一応、封印はできたようだが」

 水面にぽかりと浮いている、封印の球に、魔光蟲だったものの残骸が、ただよっていた。



 


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