3

「参考までに聞かせて。どこで私が怪しいと思ったの?」


 認めたテレサの物言いにも、セシリアの気はまったく晴れない。逆に自分の推測が当たってしまったことが物悲しくもあった。


 セシリアはわずかに視線を落とす。それに比例して声も小さくなった。


「違和感は色々とありましたが……とくに私とジェイドが上着の話をしていたときです」


「上着?」


 訝し気な顔をするテレサにセシリアは小さく頷く。


「あのとき話していた上着というのは、私がドリスの家に忘れてきたものです。しかしあなたの反応はどうもおかしかった」


『いえ。上着はどうしたのかって話になって』


『あら? 盗まれたのかしら?』


『え?』


『だって高価なものだったんでしょ?』


「その直前まで話していたのは、ディアナ嬢の遺体に関してだった。だから、あなたは上着と聞いて勘違いしたんです。私たちがディアナ嬢の上着がなくなっているのを話題にしているのだと。でも、実際は違った。それで後のフォローもちぐはぐだった」


『そうだったの。ごめんなさい、ひどい言い方をして。……実は私、あの家で忘れ物をしたけれど、返ってこなかったことがあるから』


 おそらくとっさに言い訳として考えたものなのだろう。微妙な引っ掛かりは、テレサがディアナの話だと勘違いしていたと仮定すればすんなりと腑に落ちた。


 嬉しくはなかったが。


「着衣の乱れは話題になっていましたが、ディアナ嬢がボレロを着ていなかったという細かい情報まで公にはしていません。そこで疑いの目があなたに向いたんです」


「なるほどね。ボレロだけじゃなくて服も脱がそうと思ったけれど、上手く脱がせなくて苦肉の策で髪を切るのを思いついたの。髪は現場に持っていったもののボレロを処分したのは間違いだったわね。現場でまた着せるのはリスクが高いと思ったから」


 テレサは小さく笑う。自嘲的なものだった。セシリアは迷いつつも補足する。


「それに二人目の被害者、カルラは毒蛇に噛まれたとされていますが、それは注射針の跡をカモフラージュしたのでしょう。ドリスも蛇に噛まれたと聞きます。でもその噛み跡は腕にあった。よっぽどの大蛇ではない限り、上腕部辺りを噛まれるのは不自然です」


 おそらく大量の血液を抜くためには、腕とは別に太い血管を使ったはずだ。そこまで探れなかったことを悔やむ。もっと早くに気づいておけば被害は防げたのかもしれないのに。


 『実はアスモデウスは蛇になる』『アスモデウスが出現すると雨が降る』


 これらはクラウスの言う通り、不都合な真実を隠すために、付け加えられた情報だ。


 テレサはふうっと息を吐いてにこやかに笑った。


「セシリア、あなたの推理は概ね正解よ。でもね、ひとつだけ間違っているわ」


「え?」


「私が彼女たちの遺体をドュンケルの森……ベテーレンの上に置いたのは、あなたの言う、獣に遺体を荒らされて自分の犯行を露見されたくなかったのもあるわ。けれどそれが一番の理由じゃない」


 テレサの顔から笑みがすっと消え、彼女は顔を歪めた。


「彼女たちを綺麗な状態でいさせたかったのよ。最期の最後まで」


 テレサの声からは感情が掴めない。


「どうして、こんな真似を……?」


 セシリアの問いかけに、テレサは明後日の方向を向く。ややあってぽつぽつと語りだす。


「アスモデウスの話を最初に言い出したのはね、クレアだったのよ」


 意外な事実にセシリアは目を瞬かせた。半年ほど前に最初にドュンケルの森で亡くなった女性だ。


「薬草を採ろうとドュンケルの森に行ったときに、出会ってね。獣が出るから気をつけなさい、と言ったら彼女は『アスモデウスと待ち合わせしているの』って笑ってね」


 もちろんクレアが指したのは逢瀬を約束している恋人だった。


『ドュンケルの森に行けばアスモデウスに会える』


 許されぬ相手との約束を公にできない彼女はそんな冗談を周りに話していたらしい。アスモデウスは美を司る。


『彼に出会って私はもっと綺麗になろうと努力するようになったの。あながち間違っていないでしょ?』


 クレアはそう笑いながらテレサに告げた。


 親しくなるにつれ、テレサは手に入れた注射器でクレアに瀉血を行うようになった。適度に血を抜くのは、新しい血液の生成を促し健康や美容にいいと他国では主流の医療行為だった。


