55|黄泉の国のふたり

 風がやんだ。


 海辺の砂をまきあげ、木々や、岩や、軍用車の車体に、乱暴にたたきつけていた風がやみ、夜の静寂しじまによせてはかえす波の音だけがきこえていた。


‘ ザザ……ン… ’


 海の向こうは、なにも見えない。

 ただ、漆黒の闇が、無限にひろがっているだけだった。


 海岸に沿ってアスファルトの道を照らしているのは、ぽつんと立っている街灯の明かりと、軍用車の窓からもれる明かりだけだ。


 道路を行きかう車もなく、民家もなく、ひと気もない、世界から切り離されたようなこの場所で、ただひとり、悲しみに暮れ嗚咽おえつをもらしながら泣く者がいる。


 サクラだった。


 いま、サクラの心にあるのは、親しい者たちの突然の〈死〉に対する、驚きと恐怖と大いなる悲しみ…それらの感情が一気にあふれ、涙となって怒涛のように押しよせていた。泣いても泣いても、あとからあとからあふれてくる涙をとめることはできなかった。


 軍用車のいちばん奥まった場所――左右のベンチに挟まれた場所で、床に立膝たてひざをついて座ったまま、顔をうずめ、肩をふるわせ泣きつづけた。


 そのまま時間だけが過ぎてゆき、夜の闇が濃くなりはじめたころ、うつらうつらと夢の世界へといざなわれてゆく。だが――夢の中でも、スズエ婦人が変異するその瞬間や、ケビンの無惨な死にぎわが、何度となく再生されては悲鳴をあげ、その恐怖で目が覚める。


 夢とうつつのあいだを彷徨さまよいつづけたあと、どれくらいの時間がたったころか――軍用車の中にひとが入ってくる気配を感じ、サクラは‘はっ’として目をあけた。


「おまえ、大丈夫か?」

「アレク…」


 サクラは、寝ぼけた虚ろな視線をアレクにむけ、みごとに赤くはれあがった目をしばたかせる。


「ひでぇつらしてんな…」


 そういって片頬をわずかにあげて笑う彼は、いたって平常心のようで、泣いた形跡もなければ、悲しみに包まれている様子もなかった。


「もう朝だぞ、眠り姫。そろそろ起きたらどうだ?」

「アレク…あんた、いままで、どこにいたの?」

「俺か? 俺は、墓を掘ってたんだよ」

「お墓?」


 みると片手に作業用のスコップを持ち、その先端には泥がついており、アレクのジーンズやスニーカーも泥だらけだった。


「海岸から少し離れた場所に、墓穴が掘りやすそうな砂地があったんで、そこにふたりを埋めてきた。あのまま放置しておくわけにもいかねぇだろ?」


 淡々と言葉をならべるアレクの声は、サクラ同様、どこか空虚で、魂が抜けたようにぼんやりとした声だった。


「海に流そうかとも思ったが、スーザンはともかく、ケビンには家族もいるし、バスターズの基地にも報告しなきゃならねぇ…。だから、とりあえずは、ここに埋めとこうと思ってさ…」

