55|黄泉の国のふたり
風がやんだ。
海辺の砂をまきあげ、木々や、岩や、軍用車の車体に、乱暴にたたきつけていた風がやみ、夜の
‘ ザザ……ン… ’
海の向こうは、なにも見えない。
ただ、漆黒の闇が、無限にひろがっているだけだった。
海岸に沿って流れるアスファルトの道を照らしているのは、ぽつんと立っている街灯の明かりと、軍用車の窓からもれる明かりだけだ。
道路を行きかう車もなく、民家もなく、ひと気もない、世界から切り離されたようなこの場所で、ただひとり、悲しみに暮れ
サクラだった。
いま、サクラの心にあるのは、親しい者たちの突然の〈死〉に対する、驚きと恐怖と大いなる悲しみ…それらの感情が一気にあふれ、涙となって怒涛のように押しよせていた。泣いても泣いても、あとからあとからあふれてくる涙をとめることはできなかった。
軍用車のいちばん奥まった場所――左右のベンチに挟まれた場所で、床に
そのまま時間だけが過ぎてゆき、夜の闇が濃くなりはじめたころ、うつらうつらと夢の世界へと
夢と
「おまえ、大丈夫か?」
「アレク…」
サクラは、寝ぼけた虚ろな視線をアレクにむけ、みごとに赤くはれあがった目を
「ひでぇ
そういって片頬をわずかにあげて笑う彼は、いたって平常心のようで、泣いた形跡もなければ、悲しみに包まれている様子もなかった。
「もう朝だぞ、眠り姫。そろそろ起きたらどうだ?」
「アレク…あんた、いままで、どこにいたの?」
「俺か? 俺は、墓を掘ってたんだよ」
「お墓?」
みると片手に作業用のスコップを持ち、その先端には泥がついており、アレクのジーンズやスニーカーも泥だらけだった。
「海岸から少し離れた場所に、墓穴が掘りやすそうな砂地があったんで、そこにふたりを埋めてきた。あのまま放置しておくわけにもいかねぇだろ?」
淡々と言葉をならべるアレクの声は、サクラ同様、どこか空虚で、魂が抜けたようにぼんやりとした声だった。
「海に流そうかとも思ったが、スーザンはともかく、ケビンには家族もいるし、バスターズの基地にも報告しなきゃならねぇ…。だから、とりあえずは、ここに埋めとこうと思ってさ…」
「そうか…そうだよね…」
サクラは、ちからなくうなずき、まだ乾ききらない涙のあとを手の甲でぬぐう。
「おまえも、墓参りするか?」
「うん…する…」
サクラは、ふらつく足で立ち上がった。
***
外は、霧雨がふっていた。
黒雲で覆われていた空は、ポートヘルムにいたときと同じような、なにもない真っ白な空に変わり、すべてが〈白〉の世界に変貌していた。
前日の狂ったようにのた打っていた海は
「あそこだ、あそこに埋めた」
アレクが指さす先に、巨大な岩が乱立している場所があり、その一角――岩と岩の間に挟まれるようにして5メートル四方ほどの砂地に、こんもりとふたつの小山ができていた。
「そっちがケビンで、こっちがスーザンだ」
アレクがあごでその位置を示し、サクラは最初にケビンの〈墓〉に手を合わせる。
「まてよ? そいつは〈キリスト教〉の祈りかたじゃねぇな…?」
「私、キリスト教じゃないから…」
アレクは、クリスチャンであるスズエ婦人が、なにかにつけて祈る姿を見ていたのだろう。十字を切るしぐさと違う動作をするサクラをみて、小さな驚きを声にしたのだ。
サクラは、彼に教える。手のひらを合わせるのは、自分が暮らしていた〈日本〉の〈仏教〉という宗教の祈り方だと。
「でも、べつに、スズエさんほど熱心な信者ってわけじゃないの。なんていうか…自然と身についてる、ただの習慣かも…」
「へぇ…」
アレクは、たいして興味もなさそうに
「こいつは、俺の
そういって、自分もひとくち口をつける。
「やすらかに眠れ…ケビン。まさか、こんな結末が待ってるとはな…」
深いため息とともに、アレクはケビンに謝罪する。
「俺が誘ってなかったら、こんなことにはならなかった…許してくれ。頼むから、化けてでるなよ。そんで、今度生まれ変わってくるときは、バスターズになんかなるんじゃねぇぞ。グルメリポーターにでもなれ。バスターズは〈呪い〉だ…
「………」
バスターズは呪い。その言葉は、アレク自身に向けて発した言葉のように、サクラは感じた。
それから、つぎに、ケビンの墓のとなりの小山に視線をむけたのだったが――ここでサクラは、どうしても、その小山に手を合わせることができなかった。
その下に埋まっている〈もの〉を想像してしまったからだ。
ここに埋まっているもの――それは、爬虫類のようなウロコだらけの、異様なフォルムの謎の生物の死骸なのだ。
(私は…)
(いったい、何に手を合わせようとしているの…?)