『先生のおかげで私、前よりも綺麗になった気がする』


『あなたが努力しているからよ』


 なによりも恋する気持ちがきっと一番大きい。ところがクレアは恋人に裏切られ、あんな最期を迎えることになってしまった。


『アスモデウスは青年に化けて、気まぐれに出会った女性に美しさを与える』


 ――こんな噂だけを残して。


 それからアスモデウスとの接触を半信半疑で試みてやってきた女性にテレサは声をかけた。クレアを諭したときのように『そんな存在などいない』と言いながら。


 その中で、思った以上に深刻な事情を抱えた女性たちもいた。クレアとつい重ねてしまい、興味本位ではなく痩せたい、綺麗になりたいと切羽詰まった想いを抱えている者だけにやがてテレサは瀉血を行うようになる。


 他言無用で絶対に秘密だと言い聞かせ、少しでも彼女たちの想いが報われたら、と願っての行為だった。


 しかし、事態は思わぬ方向に進んでいく。


「私はね、『もうやめた方がいい』って何度も言ったわ。でも彼女たちは『もっと綺麗になりたい、細くなりたい。だから血を抜いて欲しい』って言ってきてね」


 自己暗示も大きかった。他者がしていない特別な行為によって、抜かれた血を見て、彼女たちは満足し綺麗になっていくと錯覚する。


 いつもより顔も白い。瀉血が快感になり、麻薬のように抜け出せなくなる。


 そうやって最初の犠牲者が出た。


「セシリアが最初に言った通り、私がアスモデウスになったのよ」


 セシリアは一歩テレサに近づき、語りかける。


「どうか、もう無駄な瀉血をやめてご自分の罪を認めていただけませんか?」


 しばしの沈黙の後、テレサは妖しく笑った。


「まだよ。まだ私には患者が残っているの」


「先生、手荒な真似はしたくありません。おそらくあなたでは私に敵わない」


 セシリアは警戒しつつテレサとの距離をさらに一歩詰める。しかしテレサは動じない。


「ええ、きっとそうでしょうね。でも……」


 そこでテレサの視線は入って来た入口の方に向く。セシリアもつられてそちらを見れば、わずかに人の気配を感じた。


「先生?」


 顔を出したのはまさかのドリスでセシリアは大きく目を見開く。ドリスは中にセシリアがいることに気づき、目を丸くした。


 そちらに気を取られている瞬間、テレサが素早くドリスに近づく。


「逃げて、ドリス!」


 セシリアが大声で叫んだのと同時に、テレサは懐に忍ばせていた布をドリスの口元に押し当てた。セシリアが瞬時に駆け寄ろうとする。


「来ないで!」


 テレサが声を張り上げたことで、セシリアは思わず足を止めた。ドリスの距離はテレサの方が近く、不意打ちを食らったドリスは顔面蒼白でその場にうずくまった。


 テレサはセシリアに告げる。



「ヴェターの根から抽出したものよ。あなたも効果は知っているんでしょう?」


『根から抽出される成分には神経と脳を刺激し、トランス状態に陥らせたりします。摂取量が多ければ死に至ることもあるんですよ』


 ライラの説明が頭を過ぎりセシリアに緊張が走る。テレサはさらに注射器を取り出してセシリアに見せつけた。


「濃度の濃いものをこのまま彼女に注入してもかまわないけれど?」


「やめて!」


 セシリアは動かないまま力強くテレサを制した。テレサは妖艶な笑みを浮かべたままだ。形勢が一気に逆転する。


「少しでもおかしな真似をしたら、ドリスがどうなるかわかっているわよね?」


 セシリアは唇を噛みしめた。完全に自分の甘さが招いた状況だ。まさかここに現れた第三者を人質に取られるとは予想していなかった。


 テレサは親指サイズの小瓶を取り出すとセシリアに向かって投げつける。正確にはセシリアの手前の床にだ。小気味よく音を立て割れた瓶の液はさっと床に染みを作り、そこから鼻をつく香りを放つ。


 ここに来る前、ジェイドにおおよその真相を予想したものを書き残してきた。ルディガーもきっと……。


 考えられたのはそこまでだ。堪えようにも頭に靄がかかるのを止められずセシリアはその場に膝を折って崩れ落ちた。

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