20|ラボ〈1〉

「おはようございます、宮本咲良みやもと さくらさん。これから、あなたを〈ラボ〉へお連れします」


 その女性は、独房の扉のカギをあけ、外に出るようサクラをうながした。

「食事は、すべての検査が終わってからになりますので、それまで我慢してください」

 独房の外では、ガードマンの制服を着た女性がふたり、サクラを待っていた。サクラはのろのろと、独房の外へ出る。


「いま、あなた『おはよう』って言った?」

「はい、朝ですので」

 サクラの両腕に手錠をかけながら、女性は事務的に答えた。

「この手錠は念のためです。不快かもしれませんが我慢してください」

「………」


 それから、ひとりの女性がサクラの体を服の上から軽くパンパンと叩いてボディチェックをし、その間にもうひとりの女性は、独房内に足を踏み入れ、ぐるりとまわりを見回した。

 一瞬、通気口のところで視線がとまり、サクラの心臓が‘トクン’と波打つ。その通気口には、ツトムとの会話に使う〈インカムヘッドフォン〉が隠してあるからだった。


 まさか、そこに脱出計画に必要なアイテムが隠されているなど、知るよしもないその女性は、なにくわぬ顔で「異常なし」ともうひとりに報告し、独房の外へ出た。

 ふたりの女性ガードマンに左右からがっしりと腕をつかまれ、サクラは独房をあとにした。


 空になった独房では、通気口に隠された〈インカムヘッドフォン〉と、サクラの私物――ホテルの備品…それと、いまや命の次に大事な〈スマートフォン〉がマットレスの下でひっそりと身をかくし、あるじの帰りを待つこととなった。



          ***



 サクラは、昨夜のL=6エル・シックス4Cフォーシーのやりとりも、早朝のOBBオービービーと4Cのやりとりも、なにも知らない。4CがL=6の息子であることも、なにも知らず、ただ素直に彼の言葉を信じていた。


 独房の柵のところで4Cが言った言葉――「明日は、いわゆる身体検査ってやつをするだけだ。だから、ガマンして受けてほしい」という言葉を、そのまま信じていたし、そのあとの言葉――「なにがあっても俺を信じろ。信じて待ってろ」という言葉は、ずっとサクラの心のよりどころとなって存在している。


 そのとき、4Cがためらいがちに、柵をつかむサクラの手を上からそっと重ねて包んでくれた、その大きな手のぬくもりは、いまでもサクラの心をときめかせる。


 ツトムの脱出計画に乗ると決めたときも、サクラは一瞬4Cのことを考えた。「計画を実行するまえに、彼に相談するべきではないのか?」と。

 彼の立場上、全面的に脱出を手伝うことはできないにしろ、なにか、ためになるアドバイスぐらいはもらえそうな気がしていたからだ。


『 俺を信じて待ってろ 』


 その言葉の裏に「信じて待っていれば、いつか助けてやる」という意味が込められていると、サクラは勝手に判断し思いこんでいた。


 サクラは、やはりどこかで、4Cとトモヒロを混同していることろがあり、4Cに対する警戒心など微塵も抱いてはいなかった。そのガードの甘さが、サクラの弱点といえば、弱点だったのかもしれない。もし、サクラが、4Cのことを、もう少し冷静に判断できる状態であったなら、大きな失望にはつながらなかったかもしれないのだ。


 けれど、いまのサクラに、それを要求するのはこくというものだろう。

 4Cという、トモヒロの代わりになる人間がそばにいたからこそ、サクラは〈救われて〉いたのだ。それは、この世界――アナザーワールドへ現れたときから、知らず知らず『心のよりどころ』となり、救われ続けていたはずだった。


 青空のような笑顔を見るたびに。

 4Cの冗談に、声をたてて笑うたびに。

 そして、ふたりで顔を見合わせて笑いあうたびに…。


 サクラは彼といると、どこか安心で、居心地がよく、自然体でいられたのだ。


(4Cを信じてる…)


 だが――そう判断することで、自分は重大なミスを犯してしまったのだということを、サクラは、数時間後に思い知ることとなる。


 裏切りという名の〈闇〉は、徐々に、徐々に、サクラの足元に広がりはじめていった。そして、その〈裏切り者〉である4Cは、ラボにおり、研究者とともにサクラの到着を待っていた。



          ***



 101階にある、そのラボは〈深海〉のようだった。


 壁も、天井も、廊下も、濃いブルーにいろどられ、ところどころに小さなライトが点在し、星々のようにまたたいている。


 このフロアも、地下と同様に外壁がゆるいカーブを描いて湾曲しており、建物全体が円形であることは容易に想像できる。そして、101階以上もフロアがある巨大な高層ビルだ。


