なにかしら短編集
古川
犬殿
犬殿が不動のナンバーワンなのである。
犬だけにワンなのであるとかじゃなくて、実力、結果共に、完全にトップに君臨するのである。
僕はそれを揺るがしたかった。別に僕がナンバーワンの座を奪いたいとかじゃなくて、とにかくこの現状が悔しかったのだ。
犬殿が来てからというもの、僕の家の平和はぐらぐらしっぱなしだ。
少しでも序列の上の方に食い込もうと、他の人を蹴落としたりし始める者。少しでも犬殿に気に入られようと、ルールも顧みず、自分勝手な作戦に打って出る者。
そんなだから、家庭内の人間関係はくしゃくしゃしていた。
妹君は通常の散歩時間外に犬殿を外に連れ出し、規定コースを大幅に逸脱した超過ルートへと誘った。散歩が大好きな犬殿は、スペシャルなその外出に尻尾をちぎれるほど振って喜び、妹君のランクを一つ上げた。
マミーはネットで『ワンちゃんの大好物!雄牛のやわらかリブボーン』を購入し、こっそりとソファーの裏で犬殿に献上した。犬殿は水溜まりができる程のヨダレを垂らしながらはぐはぐと食らい、マミーのランクを一つ上げた。
父上は週一だったシャンプーを3日おきに執り行い、念入りなブラッシングを施した。トリミングは嫌いなくせに水とブラシが好きな犬殿はさらっさらの毛を風になびかせ、父上のランクを一つ上げた。
じぃやは家庭内で一番犬殿と過ごす時間が長いのをいいことに、紐投げ遊びを毎日5万回(じいやによる自白)繰り返した。じぃやは投げ過ぎたせいで右肩をやったが、犬殿はぼろぼろになりつつある紐をにっと満足気に噛み締め、じぃやのランクを一つ上げた。
そんな調子で、みんな犬殿にどうやって喜んでもらおうかとそればかり考えている。犬殿は犬殿で、自分の人気にすっかり胡座をかき、王座であるソファー横のケージの中ですやすやとお昼寝なさっている。
僕はそこに静かに近付く。
お前が来てからというもの、家族はおかしくなってしまった。起きれば犬殿。寝るまで犬殿。みんな、犬殿犬殿犬殿。
全部、お前のせいだ。
「のぉらぁぁぁぁああ!」
僕は手のひらで犬殿の腹をぐわしぐわしやる。びっくりして跳び起きた犬殿は、すぐには事態を理解出来ずに驚愕の表情を僕に向ける。
僕は攻撃を緩めない。腹から背中から首から耳の付け根まで執拗にぐわしぐわしし回して、犬殿が突然のぐわしぐわしに身を捩ってきゃひきゃひ悶えるのも無視して続行する。
するりとケージを抜け出して僕のぐわしぐわしから脱出しようと部屋の隅まで走り、きゅっと方向転換して「構え」のポーズを取る犬殿に、僕は全力で突進していく。犬殿はフローリングに爪の音をカッチカッチいわせながら時々滑ったりしながら部屋中を走り回る。僕はぐわしの手の形のまま追いかける。
「まぁてぇぇええええ!!!」
犬殿は体を壁に擦りつけながらカーブを曲がり廊下へ出ていく。ははは、またいつものコースかよ、ワンパターンだなぁ犬だけに! そこを出てからの方向転換は、風呂場でのみ可能なんだよ! つまりお前は、風呂場でまた僕の、ぐわしぐわしに捕まるのさ!!
犬殿のぴんと立った尻尾が風呂場へと駆け込んで行く。外でやってよぉ! というマミーの声。ばかだな。外じゃ広すぎて捕まえられないだろ!
案の定風呂場でくるりと向きを変えた犬殿が、目を見開いて耳を後ろに倒し、口角の上がった口からへっへと舌を垂らし、またあの「構え」の姿勢を取る。
犬殿。僕はお前を許さない。
寡黙でクールで読書家の僕がこんな野獣みたいなことをする少年になってしまったのは全部お前のせいだ。廊下を走るなんてガキのすることだし、僕はどたばたすることが一番嫌いなんだ。そのはずだったのにこのザマ! なんだよこれ!
許さない。僕にこんなことさせるなんて許さないぞ。
だから認めろ。お前は、僕と遊ぶのが一番楽しいはずた。僕に一番大きくしっぽを振って、僕に一番高く飛び付き、僕の前でだけ嬉ションしろ。僕を一番にしろ!
「だぁらぁぁあああ!!」
僕は犬殿に襲いかかる。犬殿がきゃひんと歓喜の息を吐く。マミーの声が二階から降ってくるけどよく聞こえない。
たぶん僕はどうかしちゃってる。だけどそれは、全部犬殿のせいだ。
〈犬殿・了〉
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