それは、強烈な違和感だった。
ケビンの弔いはいいとして、スズエ婦人の弔いは、子供がトカゲの死骸を埋めて〈お墓まいりごっこ〉をするような、ばかばかしさと、虚しさがあり、足元の砂の中に‘するする’と落ちてゆくような心もとない感覚の中、サクラは途方に暮れた。
「くだらねぇだろ?」
サクラの様子を見ていたアレクが、薄く、鼻で笑う。
「俺も思ったぜ。この得体の知れない怪物を砂に埋めながら『いったい、俺は何をしてるんだ?』ってな…」
「………」
「こいつは、もう、スーザンじゃねぇ…」
「………」
「スーザンは、もう、どこにもいねぇ…」
「………」
それでも、アレクは自分の流儀にしたがい、ミニボトルをかたむけ、墓にウイスキーををたらし、自分もひとくち‘こくり’と飲んだ。
あいかわらず彼の口調は淡々としており、遠くを見ているような虚ろな目は、なんの感情もうかがえず、その顔は、まるで
「俺は、もう…なにも感じないんだ。俺の中の感情という感情は、すべてどこかにいっちまったみたいだ。悲しくもねぇし、楽しくもねぇ…もう、なにもかもが、どうでもいいのさ…」
「………」
そのアレクの、投げやりな言葉を否定するほどの
「俺は、スーザンに…いや、スーザンだったものに銃口をむけて撃ち殺した瞬間…わかったんだ。もう、この怪物の中にスーザンはいないって、な…。俺が殺したのは、スーザンじゃねぇ…ただの気色の悪い爬虫類もどきの生命体だ…」
アレクは、そういって、ミニボトルに入っていた残りの酒を飲みほし、言葉をつづけた。
「俺は…スーザンを愛してた…」
「え?」
まさか、アレクの口からその言葉を聞けると思わなかったサクラは、思わず、彼をみる。
「おまえ、山の休憩所で、俺に言っただろ? 俺のスーザンに対する態度は、愛情以外のなにものでもないってさ。それがどういうことか、その時はわからなかったが、スーザンの存在が消えて…もう二度と、彼女の笑う声も聞けず、陽だまりみたいに笑う顔も見れないんだと悟った瞬間…俺は感じたのさ。この思いが〈愛〉だったんだって、な…。で、失った…」
「………」
「だから、もう、なにもかも、どうでもいい…。いま、ここで、この世界が終わっても、俺は、なにも感じねぇ…死人と同じだ…」
「………」
サクラは、同調して、小さくうなずいた。
ふたりは、現実世界から切り離されたような場所で、ままごとみたいな墓のまえに立ちながら〈虚無〉の世界へと誘われてゆく。
霧雨が、顔に、うでに、‘ひたひた’とあたり、その雨の粒子の冷たさだけが、かろうじてふたりを現実世界につなぎとめていた。
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