10|覚醒〈1〉

宮本咲良みやもと さくら。ここで、私から言っておきたいことがあります」


 簡単な質疑応答のあと、AKBエーケービーはサクラに向き直り、あいかわらずきびしい口調で話しはじめた。


「よくききなさい。あなたたちエムズは、この世界に望まれてやっていたわけではありません。この世界の住人の中には、あなたたち〈エムズ〉の存在をうとましく思っている者も数多くいます。この施設内も例外ではないわ」

「………」

「あなたを救出した4Cフォーシーという男…彼は〈エムズ擁護派〉なので優しかったでしょう? しかし、そんな集団は10パーセントにも満たない。したがって、いま、私があなたに与える印象は、そのまま世間の縮図だと思いなさい。これからは、甘えを捨てて生きるのよ」

「………」


 サクラは、この部屋へ入るまえ、ある程度の覚悟はしていた。

「いつ覚醒するかわからない危険な人種」という差別意識が存在する中で、審査を受けることになるのだろうと。


 だが――じっさい、ふてぶてしい態度で接してくる女性審査官の言動は、サクラの神経を否応なく逆なでする。


(いったい、何様なのよ…)


(私だって、来たくてこっちの世界へ来たわけじゃない…)


 ふつふつと、怒りがこみあげてくる。


「4Cはさぞかし、あなたを甘やかしたんでしょうね? 目にみえるようだわ。あの男はいつもそうよ。仕事を甘くみてる。たかだか3年目の新人隊員のくせにね」

「………」

 4Cの、いったいなにが気に入らないのか――この目の前のベテラン審査官は、やたらと彼をおとしめる言葉を吐きつづけ、それをサクラにぶつけはじめた。

 こういう人間は、どこの職場にもいるだろう。サクラは、そういう状況に陥ったとき、いつもなら、おとなしくその時をやり過ごす人間だったが、しかし――


「救出したエムズには、必ず手錠をかけるようにと忠告しても、一度だって聞き入れたためしがない。本当に腹の立つ男だわ!」


〈暴言〉は、文字通り言葉の暴力だ。


 サクラ自身を攻撃しているわけではなくても、彼女が発する言葉のナイフは、サクラの心をつき刺さしつづけ、そして、とうぜん、サクラの忍耐の限界はマックスを超えた。


「4Cを…」

 口の中で、サクラは小さくつぶやく。


「なに? 聞こえないわ。しゃべるならハッキリ言いなさい!」

「4Cを、悪くいわないで!」

 気づくと――サクラはイスから立ち上がり、バンと手でテーブルをたたいて叫んでいたのだ。


「彼は、命の危険をおかして私をたすけてくれたの! 3年目だろうと、ベテランだろうと、使命感をもって仕事してる人の悪口はいわないで!」

 肩で大きく息をはき、うちふるえながら、サクラは怒りをぶちまける。


「へぇ…」

 AKBは、意外そうに目をみひらき、


「なかなか言うわね?」

 そういって、不適に笑った。


 サクラの言葉など、顔にコバエがたかったほどにも思ってはいないのだろう。彼女は平然とした態度で言葉をつづける。


「でも…あの男は、あなたが思ってるような人間じゃないわ」

「あなたに、なにがわかるの!?」

 それでも、サクラはくいさがる。


「じゃあ、あなたには、なにがわかるの? 宮本咲良」

「…え?」

 サクラは、そう問われ、言葉をつまらせる。


「あの男が、この研究施設へ配属されたときから3年間、私はあの男をずっと見てきた。でも、あなたは、何年? それだけいうなら、10年ぐらい一緒にいたのかしら?」

「そ、それは…」

 彼女は、皮肉をこめてサクラを追いつめる。


「あなたは、4Cを知らないのよ」

「………」

「あなたは、あの男をすっかり信用してるみたいだけど、あの男はただのお調子者で、そして…嘘をつくわ…」


 サクラは、くやしかったが、なにも言い返せなかった。

「嘘をつく」という、AKBの言葉こそ信用できなかったが、彼女のいうとおり、たしかに自分は、4Cのことを何も知らない。


 4Cのことを悪くいわれて憤るのは、4Cとトモヒロを重ねているからだということは、自分でもわかっていた。彼が、どんな人間だろうと、自分にとっては、なにも関係がない。サクラにとって、本当に大切なひとは、トモヒロだけだったのだから。


(トモヒロ…)


 サクラは、トモヒロの青空のような笑顔を思い出し、同時に、自分が果たすべき目的がなんであったのか、あらためて思い出した。


(そうだ…)


(私は、帰るんだ…)


(トモヒロがいる世界へ…)


 こんなところで、女性審査官と不毛な会話をつづけてる場合ではない。

 サクラは、そう悟ったのだ。



          ***



「わかった…あなたの勝ちよ。それでいいでしょ?」

「なに…?」

 AKBは、怪訝そうにサクラをみる。


「私は4Cを知らない。3年も見てきたあなたには叶わない」

「そ、そう?」

 思わぬ変化球に、AKBは鼻白む。


「それより、あなたが、どうしてそんなに4Cにこだわるのか、どうしてそんなに嫌いなのか…そっちのほうが気になるわ。私は4Cを知らないけど、いい人だと思う。そこまで嫌う理由がわからない」

