輪廻と螺旋

雪虫

光と共に

ある世界では、「人は死んだら魂は天国や地獄に行く」と一般的に言われているらしい。更にその世界では死人を燃やし、骨を埋め石の目印を立てるとか。成程それは良い。骨にしてしまえば肉体が腐り溶ける事も無く、またそれにより死者を嫌悪し慈しむ心が衰える事も無いだろう。そして目印があればその死者が忘れ去られることもそう簡単には起きなさそうだ。


だが、この世界でその考え方は必要無い。

何故ならば、この世界で通用する一般論は「人は死んだら植物になる」だからだ。




ある日、見知らぬ人物が目の前にやってきた。顔も肌も青白く、立っているのが辛いのか僅かに足が震えてる青年だ。その青年は辺りを見回し、ここにしようかな、と傍にいる家族らしき人々に言う。

それで漸く理解出来た。明らかに元気ではない彼が何の為にこんな辺鄙な、しかし確かな美しさを兼ね備えた森まで来たのか。


彼は、じきに息絶えるのだ。

そしてここに来たのは、死に場所を選ぶ為だったのだ。


彼の家族らしき人々が、涙を流しながら彼を大樹の根本にそっと座らせてやった。そして名残惜しげに最期の言葉を交わす。

何分経っただろうか。そうこうしているうちに彼の目は次第に閉じていき、やがて静かに息絶えた。


しかし、すぐにまた命が宿ることとなる。

息絶えた青年の体は淡い光に包まれ、植物へと姿を変えていく。

腕は葉に、足は根に。彼の場合は花だったようで、全身が黄色の水仙へと作り替えられていく。

いつしか、青年の面影はすっかり消え、そこには遺族らと日に照らされ風に揺れる一輪の花だけが残された。

遺族らは各々短い別れの言葉をかけると、ゆっくりと彼らの日常へと帰っていった。目の前では、数分前まで人であった花が健気に顔を上げて大樹を見上げている。


彼は、これからどうなるのだろう。

別世界の認識で考えるのなら、死んだら人はそこで終わりだろう。でもここでは、第2の人生を問答無用で与えられる。その人物の意思なんて関係無く。

植物としての生を終えてから漸く、私達は輪廻の輪に招き入れてもらえるのだ。


彼は、今どう思っているのだろう。否、何か思っているのだろうか。

これは誰もが知らないが、人が死に植物へと変貌する時、何者かが選択肢を与えてくるのだ。記憶と思考する力を引き継ぐか、と。誰からの問いかけなのかはわからない。なので私はこの世を動かす神か何かだと推測する。

これを誰もが知らないのは、実に簡単なことで、死んだら誰も話すことが出来ないからだ。


彼はどちらを選んだのだろうか。

別世界なら「樹海」と言い表される場所と同様なここで、彼は今何かを考えているのだろうか。ここにいる植物の何割が思考するだろうか。



この制度を作った神は、きっと誰よりも残虐非道な暴君だ。

平等で安らかなる終焉を奪い去り、第2の人生を歩ませ、新たな種の苦痛に耐えさせる。

人目につく所で死んだ綺麗な花は、無邪気な子供に体を引き裂かれる。美しい場所へと続く道で死んだ地味な雑草は、何度も何度も潰され全身を圧迫される。誰も常に足元を見たりしない。そうだろう?


これが死体だったらこんな事は起きないだろう。少なくともある程度モラルのある人物なら死体を引き裂かないし、死体をわざわざ原型がわからなくなるまで踏みつけたりしない。


植物という第2の人生を歩まされるからこそ、このような苦痛に耐えることを強いられるのだ。人々の意識が変われば少しは苦痛も減るかもしれないが、元来人々は植物を命として捉えない。そういう生物だ。

足が無いから逃げられず、口が無いから訴えかけられない。なんと理不尽なことか。



死というのは、本来誰しもに平等に与えられ、そして誰しもを平等にするものだったはずだ。他の世界ではその考え方が通用するだろう。

しかしこの世界では、死後でも明らかに優劣の差がある。

第2の人生での優劣、それは〝 どれだけ苦しまず生きられるか〟だ。


死に場所によっては、私のように安らかに生きられる植物もいる。しかし場所を一歩間違えると、安らぎなんて感じる間も無く壮絶な痛みを強いられる。これのどこか平等か。

猶予があって場所を自分で選べる人もいるが、自分で選べず力尽きる人もいる。死に場所を選べず、そして力尽きた場所が人通りの多い場所ならばより不憫だ。これも不平等だ。



私は嘗て研究者だった。死後植物になる現象に興味を持ち、日々森を渡り歩いていた。

今では、人どころか虫もあまりいない木陰でひっそりと生きる花だ。どんな花かはわからない。木陰で生きていられるところから察するに、陽の光を必要としないタイプなのだろう。もし陽の光が必要なタイプだったならば、私は今頃もう1度死んでいた。


植物になってから、何度もこの森を死に場所とする人々を見てきた。

多くの人の命が森を形成する一部へとなっているこの森は、不思議と死ぬ間際の多くの人々が魅入られ足を踏み入れる。無意識のうちに同胞を求めてるか、はたまた逆に森の植物達が人を呼んでいるのか。今の私には調べることも出来ない。



1回息絶えてどれくらい経っただろうか。頭上の木々は紅く色付き、早いやつは既に葉を散らし始めた。

季節の変わり目、それはきっと多くの命が同時に息絶えるだろう。種類によってはそれが仮死状態で、またいつの日か元に戻るのもいるかもしれない。

私はどうだろうか。暖を取れずに息絶えるのはなかなかに辛いだろう。今はそんな事しかわからない。



何度も何度も苦しみに耐え長く生きるのと、早めに退場し再び輪廻を望む者の列に並ぶのでは、どちらの方が幸せなのだろうか。

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輪廻と螺旋 雪虫 @snow1129

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