 サクラが働いていた五つ星ホテルも、8階から24階までが客室フロアの大規模なホテルだったが――ここはサクラの想像をはるかに超えた巨大な施設だった。その全貌は、まだサクラには見えていない。近い未来に、おののきとともに知ることとなるのだが…。


「きみたちは、もう行きなさい。ご苦労様。ありがとう」

 女性ガードマンたちは、サクラをラボの人間に引き渡すと、無言でお辞儀だけして帰っていった。

「昨日は、眠れたかい?」

 サクラに話しかけた男性は、前日、L=6に付き従って独房へやってきた男性だった。


「昨日、L=6も言ってたが、きみをあんなところに閉じ込めるつもりはなかったんだよ。ただ、部屋の準備ができてなくてね。そのうち、もっと快適な部屋に移すつもりだから…それまでガマンしててね」

「はい…」

 サクラは、素直にうなずく。


 反抗したり暴れたり、目立つ行動を起こして、独房の監視がきびしくなることを避けたかったからだ。ツトムの脱出計画は、着々と進んでいる。それを気取けどられてはならない。


 サクラは男性にうながされるまま、深海のようなうす暗い通路をまっすぐ進んでいった。


 ところどころに『研究室-A』『研究室-B』『資料室』などと書かれたドアがあり、それに並んで『G-細胞・培養室』という部屋もあった。サクラは、なにげなく「G-細胞って、なんだろう?」と、ちらりと思う。


 サクラは〈G-細胞〉がゴースターであることを知らない。ましてや、自分の身にふりかかるモノであるなど、想像すらしていなかった。


「きみには、わからないだろうね」

「え?」

 男性は、ブルーの通路を歩きながらぽつりとつぶやく。


「我々は、きみという存在を、どれほど待ち望んでいたか…」

「……?」

「ついに、現れたんだ。ゴースターと共鳴するエムズ・アルファ…」

「きょ、共鳴…?」

 男性は、自分の思考の中に埋没しているのだろう。サクラの問いかけには答えなかった。もう一度、聞きかえそうとしたとき、男性が口をひらく。


「さあ…ついたよ。ここが、きみのために用意された〈クリスタル・ルーム》だ」


 みると、ブルーの通路の先に、2階建ての建物がすっぽりと入ってしまうほどの、広々とした円形の空間が広がっていた。男性がどこかのスイッチをONにすると、フロア全体が一瞬でまばゆく照らされ、サクラは思わず目をぱちぱちとしばたかせる。


 目が慣れ、まわりを見回すと、その2階部分は、SF映画に出てくる研究室のような、ガラスで仕切られた小部屋がいくつも並んでいた。それらは1階フロアから、円形状にぐるりと見渡せた。


 コンピューターが埋め込まれたモニター室や、ビーカーやフラスコ、メスシリンダーがならぶ研究室、事務室など――すべてが、1階フロアから透けて見渡せるのだ。1階に下りる螺旋階段は赤くペイントされ、まるで、ファッションストリートにあるカフェのようだった。細部にいたるまで洗練されたデザインで、どの部屋にも、どこかひとつ〈赤〉のポイントがある。


 おそらくL=6の趣味が反映されているのだろう。このラボのアーティスティックな美しさは、前日、サクラが独房の柵ごしに見た彼女の美しい姿と重なる。


「そして…ここが、きみの指定席だよ」

 1階フロアの中心――男性が指し示す先にはあった。

 それは、直径3メートルほどの、正六角形の〈箱〉の部屋だ。その箱も、すべてガラス張りで、向こう側が透けて見える。


 男性が、その箱に近づき、どこかをさわると、その一部が‘ウィン…’と軽い音を立て、空気のような軽さでドア部分がひらく。それは、まるで近未来のSF映画のセットをみているような光景だった。サクラは、一瞬、自分の立場を忘れて見とれてしまう。


(なんか…すごい…)


 その〈箱〉の中には、すでに3人の男性研究員が待機しており、女性ガードマンたちと同じように無表情のまま、サクラの到着を待っていた。


 そして――次の瞬間、サクラの目はひとつのモノに釘付けになった。


「さあ…こっちへ」

 男性にうながされ、その〈ガラスの部屋〉へ入ると、男性研究員たちがガードマンのようにサクラを取り囲む。覚醒して暴れることを警戒しているのだろう。


「さあ、ここに寝て…リラックスしてね…」

「………」

 サクラの目の前には、銀色の検査台が一台、そこによこたわる〈主〉をまちかまえていた。それは被験者のために設置された、病院の診察台のようなものだったが、それも近未来的なデザインで映画のセットを思わせた。