「そうか…そうだよね…」


 サクラは、ちからなくうなずき、まだ乾ききらない涙のあとを手の甲でぬぐう。


「おまえも、墓参りするか?」

「うん…する…」


 サクラは、ふらつく足で立ち上がった。



          ***



 外は、霧雨がふっていた。

 黒雲で覆われていた空は、ポートヘルムにいたときと同じような、なにもない真っ白な空に変わり、すべてが〈白〉の世界に変貌していた。


 前日の狂ったように打っていた海はなぎ、波は耳に心地よくざわめき、夕刻の、あの惨劇も、なに事もなかったかのように平和で穏やかな風景にリセットされていた。


「あそこだ、あそこに埋めた」


 アレクが指さす先に、巨大な岩が乱立している場所があり、その一角――岩と岩の間に挟まれるようにして5メートル四方ほどの砂地に、こんもりとふたつの小山ができていた。


「そっちがケビンで、こっちがスーザンだ」


 アレクがあごでその位置を示し、サクラは最初にケビンの〈墓〉に手を合わせる。


「まてよ? そいつは〈キリスト教〉の祈りかたじゃねぇな…?」

「私、キリスト教じゃないから…」


 アレクは、クリスチャンであるスズエ婦人が、なにかにつけて祈る姿を見ていたのだろう。十字を切るしぐさと違う動作をするサクラをみて、小さな驚きを声にしたのだ。

 サクラは、彼に教える。手のひらを合わせるのは、自分が暮らしていた〈日本〉の〈仏教〉という宗教の祈り方だと。


「でも、べつに、スズエさんほど熱心な信者ってわけじゃないの。なんていうか…自然と身についてる、ただの習慣かも…」

「へぇ…」


 アレクは、たいして興味もなさそうになま返事をし、片手に持っていたウイスキーのミニボトルの瓶をかたむけ、墓のうえに‘ぽとぽと’と酒を垂らす。


「こいつは、俺のとむらい方だ…」

 そういって、自分もひとくち口をつける。


「やすらかに眠れ…ケビン。まさか、こんな結末が待ってるとはな…」

 深いため息とともに、アレクはケビンに謝罪する。


「俺が誘ってなかったら、こんなことにはならなかった…許してくれ。頼むから、化けてでるなよ。そんで、今度生まれ変わってくるときは、バスターズになんかなるんじゃねぇぞ。グルメリポーターにでもなれ。バスターズは〈呪い〉だ…りつかれるな…」

「………」


 バスターズは呪い。その言葉は、アレク自身に向けて発した言葉のように、サクラは感じた。


 それから、つぎに、ケビンの墓のとなりの小山に視線をむけたのだったが――ここでサクラは、どうしても、その小山に手を合わせることができなかった。


 その下に埋まっている〈もの〉を想像してしまったからだ。

 ここに埋まっているもの――それは、爬虫類のようなウロコだらけの、異様なフォルムの謎の生物の死骸なのだ。


(私は…)


(いったい、何に手を合わせようとしているの…?)


 それは、強烈な違和感だった。

 

 ケビンの弔いはいいとして、スズエ婦人の弔いは、子供がトカゲの死骸を埋めて〈お墓まいりごっこ〉をするような、ばかばかしさと、虚しさがあり、足元の砂の中に‘するする’と落ちてゆくような心もとない感覚の中、サクラは途方に暮れた。


「くだらねぇだろ?」

 サクラの様子を見ていたアレクが、薄く、鼻で笑う。


「俺も思ったぜ。この得体の知れない怪物を砂に埋めながら『いったい、俺は何をしてるんだ?』ってな…」

「………」

「こいつは、もう、スーザンじゃねぇ…」

「………」

「スーザンは、もう、どこにもいねぇ…」

「………」


 それでも、アレクは自分の流儀にしたがい、ミニボトルをかたむけ、墓にウイスキーををたらし、自分もひとくち‘こくり’と飲んだ。


 あいかわらず彼の口調は淡々としており、遠くを見ているような虚ろな目は、なんの感情もうかがえず、その顔は、まるで黄泉よみの国に住まう死人しびとのように無表情だった。


「俺は、もう…なにも感じないんだ。俺の中の感情という感情は、すべてどこかにいっちまったみたいだ。悲しくもねぇし、楽しくもねぇ…もう、なにもかもが、どうでもいいのさ…」

「………」

 そのアレクの、投げやりな言葉を否定するほどの溌剌はつらつさは、いまのサクラにはない。ともすると、アレクの〈闇〉に同調してしまう自分がいる。


「俺は、スーザンに…いや、に銃口をむけて撃ち殺した瞬間…わかったんだ。もう、この怪物の中にスーザンはいないって、な…。俺が殺したのは、スーザンじゃねぇ…ただの気色の悪い爬虫類の生命体だ…」


 アレクは、そういって、ミニボトルに入っていた残りの酒を飲みほし、言葉をつづけた。


「俺は…スーザンを…」

「え?」

 

 まさか、アレクの口からその言葉を聞けると思わなかったサクラは、思わず、彼をみる。


「おまえ、山の休憩所で、俺に言っただろ? 俺のスーザンに対する態度は、愛情以外のなにものでもないってさ。それがどういうことか、その時はわからなかったが、スーザンの存在が消えて…もう二度と、彼女の笑う声も聞けず、陽だまりみたいに笑う顔も見れないんだと悟った瞬間…俺は感じたのさ。この思いが〈愛〉だったんだって、な…。で、失った…」

「………」

「だから、もう、なにもかも、どうでもいい…。いま、ここで、この世界が終わっても、俺は、なにも感じねぇ…死人と同じだ…」

「………」


 サクラは、同調して、小さくうなずいた。


 ふたりは、現実世界から切り離されたような場所で、ままごとみたいな墓のまえに立ちながら〈虚無〉の世界へと誘われてゆく。


 霧雨が、顔に、うでに、‘ひたひた’とあたり、その雨の粒子の冷たさだけが、かろうじてふたりを現実世界につなぎとめていた。




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