「そんなこと、あなたに関係ないわ」

「そう? ここまで、私の心にナイフを突きたてといて、そういう言い方はないと思うけど」

「………」

 今度は、AKBが言葉をつまらせる番だった。


「理由があるなら、教えて。私、こういうこと、ハッキリさせないと気がすまない性格なの」

 そういって、サクラは彼女を真正面からみすえた。


 また、なにか言い返してくるかと、身構えるサクラだったが、AKBは口をつぐんだまま、なにか思いをめぐらすように、深いため息とともに目を閉じ、それから、ゆっくりと開いた。それから彼女は、静かなトーンで話しはじめたのだった。


「私にはね、息子がいるの。4Cと同い年のね…」

「…え?」

〈息子〉という意外なワードに、サクラは目をぱちぱちとしばたかせる。


「もう、何年も会ってないわ」

「………」

「だから…4Cをみると、どうしても自分の息子のように感じてしまって、つい、いろいろと口を挟みたくなってしまうのよ。とくに、仕事では尊敬されたくてね…つい、先輩かぜを吹かせてしまう…」

「………」

「干渉しすぎだと、まわりの同僚にはいわれるけれど…どうしても止められないの。きっと、4Cも迷惑に感じているんでしょうけれど、ね…」

「そう、なんだ…」

「気をつけてはいるのよ。でも…また、やってしまったみたいね…」

 そういうAKBの目には、うっすらと涙がにじんでいた。


「AKB…あなた…」


 その涙をみて、サクラは思った。

 一見、冷徹に見える彼女にも、ちゃんと血の通った感情があるのだと。

 人が人であるかぎり、揺れ動く〈心〉はあるのだと。


 そして――サクラがトモヒロを大切に思うように、誰にでも、大切な人、会いたい人はいるのだ。そう思うだけで、サクラはすこし救われた気がした。


「息子さんに、会いたいでしょうね?」

「ええ、そうね…」

 AKBは、誰にも気づかれないように、さっと指先で涙をぬぐい、


「でも、きっと無理だわ。この研究施設は機密事項が多いの。ろうえいを防ぐために、外界との接触はNGなのよ。帰省は許されない」

「そんな…」


 そのとき、横にいたガードマンが「AKB、それ以上は…」と、あわてて彼女を止めた。エムズにも、知られてはならない〈機密〉があるのだろう。


 だが、サクラには関係のないことだった。この研究施設にどんな秘密があろうと、どんなに謎に満ちていようと、サクラの関心ごとは、23ゲートの〈扉〉のことだけだ。


「AKB…私ね。あっちの世界に、恋人がいるの」

 気づくと、サクラは、AKBにそのことを話していた。不思議なことだったが、たったひとつの思いを共有しただけで、サクラはAKBとつながれた気がしたのだ。


「半年前にプロポーズされて…来年、結婚するの」

「そう…それは、残念ね…」

「残念…?」

「そうよ。だって、もう二度と向こうへは帰れないんだから」

「まって…!」

「なに?」

「それは、違う。私…帰れるかもしれない…」

「……?」


 サクラは、そのとき思ったのだ。

〈扉〉のことは4Cに相談するつもりだったが、もしかしたら、彼女が協力してくれるかもしれないと。


 大切な人のもとへ帰りたい気持ちは、彼女も一緒だ。きっと、AKBならわかってくれるはずだと、そう思い――そして、信じたのだ。


「あの…私、あなたに聞いてほしいことがあって…」


 そしてサクラは、彼女に〈未来〉を託した。


 自分は、夢の世界から〈扉〉をあけて、23ゲートにあらわれたこと。それはすぐに消えてしまったが、またあらわれる可能性があること。そして自分は、もとの世界に帰りたいと強く思っていること。


「〈扉〉ですって…?」

 彼女は、好奇心と、疑念が、ないぜになったような、複雑な表情で眉間にシワをよせた。


「お願い。私を23ゲートに…あの大穴があいたところに、もどして!」

「本気でいってるの?」

 AKBは、心底おどろいたように目を見ひらく。


「もちろん、本気よ!」

 サクラは、負けじと彼女を説得する。


「きっと、また、あの…ゴースターが沸いて出てくるかもしれないけど、4Cが持ってた火炎放射器…あれを貸してくれれば、助けはいらない。自分でなんとかするから! だから、あそこへ私をもどしてほしいの…お願い…」

「………」

 しばらく、AKBは、険しい表情で腕を組みながら、何かを思い巡らすように沈黙していた。それから、ゆっくりとイスから立ちあがり、テーブルをまわって、サクラのそばへ近づいてゆく。


 その動きを、彼女がつぎに発する言葉を、サクラはじっと見守った。

 不安と希望がせめぎあい、サクラの心は大波にもまれる小舟のようにゆれうごいていた。


(AKB…あなたなら、わかってくれるはず…)


(私は、あなたを信じる…)


(お願い…「イエス」といって…!)


 そして――ベテラン女性審査官のくだした結論は…。


「この子を〈矯正ルーム〉へ――」

「…え?」

 一瞬、サクラはわけがわからず、固まった。




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