 だが、この場所は映画のセットのような偽物フェイクではない。現実なのだ。


 クリスタルのような壁面の美しさも、銀色に輝く検査台の美しさも、サクラというモルモットを実験し研究するための機材であり、この場所で命を落としていったエムズ・アルファたちも、ここに寝かされ、実験され、非人道的なあつかいを受けてきたことを思うと、デザインの美しさなどどうでもよくなる。


 ツトムは言っていた。


『 僕らのまわりの人間、つまり施設の人間はすべて〈敵〉だ。僕は、施設の人間を、誰も信用はしていない… 』


 11年間、この研究施設で過ごし、ラボの人間と接してきたツトムの言葉には説得力がある。


『 この施設の人間はすべて〈敵〉… 』


 その言葉を、サクラは心にとどめた。もちろん、このときは、サクラの思う〈敵〉の中に、4Cは含まれてはいなかったのだが――ともあれ、いま、肝心なのは、自分が冷静でいることだ。


(反抗しない、抵抗しない、おとなしく、従順に…)


 だから、サクラは、男性の指示に従った。一瞬、ためらいを見せたのち、指示されるままその台の上に横になった。


(だいじょうぶ…心配ない…)


(だって、今日は検査をするだけ…)


(そう…4Cが言ってたんだから…)


(だいじょうぶ…うろたえるな…)


(反抗するな…)


(抵抗するな…)


(おとなしく…従順に…)


 サクラの心臓は、すでにバクバクと音をたてて暴れていたが、4Cの言葉を頭の中でくりかえし、平常心を保とうと深呼吸をくりかえした。


『 なにがあっても俺を信じろ。信じて待ってろ 』


 男性は、サクラの手錠をはずし、その両腕を検査台の両側についている腕を固定するベルトに付け替えると、両足もそろえて同じようにベルトで固定した。


「………」

 サクラは、まるではりつけにされたイエス・キリストのように、両腕両足を拘束されたまま仰向けで寝かされる。まわりには、男性研究員が4人、サクラを取り囲んでいる。もう、何があっても逃げられない状態であることを、サクラは自覚する。


 3メートルの高さの天井には、蜂の巣のような無数の丸いライトが埋めこまれ、点灯するときを待っている。


 と、そのとき――どこからともなく、談笑している研究員たちの声が聞こえてきた。みると、この〈箱〉のすみにスピーカーが設置されており、外部の音を拾っているようだった。


「楽しみだわ。なんだか、子供みたいにワクワクしてきた!」

 女性のはずむ声がきこえる。

「この研究プロジェクトは遊びじゃないのよ。はしゃぎすぎないでKTケーティー

 それは、聞き覚えのあるL=6の声だった。


「すみません、先生。でも、人類の存亡をかけた世紀の大実験に立ち会える喜びは、隠しきれるものじゃないわ!」

 KTと呼ばれた女性は悪びれるようすもなく、ハイトーンで声をはずませる。


「エムズ・アルファとG-細胞の融合…きっと、今度こそ成功するって、私、確信してるの! 思えば、いままで何人の被験者が犠牲になったか――彼らに足りなかったのは〈共鳴率〉よ。でも、彼女はみごとに〈共鳴〉した! 4C…あなたは彼女とゴースターの共鳴を目撃したのよね?」


 KTは、4Cに話しかける。

 そう――そこにいたのは4Cだった。


「いやー…あれはKTにも見せたかったね! ここ数年で『ベスト1』の出来事だ。あとで〈救出チーム〉のモニタールームへ来るといいよ。ゴースタが映像を見せてやる。エキサイティングだぜ!」

「うれしい…ぜひ、見たいわ!」


 興奮する女性と親しげに話す4Cの声に、サクラはハッとして、〈箱〉の外を見まわすが人の姿はどこにも見当たらなかった。


(4Cが、ここにいる…!)


 姿は見えずとも、彼がこのラボにいる…そう思うだけで、サクラはそわそわと落ち着かない気持ちになる。


 そして――なぜ、彼がここにいるのか…ふと、サクラは疑問を抱く。

 それは、〈信頼〉という名の湖に〈疑念〉とういう名の黒いインクがぽたりと落ち、ふわっと広がった瞬間だった。


(どうして、4Cが、ここにいるの…?)


 その瞬間…サクラの中に小さな〈闇〉が生まれた。




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