書けない物書き志望

図書館とおばあさん。

 物語は好き。でも本は、嫌いだった。


 映像で見る物語は好きだけれど、本の物語は文字だらけ。


 文字では、少ない挿絵だけでは、物語が見えてこなかった。


 でもある時、ある文字だらけの物語に出会って。


 彼女の人生は変わった。


 彼女は本が、本に描かれる物語が、好きになってしまった。


 そして物語を読むだけでなく、自分でも物語を書くようになった。


 物語は彼女の心の支えとなり、幾度も彼女の心に火を灯した。


 そしていつのころからか彼女は、こう心に誓った。

 

 今度は私が、自分の作った物語で、誰かの心に光を灯そう。


 けれど彼女は、今、物語を書かない。書けなくなってしまったのだ。


 あんなに、あんなに大好きだったのに。


 物語の破片が浮かんでは、消えていく。


 バラバラになった物語の破片は、誰かの目に映ることはなく、消えていく。


 生まれかけた物語、けれど誰の目にも触れない物語は、物語と呼べない。


 紙の上で浮かんでは消える、物語になり損ねた、ひと雫。


 この物語の雫が、物語となって、誰かの目に触れるなら。


 あたたかな誰かの心に触れて、誰かの何かになるのなら。


 そう思っていた時。


 そっと、隣から優しい言葉が降ってきた。


「おやおや。素敵な物語が生まれては、消えていくねぇ」


 ふと彼女が声がした方へ振り返った時、物語の雫が消え、現実へと引き戻される。


 それと共に戻ってくるクラシック音楽と、本のページをめくる音。


『図書館では飲食禁止』


 そう書かれた机の上の立て札を後ろに押しやって、小さなおばあさんは言う。


「アンタ、書けなくなったのかい?」


 そう小首をかしげながら聞くおばあさんの表情は少し、悲しそうだ。


 なぜ、バレたんだろう。


 物語を書いていたけれど、書けなくなったこと。


 欠片を無理矢理集めて書こうとしたけれど、書けなくなっていること。


 そう思いながらも朱莉あかりは、自嘲気味に笑う。


 ここ数日、朱莉はこの図書館にこもってひたすら物語を書こうとしていた。


 物語のアイデアになりそうな欠片を拾い集めては、くっつけて。


 時には図書館の本を読んでアイデアを集めながら、書こうともがいた。


 けれど、アイデアはあっても、物語にはならない。


 ルーズリーフにびっしり書き込まれたアイデアは、物語を紡がない。


 毎日同じ席で、朝から夕方まで、彼女はルーズリーフの束と戦っていた。


 おばあさんもまた、ここ数日、いつも隣に座っていた。


 市民センター内の小さな図書館。平日の昼間は、たくさんの人が訪れる。


 毎日来ている人がいて、同じ席に座ることなんて、よくある話。


 そもそも自分が、いつも同じ席に座っているのだから。


 そう朱莉は思い、今までは気にもかけなかった。


 しかしおばあさんの方は、どうやらそうではなかったらしい。


 ルーズリーフに並べられた言葉たちを、おばあさんは興味深げに見つめる。


 そして、朱莉の目をまっすぐに見つめてかみしめるように言う。


「……アンタ、本当に物語が大好きなんだね」


 その言葉が胸にしみいるように響いてきた。


「いえ。書けない私に、物語を好きでいる資格なんて、ありません」


 朱莉はルーズリーフに目を落とし、うつむく。


 その視界の端に、おばあさんのしわくちゃの手が映る。


 その手が、ルーズリーフの上に何かを置く。


 それが何かを朱莉が確認するより先に、椅子を引く音が響いた。


 おばあさんが椅子から立ち上がるのを気配で感じ、朱莉も反射的に立ち上がる。


 おばあさんは、中腰で朱莉の方に向き直ると人差し指を口にあてた。


「決めた。アンタに、預けるよ」


「え……」


 おばあさんは、呆然とする朱莉を優しい微笑みながら見つめた。


 それから歩き始める。背中を向けたおばあさんの声が風に乗って聞こえてくる。


「あ、そうそう。向こうで何か言われたら、こう伝えておくれ」


 ここで肩ごしに振り返ると、おばあさんは笑う。


「あたしは当分休みをもらうってね。最近、文字が見えないんだよ」


 小さすぎてね、と冗談めかして笑う。


 そして、おばあさんは今度こそ歩き去った。


 明日は、あのおばあさんはここへは来ない、なぜか朱莉はそう思った。


 そこでやっと、彼女はおばあさんが置いて行ったものが何かを確認する。




 それは、たくさんのレースとリボンで飾られた、小さなロゼットだった。


 




 


 

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